悔悟の時機来るや晩し
近来、民主的思想が政治及び教育社会に表はれ来りたるは、著しき現象なり。日本国民が、其の道徳的意識の上に一大猛省を要すべきの時機漸く近からむとす。民主思想は、そが如何なる仮面を被り来るを問はず、須臾も我が國體と相容れざる也。彼の耳学の輩、外邦特殊の制度を談じて我邦に強ゆるが如き、抑々何等の陋態ぞ。我邦にありては、文明の進歩は民権の発達にあらずして、寧ろ臣民の義務を明確に理会するにあり。是れ皇祖立国の鴻図を体認して、偉大なる国民的理想を実現する所以也。
今の政党員中には、陛下の信任に立てる内閣を以て、憲政党の出店なりと公言したるものあり。今の政治を以て多数政治なりと公言したる政論家あり。党の決議即ち内閣の意志たるべしと要請する憲政党委員あり。『眇たる一個の俗士』を容(ゆ)るして教育勅語の撤回演説を為さしめたる教育会あり。而して社会は多く怪み問はざる也。是等の暴論を公にして顧みざる輩は、無学無識、素より言ふに足らざるベし。而かも彼等を容るして是を公言せしむる社会は、甚だ憂ふべき社会に非ずや。吾人は民主的思潮の漸く社会の根柢に汎濫し、是の忠誠なる国民を蠱惑せむとするを見て、国民道徳の危機漸く近づきつゝあるを思ふ。
あゝ今の政党なるものは、畢竟二十五年前の愛国公党の仮装せるもののみ。『是の政府は、人民の名に設けたる政府として見るの外なかるべし』との公言は、今日に於ても尚ほ依然として其の精神たる也。吾人は国民の悔悟の余り遅からむことを恐る。
(三十一年九月)