大東亜共栄圏に就いて
        情報局第五部長第三課長海軍機関中佐 上田俊次

 只今御紹介に預りました上田でございます。本日大東亜共栄圏につき何か皆様にお話
をするやうにといふ御依頼でありますが、御承知の通り私は公務極あく多忙でありまし
て、何等準備をするといふ暇がありませんので、大東亜共栄圏といふやうな纏つた題名
の下にお話を申上げまするといふやうなことは、到底出来ないと考へまするが、思ひ出
しまするがままに、前後撞着するかも知れせせんが、今日の時勢につきまして簡単に御
説明を加へて置きたいと思ひます。
 日本が古来外国と何回戦争をしたことがあるかも知れせせんが、その都度必ず決定的
の大勝利をもつてその戦争を終らしてをります。近くは日清戦争に於きまして、また日
露の戦争に於きまして、常に我が日本が赫々たる戦果を収め、決定的の勝利をもつて戦
争を終らしてをりまする。この決定的の勝利を得たといふ原因は何処にあるかと申しま
すれば、それは申上げる迄もなく御稜威の然らしむるところであります。しかしながら
その御稜威を戴き、神明の加護を受け得るやうな原因が他にあつたといふことを看逃し
てはならんと思ふのであります。この他の原因とは何であるかと、かう考へてみまする
といふと、それは結局の上に於きまして、陸軍なり、海軍なり、空軍の将兵が、平素の

196

時に於きまして黙々としてよく自己の本分に全力を尽し、また百発弾を打てば百発必ず
中るといふやうな、神様の域に到達する迄の伎倆[ママ]を磨き、以つて戦へば必ず勝つので
あるといふ必勝の信念を平素の時に培つたといふことが、大きな原因であらうと思ふの
であります。さうして戦争が始まつてから準備を致しますのではなくして、戦争になら
ない平常の時に於きまして、既に戦争になつたならば勝ち得るといふ立派な準備をしく
ありましたればこそ、戦争となつた場合に自然に勝利の栄冠に導びかれたのであらうと
思ふのでありまする。この平素の時に於て、瓢々とし音く芳姦養し、敵が警乙・
とがあるならば、我は必ず乙れに膝ち得るのであるとけふ必腱の信念、乙れが今日の瀞観
の陸軍な卜海軍怒夕峯軍誉の樽統の精紳となつて今伺の支都事襲に於きまし乍も、孜
孜瀞瓢としで乙秒精紳が躍動しでゐるのであると思以普する0忍は陸軍のととはつ墨
しではLよ←蘇じ車せÅからセご乙に申上げ号せんが、海軍の乙とにり妾し三、ニ・
の例をとづでみ凌しで針、と′の事壁が始らまレた際に於き普して上海に居らました我
が海軍陸勒隊巧僅か三千人に足るや足らずの小兵カであみましたが、乙の小兵カむも
ち芭て蕗告は、上海にゐると乙ろの是人二著箸といふもqと窒の陸戦除
とは数日を出ずして、揚子江の中に哉き込んでしまふといふ意気込みをもち普して、車
央箪の中や軋最針精鋭と稀する者五トユハ萬を上海に差向けたのであ毎ますが、乙の支都の
最も精魂な中央軍敷萌と、七十五日の闘相封峠致しましく、巾歩と蜂も我が響備匠域内
に敵兵を踏入れさせなかつ溌ばか多で畝く、よく上海戟隋落の鵡穎を閑き得ましね。か
の陸戟地筍であると云払普すか、北は山海瞞から、南は偽領印度支都に至らせす椀塊二
千八官五十哩の仝支郵の鰐岸を封鎗して臥夜監噛怒添、風浪といJものを番はず、登
夜開断なく敵の温商貿易を破壊し、敵の廠糖恕監硯しでゐると乙ろの海上封餞部隊であ
るとか、或は朝鮮から若んくは内地から十せ溌は嵐潜から†速く海を越え、密雲を胃し、
意天條を胃しましで、敵の首都南京やあすせするとか、.若しくは軍事大壕鮎であらます
と乙ろの南昌といふ朗に向つた、かの海軍の渡洋爆撃隊であら普するとか、または小さ
な緻に乗や費して‥敵が流しく衆ると乙ろの磯橡水富、ま究は敵が敷設した磯富、かうて
いふも伊の野づ原を桐潜カながら、我が陸軍兵カと協カして.かの南岸から打出しく拳
らまする鐸丸雨飛の開に、悠々としく岳州迄遡す官しカと乙ろの我が海軍潮隊の遡行郎
際であカまするとか、どの】つをとつくみ普し<も、今日支都事襲に於きましノしの我が
太果演共発園に就いて
三六九

値餐爵座欝三韓三七〇
港軍の戟果は汲に林々たるむのと考へるのであらます0況んや戟季を四年の長aに亙り
て頼けくをらながち、我が商於が}費と準風朱だ支郵秒海軍のたあに打ち沈められない・
敵の飛行磯はT蔓と雄も東京の峯に現れ得ないといふ我巣に至ら普しくは、盲今東西何
れの歴史を探しくみ滋しても、絶封に見つけ出す乙との出衆ない奇顔的哉果であると考
へまする。海軍につきましくは乙のやaに申上げ普したが1私は陸軍の戟果は、乙れ杵
優るせも劣らないと乙ろの立沢な戟果であると確認致しまする03うしで皇軍といふも
の臥海軍が強くく陸軍が親いとか、陸軍は非骨に椅鈴であるけれども−海軍は触が普
ない、さういふやうな畢隊ではいけ普せんαアメタカの如く海軍は非常に優秀である0
磨は旺んに造つくゐるが陸軍は翳いといふ風に考へられてを多ます0イギクスの如く海
軍は非常に強い†糖も澤山掛つくゐる、飛行梯も相普優雰である0しかしながら陸軍は
ヱれに倖はないといふやうなものではあみ普せん。ドイツの如く陸軍も強い・室軍も強
い、潅軍も蜃が良いり遺憾ながら海軍は触を澤山持つ七ゐないといふやうな披な軍隊で
はあら普せん。最も良く卒均のとれかした、それヱそ車の南翰であ多、鳥の双欝とも申
すペき箪隊であら、しかもをの指揮は恐れ多くも上大元帥陛下から}貰し七緊る軍隊
ヽ\
、であ多まするが故に、かくの如く林々たる戟果を収めくゐる乙とと思払まする。日本人
の中には動もするといふと今日の支郷事襲といふものと地球の】劃に行はれで牢タせす
と乙ろの欧洲戟季とVふものを此べまして、欧洲に於くドイツの働きは日ざましいもの
であるとか、イタターの活躍は素晴しいものである、穎時開の閏にオラyダを征服した」
橡く短い日月の開にバルカンを制覇した、支郵事襲は四年経つたけれども、何が故にか
くの如く長引い<片糊かないのであらうか、∴日本の軍隊は欧洲の軍隊に及ばないのでは
ないかといJゃぅな疑問すらあ持ちの方があらはしないかと思ふのであらまするが、持
本人は須く我々が現になしつつある世界的大事業といふものにつき、固民的の信念と、
図民的の使命を持たざるべ心らず、かういふ風に確信致し普すものであみ普す。欧洲の
戟季といふものと、支那事壁といふものとは此べものにならない儀、支型拳襲の方は大
きいのであ多、その性頃は複雑なものであら、をの戟開の進め方が難しいのであ多ます¢
地勢等にしましくも気侯に致しせし七も、をの民族的性質に於き誉しくも、杭戟意識と
いふものについて考へイみましても、一人々々の生活境式といふものを見ましくも、支
郵事襲の方が欧洲戟昏よりも、邁かに難しいのであみましく」また戟寧の規桟が準かに
大兎亜共衆璃に就いて


