東洋の平和とハ何ぞや


 東洋の平和とハ今日世間一般の適藷となりて世人時事を談ずる毎に殆ど

 此語を口にせざるハなし然れども沈思歎坐して之を考一考するときハ東
 洋の平和なるものハ遽に理想上の一現象たるを免れざるぺし余輩ハ日清
 開戦の以前に於て己に屡ミ政治地理に関して批評的の意見を述ぺたりし
 が今にして之を思へバ益ミ其必要を感ぜずんバあらざるなり抑ミ所謂東
 洋とハ世界中何れの部分を限りたる名構なるや是れ頗る漠然たるを免れ
          ア Jチ ヤ
 ざるなり若し廣く亜細亜の全般に通ずるものとせバ其宮城頗る廉くして
 且東洋が己に東洋たるを失ふ所以の歴史も亦幾十百年の星霜を経たるも
                         オラソダス ペ イ ソ
 のと云ふぺし英国ハ云ふまでもなく従前に在てハ和蘭西域牙の如き近時
 に在てハ彿濁の両国の如き何れも皆東洋の諸部を侵略して或鮎より之を
 云へバ明かに平和を破りつ1ありしに相違なきなり
 故に日清開戦の後に至りて始めて東洋の平和を喋々するが如きハ抑ミ亦
 迂潤の嘲を免れざるなり慣令今岡の戦争にして我に取て充分なる勝利の
 局を結び能く朝鮮の濁立を全うせしむるを得るとするも未だ以て東洋の
 平和を保持し得たりと云ふぺからざるなり前に述ぺたる英悌濁等の諸国
  い ん ど
 が印度其他を侵略せし一方に於て露園が黒寵江地方を占有せしも亦遂に
    じ たい
 東洋の事体に属するものたり斯く分析し去れバ東洋の平和を破り東洋を
 して多事ならしめたるものハ西洋諸国より甚だしきものあらざるなり而
 して顧みて其東洋と構せらる〜所の諸国を見れバ能く濁立の体面を全う
            いくはく
 しっゝあるもの果して幾何かある日清戦争以前に在てハ清囲ハ魔大なる
 を以て猶東洋に於ける一大強国を以て他より目せられ所謂東洋の平和を
 維持する上に於て幾分の勢力あるが如き感あらしめたりと錐も今岡の経
 験にょり世界一般に其建国の基礎の顧敗せるを蜃見せしならん
 果して然らバ東洋の平和を以て任ずるもの我国を持て外に叉求むぺきも
                                   あらか
 のあらざるなり今岡の戦争以後に於ける清圃ハ如何なる成行に赴くや逆
                                         上 こく
 じめ知るぺからずと維も東洋の平和を維持せんが為めに我の興国と為す
 が如きハ到底望むぺからざる所ならん故に仮令清園をして濁立の図たら
 しむるも之をして如何なる境遇に居らしめバ最も所謂東洋の平和を維持
 するに邁官なるぺきやの問題の如き我国艮の考案を要する所に相違なか
 るべし是に放て乎東洋の平和なるものへ遽に我観の挙措如何によりて決
 すべき問垣に廃するを見るなり此の如き地位に立て能く其任ずる所を全
 ぅせんとするにハ必ずや非常の大勇断なかるべからざるなり然るに世間
 猶或ハ東洋の平和なる語を以て他囲の事の如く思考し我園ハ単に英一部
 分にのみ関係あるもの1如く認むるものすらなきにあらずして余輩が本
 題を繰出するの己むを得ざるに至れり
 己に前にも述べし如く東洋の平和なるものハ幾十百年来常に西洋諸国人
 の打破する所となり今後と雄も西洋の平和を維持せんが為めに常に東洋
 に波瀾を起さんとするハ彼等の慣手段にして之を世界の大勢に徹して明
 かなるものならん而して叉反対の地位に立て之を論ずれバ東洋の波瀾に
 ょりて西洋の平和を打破することもあるぺけれバ結局単純に東洋の平和
 若くハ西洋の平和と栴するものを見るを得ずして世界の平和なる語を以
                     ・もんじ
 て各国の方針とするにあらざれバ少くも文字の上に於て邁官ならざる場
 合に立ち至らん欺之を要するに世界の平和香な東洋若くハ西洋の平和の
 如きハ之を望むこと恰も大洋に風波なきを望むと一般にして到底理想的
 の観念に止まらんのみ故に余輩ハ此の如き構呼に拘泥せずして能く資力
                   おく
 を以て各国生存競争の中に立ちて後れを取らざるの道を表すの外一国の
 取るぺき方針なきものと自信するものなり東洋の平和なる語ハ遂に杢名
 のみ
               (明治二十八年二月十六日「東京朝日新開」)