思想戦と経済

米英の思想謀略

 大東亜戦争の勃発前、米英が全力を傾注したこと
は、極力、支那事変の長期化をはかり、戦はずしてわが
国を屈服させようとすることであつた。いはゆる援蒋
政策によつて蒋政権の抗戦力を強化する一方、直接
には対日経済対鎖によつて、わが国の経済的疲弊を図
つたことは、周知の通りである。しかしこれらの露骨
な反日政策は、わが国の経済的屈服を招く前にかへつ
て反撥せしめ、火中の栗を拾はねばならない羽目に陥
る虞れなしとしない。こゝにおいて彼らが対日経済封
鎖と並行して進めたのが、思想的な側面からする攻撃
であつたのである。
 昭和十五年七月二十九日、司法省と陸軍省とは、「七
月二十七日、外国諜報網の一斉検挙を行つたが、その一
味たる英国ロイテル通信員コックスは、二十九日に自
殺した」旨を発表した。右は支那事変下において米英、
とくに英国が、わが国に対していかに周到極まる謀略
宣伝を行ひつゝあつたかを暴露したものとして、朝野
を震駭させたが、当時、右に関聯して陸軍省が発表した
談話は、経済と思想戦との関係を知る上に、極めて貴
重な事実を示唆(じさ)してゐるので、その中から経済関係の
部分をこゝに摘記してみよう。即ち、まづ枢軸離間と
経済的反戦主義の醸成を目的として
イ、独伊には限られた資源しかないから、日本は必要とするものを獲得し得ぬこと
ロ、従つて日本が独伊に対して沢山の物資を輸出することは不可能であり、旦つまた独伊側の支払継続は不可能になること
ハ、一方、英国は常に日本から沢山の物資を購入してをり、戦争の進展につれてますますその量は増大すること
ニ、日本は英国側からでないと必要資源を獲ることができぬこと
ホ、結局、独伊側に物質的援助を与へるのは日本の損失であること
等を頻りに宣伝したのであるが、これらの宣伝と行ふ
には、英国系商社、学校、教会、倶楽部を拠点とし、
その数は資本金五万円以上の英国系商社、銀行が約二
百、協会、倶楽部は約三十、学校は八百十校、教会は
約二千の多数を教へたのである。
 かくて彼らは、たとへば歳末の繁忙な時期を狙つて故
意にガソリンの配給を停止して、戦争のために物資が
足りないのだと国民に厭戦思想と植ゑつけ、或ひは神
戸のマッチ製造業者から大量のマッチを買ひつけ、日
本国内にマッチ不足時代を現出させて、これ位の戦
争でさへマッチがなくなるほど日本の経済力は弱いの
だと思ひ込ませるなど、巧妙な暗躍を続けたのであつ
た。
 こゝに注意すべきことは、謀略宣伝といふものが、
米国には飛行機が何万台あるとか、日本の武器は貧弱
だとかといふやうな、一見デマ宣伝めいたものにとゞ
まらずに、かへつて謀略宣伝の関係はきはめて理詰め
であり、堂々たる思想的権威や、動かし難い事実を装
ふところにあつたことである。
 右の実例に徴しても、昭和十四年末に、東京市内の
ガソリン・スタンドの前に円タクやトラックが長蛇の
列をなしたことは確かに事実に相違ないのであり、昭
和十五年、早くもマッチ飢饉が問題になつたことも事
実なのである。しかもこれに敵国の故意にする売惜し
み、買ひ占めにほかならないにも拘はらず、「戦争を
すれば物がなくなるのだ」といふ経済論上の所説や、
「経済現象は常に一定の法則の下に動いてゐるのだ」と
いふやうな経済学上の仮説を、あらゆる方法をもつて
我々の間に抜け目なく行き渡らせた上で、これを巧み
に利用したものであることを知れば、敵の経済戦は思
想戦に結びついて行はれてゐる
ことを、直ちに理解す
ることができるのである。

