社会主義を執れ


在朝在野の反目疾硯、一日の故に非ざるなり、唯だ近日を以て特に甚し
とす。政府は金カを喝して、反封薫の勢焔を撲滅せんとし、斯に断して
第二議曾を鮮散し、而して碓ぐに撰拳の大千渉を以です、警吏の彼を庇
保し此を妨擬せる、機密費の薬狗に痛して、撰拳人の操守を乱せる、而
して其の効果や、賓に亦た所謂民薫名士をして席を新議院に失ふ者多か
らしめたる、疑難方さに紛紛として、新議合の一問題たらんとする者、
かの官路大臣の志は言ふを頻たず。今や前大臣去て、新大臣来り、十八
年来薙蓄せる名望に藷り、嘲か蕾盟を温めて、民薫首領と一牛日の閑話
を試る者、頗る温和を主として調停を望むの情を見す者なきにあらず、
而して諸相亦た前日の強硬に似さるありと俸ふるも、所謂「負けるが
勝」の衝を操り、姑らく潜適すぺからざるの菊焔を避けて、反抗の勢力
を穀ぎ、其の欲する所を成さんとする者、要其の反封薫に勝を求むるに
至りては、則ち一のみ。之を得れば之を失はんことを患ふるは、何そ濁
り郡夫のみならむ、其の位に在りて其の信する所を行ふ、他人の支吾を
容るぺからざるは、亦た為政家の常態なり。況んや行掛りといふ者あり、
意地といふ者あり、人間世界の運命、之が為に支配せらる1者、十常に
八九、兜を民薫の軍に免く、固より萬為すべからず、郎ち其の清廉を示
して決然として席を彼輩に譲る、能くし易からむや。智を褐し力を義し
て、反封其に克を求む、亦た情勢の然らしむる所と謂ふと錐も、克か克
か、畢責胡をか為す。良し一代の人才、力以て之を屈し、財以て之を腐
らし、天下一人の反封者なく、諸相の盛徳、頒謳衝に遁くして、畢ぐる
所行はれざるなく、唯命ずるがま1之れ塘くの日あらんか、是に於て諸
相を叩て其の為さんと欲する所を聞かん。内務大臣は日はん、治水土木
の事急にせざるぺからずと、外務大臣は日はん、殖民移佳の謀定めざる
ぺからずと、陸海軍大臣は日はん、軍事絨造を敷設せん、艦船を檜製し、
製銅業を興さん、囲防の務を完うせんと、各々其の執る所嘗る所を擁張
して、其の所轄の樺力を檜すに汲々たらん、而して為政家の能事斯に畢
るとせんか。其の反封其に在ては、彼も亦賓に汲々乎として、今の普局
を排済し、己れ取て代らんとするの情欺くぺからず。中には言ふ者あり、
其の地位と線利と我れ宣に之を欲せんや、唯だ政府が其の弊を革めんこ

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とを庶幾するのみと0而も眈に其の弊を革むるを庶幾すと日ふ、亦た其
の欲する所を行はんとするのみ、欲する所の行はれ易き、執れか其の位
に在るより善き者あらんや0如し或は其の身の用ゐられ、或は其の言の
聴かるゝあらんか、渠れ溶た胡をか為さんとする。渠れ民カの体養を説
き、政費の節滅を説き、此を以て民の歎心を買ひ、此を以て己の聞達を
取る、其の志を得て両して漂に前言を棄つること邁る、が如くなるを
得ざれば、政費の節省こ時或は能く之を遽行せん。唯だ眈に其地位を得
で、其の欲する所を行ふ、欲する所の多く行はれんこと、少しく行はる
ゝより快からずばあらず、樺カを有すれば、其の俄なるは微なるより快
からずばあらず、坐して言ふことの易き、起て行ふことの達ふ、盲より
以て然りと馬す0況んや今日の其人、率ね皆営々として名利の途に奔走
す、其をして一旦地位を得せしめて、架に居ること約に居るが如く、能
く其の樺力を濫用せざるの節ある者殆んと竿れなり。而るを今渠輩をし
て志を碍せしめ、志得て而して後、彼れ婿た何の望む所かある。今や守
る者は徒らに失はざらんことを之れ勉め、政むる者は徒らに取らざらん
ことを之れ恐れ、智を鳩し慮を輝して、命を∵日の争に繋く、久しいか
な自ら其の心を喪ふや○噴争の為に争を為す、為政家終極の目的、此の