三七】

修餐∴誌′座・喪三韓

三七ニ
大きいの、であ多官すっその性賓は愈」敵灘多岐に亙つく衆てをみせす0・四年位で黎かな
か片附くやうな戟各ではないと思ふのであら号す0斯くしく支郷事鍵は誠に赫々.たる戦、
果を収めてをらまする。しかしながらナ南よく静かに反省を致します場合に−今日の戟
零とけふものは、決し<卦器をaつて働←と乙ろの兵陳芸ん紆けが強いのでは哉拳とい
ふ大仕事は片附け得eれな心のであると思m盲する0武静をえノて働くと乙ろの兵臥さ
んが片附けてみるaろの部分掛、我寧の中の戟陶といふ分野だけであらます0英語で
云ふと乙ろのタオアーの中のバツトルの部分で、剣をとら銃をむウゼ野場に活礎する兵
除さんの培ふべき掛務であら普して剣をとらず盛怒とらずしく」併謂銃後に於で活擢
せられますと乙ろの武器計とらない兵除ヲ几の槍ふべき分野恥相骨に多いと思ふのであ
多普す。普の戟寧に於き普しで軋、武器をとる兵隊さんさへ張ければ、戟事の大勢をよ
く支配し得たのであ多ますけれども、戟寧の線式が麺卜、開際傭勢が襲化し、戟雀の飯

質が複准になつで参夕普すに徒以まして我零といふものは1武器をとる兵隊さんと1∵
武卦をとらざる兵隊キんとが、それ乙そ津然表となつて・轡家敢曾の攣の要素む合
め怒大戟争に於く腱た怒ければ・支却事麹なら、欧洲戟革なら、今後起る乙とあるや軋
■正肝肝肝肝肛肝此瓜肝瓜瓜W瓜服肌肘什肝肝服
劉胡朝瀾
ートー

潤胡
鋼州瀾涌覗.、一づ。
知れぎると乙ろの世界戟宰に於く、乙乙に日本の開成を愈→纂と中外に蜃儀するといふ
乙とは難しいので為ると廿ふ掛簡に到達致すのであら普す。武器をとる兵隊さんにつ湧

ましくは、先程来申上げるやうに未だ曾つでせ界の何れの圃家と戟樹を術以せし<も敗
けた乙との怒いばからで潔く、・決定的の勝利を得くをらまする、かくの如き日本人でぁ
ら普するが故に、武器をとら写いと乙スの日本人といふものも、武器せせる日本人と同
じやうに、武器をとらない戟闘の部面に於き普しで、決定的の鯵利を禅られるやうな雰
カをあ観以したいと思ふのであらます。支郷車壁につきましでは巷開動も致し竣すると
廿ふと、今日の如く戟季が長くなづく求、戟季の性質が複難になりく蓼ら、普た地球の
l劉に於き嘗しくは、我々の同盟固であるドイツ、イタクーガ索晴しい戟果をあげて
ィギブスをやっっけくゐるが故に、乙のドイツ、イタクーが應くイギクスをやつつゼく
し普ふ時横が衆たならば、支郷事麺といふものは、普た自ち日本に有利壕やう掟解決せ
られるのではないかといふやうな期待をあ持ちになる方がちらほらあるといふ風に伺つ
でをらまする。しかしながら、はつきら申上げ普するが、乙れほ非常な大開達以であ
ら」非常な危瞼な考へ方であると申上げなければならんのであら普す。圃際備勢が如何に
太昇亜共費願に就いて
三七三二


修養講座竺二輯三七四
凝り、故界の椋子が如何に襲他致しまし1も、未準水劫に亙つで日本の図カを蜃展せし
ぁ、日本のカを世界に伸ばし、日本の閲を守るものは†由本人自身以外断じて他に求め儀
ないといふ乙とをよく知らねばならんと思ふのであらせす。いくらげイツが我々の同盟

闘であ多ましでも、イタy−が同盟図であらせし<も、猿伊のカに多少でも租つく支郵孝
鍵を日本に有刹に解決しょうといふやづなそんなけちな気持があつ瀧ら.支却事襲は断
じで解決し得な心と思ふのであらます。日本人といふものは、計本人自身のカによつて・
如何なる飼難でも、加何なる障碍でも排除して懸叔錆節怒く開きつつあるといふ自信
と信念とを持つ乍、この事襲に臨まなければならないと思ふのであらます0東に今日支
型蒜がだん」一長引ご−凍るハに従以まして支邦凄襲が始みまし瀧骨初に於ける斯謂
銃後囲民各位の前線蒋兵に封する戚謝−同情、激勘−.かういふやうな気持が多少ならと
も薄らいで衆くゐるのではないかといふやうな、私個人としての心配が致すのであら淫
する。乙れは私の考へが開達つでを与せし光ならば、乙れ位有雑い章せな乙とはあらま
せん。若しも不季にしてI3ういふ風なkとに多少ならともあ気付の鮎があら普したな
らば、私は皆さんのもカによらせし乍.是非とも乙の気持を直しヾ頂き允い−かういム