戦争と経済の関係

 この意味からして、米英の経済的思想謀略は、昨日
今日に始つたものでは決してない。そもそも「めいめ
いが個人的利益を追求すれば、それが即ち国家社会が
利益になる」といふ、いはゆる自由主義経済思想にし
ても米英の学問的な謀略の典型的なもの
であつて、
わが国の歴史を顧みれば、連綿三千年の繁栄は、決し
てこのやうな自由主義思想によつて齎されたものでな
いことは直ちにわかることであらう。
 また、米英等の自由主義経済発展の跡を仔細に検討す
れば、それが由由の名に隠れた植民地侵略であり、また
彼ら自身の国内においても、不断の闘争と動揺と流血の
惨事をくり返したものであることは、隠れもない事実
なのである。自由主義経済思想は、これによつてわ
が国の伝統を破壊し、米英ユダヤ資本が勝手気儘にわ
が国の政治経済を支配するための、思想的な尖兵であ
つたことを知らねばならね。
 戦争と経済との関係に対するいろいろな学説にして
も同様であつて、「戦争をすれば物がなくなる」といふ
所説のごときも、これはきはめて重要な条件が附され
た後にはじめて承認されるのである。即ち、常に強調
される通り、わが国の戦争目標が新秩序を建設するこ
とにあるといふことは、これを経済的にいへば、これ
まで米英的な経済組織によつて抑圧されてゐた生産力
を、伸び伸びと発展させるやうな秩序に打ち樹てるこ
と意味する
ものである。
 戦争は単なる消耗ではないといふことは、勝てば賠償
金や領土が手に入るといふやうなことではない。たと
へば第一次欧州大戦後、米英仏等の諸国は巨額の賠償
金をドイツに課し、さらに植民地の再分割を行つたので
あつたが、それにも拘はらず、自国経済の崩壊を防ぐ
ことができず、深刻な恐慌状態に陥つたのであつた。
これは彼らが既に矛盾に悩んでゐた経済組織を、ドイ
ツの敗戦に乗じて、さらに世界中押しつけようとし
たがためにほかならない。
 軍備の充実や武力戦の遂行は、それに要する物資が直
接、国民生活を豊富にする目的には使用されないた
め、経済的には単に消耗にすぎないやうにみえるので
あるが、不正なる力の挑梁を抑へて、正しい秩序と護
り、万邦兆民をしてその所を得しめるためには不可欠
の手段である。
 従つて、軍艦が商船のやうに物を運ばないからとい
つて、「軍艦が経済的には不生産的である」といふ議論
は、世界情勢と世界経済の実情を無視した空論にすぎ
ない。正しき国家によつて保有され、行使される武力
は、あらゆる意味で生産的であり、単に戦争のために
物が足りなくなるといふのは、戦争目標も何も、度外
視した暴論なのである。
 卑近な例をあげるならば、わが軍の進攻に際して暴
戻な蒋介石軍は、非道にも黄河の堤防を決潰して沿
岸住民を塗炭の苦しみに陥れたのであるが、一軍閥の
利害のために、かくのごとき破壊を行ふやうな勢力を
掃蕩するためのわが軍事行動が、これを経済的にいつ
て不生産的であるなどとは決して言へないであらう。
 これまで米英蘭等の諸国は、あらゆる方法をもつて東
亜の資源を掠奪し、他面、永久に東亜の生産力が伸び
ないやうに圧迫を加へてゐた。彼らはこの秕政を武力
によつて強制したのであるが、わが国はこの不正な武
力を撃破して、東亜の安定と繁栄とを確保すべく矛(ほこ)
執つたのである。われわれにとつては武力戦即生産戦
争であるといふことが、この事実からも知られるので
ある。
 しかし、それがどれだけ生産的な事業であつても、
今日投下した資本が、明日は全部手許へ戻るといふや
うなことはあり得ない。大事業であればあるほど、それ
だけに大きな資本を長期に亘つて注ぎ込まねばならな
い。この大資本を調達するためには、われわれは日常
の個人的な慾望をできるだけきりつめてゆかねばなら
ないことは当然の理であらう。戦争遂行のためにわ
れわれがどんな不自由で我慢しなければならないと
いふのは、この理に基づくものである。
 これを単に、戦争するから物がなくなるのだといへ
ば、戦争をしなければ物はなくならないといふ逆説も
成り立つことになるが、しかし、戦争はしてもしなく
てもよいといふやうなものではない。そんな無理をし
なくても、いまのところは別に不自由はないのだから、
暫く泣寝入りをしようといふ現状維持的な考へ方が根
柢にある以上は、戦争は無用の消耗としか思へないで
あらうが、それこそ米英の傀儡となつてわが聖戦の目
的を歪め、真の世界平和ための正しい努力を避けよ
うとするものであることを銘記せねばならない。