如きのみか0野に相縛つ者、撃埋縦横、克て而して起つの時、風轟晦冥、
日星耀を蕨し、萬里茫乍として其の牲く所を失せんか、則ち彼れの克を
求むるや、徒らに此の茫々たる者を得んが為めといふか。
魚す所ある者、斯に望なかるぺからず、望なくして而して為す、為すの
果何くにか成らん0心に西方浮土を欣求する者あらんか、輪廻の絆にほ
だされて、幾たびか六道の岐に傍程ふと維も、責に無量光に癖取せらる
ゝの時あらん。柁なきの舟を蕩す、身カを轟すと錐ども、其の逝く所の
責に何虞に在るを知るぺからざるなり。汲々として争拭の為に争闘を馬
し、以て進歩を希ふと謂ふ、何の方に向て歩を進むるを知らず、埼を続
るの馬、日のカを窮めて疾騒すと維も、責に香虞を離れず、是をしも進
歩と謂ふぺけんや。糎謂進歩する者、必ずや改む所なきを得ず、改むる
ある者、必ずや現在の非を知りて之を去りて是とすぺき所以を知ること
なかるぺからず、現在の非を知るは、現在の外に超脱して、物の裔絆を
受けざる者あるを委す、是れを理想とす、所謂進歩は、即ち理想に近寄
るの謂なり。裁に断して日ふ今日政を為す者が執りて而して其の為す所
の望を繋くぺきは、郎ち杜曾主義なりと○杜曾主義の性貿、邦人の漠と
して之を詳にせず、杜曾薫の名、廣々破壊を伶ぶ兇猥無頼の徒に被らさ
る1を以て、誤りて祀曾主義絶へて此の如しと為し、其の名を開て己に
之を蛇嶋硯す、妄も亦た甚し0杜曾圭義は進歩の標準を表する者、孟珂
氏が所謂王者の道、而して西人の箕に人顆共存の理憩とする所なり。蓋
し欧西に在て平等自由の理想、一たび人心に拾きや、賓在の牡合の形態、
一時に之を改造せんと欲し、是に於て政治敦法、有りと有る杜合の組織、
義く其の膏構を破壊し、革命の激攣横溢氾濫して、意外の結果を生じ、
人心擾動に俺で、すずろに静かに不完全の状態に安ぜし昔懸しくなりし
かば、今日に至て杜曾主義が復た杜合の革新を唱ふるも、噴ふに懲りて
食を厳するの常情、庸人の蹄すく同するを難かる所なるも、事情漸く定
れば、沈滞も亦之に伴ふ、今や貧富懸隔の日に甚しくして、偽く者は飽
に傷れ、飢る者は飢に敗れんとす、乃ち又杜曾圭義の勢力漸く張るを見
るなり0且つ我の欽米に接してょり、利己拝金の風、頗る人心に浸潤し、
昔しは以て食都汚醜として士林に歯せられざりし者、今は則ち悟然とし
て常と為すに至る、此の思想攣化の影響や、かの興利殖財の業を進むる
に於て、亦輿りて力なきにあらざるか若し、而も其の利を享くる多から
ずして、今や其弊に堪へざらんとする者あり。かの撰畢の際に官りて一
票の償親圃と定めて、人の操守を買ふこと、萄くも以て法網を免るぺく
んば、殆と公然之を為して怪しまさるに至ては太甚しと謂ふぺし。但々
其の信ずる所、賓に利己圭義に在り、己を利するは事理の官然として、
共存公造の敦も亦原する所此に在りとすれば、何ぞ其の壊倫敗徳を牡ぢ
ざるに異しまんや0而して利己圭義なる者は、亦賓に西洋寧説に根すと
いふ、意ふに西洋の寧説、何ぞ一概に言ふぺけんや、利己の読あれば、




■王
▲曾



又之れに反する者あり、以て相生相魁して、幸に祀曾の崩壊を防ぐ、今
や其の畢説を探る者にして、侶に其一を揮で、其他を捨つ、邁さに以て
崩壊を速くに足らんのみ。利己拝金の風己に之れを探る、義ぞ亦た之に
封して牡曾主義を探り、以て相済ふの道を立てざらんや、羞し亦た必然
の勢に従ふ所以なり。物以て侶に終るぺからず、彼に備するの極、亦柄
て此に備せざるを得ず、利己挿金の風、日に以て滋蔓す、牡曾主義の滋
蔓、異日に免るぺからず、而して其の兆己に存す。犬れ我の現勢も亦た
労カの財産と井行せず、更に智カの財産と井行せざるを見る。日出で1
作し、日入て息む能はず、替々として泰章粗礪の以てロ腹に充つぺきを