州Z瀾澗州→那.1JJ卜恭∴.仏、c′;で1√
風に思ふのであらせす。前儀に於きましで敵と向以合つで戟寧をしてゐると乙ろの兵除
さんといふものは、家の乙とも気にかゝらんでもあらません。自分の子供はどういふやう
にしくゐるであらうといふやうなてとも心配にならんでもあ多ません。乙れは人備の自
然であらます。しかしながら敵と向払合つて愈主斬合払をするせか、突合以をするとい
dか
ふ時に於きましては、絶て3ういふやうな乙とを忘れ、無我の凝致、無心の域嘗栂入ら
せしく、溌ゞ山逸に圃家のため、大君の舵あ斬合払をし、突合払をしてゐるのであら普
すい若しも前線の慧ハが、今望日久の女唇や子供がどういふ風にしてゐるであらうかと
いJ乙とが気にかゝらましたら、内地に於七は物費が敏乏しく衆たさうだ、何もかも不
自由だといふ風な乙とを心配して突合払、斬合以をしなければならないといふ備勢であ
みせしたならば、それはなかノ〜戟闘に決定的の膵利を得るといふ乙とは難しいのであ
らます。俺が死んでも、俺が怪我をしでも家の乙とは心配ないのであるといふ風な、太
らかな気持で殴合以が出衆れば乙を、赦々たる戟果が掛め得られるのであると思払ます。
費頃前線から蹄つく寮ますと乙ろの兵隊は、内地に於てはもう物資がないといふ風に兇
いノレをつ溌のに、下閲に上陸しくみると、そ乙にはバスも走つてゐる、タクy−も走つ
大兎亜共柴圏に就いて
三七五

健拳講座革三鞘
童七犬
七ゐる。もかも酵払どれがバスやづクy−に大威張卑で乗つくゐる0乙れを鬼ヱ南に
雀心し宗、片面に於議非常に憤慨し巧彗芸々と思つたけれども、孟せ
ぁと思つで胸を押へて汽車に東つ字大阪に苧みると−更にその胱況が激しい0乙んな
乙とでは到底銃後の図民の妄固給とか或は銃後は奉丈夫と云つでゐるけれども、日本
の豊はどう盈にかゝ甘aいふやうな考へ姦すと孟の兵憬が】人や二人ではない

のであ争ます。前線轡兵瀧潮し普して聯かた負とも不安の束持、動輯の束持−延いヾ
瀬示卒不満の束持羞革せませんやうに」是非準督様の格段の御努力霊願以致したい
と思ふのであタ普す。今日支郵嘉は先程衆綽々申上げ普するやうに、支警H攣といふ
ものゝ政治経済横構は極めて原始的であらまするが芸に箸まする特撞黎事傭であ多
草するとか、もつと卒雷分ら潔言某言↓げ普す羞らぜ、壷警い畠濃仝憶
は鉱矧のやう誉じのであぺ官足のやうなものであ阜普す0ニつに胴憶を切られd音三
つに裂かれ普しまU、その切られ裂かれ雷と乙ろの言「つは、それぞれ生命を保つ七
動いでゐるといふのが嘉の現朕であ争普す0孟は支瀾の政治貰機構が、慧て原
始的であ淫するが志に、誉いふ乙とが出警のであらせす〇.乙の嘉の特琴草惰
J・′41

であらまするとか−或は日本の圃論が不統】なら、町本の銃後民心の国結が強くないの
■であるといふ風な印象を藤介石政樺に輿へ.くをらせす事柄であら普するとか、若tくは
イギワスやアメyカに租つヾ彰れば、さうしで幾日でも戟争を鼻引かしくゐるならば、
何れ日本図民といふものは山時の白熱は極めく容易にやるが、長期に亙ると乙ろの緊張
の出衆叡い固民である、線香花火のやうにばちばちと火花は出すが、蝋燭のやうに長く
燃え績けるとルふ乙との出衆ない開民であ&が故に、精々長引かしくをつたならば、を
の中に日本自身が破壊する心とがあトはしないかといふやづな印象を輿へくをれまし
允ら、或は臼本はその中に英米の植勢と掛カによつく引込むわではないかといふやうな.
考へを持兜せ卦したら、衰もくは卦罫の藤介石委貝長さへ生きくをつくくれる孜らばと
いふ■やうな、何れも信ずべからざるやぅなものを信じ、損るべからざるやうなも汐を塊
る乙とによ卜まして今臼車うじく飴命を保つ七ゐるに週ぎません○しかしながら戟挙
が長引い.dをら澄すると乙ろの最大な租本的な原囚は何であるかといふやうな乙とに迄
遡らせしく考へ普する際に、私は徒衆支那の民衆といふものは、】人】人の生活とか、
山人}人のカといふ風なものに於きましくは、桓めく強い圃民性をもつてゐる支郵民衆


大兎虚共柴覿に戯いてr
三七七

岬.t、−

修拳辞座察三韓
三七入
ゼあると申されてをらましたが、との一人→人に於では図民生清の梅めて強い支邪憤衆
が、漢民族であるとか、満洲民旗であるとかいふやうな気持に於く囲結するといふ椅銅
がなかつたのである。漸ぐさういふ気持に日ざめて衆でも、組くの乙とを械ぽし七中華民
図の公に及ぽすといふ圃家精紳臥軋かつたのであるといふ風に考へられくをらましたけ
れども、蒋介石政樺の多年に亙みせすると乙ろの杭ぜ数育と、所謂新生掛琴動の展開に
ょ阜普しく、乙の個人あつで圃家なからしと乙ろの中華民図の民心が、漸く民族意誠に
癖え、吏沌進んでは開家精紳を昂揚しく来兜といふ乙とザ、乙れが支郵事襲を長からし、
あくゐe最も大き襟原飼であらうと思ふのであらまサ。何れ支郵事壁といふものは日本
の決定的勝利によらましてきれいに解決せjれる日が衆るといふ乙とは、私共日本固
氏とし壬亀も疑は怒いのであ→せすが、徒来日本人が支郵人に封しくをら■嘗したやうな
老へ方で、今後に封するといふ風な乙とがあらまんたならば、そ凧は清寮日本の遊み方

としましく好澄し心らざる進み方であると私は思ふのであ多せす。支邦事襲は腱利によ
うで解決せられまするが、敗北したと乙んの支那といふものも亦大いに若返ら、普た蜜
に今日以上に周憲誠が昂揚し羞豊郵民衆であらト数養が高くなつ纂ると■乙ろの

