思想戦と文化

新文化の創造

 いかなる時代においても、新らしい文化といふもの
は、次ぎから次ぎへと不断に創造されてゆかなければな
らぬものであり、事実またその通りに過去の文化の廃
墟から新らしい文化の芽が生れつゝあるので、そこに
文化の流動性、発展性といふものを認めなければなら
ぬわけであるが、固定した一時代の文化観にのみ囚は
れてゐるものは、やゝもすればこの事実を否定しよう
としてゐる。
 今日われらの直面せる世界的動乱は、一面から見
れば世界新文化創造の生みの悩みともいふことが出来
るのである。この意味において戦争は文化の母である
といふ言葉が確認されるわけであるが、文化至上主義
的な考へ方に捉はれてゐる人々にはこの認識がない。
それは彼等が固定した文化観を脱却し得ないからで
ある。彼等の文化観なるものは、過去から現在に亘つ
て世界を支配してゐるところの、ヨーロッパ文化を絶
対至上とする既成観念以外の何ものでもない。即ち、
今日もなほ、文化擁護を口にしたがる文化至上主義者
なるものは、その実体において米英文化擁護者に他な
らないのである。彼等が二言目には「文化の中断」とか
「文化の後退」とか呼んでゐるのは、ヨーロッパ文化の
中断や後退であつて、文化の危機と称するものが、そ
の実ヨーロッパ文化の危機に過ぎないものであること
に彼等は気がづかないのである。
 しからばヨーロッパ文化とは何か。端的に言へば、
それは知性を尊重し、その基礎の上に成立した主知主
義、合理主義的な文化形態がヨーロッパ文化の本質で
ある。換言すれば、主知主義、合理主義に裏づけられ
た技術的、機械的の文化に他ならないのである。従つ
て、そこには何の潤ひもない極めて索漠たる生活形態
があるばかりで、真に人間生活の向上の支柱となるべ
き倫理性といふものが希薄となり、一切の行動規範が
合理主義の下に機械化され、直感とか、全人格的判断
とか、神性とかいふ第一義的のものを悉く失つて
しま
つてゐるのである。この合理主義が、例へば生産力の
大規模な発展、軍事的施設の飛躍的な進歩等に貢献し
たことは疑ひのない事実であるが、一面、そのために
精神生活の平衡化、低俗化をもたらし、生活形態のみ
徒らに絢爛たらしめて、内容の貧困を持ち来すやうに
なつた。その極瑞なるものは、「宗教は阿片なり」とい
ふ共産主義の思想であらう。

