第一四一号(昭一四・六・二八)
事変二周年特集 新東亜建設の歩み
事変二周年と新東亜建設
北支の現勢
中華民国臨時政府機構一覧
北支那開発株式会社一覧
蒙彊の現勢
蒙彊政権機構一覧
中支の現勢
中華民国維持新政府機構一覧
中支那振興株式会社一覧
支那民心を把握せよ
南支の現勢
陣中文芸(現地軍報道部提供)
皇軍突如仙頭に進撃 海軍省海軍軍事普及部
仙頭攻略の意義 陸軍省情報部
正しき認識の下に
支那民心を把握せよ
我々が現地にあつて遠く故国の民心を考へたり、大陸に渡来し来る人々を見たりすると、支那事変に対する正当の認識を欠くものの意外に多く、従つて新支那建設のための努力をはき違へて、却つて大業の障碍となるものもすくなくない。ことに最近においてかゝる傾向が顕著なるかに見えるのは、日支のために又事変の犠牲となつた人達のために、遺憾に堪へざるところである。
支那事変の本質を認識せよ!これが先づ先決問題である。つぎに私の特に強調したいのは、この支那事変の本質を具現するためには、先づ支那竝びに支那人にたいして正当なる認識と評価とを誤るなかれ!ことに日清戦争時代からの骨董的な支那観や、今度の支那事変で明らかとなつた支那浪人輩の非科学的旧套的支那観から脱却して、現代の支那竝びに支那人を直視してそれへの認識を新たにし、正当にせよ!と私は言ひたい。
支那事変の目的貫徹と云ひ、東亜新秩序の建設と云ひ、この現代の支那及び支那人に対する理解なくしては決して遂行し得ないと断言するに吝かでない。かゝる理解なくして荏苒日を重ねても混沌以外に何ものをももたらすものでない。
現代の支那人を以つて利己的、打算的、非国家的な個人主義者なりとするが如き見解を以つて臨むのは大なる誤りで、近代支那人の覚醒した指導階級インテリ層なるものは愛国精神旺盛で民族意識亦熾烈である。これ等の意識は過去一世紀に亙る外力浸潤の桎梏下に一時は無気力になつたのであるが、此の間に醞醸せられた排外思想は必然的に国家思想を次第に昂め、殊に最近国家統一の手段として抗日救国を国内思想善導のスローガンに掲げこれにより急角度に盛り上つて来たものである。
一、二の権力者なり軍閥を抱き込めば、支那民衆はついて来ると思ふのは全く時代錯誤で、一呉佩孚、一汪兆銘も単独では決して民心を動かすことは出来ない。恐らくは蒋介石と雖も、民心を離れては何事もなし得ないであらう。政治によつて動かすことの出来ない社会の力のあることを見逃してはならない。
力によつて動かし難い支那社会の力をしつかり認識する必要がある。漢の高祖は「馬上に天下を取るは易いが、馬上で天下を治めることは出来ぬ」と云つて天下を治めるの道は人心の把握であると喝破した。暴力によつて天下を取つた支那の歴朝は一旦戟を収めると、絶大の努力を民心収攬に傾倒したことは、歴史に明らかである。社会と接触し得ない政府が出来れば、社会には政府と游離した組織精神が出来る。満洲に起つた清朝が武力によつて漢民族を征服したのに、三百年の基礎を作りあげたのは決して偶然ではない。今次の戦争は本当の聖戦で決して支那の民衆を敵として居ない。領土もいらぬ、償金もいらぬと声明してゐる。全く仏様のやうな戦ひ方である。大義名分から云うても支那の人心が跟いて来ぬ筈がない。それが何時迄経つても抗日気分が抜けぬのは何のためか。日本は高い理想で戦つて居るのに支那人に接触する日本人の中には聖戦の真義を弁へず、支那人心の動向を省みず、戦捷の余威を駆つて無辜の支那人を敗残の敵国民と考へ、目前の小利を追つて支那人を搾取の対象とするが如きは謬ではなからうか。
心なき営利業者は江南に横はる工場財産等に目を呉れてゐるが、支那民衆の心を攫(つか)んで土の中から数十億の利益を挙げることに着目しない。数万の英霊は断じて目前の小利打算の為めに支那民衆の心を離反せしめ、大陸発展を元も子もなくするやうな人種の為めにそんな侵略的な戦争はしなかつた筈だ。独仏戦争のやうな仇敵の間柄の戦争ではない。心なき日本人の遣り口では結局日支両国民を仇敵の間柄に追ひこむ結果となる虞れがある。
今次の戦争は真に避け難い戦争であつた。これは日本人も支那人も諦めなければならぬ宿命だつた。然し日本の遣り方一つで雨降つて地固まるの結果となる。それがためには何よりも先づ支那人をして日本人を信頼せしめることである。不幸な国家に育てられて来た民衆だけに温い理解と指導には無條件で飛びこんで来るはずである。東亜の新秩序と云ひ、東亜協同体と云ひ、理論や政治や外交だけでは決して到達し得ない。その第一条件は日本国及び日本人に対し支那人が親しみを覚えて来るやうになることである。
術策や権謀では人の心を握ることは出来ぬ。さもしい強奪的な気分では決して支那人を心から引きつけることは出来ぬ。長い間抗日の温床に育てられた支那人心を百八十度転回せしむるには、蒋介石政権下にあつた時よりも、相当幸福な生活が営み得ると云ふ実証を体験せしむる仁徳と、英・ソ等の圧迫下に半殖民地的悲境にあつた時よりも、幾倍明朗な気分になり得たと云ふ実感を体得させることが是非必要である。
日本人は須らく従来の旧套的支那及び支那人観をすてて現代の支那及び支那人を正しく認識し、この認識の上に善政を布き、かくて支那人の心を掌握し、提携することによつて新支那建設の大業を達成すべきである。
(中支軍報道部長 馬淵中佐)
週報第141号(1939.6.28)