ト′∧句″
‖Vl▲÷d`斗っ〕
−〔‥山ヽり
いヽ、
メート、
。■如瑞
篭†J竹
支郡民衆であるといふ乙とを、今日から捜測して、日本瞬民は清来の支邦氏衆に蘭すべ
き心構へと用意とを夙に備へくをかなければならんと思ふのであ多普す。′東亜共柴囲に
虜し・官すると乙ろの圃々と致しせしては、その外に泰図があ多、偶領印度支邦あみ、或
は蘭領印庶支郷等も合まれる針のであると考へせする○乙れ等の固々の事柄につき普し
くは、】々申上げ普せんが、例へば泰は泰としく、泰と偶印との図項調整問題についで
日本は非常に骨を折つくやつく、さうしく泰の允め桓めく公正な、妥常な、また有利な
條件で世話をし<やつたからしく、泰閥は日本の勢力圏内吋ある、泰仝膣は親日‥】色に
塗争つぷされくゐるのであづ、かういふやうな考へをもつてむつたんでは、乙れは開達
以である。藤には今日相常日本の思願を思以、親H気分も汲つくをらますが、今日の囲
際備勢に於き官しくは、イギワスであるとか、或はアメタカであるとかいふやうな固々
が、異向から日本の東亜共柴圏政党に反封を致し九をらせす。であら普するが故に泰に
封しくも、偶領印皮支郭忙封しせし七も、或は蘭印に於ヾは特に然らであnまするが、
貰倖を用払、謀賂を詩じ彼等をしイこ券二歩畑本の勢力因から引きはなすべく、非常に
怒辣に、・嘗た執拗なる努カを武み七むら普す。かういふやうな図際傭勢下に於き誉しく、
大党蛮共粂園に鹿いて
三七九


怜牽諦座−顔三韓
三八〇
帝図としてとるべき方箆としでは、その都度政府かち閑明せられくをみます通みであら
ま寸るが、東亜の共柴尉を確立するといふやうな事柄は.乙れは自本だけが良くなれば
宜しいのであるとか、日本だ竹が利益すれば他の圃はどうなつくも宜しいのであるとい
ふやうな、さういふやうな小尭的な気持で、、乙の図策を提唱ぜられくをるめではあらま
せん。亙に有無胡通じ、足らざる七乙ろを互に補以創ひ普しノd日本も良くなれば粛も
良くなるのである。日本の輿隆に役立くば、また蘭印も蜃展するのであるといふやうな
崇高な理想と、立決乳る造義七に立脚致しましく−大束亜共柴囲の政策は確立せられく
をら普す。従以まして乙の大東亜政策が成るか成らないかといふやうなLとはJ畢にH
本の死活悶題濾係するばかをは誉、霊に闘羞し−霊に棲息致し首ると
乙ぺの、仝東憩民族十鳳の死活の悶題に閑する大事件であると恩ふのであらます。しか.
も日本の最終目標としく考へくをらせすと乙ろのものは、畢に東亜め新秩序が建設せら
れゝばそれで宜七、大東亜忠ハ農困が出衆上ればをれで宜しいといふものでなく、蛙
界の新秩序に寄輿し、世界の萌邦をして各iその朗む禅しめ、世界の兆民をしヾ各iそ
の捻に安んぜしめるといふ乙とが、乙れが日本の終極の月的であり、乙れが皇囲の八紘
」J

a首hミ7ニ†ノ′きノ
∵芋の大囲是を完成する所以であると思以普する。乙の歯邦をしヾ各えその朗を得し
ぬ、兆民をしく各主その途に安凡ぜしむるといふ乙とが終桓の巨的で、大東亜潔柴圏の
確立といふ乙とは、をの最終の理想に到達致しせすと乙ろの;の段階であ勺、】ステ
ヅプに過ぎないのであらせす。・と乙ろがこの一段階、一ステツプ3へ、今日イギワスな
ら→アメりヵなら、或はをの他の自由主義図豪群は、日本の勢力伸長を恐れましペ、何
とかしく乙れを邪撃止くしょうと暗躍、迷躍しくをら普す。.しかしながら先程鹿申上げ
るやうに、乙の大束亜政策といふものは、東亜蚤氏族の死活尚題であみ、世界ぜ安定す
、打【
るかし潔いかといふ試験時期でありせるが故に、彼等は飽く迄も理不轟に我等が道義の
前に立はだかつく、我が圃策の邪艦立くしょうとか、我がはつき′タした正義の上の固策
に相反するといふ乙とがあらましたならば.我図とし普しでは、最も通切なる時期に於
ヾ最も適常なる方掛をもつて.断乎彼等に膚徹の餓槌を†さなければならないといふや
うな車態が米ないとも隈らないk思ふのであらせす。乙の場合に廃しく磯々が常南する
と乙乙ろの困難、我々が常面すると乙ろの障碍といふものは、支郵事埠に於く砥めつゝ
あるとろの多少の不安や苫痛よれも、更に大なるものであるといふ乙とを、今日に於
太嵐亜共祭淘に鹿いて
三八.†

修養講座各ニd鞘
三∧〓
凝悟し、乙の圃策を藩行するためには如何なる困苫故乏にも唯々としく堪へ忽ぶのであ
るといふ、図家的奉公心を必要とするものと思ふものであらます。
支却事歩に関聯致しせする番柄につきましくは、大略それ位にしてあきましく、今日
の欧洲の傭勢について橙めて筒畢に各圃の惰勢を申上げtあき普する。
党づ節}はドイツの棟子であらまするが、ドイツの傭勢を仝般的に眺めましく戚じま
する乙とは、ドイツは今臼仝ヨーロツパ大陸を支町してゐるのであるといふ、腱つてゐ
ると、いふ乙の勝倒の支配戚から衆普すとヱろの飴裕は相常に普だあると私は列定しま
す。十の九を十各部蜃揮して.バルカンの戟閲に、或はクレク島の策戟に従事しくゐる
のであるといふのでなくして、七つ八つといふカをもつて虜理し」あと二とか三とかい
ふ飴裕が告。費般的にはかういふやうに私は列定するものであ→せす0苧し1常に
張カなる統制を行つて、乙のドイツにとらましく非常夜る難局を虞理する乙とに努めて
ゐる。せた経済の根源、経済カの叔本は金†はない。物といふものは経溶の」つの大き
な部分を占めてゐるが、その金よらも物よみも、東にドイツ経済の根本をなすと乙ろの
ものは、乙れは人であら、勤雰であら、勤番精紳やあるといふ考へに立つ.<ゐそかう
瀾ル壌湖凝
〃.・夷∴rり∵`1)′弓羊ブ
いふ風に思ふ為のであらせす。ドイツ経済の叔本は勤弊なら、勤螢精紳ならといふ気持
は横掻しくゐると思ふ。乙め働雰む経済の叔本とし、乙れに強カなる統制を加へ普する′
乙とによつで、よく戟時下の御蔓朗をき¢もらしくゐると見くゐると乙ろのものであら
ます。さうしく戟季が如何なる方向に、何時嗅どういふやうに展開しく蓼らせすか分ら
普せんが、常にドイツ圃民は囲民仝般としてょく有事の日に備へるととろの訓辣をなし
つゝある、訓練を術∽つゝある、訓練に極めく重用なるカを注ぎつゝあるCかういふや
うに詭められるので卦jせす。とづ†フー絶統に封し普心くは、】部の極めく宮思想を
抱a、頑冥固哲仏考へをもつくを卜普す老人を除きせして圃民仝般としく信仰に近い位
の信損を寄せくゐると思払ます。世上動もすればドイツとイタソーの考へに辟が這入る・
のではないかといふデマが飛んでゐるやうセあ→せすが、今臥の圃際政局を見儀す隈ら

