思想戦読本 4 情報局
思想戦と政治
思想戦の本質
思想戦といふ言葉は、今日までの多くの用例でみる
と、はなはだ誤つた内容を伴ひ勝ちのやうである。世
上多くの場合、たゞ小手先のみの「謀略」、あるひは「宣
伝」のたぐひに使はれてゐるやうで、いはゞ「だましあ
ひ」の意味に受取られやすかつたのではないかと思ふ。
もとより思想戦は、このやうな低い意味のものではな
い。またさうであつてはならぬのである。これは国民
思想の本質----世界観、歴史観を以て戦はれ
る戦争を意味するのである。
由来、三千年の歴史を通じてみる皇國の戦ひは、常
にこの意味における思想戦であつた。
日本民族が儼として把持する皇道世界観が、隼人、
熊襲のそれを服し、蝦夷、韃靼のそれをまつろはしめ
たのである。皇國の戦ひの本義は、つねに、皇化に服
さぬものを「ことむけやはす」にある。まづ大義を説
いてこれを理服せしめ、しかもなほまつろはざるもの
を討つに、おほみいくさは、その雷霆(らいてい)の威力を以てす
る。神武天皇御東征以来、皇國の戦ひは、終始、皇道
宣布の思想戦として戦はれて来たのである。
大東亜戦争も、もとより、その例に漏れない。しか
もこれは、その意義の深宏(しんくわう)なるにおいて、その規模の
雄大なるにおいて、空前にしておそらくは同時にまた
絶後の大思想戦であるといはねばなるまい。
これは、今日の人類のあらゆる不義と禍ひの根源た
る米英利己思想の世界支配に対して挑まれた、皇道精
神の克服戦なのである。ワシントン体制といひ、九ケ国
条約といひ、いづれも結局は、国際政治の分野におけ
るかゝるアソグロサクソソ的利己精神の発露に過ぎな
い。ワシントン体制の打破は、もとより今日、日本の
戦ひにおける戦争目的の一部であるには相違ない。だ
が、日本の戦ひはこゝに終るべきではない。かゝる末
梢の現象のすべてを貫いて終始存在するヨーロッパの
利己的世界観を、完全に撃滅するに至らなければなら
ぬのである。
かくて、克服の後の清明の天地に、皇祖肇國の理念
による新らしく清らかな秩序を創造する。大東亜戦争
は、かくのごとくにして、その消極面においても、ま
た積極面においても、終始、國體顕現の戦ひとしての
最も雄大なる意味における思想戦として戦はれつゝあ
るのである。思想戦の本質はかくあるものであり、ま
た、かくあるべきものなのである。
祖国認識こそ必勝の条件
しかしながら、かゝる米英的侵略勢力を、アジアの
天地から撃攘し、さらにその根柢をなす彼等の利己
的世界観を克服せんがためには、われわれは、まづ父
祖以来千載伝承してあやまらぬ皇國の真精神に対す
る深い理解と、これに寄する烈々たる自信とを持たな
ければならない。
由来、思想戦における必勝の条件をなすものは、祖
国が伝承する精神、祖國がみづから生んだ文化の優秀
に対する金剛不壊の信念である。自身、深くその祖國
の精神の尊厳を体得し、自国文化の優秀に対する烈々
たる信念を養ひ得て、人ははじめてこれを提(ひつさ)げて、
あやまれる異民族の世界観を粉砕し、世界をひきゐて
人類の進むべき正しい方向を指示し得るのである。み
づから自国の文化、自国の伝統を貴ぶことを知らぬ国
民が、どうしてこのやうな凄烈な思想の戦ひに勝利を
博することが出来よう。
一九一四〜一八年の前大戦に英仏が勝ち得たのは、
彼等がかゝる信念を持つてゐたからであり、ドイツが
敗れたのは、当時のドイツがこれを持つてゐなかつた
からである。英仏両国の国民は深く自国文明の優秀を
確信してゐたのである。立憲政治の基幹といはれる議
会制度は、イギりスの生むところ、憲法また然りであ
る。すでに世界を風靡する勢ひをなしつゝあつた資本
主義は、イギリスが産業革命の試練をとほして生み出
したものであり、近代ヨーロッパ文明の基礎ともいふ
べき民主、自由の思想もまた、フランス革命の流血の
