庸人主義
て棄つぺきにあらず。願ふに畢殖と創
鉄
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静
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殖
塵丁
と
才
創
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義
主
人
庸
●
穀
自
柑
3
徳育の論、紛々準えず、敦育勅語出で1、畢世之に潜社せざるぺからざ
るに至れりと雄も、其の之を箕に施すに至ては、蓋し猶ほ蕾の如く難き
也。小畢枚の以て克く徳育を施して其の効あるを得ぺきと香と、箕に未
だ知るべからざるなり、敷苫の教員、是をして皆人の師たるに堪ふる者
ならしめんことを望むは磯逮の砂をして皆珠玉ならしめんことを望むが
如し、乃ち豪傑の士をして育英の任に計らしむるも、亦梓匠輪輿、人に
規矩を輿ふるのみ、之をして巧ならしむる能はず、引て而して蜃たず、
躍如たる也、而も天下能く躍如の機を示すに足る者多きを得んや。規矩
準縄は巧を助くる所以、巧を成す所以に非ず、況んや拙エを以て之を操
る、沼々たる者皆青の青を導く、一世を畢けて庸人主義に趨かしめざる
者幾と希れなり。かの庸人主義道徳や、之を言へば室惇、之を行へは至
琴而して其の効を求むれは、せに寸益なきに絡る、則ち汲々として其
の方を求め、之を施して滑々たるも、教ふる者も亦堪へず、敦へらるゝ
者も亦堪へず、而して世も亦其の賜を享くる能はず、是れ遽に胡為る者
ぞや。若し夫れ道徳の風伶、自から一園の必由、一代の必至あり、直々
として私智を奮ふ者の吸々を以て能く同らすぺき所にあらざるなり。
(明治二十五年九月十九日「亜細亜」第五七戟)