に於き軍しで、ドイツとイタヅ」の闘にさういふやうな隙があるとはど乙わら考へまし
七も、ど乙から見官しくも認められせせん○特にヒツトラー絶統とムツソブー÷首相の

義の槻係といふものは.狗伊南圃の撃父を愈i緊密にしでゐるといふ戚じを深くするも
dす#八.

1・1TL}粉
のであらせすO
Yヽ
犬風虚共額圏に灘巾て
三入三
′払掛臥

[
修養衰座、哺ご轟〜三入四
ィギソスの傭況についく考へてみせするといふと1乙れは刻宗−だんく嘗しみの
方向に向つ違みつつゝある.かういふやうに思はれるのであ多普すJ昨年十二月以凍
本年三月に至る尚、約四筒月閏に吾ソましてイギブスはドイツの芸に五十書夜の箋
箋む受け牢と云はれでをらます0官二十日の閏の約牛分は、イギタス図民は臨峯壕内に
於ヾ右徒左徒して確々仕事に手がつかなかつたと云つて差支へない程峯襲を受けたの
であ毎普す〇二千同の峯襲を受け、五十室承に上る延日数に算定せられる位の襲整を受
けたのであらぜす。従払ましくイギソスの生産カといふ亀のは.極めて敵率が低下して

蓼つ七をらせす。基た他面に於き普しヾはドイツの飛術横によつてドイツの潜水艦に
ょっ乍1ドイツの軍艦によつてイギブスの命の綱であら普すと乙ろの触舶といふものを
多旦旦にやられましたしイギブス政麻は閑戦以衆本年の三月未日迄に約二千宮入十隻、噸
数にしヾ四官七十三萌噸の船舶を打沈められた七凝衷してをら普す。開撃別イギブスが
持づでむ阜普したと乙ろの姶舶は、大腔二千官萌噸と准定致され普すへ−さうしでイギク

スの持つてをり普すと乙ろの触は一千二官宮噸になつたならば、」千二官萬噸迄に減つ
たならば.イギワスは海外から敬容恕頼ける溌めの資材、材料瀬に食粗を移るカめに、



●]
、エ」ハパィパル∵.ゃ∴∴。で.r.も
■l

非常なる圃家の危横に常南すであらうと想像せられてをらます。本年三月未迄柁イギy
ス政噺がやられ雀と凝衷され・嘗した敷字は五官萬噸近くになつてをらます(ドイヅの額
衷にょらせすと、四月の未日迄に千九十」裔噸であら、五月の未迄には千官数十萬噸だ
といふ風に云つてをらますが、片方は少く、片方は多いのであみ普すが、人膣第三恵が
公正なる列断に立つヾ列定致します場合、少くとも七官五十萌噸位の於をイギクスは失
つたであらうと思ふのであらせすJさうしせすると箪術的に考へ普すならば、ニ千官萌
噸持つくをつて1侭らに七宮濁噸やられたとしくも、今日千四官萬噸しかない廟定であ
らましヾ、、壌ると乙ろの千四官萌噸のうちこ官萌嘲やられ允ならば、イギ,スは手を上
げなければならん状態に達する。かういふやうに思はれ普すが、をれはさうはいかないの′
であらまする。何と孜ればイギヅスは戟季が始せつくから感んに船といネものセ建造致
じでをり普す0普溌戟季が始普つた際にドイツあたらの舶を押へくをら官す。中立圃の
触舶あ牽捕してをら普す0アメヅカから倍らた緻もあみせすJさういふやうな工合で√
ギリスは相常程度糖をやられましたが、をの賓際に持つくゐる数字といふもの哲今日
もなほ左程に減つではむら壕いのである。かういふ列定をしなければなら普せん。漑年
大舵亜共柴働に就いて1
三入五

修壁講座止竺コ鞘三入六
の六片十入日から本年の三凡迄に、武器をとらないと乙ろのイギヅスの兵隊さんがドイ
ッの飛行機でどれ位死んだら怪我をしたかといふ乙とを調べくみますと、乙れもイギ
ヮ・ス政敵の凝衷であらせすが、約六萬の人が死に、五萬の人が怪我をしくをらせす0驚
際には乙れ以上である乙とは申上げる迄もあらせせん。本年の五月中でも約六千人の人
が死に、約五千の人が怪我をし、峯襲だけによりくしか釘武器をとらない兵除さんが亡
くなつくゐるのであらます。約一萬人以上の武器をとらない兵除さんがイギクスに於き
ク〃
普しくは五月だけに死んだら怪我したらといふ悲惨な妖態に常面しくをら普す0物資の
政乏も次第々々に激しくならせして本年の六月以降イギソスは着物の切符制懲布いた
のであ丸普す。着物の切符制牢布いく一年開に大人】人に六十六枚の着物の切符を輿へ
てをらます。さチしく上着を】着作れば十六枚、ズボンを作れば入枚といふ風にをの切
符が引かれくゆくといふ工合であ阜普す。乙れはドイツの鮎数による官鮎主義に此べa、
と、普だ相常に飴裕があらさうであらますけれども、かういふやうな被服類に於きせし
で、また鈷積工業に於き普しで、世界有敷の裕頑圃であ阜せしたとヱろのイギブスが、
膚物に切符制を布くといふやうになつ溌といふ乙とは、イギクスの物費費源の胱批は日