なかにフランス人によつて生まれたものであつた。彼
等はかゝるヨーロッパ近代文明の精華を防禦し、守護
しようといふ誇りを持つてゐた。従つて英仏両国民
が、前大戦を通じて、常に烈々たる一種の使命観をも
つて行動したことも、まことに当然のことであつたの
である。
当時の英仏両国民は、かくのごとくにして、自国文
化に対する熾烈な自負と、この文化によつて世界を率
ゐんとする一種の宗教的な使命観とを持つてゐたの
である。しかるにドイツ側においては、事実は悉くそ
の正反対であつた。
三十年戦争の混乱のなかに民族統一の機会を失つ
たドイツが、フリードリッヒ大帝の偉業によつて遅ま
きながら民族統一の基礎を成就し得たときには、イギ
リスは、またフランスは、すでに文化における先進国
となつてゐたのであつた。従つてドイツは、たゞ英に
学び、仏に模するにのみ汲々として、みづから省みる
暇がなかつたのであつた。
かゝる事情は、必然に、ドイツ国民をして、その祖
國の文化に対する正当な認識と自負とを失はしめ、国
内の一部には、滔々たる拝英親仏の風潮さへも生ずる
に至つてゐたのである。
国家組織を英仏に模し、法律を英仏に学び、経済社
会の機構を英仏に範を採つてゐた当時のドイツは、ド
イツ本来の文化とゲルマン伝統の精神とを忘却し去つ
てゐたのである。
祖國の精神に対する認識なく、自民族の文化に寄す
る自負を欠いたところに横溢するものは、自国卑下の
感情と、敵国文化に対する崇拝尊敬の念慮とであつ
た。これを以て英仏の熾烈な自負と信念に対したドイ
ツは、前大戦において、すでに戦はずして敗れてゐた
のである。
征戦の本義
さらに、思想戦の勝利のための他の要因は、戦争目的
の確立と、これが統一純化である。皇国当面の戦争が
如何なる理由によつて起き、何事を目的として戦はれ
つゝあるかを内外に徹底せしめ、その戦ひの究極の
意義を明らかにすることこそ、大東亜戦争における思
想戦の第一義であらねばならない。
帝国の戦争が真にやむを得ざるに出でた自衛の戦ひ
である事実を明らかにし、皇祖肇國の理想の顕現と、
皇國の歴史に承ける使命の達成のための戦争である所
以を閘明することによつて、内には、国民をして聖戦
の真義に徹底せしめ、外には、帝国の戦ひを貫く大義を
あきらかにして、無益なる抗戦意志を放棄せしめるの
である。
今日、帝国の戦争を、たゞ南方資源獲得のためのみ
の戦ひと観(み)るものがあるならば、これは『おほみいくさ』
を指して帝国主義侵略戦争と誣(し)ふるものである。かや
うな考へを以てすれば、帝国が東亜に戦ふは、たゞ米
英の暴を逐つて自らこれに代らんがための利己の戦ひ
に過ぎない。大東亜戦争は、断じてかゝる私利私慾の
戦ひではないのである。
このやうな戦争観の所有者が若し存在するとする
ならば、彼等の眼底に映ずる大東亜戦争は、もとより
一種の企業たり、投資たらざるを得ないであらう。そ
の結果は、いはゆる最小の労を以て最大の利得を挙げ
んことを思ふに至るべきは、当然のことである。かく
て戦争の大目的のごときは、すでに眼中に存せず、社
稷百年の将来もまた考慮するにいとまなく、たゞ眼前
の利を追ひ、かりそめの安きに就いて、戦争の安易な
る解決のみを急ぎ、つひに国家の運命をあやまるに至
るのである。
もしまた戦争の結果が、彼等の予期したやうな富を
もたらさず、あるひは富の獲得が決して彼等個々人
の利益を招来しない場合は、彼等は必ずや掌を返すが
ごとく戦争の放棄を主張するであらう。かくて皇國の
戦争は、内に蔵した利己主義的、個人主義的精神の残
滓によつて、つひに内部より崩壊するの危機を胚始し
ないとも限らないのである。大東亜戦争の遂行にあた
つて焦眉の急をなすものは、従つて、かゝる利己的
戦争観、企業的戦争観、乃至は民主主義的戦争観の剿
絶であらねばならない。
利己主義
おもふにギリシャ諸市における民主主義の誕生に