求めて而して得ざるを恐る1裳々流俣、姑らく論ぜず、かの興利殖財の
途に奔走して、事業の興隆を囲る者も、彼れ多くは資本に乏しきの徒な
り、而して其の富者は則ち安坐して息を収めて益々富む。政治を縦談し、
代議士の資格を有し、有志家と構して都門に坐食する者を見れば、皆資
財に裕にして、無事に苦む者の如く然り、而も其の多敷は、被選資格を人
に借り、遽勤奔走の費に困で、彼に借り此に済し、旦夕の急を支ふる者、
貫は則ち太窮する者皆是れなり。試みに勢カある衆議院義員の生活を捻
せょ、而して更に政薫首領其人の生活を捻せょ、山手高焼の邸宅、門戸
の結構、口惜しからぬ程に荘厳にして、教萬金の融通、時に難しとせざ
るの態あり、乏しといふぺからざるに似たり、而も其の内讃の碧迫は破
ふぺからずといふ。此等の人にして一旦今の嘗路大臣を排済し、取て而
して之に代るも、其の大臣貴要の鉢面を全うするだも且つ難しとする所
ならん。其人皆清廉なるを得ざれば、或は潜の前政府員を貴むる所、私
曲濫費の如き、己れも亦党かれざるに至らん。此の如くして展樽柏代る、
薬に替るに肘を以てし、幽に易ふるに属を以てす、施政の進達、何を以
て期すぺけん、所謂改良進歩、亦た杢言徒論に過ぎざらんのみ。邦を為
すの大理想を立て、政樺のカの偏重を抑ふると共に、財力の偏注する所
に深察し、不満の現境に虞して、得意の来者よりも逢かなる者を晴るの
明なくば、近憂それ至らざらんや。かの牛解の徒が世界の大勢を口にし、
現世紀の風潮と揚言し、而して利己拝金の誼を奉ずるの必至を説くに至
りては、極めて分暁汲しといふべし。我の萬圃の間に立つや、富裕の囲
を以て自ら虞る能はざるや明かなり、若し富者にして貪者を支配するは、
大勢の免れざる所として之を許さば、是れ我の若きは正に他の富裕囲の
樺力に屈従するを至普とせんとするか、富者にして貧者を乗井するは風
潮の傾向として之を許さば、是れ我の若きは正に他の官裕園の井呑を希
ふを至首とせんとするか。且つ現世紀の風潮、以て永く績くぺからず、
而して世界の大勢、亦た婿さに一轄攣の運に際すること速からざらんと
す、今に於て杜曾主義を以て邦を立て、大勢の趨向に乗ずるは、太早計
といふべからず、而して貧窮の園が富強の園に封する一手段として之を
用ゐるは、亦得策にあらすとせんや。
抑も杜曾主義の理想は、今日に在て猶ほ頗る稚窮を兎れず、其の完美の
域に達せんには、歳月を要すること多からむ。今日の勢を以て之を推せ
ば、帝政杜曾主義の民政敢曾主義と、南樋に封立して、幾多の軋轢、幾
多の研磨を経、而して後大に柏ひ融合すべきに庶幾からんか。厳ふに今
日朝に在る者、誰れかかのビスマルクを偉として之を傲はんことを欲せ
ざる者、其の一時崇拝の厳なるや、依棟萌慮、ま1一笑に俺らざる者も、
心之に傾注したりき。其職を髄めらる1の後、炎涼攣じ易きの人情、崇
秤の念亦梢々薄らぐを免れざりしも、其の盛時を迫思せは、猶ほ人をし
て紳海かしむる者あらん。彼固より一代の人豪、崇挿に償せざる者に非
ず、則ち之を崇挿するも、亦必ず不可なりと謂はず、唯だ其の偉なる所
以を窮めずして、漫りに其の形似を求む、亦た虎を描て狗に顆すること
なからんや。息へ、ビスマルクが常に執りて以て一大帝囲を経暑する所、
果して何ぞ、職を去るの今日、其の畢生の事業を夷考すれば、其の施設
する所、政治の上に在る者よりは、牡合上に在る者多きを見るにあらず
や。ビスマルクは賓に終姶牡合主義を執り、而して之を箕事に施すに勉
めたるなり。千八百四十七年、普国議曾に述ぺて日く、図家は基督教を
賓行する者なりと、ビスマルクが時につけ、虞につけ、此等の言を蜃す



ること敷々なりき。六十五年、紡績職エ教百名、皇帝に訴ふる所ありし
や、ビスマルクは之を横として資本共同の組織を立てしめんとし、帝室