′ヽ
」′●
′′”
に臼に困難の度を加へで水たといふ音援であ多ます0食糧に於き普しくは五日以衆馬に
冬べ革せる飼料も牛分にし牢と云はれ妄らます○祝金はどん(・一高くなら、所縛挽の甘
最高挽率を課せられでを卜普すL乙為のものは、驚に十倒の祝率に甘んじくを豊す0
所得祝の免枚汀は大膣今迄官八十封皮と決められくをら普したが、今同の改正によらま
して.眈婚の者は官十封度、未婚の者は八十封度と免税鮎を引き下げてを阜ます0申上
げる迄もなく、イギクスは次筋々々に非常時に由つく近づきつ〜あるのであみせけ0し
かしながらさればと云つ乍.イギaスの圃民は非常に意気消沈し、圃民精紳が沈滞しく
おるかと申せば、私は必ずしも3うではない、かういふやうに息ふのであらせす○イギ
ブスは過去に於て外開と何回戟拳をしたか知れない。けれども戟以の初めに於く膵つた
ためしがない。戟以の初めに於ては何時も形勢が不利である。しかしながら乙れを持前
の粘ら強い開民性と、沈着にしヾものに動じないと乙ろの図民的性格と、経済瓢に戟季
を導くといふ乙と、長期戟にもつヾゆくといふ乙と、宣樽を用以るといふ乙と、謀略行
焦を用払るといふ乙と等、いろく戯交ぜで最後の腱利は必ず十ギ.クスの勝ちをもつく、
混去の戟寧はその極を結んでゐる。今同の戟季に於<も、必ず斯くゆくのであるといふ
大果亜共渠節に琴いて
三入七
紺岬掬鮒払紆恕難紘k淫∵
∵打eイメ∵−

.一▼
…一l‥
修養詩座革三斡三入A
風に角政者も圃民む指導し、囲氏も為政窟のこの言を信頼しく螢々としく努カもつ〜あ
ら、かういふやうに思ふのであ阜ます。私は親英沢でもなければ、イギクスの允めに辟
解するといふやうな気持は→つもあらません。たゞ正常に物事を剣断して、乙の難局に
鹿し七動ぜざるやう、よく長期に亙つて緊張を梅け、以く囲家の最経の日的に到達する
ため収、困民が】致陶結し七、政府を信叔し支持するといふイギクスの粘ら強い圃民性
ば.我々が以く他山の石とするに足る、かういふやうに考へるのであら・嘗す。
攻怯アメガカの儒勢であら晋すが、ミれは申上げるべく飴ら瀧ミとは垂大であ`音
た時開が澤山にかゝ、らますからしく、棒めて筒埠に申上げく置きまする。去年の秋から
しで日本とアメクカとの関係が、だん〈悪くなつく蓼らまし」七遊に本年二舟束にな
ら普すといふと日本の圃民各位から日米戟寧は止むを得ない、日米敏必至ならといふと
乙ろ迄登悟なさつたやうであらせす。と乙ろが極束危械切温とやふものが中外に流布せ
られせしたが、あれはデマであら、あれは流詭であら、混も菓もない云以ふらしであると
いふ乙とむ、南開の為政者の非常な努カによつく解らました結果、これセ日米糊は事憩

く涛むのである−乙れでょかつ允といふやうな、】種の安心戚といふものが今旧相骨我が
∬椚那椚肘
′洩♪


固民各位の気持の上に漂つくをらはしないかと思ふのであろ普す。梅束危磯切迫モいふ、
乙とはヂマであら普したけれども、乙のデマが滑え拭ぐはれたからと云つて.日釆の閲
係が良くなつたとは誰しも断言し得ないのであらます¢太卒洋の衷面に非常な格好で狂
乳怒添の膣相竪不しせしたけれども、なるほどとれは一時沈まったかの如き格好をして
をらせすけれど針、逆なる南からみましくを乙に流れ、を乙に渦巻いくをらまするもの
の性質は、日首Hとをの乳を意くしつ〜あらと申すのが現状ではなからうかと思ふので
あらせす0由誉H本人はアメソカといふと、あれは宣樽の囲である、あれは憫喝官図で

ある1あれはゼスチユアーの図である、だからし乍アメソカはHではあんな張い乙とを
云ふ1頚付はあんな恐い赦付をするけれども、あれは宣樽であら、あれは桐喝であら、
あれは身振ら、素振りであつてあ腹の中と顛や口先は違ふのであるからしてアメ√カ
秒云ふ乙となんか割引をしヾ閲いく置けば宜しいのであるといふやうな乙とが、大膣に
於て臼本開民の開に考へられくをら普すると乙ろのアメソカ観であつたやうに患瀬れま
すbふ武溌事驚驚際尚題と致しせしく過去の日米開に於さ竣しヾは、さういふ風凛乙とが
相骨にあつたのであら普す○満洲、上海事襲を契機としで布はれましたと乙の幽際備勢
入卑現共饗廟に就いて三凡九

修養爵座串三砕
三九〇
の逼迫といふものが績いく起らました。囲際聯盟脱退、革備縮少曾議の離脱といネ乙と
からして1アメyカは旺んに我に封しく漁気な政簾をと`.特に経済噺交を灰めかすと
か、或は武器をとつく一戟を交へる乙とを齢せずといふやうな態皮竪不したのであらせ
すけれども、遼に茸力乙れに伴ずしヾ沙汰止みに孜つたといふ乙とで、乙れは過去に於
けるアメクカの造ら口は宣倖であら、桐喝であら、ゼスチユアーであつた。しかしなが
ら今日のアメブカといふものは、決して飼喝やぜスチユアーや宣侍だけの由家ではあら
普せん。堂々としで不言貸行の方向に向つく進みつゝある。乙れがアメヅカの現状であ
る。現貸のnメソカはさういふ風な勢で、非常なスピードで動い<ゐるといふ乙とは、
乙れは決して看逃しくはならんと思以ます。アメyカをみるといふとあれは自軋主義の
閲であるい乙れは生活豊丁欒する囲民であると、かういふやうに考へ妄ら普す1だら
しのない図民と考へでをみます。せた日本の青年子女\の中には、動もすればアメタカの
怒い影攣芙寡に宣倖、謀略とい孟驚のゝ意唱塞み芭宗響のある仙もの、
乙れを欽迎するやうな傾向が砂からずあると思ふ。例へばアメソカの映童であら菅する
とか、アメタカの音柴であらまするとか、アメクカの服装、流行であらますると軒、ア

