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日本王義と哲撃
このユろ
頃肴客あり・吾等を難じて臼く、望粥るB本王我は衆惟を詮かすして視泄を詭き、世界を取
らサして摘季ぞ取り・卒等ふ魂斥して差別に軌著し、超自然を菜てて自然に就き、飽くまで科
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畢的宵瞼杓の立壕に任まりて、囲家及び触曾の道徳を槻立せむと桝等ノるもの。是れやがて一切
こレニ)
縄理幣嬰ヤ績斥して驚鞍、臼然、椎物∽玉挙ぜ訣くものに非すや。雷子は官て純理哲革の可娼
一げ虚きて木柑庶太郎氏等の一撃ゼ浅薄狭童なりと馬れるもの.今や是の如きは普子が卒索の持
論と胡緒窄するものに非ずやと卜
五‥等答へて日く、言、大に否。常等は日木圭撃ぞ固軌す。而かも純理斬[畢の椚究に熱心なる
こと、今錦ほ昨の如し、是のこ希は篭も祁背灰するものに非ざればなり。
客日く、希は/、は北ハ訟の審なるを丁することを得むか。
レにが
日く甚だ菩し。寄勅れゎや。日木王‡は、日本硯民の性偶に遽ひて娃団常初の鵜紳を蟹現せ
むとするは斑的迫培の敢頚なり。純理幹嬰は、蜜除科畢の収符したる一切の知識を統一して、
吾人か揃紳的懲望に絹足を輿ふる仰界覿、及び人生観を柄成する最高科笹なり。ニ瀦の間、形
式上何れの凱に衝突ありとするか。
客加れりや、日木‡義は宗教に非ずっ随つて或一種の遜糊的信仰に球るに非ざれば肯定する
こと能はざるが如き非科拳的数理を含有せざるなり。円本某我は理想を文す、娃閥箇初の団民
的抱員を笹和すと云ふもの、即ち是れ。而かも是れ塊曹泄界の自然的過程に伐傍して到蓮し得
もつは
ペしと汚定せるもの、是の如き信念の地盤は純ら嘗翰の鍔顔に布す。日本壬義は桝界を後にし
て図季ぜ先にす。而かも是れ湿りに己れを鳩てて佃を排するにあらすして、人文進歩の庶坤に
本きたる公正なる歴史的嗣究の結果に出づ。音等の日本王頚は一切の宗致を排す。而かも是れ
一種の民族的∩員心、もしくは不合理的碓悪によるに非ずして、一は囲民性悟及び歴史の精核
なる検露に如衆し、一は蜘家の築達及び利害の周到なる洞察に起刑す。是の如きは皆是れ団民

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の最も明喋なる白琴山の活勒にして、今日の最も進券せる科畢的椚究心咤確なる根轡ゼ有せる
もの、徒に先代の沖準笈m弁し、他邦の文物を摸倣するものと日・ゼ同うして論サペきに非サっ
是の紳き道快去戟は何れの凱に於て純埋許畢と撞著すペしとするか。
客知れりや、口本王護は他界逼娼の人道を現走するものにあらサして、臼木姐民の道撃ぜ指
摘せるものなりっ北ハの根濾は姐民の持性にあり、其の日的は蜘照の発押にあり、眞に伶理嬰の
肘理に作ひ、差別的礎学ゼ柁準するものにして.今日日本の践に迫碧壷の椛宰ゼ計らば、誰
か是の道に出でざるものぞっ是の故に特殊の姐民に於ける準暢迫はの原琴・こして、口本去耽は
伶理畢の畢理に卒巾す、耐かも倫坤壌は官敵上に根捲せる合理的人韓削に外ならすっ然らば別
ち、日木玉義と祈‥苧こほ∵‥喝も相背馳するところL響首のみならす、後瑞却て前者の所恍たらす
むばあらサ。
客卿れりや、日水末謹は趨理的信仰を以て吾人の感怖に投するものに非ザ、却て曹放的、はた
合粥的椚究の結典にふりて木那は氏の辞卒なる理性に訴ふろものなるを以て、随つて遜白然的
抽象原理の根準ゼ要せざるなり○迫治去頚は閲民性偶と舶合致するを祁要とすとは九=人の椛信
なればなり0然れども許竿が、閥民道恐の根球として、何等の超自然杓照嬰慧文せざる∽故々
◆▲
以て、正に純班許拳の成宰ぜ糎香するものとなすの理由称たいづこにあるべきや。口本壬‡は
嘗践道徳の教葺なり、然れども膏践道徳の教‡以外に於ける一切のもの一?排斥すと言はす。日
木去溌は即て駒家の宰編を殺害せ」さるあらゆる文物を檜進して、人性の鼠満なる蚤遽を希望す
るものなり。
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客、是に於て滋等の言を遽り問うて日く.吾子詮くところ極めて明瞭なり。然れども既に瑞
言して、口本閲民の活動一げ一由導する根木王我なりと栴す。是の王張々法充して其の究寛の地に
到らば、一切の云馬にして、是の王義の臼的に密接ならざるものは、名理閑事として斥けられ
む。是の時に常り、縄埋哲畢の如きもの、倫ほ日本王我の容認するところと琴タせ得るか。
答へて日く、客の言ふ所、何ぞ一に事埋に通ぜざるの甚しきや。客知れりや、吾等か財家王
義を唱ふるは何の伍なるかを。吾等が圃家を先にするの理由は、卸ち倫理畢が脚家々以て人生
の必然形式な巾とするの理由なり。もし理によりて究克の見地を示さば、人生の日的は完全な
絹宰稲に存し、完全なろ率稿は人生の鼠浦なる蚤達に外ならす。共の家族な作り、触曾ル由絨
し、更に之を統率するの閥家を結成す、椎−是の目的地に到達するの方使に過ぎざるな・り。然
れども是の如き方便や、鳩一の方便なり、必然の方便なり、駒家を外にして人生なければなり。
故に人生の理想境の固家に封するの開係や、包右的にして、超凝的に非ざるなり。常等姐家至
上の圭撃ぞ唱ふるもの、釦ち是が銭のみ。団家は至上の横能を有す、人生暫際の生活に於て抑

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輿し得ぎる所なしQ然れども箸し未れ人性の鼠満なる務蓮を狙軍するか如きは、学良なる固家
の璽首粥するを慧ノ0囲民として園象保護の下に薫す卑閲は、如何なる法制に向つても紹
封的服徒を表せざるべからざるは勿論なりと跳も、嘗人は常に吾人が囲驚結成したる常初の
目的に照鑑して、人年究尭の烹琴違却せざらむことを希望せざるを得す。囲民的道徳は常に
是の彗品要に防して山段囁裕なる見地を存せむこと急芋Q
吾等の見る所を以てすれば、印豪は膏際の生活と在接利喜の開係あるものを制治することに
於て、其の布準の桑H拳芸すっ夫の的賓川朗の串紫に神金せざるの故一ぜ以て、絶ての事物を
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杓東せむと要するもの、盈れ覚人偶の固滴なる凌遽な妨け、俵つて組民の精帥的生活の範尉み
ちに
減殺することによりて、寧ろ桝家布布の胃的に反封するものに非すやご口人覚純理繋堺の銭に
殊に言を岱サと謂はむや、)
客、椎々として追く。
(三十年六月稿)