始まり、フランス革命の猛火の中に更生して、近代
ヨーロッパを風靡するにいたつた政治思想は、個々人
の平等と自由とを基本理念とするそれであつた。国
家の組織においても、社会の構成においても、究極のも
のは個人であり、個人の利益である。国家は、畢竟か
かる個人の福祉を保護し、増大せんがために、契約さ
れるものに過ぎないといふ。
かゝる国家にあつては、個々人は、各々その立場にお
いて完全に平等である。この平等の基礎の上に立つ
て、各個人はそれぞれ無限の欲望にしたがつて、各々
の利益を主張し、自由を要求する。その結果は、当然
個の対立を生み、利己闘争の修羅地獄を現出せずんば
やまぬのである。
しかも現実の人間世界にあつて、完全な平等といふ
やうなことは、現実を全く遊離した空疎な抽象的概念
に過ぎない。事実には存在し得ぬ個の平等を、現実の
政治組織の基礎として規定する結果は、必然に平等の
仮面にかくれた強者の利益壟断、利己支配を惹起せざ
るを得ないのである。
平等といふも、自由といふも、結局は、個人が最も有
利な立場において各々その利益を追求し得んがための条
件にほかならない。しかも現実の結果は、これはたゞ
強者の自由を保証し、強者の利己支配を擁護するにと
どまる。対立する個対個の関係において、力の均衡の
存するとき、人間の覚悟はたゞ頭数に換算され、いは
ゆる民主主義的多数決政治の形が成立する。しかも、
かゝる均衡が、一個人あるひは一階級の力の急速な増
大のために破壊されるとき、最も悲惨な強圧専制の政
治は出現するのである。このやうにして民主主義は、
専制主義へ転換するあらゆる禍因を内に蔵し、専制主
義はまた、民主主義へ還元するあらゆる可能性を内包
する。両者は別個のもののやうで、実は、たゞ同一の
ものの二つの様相に過ぎないのである。民主主義の擁
護者を以て自ら任ずる米国が、開戦後、急速に専制主義
化しつゝあることは、如実にこれを示すものである。
そして、これらすべての西欧的政治原理に一貫して底
在(ていざい)するものは、熾烈な利己精神である。
かくて、個人と個人との反目、階級と階級との闘争、
国家と国家との葛藤は、時代とともにいよいよ甚だし
く、千たび革命の流血の犠牲を繰返しつゝ、なほその
跡を絶つことを得ない。ヨーロッパは、まことに永く
かゝる文明の禍ひのために苦しんできたのである。
国際主義
かゝる利己的自己主張と個々対立の文明が、最もよ
くその本然の姿相を示すものは、ヨーロッパ文明世界
の国際関係であらう。こゝでは、国家と国家とは、窮(きは)
まるところのない対立の関係に立つ。そして、これら
個々国家の力量の相均衡するとき、いはゆる「武装平
和」の状態は成立し、その一個の勢力がやうやくにし
て他を圧倒するとき、強はたちまち弱を搏つて、こ
こに帝国主義は現出するのである。
したがつて、かゝる形式的平和の国際関係は、その
危い勢力均衡に破綻を生ずるとき、直ちに帝国主義に
変化すべき危険性を内包する。しかも、かゝる帝国主
義的征服によつて生れるいはゆる世界国家は、常に
支配民族の利己的支配と、力による被支配民族の屈従
とを本質とするものであるから、終始、被支配民族の反
撥による崩壊の危機を包蔵することは、個々人の関係
における場合と少しも異ならない。一九一四〜一八年
の前大戦の後、ヨーロッパ世界を支配したものは、か
かる形式的平和主義の仮面にかくれた英仏の事実にお
ける専制であつたのである。
この間に日本の歩んだ道こそは、まことに悲壮をき
はめたものであつた。ヨーロッバにはすでにヴェルサ
イユ条約があり、国際聯盟があつて、ドイツの手足
を縛し、イタリアの頭上を圧しつゝ英仏利己支配
のための完全な機構を形成してゐた。これをそのまゝ
に採つて来て、彼等は太平洋とアジアとに擬したので
ある。いはゆるワシントン体制は、アジアの利益の一