‥.dhJ」一3仰・L.」川†川
メソカの良からざると乙ろのもの、故意に意同すると乙スのものに戚染して・乙溌む今

自の若い日本の子女が心なく謳歌するといふ乙とがあらましガならば・乙れは彼等の患
ふ壷に恢まつでゆくものである。かういふ風な乙とは心ある指導者階級にあるあ畝た方
が腹を据ゑく若い人む指導しなければならんのである、かういふ風に思ふのであらますっ
冬日アメヅ絹に於きまして大問題となつくを多普する事柄は澤山にあら普する0その一
っはイギリスを助ける乙とであ`支郵を助ける乙とである。乙れはアオyカの凛犬の
絹題であると思ふ.五月二十七日の晩にアメソカのルーズヴエルト大統領は固蛙沓の傍
から放迭するといふ形式むもちまして現在のアメ,・カの魔すべき固際紬係といふもの
を仝米衆に向つく放迭してをらせす。その放迭の要旨は大膣次なるものであら普ず0を
の一つは、】番初めに今日位アメクカ政府も、アメブカの開民も、上下−致しくアメソ
サの囲家の允め努カしなければならないといふやうな重大な時期に常面した乙と払、ア
メyカ合衆固としくは曾でなかつたのである。かういふやうに冒頭致し普しく、攻には
ヒツトラー紙統のやつくゐる乙とは、あれは使略政策であみ、あれは伎賂主義であるじ
我々は紹封にヒツトラーのやる乙とは賛成出衆ないのであるといふ風に、ヒツトナー組
大兎東共粂圏に就いて
三九一

修・準盛座鰐三靖三九二
続の造ら口を扱下した上、乙のヒツトラー絶統に封杭し乍.現に勇敢に戟ひつゝあると

ころのイギヅス圃民を稀揚しくをら普す。ヒツトラー及びをの同盟図である図家は、今
日世界の海洋を支配しJぅとしでゐる。ヒツ!フー及びをの同類項は今日世界の海を支
配しようとしてゐる。ヒツトラーが海を支配するに非ざればイギクスを攻略するeとは
出水ないであらう。またとづ!フー及びその同類項の図家が海を支配するに非ざれば、
扱等が計室してゐると乙ろの世界侵賂政策を成功させる乙とは出衆ないであらう¶しか
しァメリ・カは悼統の図策として世界の公海オープン・・y−の自由持いふ乙とを飽く迄童
張し、強舶し、乙れを確保せんといふ乙とを強調するものである、世界の海洋の自由主
義といふ乙とをアメクカは唱へるものである0さうしく世界海洋を自由ならしむるべく
いろノ1努カするのであるといふ結未を述ベjして史に海洋自由主義を張めるために
ィギクスに封する授助、支那に封する授助、支却とははつきら申じくをら普せんが、イギ
クス及びをの他の民主主義囲家に封してアメクカは可能なる範陶、可能なる準備に於ヾ
出衆禅る限らの授助を績け、ヒツトラー泣に同類項の計童を挫折させるのである」かう
いふやうな乙とをいろ〈述べ・嘗し兜上、アメブカの大統領は今日アメブカに封しで無
\、
制隈の非常時を宣言致しせすと、かういふやうにはつきら述べましノし、最後に、
アメ¶ノ
カの絢民は個人主義であつくはなら・普せん、アメヅカの固民は一刻と推も自信を失つく
はならません、アメヅ湊の閥民は一瞬の闘と錐も勇気を失つてはならないのである、ア
メクカの閲民は個人主義を拾<〜圃家のため瀧各主がをの仝カを傾け轟さん乙とを▼大
続領としで衷心から期待するのである。かういふやう凛放法を致してをらます石。アメ

クカの大統領がアメyカの開民に向以普して、個人主義を拾でょ、3うして固家なら公
のため各人がその仝カを傾け轟せと放迭しました乙とは、我々が、あれは個人主義であ
そあれ瀬自由主義である、あれは生活の革奨以外何物もない開民であるといふ風にア
メク舟開を観くをらまし溌ならば、それは非常な間達払であると思ふのであらせする。
アメクカは民主主義であら、自由主義であら、個人主義である。かういふ風に砥しっけ

せすけれども、アメaカは今月同家の叔抵から建直し普して所謂膚度囲防囲蘭の完戚

に向つて卦進しなければならないのであるといふ乙とを、政腑の大圃麓七しで懲ら・ます。
さうしく乙の圃策を完遊するためには」アメヮカ仝土を軍裔工業地聯と枇しくも敢′j辟
せないのであるといふ気構へを持つてをらます。ルーズヴエルト大統領は決しで民主童
大兎亜黄発覿に栽いて
三九三

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mシヽ

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修養諦座察三韓
三一九四
義蚊策は布いくをらせせん。自由主義政治はやつくを→ません。今日の攻治の達多日は

ルーズヴエルト大統領の猫裁と謂はざるを得ませんゃ口に人頼の卒和といふ乙とを唱へ
でをらますが、をの驚膣は完仝に狗裁主義固防固家膣制の完成に向つ七大童襟努カを鎖
けくをらます0勿論一.部の開に−キヤツスルとか、或はヅンドバーグであらまするとか、
意しくはフーボーであるとか云ふやうな戦率に巻き込普れる乙とを反封する知誠階級が
を阜せす0せセこ部の婦人図捜、】部の宗数潮膣の中には前欧洲大戟の参加に懲絹普し
く、勒零はいやだといふやうに申しくゐる者もをキ嘗す。しかし役等は弘立であら、」
郎の者の馨であら号しイ「大勢を支配するに至らません。大働は冶々としく欧洲戟季へ・
の参戟といふ方向に一歩々々迂づきつ〜あらと思ふのであらせす。ルーズげエルト大鹿
領は週漑の櫨遽放迭に於で1最も大きな狙払としく企くらみせしたものは.鱗氏の丼常
時心構へといふものを、非常時図民の愛図心といふものを燃え感らせ、以つ七輿論のカ
が欧洲戟拳への参戦といふ形に於て.下から盛上つく衆たのであるといÅやうな気風を
作上げるとい、ふ乙とに、最も大きな重鮎を狙つくゐると思ふのセあらせす。乙の妓遽放
迭に於きましで、ルーズヴエルト太統領は日本といふ台薬は決しく使つでをらせせんパ
串爪.汁L付臣仙駅い
太牢洋とい皇藁むこ簡所位使つ溌と思つでをら普す。支郵とい皇藁計こ筒所せ一筒
所位しか使つくをら普せん。内容は極めく抽象的であら且つ日本を、ノ太卒洋をといふ言
集む使つくをらせせんが故に、乙の放迭を以つ七アメブカは日本に封する政策がだんガ

ん良くなりく来溌のであるといふ風に考へましたならば、をれは非常な尚違払である、
かういふ風に思ふのであら普す0いろ√・・・の不気味、いろノ」〜の思惑、いろ〈の宣樽、
山い
諜略等の意固があ卜せし乍.日本を刺戟するやうな字句を使はなかつ溌だけであら普し