精神と物資

 戦費として支出される数十億乃至は数百億に上る資
金が、直接に発電所を造つたり、灌漑工事をしたり
工場を造ることに使用されるならば、それだけでも、
われわれの経済生活は非常に豊かになるであらうこと
は明らかである。その意味では、戦争は大きな消耗を
意味するものであるが、およそ論議をこゝに止めて
しまふ限り、戦争は目的の如何を問はずして罪悪視さ
れ、嫌悪されるにいたるのであつて、米英は経済学の
名をもつて、この反戦、厭戦思想をひそかにわが国に
持ち込んだ
のであつた。
 さらにこの所説をそのまゝに敷衍するならば、物質
力の大なるものほど戦争にも強い道理であり、米英が
自己の経済力の優勢なることを誇示して、わが国の対
独接近を妨げ、且つ親米英的屈辱に甘んじさせようと
した論拠もこゝにあつたのである。これは世界の重要
資源が殆んどすべて米英の掌中にあつたといふ事実
が、永久に変らないものであるといふことを前提とし
なければ成り立たぬ議論であるが、物質的に弱い日本
が、実力をもつて米英の世界支配網を断ち切ることは
不可能であり、かくて日米英間の物質力の相違はいつ
までも変らず、その故にまた日本は永久に米英に勝て
ないといふ論法が生ずるのである。
 だが物質力に相違があるとしても、それが戦争のす
べてを決定すると考へることは、まつたく誤りであ
る。武力戦にしても精神力のみでは戦へぬことは周知
の通りであるが、最大限度の装甲と無数の防水壁をも
ち、これに加ふるに一分間六万発の弾幕を形成する対
空火器を有して、航空部隊に対してはもとより、いか
なる攻撃に対しても絶対に安全であると誇称した英
の不沈戦艦プリンス・オブ・ウェールスの最後は、物質
力の実体を示して遺憾がない。経済は人為をもつて如
何ともし難い自然法則の世界なのではなく、経済の本
質は人間に奉仕するところにある

 しかるに人間を経済の奴隷と化し、経済法則の名に
よつてユダヤ資本の専横を合理化しようとしたのが米
英の経済体制であつたのである。プリンス・オブ・ウェー
ルスの最期は、この意味で米英的思想謀略そのものの
最期であつたといはねばならないであらう。
 軍縮条約の悲報が伝へられたとき、わが東郷元帥
は、一言「訓練に制限はあるまい」と不退転の決意を示
され、また「百発百中の砲一門は百発一中の砲百門に
匹敵する」と喝破された。故元帥の教訓は、帝国海軍の
伝統として今日の無敵海軍を築き上げた不抜の信念な
のである。しかも「経済戦争においては物質力が一切
を決定し、その物質力たるや人為の如何ともし得ない
自然法則に支配される」とするやうな経済学なるもの
が存する限り、経済戦必勝の方途は生れず、また生
れ出づべき道理はない。
 しかし、経済といふものは、われわれの精神から離れ
て存在してゐるものではなく
て、何が経済であるかを
考へるわれわれの心によつてきまるものなのである。
心を主とし、物質を従とするといふことであれば、心さ
へ正しければ、物質はどうでも良いといふ風にきこえ
るかも知れないが、むしろ心正しければ物質もまた正
しい
。正しい心によつてのみ物質にその本然の姿を与
へ、強力にしてしかも国家社会に貢献し得る経済を創
ることができるのである。