切を襲断せんとする米英の野望の具象化したものに他
ならなかつた。
しかも、その基底をなすものは、個々のあひだにお
けると同様、平和に藉口する侵略であり、国家関係の
自由と平等に名を藉る巧妙な利己支配である。たとへ
ば九ケ国条約をみる。支那、満洲の地は、日本と一衣に
して水を帯ぶるに過ぎない。かゝる地縁は、当然、日本
と支那とのあひだに、親近断つべからぎる特殊関係を
規定するものである。まして、日本は、北清事変以来、
いくたびか満支の曠野にあまた同胞の血を灑いだ。歴
史的にも、地理的にも、政治的にも、また経済的にも、
日本が支那に特殊の利害を有すべきは、当然すぎる程
に当然のことであつたのである。
しかるにアメリカは、石井・ランシソグ協定の破棄
によつて、日本が支那において、血を以て購つた特
殊権益の一切を否定せんとする態度に出た。同時に九ケ
国条約は、従来アメリカの主張して来た支那の主権独
立、その領土的保全の尊重、ならびに支那における
経済上の門戸開放、機会均等の原則を確立した。これ
らの諸原則は、九ケ国条約において、実に最大限にま
で拡大されたのである。
従米の領土的保全の主張は、さらに行政的保全を加
へた。支那本土に対するアメリカの経済的侵略の合
言葉であつた「門戸開放」は、つひに満洲をまでもそ
の領域のうちに包含するにいたつた。これはもとよ
り、一面には支那における日本の特殊権益を抹投し去
り、他面、米英の東亜支配の基礎を構築したものであ
る。しかも、かゝる得手勝手の取極めは、米英の指揮
する国際会議において、多数決によつて決定された。
九ケ国条約の原調印国は、アメリカ、べルギー、イ
ギリス、支那、フランス、イタリア、オランダ、ポルト
ガル、およぴ日本、のちには更にデンマーク、スウェー
デン、ノールウェー、ボリヴィア、メキシコを加へた。米
英両国はなほしばらく言はず、ポルトガル、ベルギー、
オランダは、支那にどんな密接な利害を有するので
あらうか。いはんや南米内陸のボリヴィア、ヨーロッパ
極北のスウェーデン、ノールウェーにおいてをやであ
る。これはたゞ、米英の我意をつらぬかんがために、
当面の問題に何等関係もない路傍の群衆を駆り集め
て来て、頭数による数の威力を確保せんとしたもので
ある。ポルトガルといひ、ベルギーといひ、オランダ
といひ、メキシコといひ、ボリヴィアといひ、スウェー
ーデンといふ、いづれも事実におけるイギリスの附庸国
であるか、さもなければ、アメリカ弗資本の支配下に
ある半隷属国であつた。
かくて、遠くアジアより離れて、支那にほとんど何
等の利害関係をも持たぬヨーロッパ辺陲の小国も、満
支をもつて国家生存のための直接の生命線とする国家
も、ひとしく平等の立場においてこの会議に一票を行
使した。このことがすでに理解すべからざる不合理で
あつたのである。
さらに許すべからざるは、イギリスが、一国にし
て、事実は六票を行使した事である。英帝国内の自
治領であるカナダ、オーストラリア、ニュージーラン
ド、南阿聯邦はもとより、インドまでも独立の一国と
同様の資格をもつてこの会議に参加した。このやうに
して、皇國のあらゆる正常な主張は、甚だ暴戻な多数
決によつて、一挙に圧殺されてしまつたのである。
かくの如く、帝国の主張を圧殺し、帝国の手足を束
縛してなほ足らず、さらに帝国のあらゆる自衛行動を
封ぜんがために、ワシントン、ロンドンの軍縮会議は
招集された。軍縮会議の当初から密に相提携し、相
一致して行動した米英両国の海軍力に対して、帝国は
わづかに三割を保有するに過ぎなかつた。帝国は、
かゝる劣数を以て、神州の国土を護り、三千年の光輝
ある歴史を守らねばならなかつたのである。
皇国政治の根本
皇國の戦ひは、もとよりかゝる国際的民主主義の仮
面にかくれた米英帝国主義支配の非違を討つものであ
る。しかしながら、これはたゞに九ケ国体制を抹殺