欧米文化と東洋文化

 文化が、人種の差よりも寧ろ気候、風土等の地理的
条件の差によつて、それぞれ様相を異にして発達する
ものであることは学者の説くところである。ヨーロッパ
文化もまたヨーロッパの特殊事情に基づいて発達したも
のであり、その発生原因からみても、東洋文化とは
根本的に異質のものであることはやはり事実である。
ヨーロッパのやうな比較的農耕地の少いところには、
それに応じた文化が発生し、発達してゆくことは当然
であつて、地中海の海洋文化を母体とするヨーロッパ
文化が、航海術の発達から商業主義となり、それが帝
国主義的に発展して、今日の技術的、機械的な文化を
形成するに至つたのは自然の理であるといふことが出
来よう。
 彼等の目標とするところは、豊穣な農耕地帯への
絶えざる掠奪であり、他民族の生産の収果を奪つて
これを分配すること
であつた。そのために交易のため
の商業都市の発達を見、他人の勤労の所産に寄食す
るところのフェニキア、ユダヤの一連の搾取文化が築
かれ、その繁栄持続のための機械的、技術的な表皮文
化が次第に全ヨーロッパを支配したのである。十九世
紀の文化を代表するイギリスが、現代のフェニキア人
といはれるのは、商業主義文化の正系を継いでゐる
がために他ならない。
 これに反して、気候風士の関係から東洋文化なるも
のは、農耕、勤労を主体とするものから発足した。河
川の流域とその下流のデルタから発足した黄河、イン
ダス、チグリス、ユウフラテスその他、南アジア諸地方
に古くから生れた文化が即ちそれである。農耕族と天
候とが密接な関係にあることはいふまでもない。従つ
て、あらゆる自然現象に対して極めて敬虔な態度に終
始したため、そこに純真無垢な宗教心が生れて東洋文
化独特の倫理性が発揚されるに至つたといふことが出
来る。即ち、土地と住民とが不離の関係において結
びつき、土地を愛するが故に天を惧れ仰ぐ宗教心の萌
芽となり、敬虔と謙譲と勤労とが文化形態の基本要
件となつて来た。こゝにヨーロッパ文化とは伝統を異
にする独特の文化が培はれ、近世に至り東西両洋の
接触によつてこのことが次第に判然とし、遂に対蹠的
なものとして是認されるに至つたのである。
 だが、十九世紀の末葉におけるヨーロッパ文化の世
界的な浸透力は凄じいものがあつて、ヨーロッパ諸国
の海外植民地は、世界いたるところに見出されるやう
になり、アジアもまたその風靡するところとなつた。
いはゆる近代文明の後進地域としてヨーロッパ文化圏
の圏外にあつたものが、産業革命後の近代機械文明
の氾濫に、ひとたまりもなく押し包まれて、伝統文化が
中断されるとともに、怒涛の如き商業主義の機械文化
が全アジアを蔽ふに至つたのである。滔々たる欧化主
義がそれであり、それは先づ生活形態の上に浸潤し、
次いで精神上の変質といふ恐るべき影響へと発展した
のである。
 文明開化の合言葉は、かつて日本の発展性を予約し
象徴するものとして上下に受容された一時は政冶、
経済、学問、藝術、教育の諸般の文化領域において、
摂取模倣いたらざるなしといふ有様であつた。しかし
このことは、過渡期的な現象として一応是認されなけ
ればならぬものであつたらう。奈良朝時代に唐制を模
倣し、その文物を輸入して国家の進運に寄与したと同
様、いはゆる採長補短の進取積極の意図からいへば、
明治初年にかうした努力の払はれたことは、正当なこ
とでもあり、当然なさなければならぬ順序でもあつ
た。しかしながら中道にして踏み止まり、そこに日本
的な反省を加へて再検討をする遑のなかつたことは、
何としても遺憾千万であつたといはなければならな
い。一旦、堤を決して氾濫を逞うしたヨーロッバ文化
は、何等の修正も顧慮もなく、支那事変の発生前まで
は、濁流滔天の勢ひであつたのである。
 満洲事変に次ぐ支那事変の発生から大東亜戦争の勃
発となつて、日本及び日本人はその本来の面目に還る
