支那寧の必要
そもそ ことさら こゝ かね
抑も此問題たる道人が娩更に此に掲出せざるも少しく思慮ある人々ハ漁
て承知のことにて常にロにするところなれども所謂焦眉の急とも云ふぺ
こツし上
きこと1も見えざれバ忽諸に付するなるぺし素より一己人が業を営むに
にツ.拝ん
就きてハ幾分か斯る感鱗もあるぺけれど今日の日本ハ昔日の日本に異な
おほい
り一団の経済を虞理する上に於ても昔日とハ大に其趣きを異にする所あ
りて例の倹約主義のみにてハ到底行れ難き勢に立到りたれバ従ツて園の
分子たる一己人にも此一国の経済如何に因りて善悪ともに其影響を蒙む
るぺき筈なれバ決して故郷すること能はざるべし蓋し昔日にありてハ商
業と維も主に国内の取引に止まり外図との通商の如きに至りてハ力めて
之を謝絶したる位のことなれバ畢術校章の如きに至りても之に紳度した
ることのみを講究して足れりとしたれども今日に至りてハ外囲の通商ハ
国家経済の命脈となる虞なれバ之に應ずるの寧衝技蓼も亦従ツて一攣せ
ひとたび
ざるを得ず故に一度西洋と交通の道を開きし以来日に月に西洋の文物ハ
しゅにふ たちFえ
我図に輸入し来り條淘改正も中止となりて内地雑居の沙汰も暫く立滑と
カ くわた
なりたるにも拘らず大の英語を教授する所の学校及び私塾の移多なるこ
と恰かも暗夜の星の如し成程西洋の文物を輸入し西洋と通商するにハ必
わけあひ
然斯の如くならざるべからざる詳合なれバ道人ハ少しも之を怪まず益々
はんせい
其繁盛に趣かんことを希望すれども此に一事の怪むに飴りある者なきに
しもあらず即ち支那畢の殆んど無用祀されたること是れなり
願ふに我国今日の開化ハ西洋より輸入し来りたるに相違なしと錐も之が
根底をなしたるものハ支那拳にあらずして何ぞや若し支那の文他にして
あ ふ り か
我国に普及せず我国の現況ハ恰かも亜弗利加の野轡圃の如くならしめた
らんにハ決して今日の如く速急に欧洲の文物を滑任し得ざりしならん
(但し中にハ随分不滑化の場合もなきにしもあらずと錐も)夫れ斯の如
きの勢なれバ千古年前より我国に輸入し来りたる支那の文物制度ハ我国
ほんせい
の本性を多少修正したる所ろありしハ勿論のことにて我国の沿革を詳ら
かにせんと欲せバ到底支那の沿革に潮漉せざるを得ず即ち欧洲諸国に放
ぎりしやらkノま
ても遠く希腺羅馬の沿革を調査するに汲々たるを見ても亦た以て其の必
要を知るに足るぺし斯く説き出さバ人或ハ云はん我国に漢寧の普及せる
こと
ことハ決して英語の及ぶ虞にあらずと此の言誠に然り然れども所謂漢挙
なるものハ只だ単に字義訓話の未技に止まり活勢を研究するもの絶て之
おはむ
れなきハ遺憾の至りなり世の所謂漢寧者なるものハ概ね皆な此流にして
常に陳腐硯せらる1ハ又止むを得ざるなり何となれバ昔時西洋畢の未だ
開けざる前にありてハ藻草者中の活眼者ハ概ね皆な費務に就き其学問の
▲ノ ふ
迂腐にして資務に堪へざる者のみ所謂漢畢者の構競を得たれバなり斯く
まなこ
て此漢学者中の箕務家ハ早く眼を西洋に縛じて又漢学を顧みざるの勢ひ
となり而して大の純然たる漢学者ハ攣通の道を知らず遽に今日の如く支
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郷拳を無用現するの域に立至りたるなけご
道人が此に述ぷる如く漢学者と云へバ悉とく迂潤なりとも云ひ難し何と
なれバ西洋寧の未だ開けざる前より貰務に官るものハ皆な其脳力の訓練
を漢畢に受けざるハなく伺ほ今日世界に於て一個の強大囲と見傲された
る支那圃の大政治家の如きも必らずしも西洋拳の訓練を受けたるものに
あらざるを見ても知るぺきなり試みに欧洲諸国を見るに何れの圃にても
其隣国の文物を研究するに汲々たるハ争ふこと能ざるの事賓にして誰れ
も永卸する所なり濁り我国に於てハ其隣国にして挽に沿革上に大開係あ
みる
る支那の事物を度外現するの景況あるハ西洋人より之を見も不可思議千
き
苗ならん或入日く左もあるぺしノトく〈我国に於てハ膏に隣国の事
物を研究せざるのみならず自国の事物にても深く研究せざるの有様なれ
バ予ハ却ツて此点を不可思議とするなりと是れも亦幾分か道理あるのこ
とにして故に附言するも敢て不可なかるぺし
然るに費際上に就て之を見るときハ清爽我圃の経済上に政治上に大関係
あるぺきハ支那圃にして英国情に通ずるの必要ハ言ふまでもなき話しな
なほ
り果して然らバ今にして之れが準備をなすハ眈に遅しと云ふも決して尚
早しとハ云ふぺからず従来外国語学校なる者ありて支那語畢を教授する
なにゆゑ
の便宜を計りたれども何故にや近頃ハ廃止となり又大挙の課程にも娩更
に之を奨励するの施設もなし造人が己に此論に述ぺたる如く支那孝を悼
むるハ今日立身の造に於て焦眉の急とも見えざる故之を放任するに於て
ハ斯くなり行くぺきハ自然の勢ひにて深く怪むに足らずと維も国家の全
体上より之れを見るときハ今にして之が奨励法を設くるも決して無益の
菜にあらざるぺし其之をなすにハ先づ第一にハ大挙に於て#を着け次で
商業寧校等に及ぼし全国の人民をして支那畢の必要に注目せしむるの基
を立つぺし是れ膏に経済上の必要のみに止まらずして間接に外交上の封
助をなすこと決して少々にあらず官路の諸君子事ひに猛省せょ
ハ明治二十一年六月二十一日「讃蕾新聞」)