福沢諭吉氏

 福沢諭吉氏の欧化主義は近来時事新報上に於て益々其の極端に走れるを見る。蓋し日本中心主義の勃興に対して知らず/\是の激励を致したるものか。是の翁が開国主義と欧化主義とは、三十年一日の如く、毫も時勢の推移に着目せず、維新草創の際に於て唱道の須要を見たりしもの、直に之を三十年後の今日に行はむと擬す。吾等は是の翁の末路に就いて後世の批議を思へば、少しく気の毒の思ひ無きを得ず。
 教育社会の自尊排外熱を排斥し、保守論の根拠を打破せんむとするの意気や壮なり。然れども之れ現今学者の唱ふる日本中心主義の真相に対する誤解に本く。且つ其の論旨浅薄頑迷、東西文明の比較の如きは極めて皮相の観察のみ。其の自卑自賎、一に外来の勢力を崇拝するの口気は、慥に一部の論者が亡国論の痛罵を価するものなり。猥りに自ら高うして、一に他を排するは、往時の国粋保存主義、もしくは皇学党の事のみ。今日は公明なる国民的自覚に本きて審(つまびら)かに東西文明の長短を商量すべきの時なり。己れを虚にして一意他に聴従するは小児の事のみ。福沢翁の意見は偶々従来の経歴によりて世闡ス少の注意を惹くと雖も、要するに時勢を知らざるの説のみ。吾等は是の翁、鬢邊幾根の白を加へてより、徒に昔日の夢想を反復するのみなるを惜しむ。

(30年9月)