ことを教へられ、同時に国民的な自覚も起つて来た。
緒戦以来の皇軍の輝ける戦果は、ヨーロッパ文化の最
後の支持者が如何に頽廃期に瀕してゐるかをむ、まざま
ざと日本国民の目のまへに見せつけた。彼等の歴史的
な悪業、その悪業達成のために如何に陋劣な手段と陰
謀とを用ひたかも、今日においては疑ふ余地なきまで
に暴露され、そしてこの醜い姿が、そのまゝ日本人の
心奥に映し出されるやうになつたのである。
 だが、過去半世紀に亘つて彼等の植ゑ付けた文化の
根といふものは容易に抜けるものではない。政治、経
済、学問、教育、文芸等に喰ひ込んだ力は、それが組
織的なものであるだけに、一挙にこれを追放すること
は非常に因難なものとなつてゐる。即ち、思想全般に
亘るところのユダヤ化、ヨーロッパ文化の払拭は、
一朝一夕の労を以てしては克服し得ない
ものであるこ
とを今日痛感せざるを得ないのである。
 デモクラシーの政治が末期症状を呈し、それが気息
奄々たるものであることは、屡次に亘る政治形態の是
正によつて明らかとなりつゝある。しかしながら、そ
の残滓的形態が、何等かの機会において出没しつゝあ
ることも否み得ないであらう。組織形態が根本的に改
まらない限り、当分尾を引くものと見なければなるま
い。自由主義的思想が現代の知識階級層に残存してゐ
る間は、その再擡頭の絶無は保証し得ないのである。
 また、経済面においては、より一層、ヨーロッパ的
なものを克服することは困難と思はれる。利潤のないと
ころに生産なしといふ企業家心理と、南方における皇
軍の戦果による資源獲得とは、米英的資本主義進出へ
の復原の契機となり得ないであらうか。自由経済の米
英的またはユダヤ的方式を踏襲しなければ、国力の発
展は期し得ないとする旧観念の芟除が困難とすれば、
大東亜共栄圏の建設は一片の理想案に過ぎないものとな
り終つて、まかり間違へば五十年、百年の後には、イギ
リスの踏んだ道を辿るやうなことになりはしないか。
 ドイツのシュプランガー教授は、東京における
講演においてヨーロッパ機械文化の行詰りを語り「第
一次ヨーロッパ大戦を一転機として、特に東洋の
高度文化諸国においては、西洋流の技術、経済、政
治、組織に同化した時代を経過した後に、再び自己本
来の特質に目覚めて来たといふ重大な変化が生じて来
た。彼等は自己の民族性、国民性に対する意義を強め
て来た。彼等は古来の尊い宗教的−倫理的確信に立ち
戻つた。彼等は自己独自の倫理的−政治的使命を認識
した。」(文化哲学の諸問題)と言ってゐる。西洋人自体が
ヨーロッパ文化の行詰りをいひ、東洋の覚醒を口にし
てゐる際、日本の有力な経済人が、依然としてヨー
ロッパ文化の模倣追及により、その余喘を保たうとし
てゐるのは、時代錯誤といふか、まことに悲しむべき
ことといふ外はない。
 学問がヨーロッパ文化のそのまゝの輪入品であり、
功利、実証主義の伝導体に過ぎないことは、今日にお
いてはすでに反省の時期を越えて、明証の時代に入りつ
つあるかに思はれる。だがその根柢に横たはるところ
の西欧的な組織形態は、学問への反省をすら悉く鈍ら
してゐるやうに考へられる。思惟の方法がヨーロッパ
的に変改されてしまつた今日、これを改めることは容
易な業ではないであらう。
 藝術の部面においてはどうであらうか。大東亜戦争
勃発以来、敏感な文筆人が多年の混迷から脱却しよ
うとの焦燥をみせてゐることは明らかに看取できる。
「日本文学報国会」が結成されたのもその表現であら
う。今や進んで皇道に根ざした国民的な藝術を創り出
さうとする新機運が動いてゐることも確かである。し
かし多くの中には、やゝもすれば過去の華やかなりし
夢を追うて、それへの憧憬のため信念の確立を妨げ
られてゐる者もあるかに思はれる。また、西欧文学の
後塵を拝する感覚や敍述の方式や、それに内包され
るところの人生観なり社会観なりが、完全に地を払つ
たとは称し得まい。

