園を離れて民人ある乎


                                          じ ゝ
 今更に掲げ出す程の問題にあらずとする人もあらんかなれども時々社曾
 の現象を目撃するに於てハ又た之を説き出だすの必要なしとも言ふべか

 らぎるに似たり夫れ公義心の衰耗するハ抑もノ日の故にあら▲ずしで余弊
                      ・丁た
 が廣ば陳述せし如く一旦士農工商の顛別廃れて以来ハ士族の常緑を存す
                            ぜんく せ▲フかう
 るもの甚だ少数にして一時公債澄書を有したるものも漸々に滑耗し従て
 各種の職業を求むるに急なりしハ之が一大因と云はざるを得ざるなり若
 し此の如く士族が他の賓業政令の程度に逢せんとするの前に官りて農工
 商の政令をして従前の士族流の精神を饅揚せしむるの良手段あらしめバ
 則ち容易に純正なる国民を得ぺかりしならん然れども士族が恒産を失ふ
 て従前の賓業政令の程度に近づかんとするハ頗る容易且つ自然の傾向な
 れども他の賛美政令をして従前の士族流の精神を助長せしむるハ所謂逆
                         すう
 流的の事体にして頗ぶる困難なるハ免かれざるの敷なり
                                     はりん
 抑も何れの園に係はらず英国民たるもの1恒心なるものハ大の勅語に備
 そん
 存するところと何の異なるところかあらん英国体の異同により其推戴す
 るところを異にするにハ相違なきも萄くも一建国の人民たるものハ其平
 生享有する幸祀なるもの1決して畢濁に領得せらるぺきものにあらざる
 を知らん余輩曾て泰西の諸国に歴遊して英国民たるもの1中に就て匹夫
 と稗すぺきものと錐も猶口を開けバ即ち余も某国民なりと誇構するを開
 て其自信の篤きに感ぜずんバあらざるなり而して此等の言を為すものハ
              けんもん
 常に下等杜合に於て展ば見聞せしところにして決して教育を受けたるも
 のにハあらざるなり是れ蓋し多年の習慣にして所謂第二の天性なりと云
 ふも敢て不可なかるぺし故に夫の愛国の精神の如きハ強て孝校の教科書
   かれこれ
 中に彼此喋々せざるも自然に養成せらる1の活勢ありと云ふぺきなり此
              なま上み
 の如き事情ある諸囲の書を生讃せバ共弊の績生する宣又た深く異しむに
 足るぺきものあらんや
 然るに我固に於てハ不幸にして泰西諸国の学問を唱へ出したる先進者中
      まなこ
 にハ往々眼を故に注がずして単に表面に露はる1部分のみに心酔して深
 く其基礎を探らず時機に投じて一種の畢風を態揚し勢の趨くところ一世
     えいし                      けいさう はい
 を風靡し営私の外又た為すべきことなきが如き観念をして軽謹の輩に注
             しかのみ
 入するの極端に達したり加之ならず政治上の現象に於ても亦之れと趣を

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               ひ し
同うするが如き弊端を態し彼此相混合して遂に今日の情態を成すに至れ
    ひそか おもへら
 り余輩私に以馬く今日に在てハ大の所謂文明の先進者を以て任ずる人士
 の中にも既往を顧みて或ハ憾悔するところあらんと香な費際上に於て己
 に憾悔の費を挙げたるものもなきにあらざるなり既往を各むるも眞に益
               ふくてつ かんが
 なし唯だ将来に向つて前車の覆轍に畳み一時の悪弊を除き邁切なる針路
 を採るの外なきなり夫れ此の如く封建制度の廃止より士農工商の類別も
                  のぷ
有名無貴となりたるに官りて故に陳るが如き新誤想の注入ありしハ今日
 治療に苦しむところの病因にあらざるを得んや
 今や我国に於ても東西古今の拳に通じ内外の事情に明かなる土人決して
 少数にあらざるぺきなり而して猶且つ余輩をして本間題を呈出せざるを
                                   やく
 得ざるの感あらしむるものハ抑も何ぞや其れ時勢なるものハ人の能く折
 きく
 作するところなれども叉時により時勢の能く人を刺する場合もなきにあ
 らざるなり其れ数千年来建国する所の囲に在て今更に之を喋々するハ虜
                             ▲きた
 る蛇足なるが如しと維も前に述ぺたるが如き激欒を経過し来る以上ハ又
 た研か省みるところなかるぺからざるなり故に今日以後の民人たるもの
        しよくいえノ
 ハ能く時勢の職由するところに着眼して其守るところの本領を定むるに
 あらざれバ到底眞成の幸痛を共有すること能はざるに至らん欺是れ余輩
 が常に憂慮するところにして我国の人民たるものハ常に心を勅語に存し
         け たい
 本問題に留意して僻怠なきを切望する所以なり而して特に上流先進の人
 士に向つてハ其平生の一挙一動に就ても決して萄くもするところなきを
 規する所以なり
                (明治二十六年九月十二日「東京朝日新聞」)