て・アメツカは乙の放法を契撥とし、囲民の囲家意誠、氏族意誠、愛囲心を燃え土らせ、

以く戟季への遣に急ぎつゝあ`若しァ〆タカが蓼戟するといふやうな乙とがあらせし
たならば、日本とアメ卯カとの綿係に於くも、今日以上に重大な、非骨な考へと、期待
とを持つヾ封廃しなければならんといふ風に患ふのであら普するし
斯くの如く考へく参らせすれば、今日日本は非常なる非常時局であ軒普す。ヱれは確
封尚達以はあら普せんC畢に非常暗といふ形容詞をもつく、今日の時代室呂ひ衷はすべ
くl暗灯は飴身にも垂大であら埠ぎると患ふのであらまする。若し鴻今日かゝで日本が
図家としでの誤らや、】寸でも開達ネ乙とがあら普し溌針らば、それは日本の溌め慶慮
瀕吼
・心
大擬亜共焚圏に革いて
三九五

▲lヽ
●ヽ
修贅講座節三韓
すべき番惰が醸されるといふ非常時であら竣す。
三九声
しかしながら観方を麺へ凛す場合に、
断じく畑本だけが世界に警非常時ではあ豊せん。世瀞七於三圃といふ圃、怒く今日
超非儒時であら、今日は世界柑動乳時代であ`圃際的戟圃時代であると思払普す。最
瀾濾欄瀾欄約‥、も繁柴しくをら普すかの如く、′最も牢和であらせすかの如く見え女すと乙ろのアメソカ
合衆図に於きましくも1圃家の叔抵から建直して所謂高度圃防固家の膣制を築き上げ
孝す溌めには、鍵多の無礎があら、溌多の困難が横つ妄豊す。高い枚金を課せられ
るといふと乙ろから衆る不卒が起つ七衆ませうし1ま允軍需工業者は繁畠しますが、逆
に卒称産業者は非卦に能率の低下を衆します0乙の方南から不卒が来るであらませうし、
ま竺部の婦人囲膣であ卜せすとか1或は数背、宗数圃鰹から起ら竣す反戟といふやう
▲■
な束構へがあらます0乙れ等せ鎮憶しなければな打ませんレかういふ時代に爽じ乍共産

薬が迷躍ん、暗躍し、いろ〈の活躍を試みょうと致し書ノ○況んやアメクカは毒二
千霹人口の中、今日少く竺千萌人に近い失業者を抱へくゐる情況であ豊する。また
アメソカには固有のアング;グソン氏族は六十九%しか層りません。攣ると乙号の三
十%以上は或はドn人であり、或はイクソ1人であ∴果姦であ卜、フイヅ一…ヅピン
甘等1q川渦人り、J.`uり
、州召−▲J†→.∃さハn噂1リハj
州湖
憎欄湖瀾瀾麒憾瀾威
人であ身」支邪人であみ、日本人であらます。−朗謂第五列部隊が活躍しょうとす▲る夜ら
ば、そ乙にもまた活躍し得るやうな要索が合まれゐると思払ます。いろ〈な観鮎から
見まし」`アメヅカも亦非常に開家非常時であると思以普す。我ケが、享奨圃民の自由
主義図民、個人主義圃民であると云つくをりますると乙ろのアメヅカ図民が、過般のルー
ズ三ルト大統儲の放迭の時には、用のない者は早く家へ蹄ら、預劇、映董鎗に敬くも
その固映童を止めく及迭を赦く、普たアメブカに於て最も呼物となつてをら普すると乙
り岩野球の決膝敬があらましたにも殉はらず、乙の放遜を赦く犬めに野球を中止し、敷

萬の野球の観衆が、乙の太統領の好速に鵡き入つ溌とい基尋驚であらまする○我々とし
て深く考へなければならない乙と町、李香蘭といふ「人の女優が日鮒に誉といふと、
四年の戟寧をやつてをらながら、日劇の周みを十重⊥亭重に囲んて朗管の響察所長
が自ら出て自動車の上から、今臼の時代はかうなつでをみます、もつと自粛して下さい
と云はなければならない圃民と、大統領の面白くない政治圃策の演詮を、後等が最も奨
しみにしくゐるとヱろの野球を止めで、四十三分開に亙つ<鵡き入ると乙ろのアメソカ
の開民と比べ合せくみましで1我々臥もつと反省すると乙ろがなければならんのではな
大衆虚共螢圏忙就いて
三九七

修垂講・座節三革中
三九入
・巾≠
いか、かういふやうに思ふのであ豊す0かうい孟な時代に廃し芭1私が皆様に
蒜払するといふ乙とは別段にあ豊せん○妄牢圃防婦人曾の宣言なら方針誉ソそふ
ものは、をれ等を良ぐ菰し志ると思妄するが1雷;私は礎最に封し1今日は
非常なる時勢であe、乙の暗代纂らずして如何誉活躍も、如何誉次の代の畏
も生れく衆ないのであ巷するといふ乙とを申上げ溌いと思ひせす。
時局に警フる確国雷憩誠、乙の誤誠から警とほろの圃家に封する奉公の心.一乙の
奉公の心を土孝として皆さんがをれぞれの職域に於かれ字し1次の代の囲民を作る、
今針の日本に封する最や忠嘗る造を歩んセ須墨す事柄と、もう言は、日本の開の
地勢なら、含Hの圃際嗣係なら−特に大霊襲簗圏といふやうなものを考へ合せせする
際に、世の中の漫母さんと謂はれる方、世の中の知誠階級の確入と謂はれる方は、海と
いふもの、海洋といふものに封してもつと詭議む高め、もつと親しみを持ち、海を恐
れない考への下に−蒋衆の臼本圃民の数簡といふ乙とにカを注いで頂是い乙と、もう
言は−日本の婦人がもつと科琴的の数養を持つく項是いと思ふのであ貪す。日本
の婦人を見字し<」外圃の婦人にかういふ鮎が劣るとか、かういふ鮎が映けせわるとい
j・
m欄」い{舶“彗絹♪トtも】岬1笥く‥Jd州l
′く「
’Jl〜ノ

′h“∵川仙増瀾凋瀾
Z測
謂贈【1ヾ責・
上乙とは二つ艮私は考へ普せん。たゞイギクスの女であるとか、アメタカの紆人であ
るとかいふやうなものと此牲致しせする場合に、飴多に今日大牡界図民であるところの
是の櫛人は、科畢(サイエンス¥いふものに封して数養が低く過ぎはしないかといふ
ゃぅな気がするのであら普す。以上三鮎を申彗軍して、所角皆様の御協カ、御奮師む
軋願以する次膚であらせす。ハ翌)〔速払慧〕