國體観に徹せよ

 由来、わが国が今日あり得たのは、これを明治以後
の近い時代に徹しても、常に一段と高い見地から経済
を導き来つたためであつた。即ちわれわれが、わが国の
経済をといはゆる経済法則の趨くがまゝに委ねておいた
ならば、米英蘭等の外国資本によつて蹂躙され、経
済的殖民地と化したことは必定である。特定の人々は
なほこれによつて利益を得ることができたとしても、
国運の隆昌が遠くこれを望むことができなかつたで
あらう。これを近世支那の運命に鑑みれば、容易に理
解し得るところなのである。
 明治維新の鴻業を達成し、能く外侮を排しつゝ光輝
ある歴史を全うすることができたのは、諸外国に対抗
するに足る資本と経済力を有してゐたがためではな
い。これを南北戦争や普仏戦争等の世界情勢に帰する
人があるが、同じ時代に支那や安南等が立ちいたつた
植民地化の実情を願みるならば、この説明が全く当
を得たものではないことがわかるであらう。むしろそ
の後、日清、日露の両役を通じて発揮された驚くべき
戦争力や、列国の圧迫下に貧弱な経済力をもつて能く
世界に冠たる陸海両軍を建設し歴史を按ずること
によつて、実に経済といはずすベての上に立つて、儼然
とその嚮ふべき途を示し給ふ大御稜威あるのみであつ
ことが切実に感じられるのである。
 世上、やゝもすれば、國體明徴は一つの精神運動で
あり、これと経済建設や経済戦争には少くとも直接
の聯関はないと考へるものもないとはいへないやうで
あるが、國體にして明徴でなければ、わが国経済の植
民地化は夙に免れることができなかつたのみでなく、
また植民地、半植民地諸国はいふまでもなく、わが国す
らが強制され来つた不当な経済的圧迫を排して、真に
正しい経済の秩序を打ち樹てることなどは思ひもよら
ぬことといはねばならない。加ふるに相対立する経済
の利害は、これをその所を得しめるに途もない結果と
して、不断の闘争に悩まねばならないのである。社会
主義思想のどときも、こゝから生じたものであつた。
畏くも天皇陛下には昭和元年十二月二十八日、践
祚後、朝見の儀に於て賜はりたる勅語に
 輓近世態漸ク以テ推移シ思想ハ動モスレハ趣舎相異
 ナルアリ経済ハ時ニ利害同シカラサルアリ此レ宜ク
 眼ヲ国家ノ大局ニ著ケ挙国一体共存共栄ヲ之レ図リ
 国本ニ不抜ニ培ヒ民族ヲ無疆ニ蕃クシ以テ維新ノ宏
 謨ヲ顕揚センコトヲムへシ
と仰せられてゐるのであるが、経済が政治を壟断し、
党派が国家を左右する米英的近代国家においては、挙
国一体といひ、共存共栄といひ、これを望むべくし
て望み得なかつたところである。
 大正の中葉以後、第一次欧州大戦中の未曾有の好景
気を機会として、頓に擡頭し来つた自由経済と民主主
義政治の思想的風潮とが、つひに畏れ多くも大御心
を悩まし奉るの弊風を生じ、御訓戒の勅語を拝するに
いたつたことは、われら赤子として深くその罪に思ひ
をいたさねばならぬことであつた。区々たる利害の弁
解や主張に非ずして、國體明徴の一事を知ることによ
つてのみ、わが国の経済がその道を誤ることなく、今
日の大東亜戦争の戦果を仰ぐことができたことを銘記
しなければならない。
 物心一如といひ、心が物を律するといひ、実は尊皇の
大義を知るところに、はじめて経済の大道が明らかと
なることをいふにほかならない。
尊皇の精神はわが国
においてはもはや単なる心、単なる精神ではなくして、
物心を超越した絶対なるものである。
 闇相場や、買ひ溜めや、浪費は、米英においてもまた悪
徳であることに相違はない。だが彼らにあつては、そ
れがお互ひの利益のためといふ卑俗な打算から生ずる
倫理にすぎず、その根柢には依然として個人主義的な
利害観が残つてゐることを知らねばならない。尊皇の
精神は自他の利害を比べることを知らない。そこに、は
じめて日本的経済新体制の構想と正しい経済行為が生
れてくるのである。
 かくて経済戦とは、経済行為を通じで國體を顕現す
ることにほかならない
。そのやうな経済戦は、戦ふも
のの國體観が純粋無垢でなければ、完遂することは不
可能である。物がないといつては騒ぎ、物が余つたと
いつては気をゆるめるやうな卑少な思想をもつてして
は、到底大東亜経済戦を戦ふことは出来ない。
 敵国の直接的な思想謀略は、交戦状態の続く限り従
来のやうな猛威を振ふことはできないであらうが、自
分の一言半句、一挙手一投足が大御心に背き奉るこ
とがないかを反省することを忘れたとき、忽ちにして
彼らの思想的な陥穽に落ちる虞れのあることを、十分
に自戒する必要があるのである。