生活と文化

 生活の面におけるヨーロッパ文化の浸透について
は、これは目に余るものがある。安易な欧化主義が、
生活の利便と向上との標識の下に如何に民族生活の頽
廃と伝統の破壊に役立つたことか。例へば、住宅の払底
とか人口の都市集中とかいふ客観状勢の推移によること
も勿論であるが、アパート生活が個人主義的のものであ
り、又は個人主義観念を助長するものであることは
否定できない。日本人なるが故にアパート生活におい
ても隣保互助が可能であり、特殊な社会生活を営むこ
とが出来るのであるが、しかしこの割拠独善壱の生活様
式が無限に続けられるとすれば、いはゆる家族制度の
酵風良俗といふものは地を払ふに至るであらう。ヨー
ロッパ文化の他の特長とするところは、分化主義から
細分化に移行するところである。これが功利主義の観
念と個人主義思想に基づくものであることは明らかで
あるが、このために日本人の生活様式が紊され、伝統
的な良俗が破壊され、家族制度の没落が招来される
に至れば、これは由々しき大事であるといはなければ
ならない。
 ハリウッド的映画のために、青年子女の風俗が僅か十
年足らずの間に驚くべき変化を来したことは、何人に
も看取し得るところであらう。映画や演劇が、風俗に
及ぼす影響の大なるはいふまでもないが、恐るべきは
思想生活への徐々の侵害である。生活形態の変化は、
単に生活様式の変化のみに終るものではなく、形から
心へ、心から魂へと浸蝕してゆく
ことを思はなけれ
ばならぬ。街頭の女人風俗の変化は、直ちに家庭生活
の変調を呼ぶのであつて、浮薄なアメリカ映画と、それ
を倣ふ日本映画とが、日本帝国の子女をして物心両面
においてアメリカ化せしめたことは、何としても否定
し得ない事実であるばかりでなく、文化とはかくある
べきもの、文化生活とはかくあるべきもの、との誤れる
文化観を植ゑ付けた一事こそは、千秋の恨事であつた
といはなければなるまい。
 生活を変へて悦ぶことと、生活を豊かにするといふ
ことは同じではない。映画の場合は、生活を変へて悦楽
に耽るといふ享楽面に重点があつたので、決して生活
を豊富にするための素材とはなり得ず、却つて頽廃と
惰気と虚無との間に身を投じ、真個の自我の生命を徐
徐に削り去つた結果を招いたものであるといふことが
出来るであらう。最紀までの青年子女の精神生活がど
んなものであるかは、深く探究する必要のないほどま
でに、歴然として表示されてゐたことを思へば、外来
文化の思想的影響について慄然たらざるを得ないので
ある。

文化至上主義と思想謀略

 思想戦は決して思想戦の形を取つて来るものではな
い。さまざまの文化形態を通じて徐々に、しかも至つ
て巧妙に侵入して来る
ものである。言論、文章、学術
を以て真向から来るものは、初めからその正体が明ら
かであるから、これを防止することはさまで困難では
ないのであるが、実生活の面から来るものは表面を擬
装し、日常の行動に即して来るために、これを捕捉
して撃滅することは容易ではない。文化生活の名の下
に、欧化主義の侵入して来ることは、日本を植民地化
する前提とみて差支へないのである。
 いはゆる文化主義者なるものは、その本質において欧
化主義と異るところなく、英米への文化的隷属下に日本
を置かんとする自覚なき敗北である。即ち、文化至上
主義といふものは、その実ヨーロッパ文化の至上絶対
を認めるものであつて、思想的にすでにヨーロッパ勢
力に克服されたもの
といふことが出来るであらう。
 文化主義者が文化といふ言葉に魅力を感ずること
は、われらの想像以上のものがあるやうである。一つに
は、文化といふ言葉の中にあらゆる進歩性が合まれて
ゐると思ひこむ軽率から来てゐると思はれる。勿論、
真の意味における文化なるものは、個人生活において
も、国家生活においても必要なものであるに違ひない
が、すべての進歩、発展の分野が文化領域のみにある
と思ひ込む先入観から来る妄信と尊外内卑の心境と
が、冷静な批判と弁別とを妨げてゐる
のである。
 も一つは、先にもいつた文化の流動性、発展性を認
めることの出来ない既成文化の狂信者が、彼等の是
とするところのものが既に前世紀的のものとなつたこ
とに気が付かないところから、文化の擁護とか危機と
かいつてゐるのである。かうした回顧派が無自覚症状
において彼等の主張に執着する場合は、やがて、自然
消滅の運命に入るものとも考へられるが、この事実を
承知の上でなほ且つ主張するといふにおいては、断じ
て許容し得ないのであり、新文化創造の途上に横たは
る最大の支障としてこれを排撃しなければならない。
 科学や藝術の超国家性からして、文化擁護を叫び、
或ひは文化の中断を欺くものもあるやうである。レか
し、これは自国民の民族性に対して自信がなく、進ん
で新文化を創造する熱意のない者の繰り言として斥
けなければならない。さらにこの考へ方は、十九世紀
ヨーロッパ文化の残滓幻影を追ふものであつて、唯物文
化心酔の偏見のぬけ切らぬものといはざるを得ない。
唯物的な考へが、その全面に亘つて行詰りの状況にあ
ることは、ヨーロッパ文化の没落過程が何によつて齎
されつゝあるかをみれば自ら明らかであらう。
 思想戦の遂行にあたつてわれらの目標とするところ
のものは、米英的ユダヤ文化の一掃と撃滅とになけれ
ばならない。戦ひはいよいよ長期戦の段階に入つた
が、長い月日の間には予期しない事態も起るだらう
し、世界の情勢も著るしく変つてゆくであらう。そし
て、その間に消長があり、隆替があり、一起一伏の
波瀾があるに違ひない。これに対しては不動の信念を
持つて進まなければならない。もしそこに過去に囚は
れた観念がいさゝかでもあつたならは、日本は無用の
足踏みを繰返さなければならないであらう。神武必勝
は一億の民の確く信じて疑はぬところであるが、聖戦
遂行途上における一弛一緩が、米英の乗ずる機会たら
しめてはならない。しかもその危険は現在のところ多
分にあると思はなければならない。何となれば、過去
数十年に亘つて米英文化の隷属下にあつた日本には、
米英文化へ復帰する素地が、なほ未だ十分に残されて
ゐる
とみなければならぬからである。