の用度より支出して之に下附せり。嘗時議合の攻撃に答ふるの言に日く、
李園皇帝は常に濁り富人に王たるにはあらざりしなり、弗列特力大帝は、
自ら貧人の保護者たることを勉め、而して後王皆承けて之を饉したり、
帝室が無告窮民を顧念せざるは、理の正にあらざるなりと。ビスマルク
は土地所有を非難せず、寧ろ之を奨励し、己れも亦之を所有せり、其言
に日く、廣大の土地を所有するも、亦必ず不可とせず、不可なる者は、
唯だかの身はパリー、ローマ、べルリン等の市府に住し、地方の情状を
も黍知せずして、坐ながら地代を徽収する者のみ、彼輩は夏と冬とを問
はず、常に市府に住して、共の偶々田舎に出るは遊猟の故に過ぎず。濁
逸の富有者にして、永く田舎に棲住して、親しく農業に従事せんことは、
余の喜で美とする所なり。早農野に出で1、日に晒されて窯黒なる紳士
が耕持するさまを見ん者、誰れか此の人の土地を所有するは、上帝の脊
佑に頼るてふ観念を起さゞらんや。濁りかの市府に住して、地方耕地よ
り金鏡を食取する者に向ては、余は殆んど杜合裳の魁首べ、ル君に輿せ
んと欲するなり。但だ自ら耕す者の廣大の土地を有するは、之を責むる
の辞あるぺからず、上帝が濁逸帝園と、学魯士王国の上に臨まる1問は、
いかに此等の人の土地所有を攻撃するも決して成功すぺからずと。又常
に労カの樺利をロにし、人民には生業を受くるの植利ありと圭張し、曾
て反封者の言に従はざりき。ビスマルタは固より主義といふ者、孝説と
いふ者に重きを置かず、其の薫汲に封する関係の如きは、教々之れを易
へて怪しまざりしも、其の自ら執る所は、自ら一定して動かざりしな
hソ○
然れども此れ帝政杜曾主義の一極、探りて而して之を行はんか、亦た備
を免かれす、民政社曾圭義を慣らすんば其れ能く中を得んや。民政牡曾
圭義や、従爽尊ら賓民の資とする所となり、薫輿を形くりて、衣食の魚
に躾磨し、蓼止往々破壊に渉りて、詭激の妖情を免かれず。故に仰事僻
育の資に閑くことなく、豊硲の過活を為す者は、事を好まざるを以て、
一概に之を績斥して、不徳無漸の徒の如くせり。但た時勢の欒遷は人力
の奈何ともすぺからざるあり、豊裕の者、終に自ら其の豊裕を守りて、
人の映乏を厳みざる能はず、
ぺからざる所とならんとす。
の動止は祀曾の大勢に係る、
在り、而して人民之に絶ぎ、
杜合全鉢の得失は、一箇の人が及ぷを免る
政府なる者は、祀曾組織の中心として、其
故に杜合の事業、之を姶むるは概ね政府に
之を成長態育して、吏に遠りて政府の革新
を促かす、囲家の形成の若き、資に然る者あるは、史蹟争ふぺからす、
今祀曾圭義の行はる1、濁り然らざらんや。今やかの土に在て、眈に先
づ之を始むるの政府あるを見る、宜しく人民の之に潜應して之を成長頚
育せしむぺきが若き也、願ふに其の然る能はざるは何そや、衣食に乏し
からざるの民、猶ほ植カを握り、而して遽然として此圭義に従ふや、乳
民逸惰の徒、乗じて而して敢合の秩序を壊乱せんことを恐るればなり。
抑も趨勢の過むぺからざる、乳民横行の毒を尉として之を避くるに追あ
らず、陰々の際に積む者、咋日とくらし、今日と過くる中には、英大の
勢カを形成し、而して数十年の後、社曾の欒態は、賓に人意の表に跳出
す、唯た明者は則ち微に描て而して著を知る。夫れ我の封建制を破りて、
立憲の制に遷ること、僅かに二十許年の問に在り、それ或は園民の特性、
長足の進歩に堪ふる者なくばあらず、則ち其の理想の一たび立つや、直
ちに之に趨潜して、完美の祀合を形成すること、亦有るぺからさる幻想
としがたからむ。杜曾主義の字面を生呑して、徒らに其の語弊を厭嫌し、
食はすして味を断つの愚妄、極めて排せざるぺからず、而して為政の理
想に於て、大に思を潜むる所なかるぺからざるなり。
(明治二十五年五月二日「亜細亜」第三七競)