し、ワシントン体制を撃砕するだけに終るものではな
い。ワシントン体制を撃砕することは、ワシントン体
制の精神を破摧するのである。米英の侵略勢力を撃攘
し、その帝国主義的世界支配を覆滅することは、彼等
の利己精神を剿絶するのである。
かくて、かゝる我慾の世界、かゝる利己と対立の修
羅地獄の世界に替へて、対立なく、搾取なき、清らか
な、まことの平和を東亜に創造する。そしてこのあた
らしい世界秩序の根柢をなし、基幹をなすものは、わ
れらが父祖より伝へて、古今に通じてあやまらず、中
外に施して悖らざる皇道の精神であらねばならない。
西欧の政治をつらぬくものが、利己と対立の原理で
あるのに反して、アジアの精神は奉仕である。私心を
滅して純忠、公に奉ずることこそ、アジア民族の本来
の生き方といふよりは、むしろ人類本来の生き方であ
り、またその最も高い生き方でなければならない。そ
して、このやうな東洋の精神は、その至高にして至純
な形を皇國の國體に具現してゐるのである。
畏くも、 神武天皇は、「荒ふる神等を言向(ことむ)け平和(やは)し、
まつろはぬ人等をはらひたひらげたまひて、畝火之白橿
原宮に坐しましてあめのした治しめし給ふ」たといふ。
皇國万世不易の丕基は、まことにこのやうにして成つた
のである。従つて、皇國に民たるものは、悉く「やはぎ
まつろひ」を以てその本分とする。億兆ことごとくた
だ 天皇に帰一し奉り、ひたすらなる奉公の道にはげ
むにこそ、いはゆる義は君臣にして情は父子といふ美は
しい限りの國柄もおのづからにして成つたのである。
民主主義国家の国民は、おのおのわが身みづからを
以て主とするのである。かくてみづからの利益のため
に狂奔するのみならず、また他を駆つて自身の利益の
ための犠牲に供さうとする。皇國における臣子の本分
は、かゝる個人主義的道徳とは全くその質を異にし、
方向を異にするのである。
皇國の政治原理は、かくて、天皇帰一に存する。奉
仕に存する。われらは、この至高至純な精神を以て、米
英の利己精神を撃滅する。大東亜戦争は、これを政治
の面においてのみいふならば、かゝる奉仕の政治原理
を以て、利己と対立の西欧的政治原理を撃破克服する
戦ひなのである。
西欧の利己の精神が、アジアに浸潤し、アジアを毒す
ることはすでに久しい。フィリピンといひ、東印度
諸島といひ、印度支那といひ、またインドといふ、い
づれも百年来、かゝる戦ひによつて、骨髄までも蝕ま
れつゝあるのである。われらが隣邦、支那もまた、も
とよりその例に漏れない。あるひはまた、かゝる禍毒
が、すでに皇國の内部にも及びつゝあつた事実はなか
つたであらうか。
かくて、大東亜戦争の思想戦は、まづ深くして且つ
厳かなる自省に発足しなければならない。われらの思
ふところ、われらの行ふところは、これを皇道の本
義に照らしていさゝかも背戻することはないであらう
か。われらが討たんとする利己対立の精神は、却つて
内にわれらの胸奥に潜むことはないであらうか。
外に対しては、われらが今後直面すべき思想戦の
諸問題は、まことに多い。大東亜新秩序の創成は、人
類五千年の歴史に嘗て例をみぬ大変革なのである。
これは歴史の創造である。これは曠古の偉業である。
従つて、これを阻まんとする力も、また絶大なもので
あらうことは、当然覚悟しなければならない。殊に
困難を極めるものは、すでに深くアジアに蔓延する対
立主義の剿滅であり、誤れる平等思想の撃破である。
しかしながら、大東亜戦争の真目的を貫徹して、皇
祖肇國の理想を顕現せんがためには、この困難を克服し
得て、利己対立の精神を剿絶する以外に決して途はな
いのである。われらは、断じてこの困難を避けて安易
に就いてはならない。蓋し、かゝる対立主義に妥協
し、平等思想に迎合することは、みづからアジアの精
神を毀傷し、皇國の戦争の大目的を空無に帰せしめる
ものに他ならぬからである。