1943
325(1943・1・6)
326(1943・1・13)
「大東亜戦争日誌 31」 自昭和十七年十二月六日至同十二月十一日
十二月六日
北支軍一ヶ年の戦果
北支軍は、過去一ヶ年の中に冀中、冀東晋冀予作戦を初め二十五の主要作戦を展開、次の戦果を挙げた
抗戦兵力約二百四十万、遺棄死体約十四万五千六百、俘虜十万二千、迫撃砲六二七、重軽機二千七百、小銃約八万八千
ハワイ海戦の損害を米海軍省発表
327(1943・1・20)
328(1943・1・27)
329(1943・2・3)
330(1943・2・10)
331(1943・2・17)
332(1943・2・24)
333(1943・3・3)
334(1943・3・10)
335(1943・3・17)
336(1943・3・24)
337(1943・3・31)
338(1943・4・7)
339(1943・4・14)
340(1943・4・21)
341(1943・4・28)
342(1943・5・5)
343(1943・5・12)
344(1943・5・19)
345(1943・5・26)
346(1943・6・2)
347(1943・6・9)
348(1943・6・16)
349(1943・6・23)
350(1943・6・30)
351(1943・7・7)
352(1943・7・14)
353(1943・7・21)
354(1943・7・28)
355(1943・8・4)
356(1943・8・11)
357(1943・8・18)
358(1943・8・25)
359(1943・9・1)
自昭和18年7月5日至7月11日
7.5(月)
クラ湾夜戦の綜合戦果
ニューヂョーヂア島陸海軍守備隊ならびに同方面に作戦中の海軍水雷戦隊は、七月四日、米乙巡サンタエフ(ママ)型(一万トン)一隻、米大型駆逐艦ストロング型(二千百トン)一隻、艦型未詳一隻を撃沈、さらに七月五日夜、クラ湾に来攻の巡洋艦・駆逐艦十数隻より成る敵部隊に対し、帝国駆逐艦数隻は肉薄攻撃を敢行、米乙巡ヘレナ型(一万トン)一隻を轟沈、艦型未詳乙巡一隻、特務艦一隻を撃沈
クラ湾で敵機十機を撃墜
海軍航空部隊はクラ湾(ニューヂョーヂア島)上空で敵機十機を撃墜
ニューギニア上陸の敵を撃砕
サラモア(ニューギニア東南部)附近の我が守備隊は、六月三十日以来、ナッソウ湾(サラモア東南)に上陸の米軍と、これに呼応しワウ(サラモア南西)方面より前進のオーストラリア軍に対し反撃作戦を敢行、とくにボブダビ附近では七月五日、敵の背後を急襲、これを潰乱せしむ
また我が航空部隊は、七月一日、三日、五日ナッソウ湾の敵を攻撃、敵舟艇群・揚陸場を爆砕
7.6(火)
大陸、一年の綜合戦果
昨年七月以降一ヶ年間の支那方面の綜合戦果
遺棄死体四十五万七千八百、俘虜約十四万九千、帰順約九万六千、飛行機二百七十機、各種火砲一千百十一門、同弾薬約八万六千九百発、重軽機約四千一百五十挺、同弾薬約百四十七万四千発、小銃約十五万八千五百挺、同弾薬約一千百六十五万四千発、船舶約一万六千トン
我が方の損害 戦死八千二百八十一名、飛行機四十四機
北濠で二十三機を撃墜破
海軍航空部隊はブロックスクリークを再爆、敵戦闘機十六機を撃墜、同重爆機七機を地上撃破し、軍事施設五ヶ所を爆破炎上
我が方の損害 未帰還一機
7.7(水)
ルビアナで三十一機撃墜
海軍航空部隊はルビアナ島に進出の敵を攻撃、その陣地に大火災を生ぜしめ、さらに敵戦闘機三十一機を撃墜
我が方の損害 未帰還四機
7.9(金)
レンドバで五機、六隻を屠る
海軍航空部隊はレンドバ港上空に殺到、敵の二十機と交戦、五機を撃墜、上陸用舟艇六隻を撃沈
7.10(土)
中崎中尉の遺勲、上聞に達す
印緬国境方面の航空作戦に偉勲を樹て、ナーフ河畔で壮烈な自爆を遂げた石川飛行部隊中崎茂中尉に対し南方方面陸軍航空部隊最高指揮官より感状が授与され、上聞に達した旨、陸軍省発表
7.11(日)
ニューヂョーヂアで二十四機撃墜
海軍航空部隊は、戦爆連合を以てニューヂョーヂア島西北岸に揚陸中の敵を攻撃、敵P38戦闘機四十機と交戦、二十四機を撃墜
我が方の損害 未帰還三機
360(1943・9・8)
361(1943・9・15)
362(1943・9・22)
363(1943・9・29)
364(1943・10・6)
365(1943・10・13)
366(1943・10・20)
367(1943・10・27)
368(1943・11・3)
369(1943・11・10)
370(1943・11・17)
371(1943・11・24)
372(1943・12・1)
373(1943・12・8)
374(1943・12・15)
375(1943・12・22)