大東亜戦争と日本文化の確立

 思想戦を戦ひ扱くには、どうしても国内に残存する
文化面における米英的なものを根絶しなければなら
ない。彼等の文化謀略の浸潤面はかなり広汎かつ深
刻になつてゐるのであるから、これを浄化するまでに
は相当の日子を要するものと思はれる。文化に対する
観念をこの際、全面的に改めなければならぬ理由はこ
こにある。
 要するに、世界観の対立が今日の思想的混乱を来し
てゐるのであかが、自由主義的な世界観を克服してし
まはなければ、思想的な帰一は齎されないのであつ
て、自由主義的個人主義思想の残滓があらゆる方面に
根を張つてゐる間は、ヨーロッパ文化の騒逐は困難で
ある。
わが国には、なほいまだ、今日の世界的動乱を
目して、単に全体主義国家対デモクラシー国家間の物
に関する争ひであると見てゐるものが多い。即ち、そ
れはルーズヴェルト的世界観を一歩も出ないものであ
るが、かうした米英的な物の見方をまづ改めてかゝら
なければならない。それがためには、この世界観の素
地となつてゐる自由主義的民主主義思想をあらゆる文
化部面から洗ひ浄めなければならないであらう。思想
と文化とは、本来、一体不可分のものであつて、あら
ゆる観念の実践面は、文化推進の名の下に集結されて
ゐるのである。もしそこに謀略的な意図が加はるもの
とすれば、これは明らかに征服、被征服の観念の伴ふ
ものであり、文化ルートの悉くが砲弾の輸送路と化(かは)
終るのである。文化の本質に対して盲目なほど危険な
ものはない。
 今や大東亜戦争はいよいよ長期戦の段階に突入した
が、これを光栄ある勝利の彼岸に戦ひ抜くためには、
日本の文化もまた総力をあげて戦線に動員されなけれ
ばならない。即ち、醇乎たる日本文化の確立、宣揚こ
そ、大東亜戦の興廃を決する鍵の一つである。その
本文化の確立とは、すべて、皇國の道に則り、國體を
明徴にすることから発するのであつて、深く日本世界
観に徹することこそ、あらゆる文化活動の根本である

ことを銘記すべきであらう。