倫理の学

 

 


現今有力の一哲拳者、昔て倫理寧の存立を疑て云ふ、所謂倫理の寧、其
の講ずる所の範園、羞し甚だ逸焉たり、其の材として、論援を取る者、
蓋く杜合寧中の物たり、印ち是れ祀合畢を除て、別に倫理の一科を立つ
ぺき所以あるを審にせずと、此の如き者、思ふに科寧の眼孔より祓る者
の皆官さに抱かざるぺからざるの疑たらん、但だ倫理は従来人の最も尊
重して之を過する所たり、其の存立を云々するの太甚しく不徳に渉るが
如きを恐れて、敢て之を公言せざるのみ、夫の人や乃ち敢て之れを言ふ、
其の言未だ公表せるに非ずして、殊に燕居私講の際に出づと雑も、其の
衷を障さずして敢て疑ふの男は、大に嘉すぺき者あるなり。又一哲畢者
あり、昔て教育の勅語を澤して、而して其の倫理の主義を某雑誌に演ず

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るに嘗り、猶ほ官年前古人の説を襲用して、物象世界、倫理世界の間を
列して、各々其の理法ありて、相渉るぺき者にあらずとなせり。此の如
きは智識教達、懐疑横流の今世、抑すく骨ずる所に非ずして、倫理説の
多方争訟、三千年にして未だ辟一する所あらず、近世一拳科を成すに反
て、更に紛転を檜す所以、覚に此の南界殊異の説を以て之を定むるに足
らんや0此の如くにして信ずるは、彼が如くにして大に疑ふに如かざる
なり。
犬れ物にして疑ずして己むぺからず、叉以て疑て己むぺからず。夫の倫
理の拳に於て、固より以て人生最大事の辟趨を決定する所以、己に軽々
しく信ずるの卑しきを知る、又責に信ぜざるの洩きを見るぺきなり。蓋
し倫理の説たる、地或ほ其の揆を異にし、時或は其の攣を造す、故に或
は政治と混じて之を説き、或は宗教に隷して之を造ふ、欧土に在りて、
上盲基督敦の未だ行はれざるや、其の倫理を立つる園家に渉らざるなし、
基督敦己に行はれ、而して倫理の説全く宗教に併せらる、囲家に渉る者
は、猶ほ伸尼の時の儒敦の如く、以て政治の論と岐して之を舛ずぺから
ず、而して其の宗教に併せらるゝや、為めに族制習俗を畢て、皆棄て、
以て教儀に絢ふ、此時に普りて、未だ倫理の寧、立つて一科と為ること
あらざるなり0所謂自由思想の漸やく蔓術して、諸科の寧術大に展開凌
達してょり、倫理を以て宗敦に系くるの頗る拝格多きを見、而して辟納
賓験の法、■研究の最上方法と定められしょり、是に於て心理の結果を察
して、人心の倫理性を得んとする者あり、種族牡交の攣遷を究めて、倫
理の由て行はる1事情を審かにせんとする者あり、壷く之を眈往賓蹟に
致へて、決して架杢想像を韓にせざらんと期す。是れ甚だ書し、近世寧
術の進歩、楕確空剛と構する者、資に此の方法に之れ由る、然れども近
世思想の大誤謬は、亦賓に此の方法に依頼すること太だ過ぎしに由らず
んばあらず、而して倫理の寧の如き、其の尤も大なる者なり。
進化諭開けて、馬族の字て五指ありしことを澄知せるは、蓋し智識の一
大進歩なり、胎生の季明かにして、人弊の昔て尾ありしことを澄知せる
も、亦智識の一大進歩なり、近世智識、此を知るに止まらば則ち可なり、
厳みて今の馬の宜しく五指あるぺく、今の人の宜しく尾あるぺきを議す
るに至らば則ち何如。抑も此の如き甚しきに至らずと錐も、畢蹄の獣、
双蹄の獣と同一地面を踏み、有尾の属、無尾の顆と同一世界に棲む者、
其の配剤己に審かにするを得ぺきにあらず、安ぞ其の智識に縦にして、
抑ち濁断を用ゐるべけんや、我に在て碩畢と稗する者、或は進化の論を
過信して、之を其の宜しく施すぺからざる所に及ぼし、倫理に於て根本
を功利に置き、紅交の説に於て、擾勝劣敗を以て原則と強鰐する者あり、
一時人心の傾向、亦此の如きを以て、其の説の是非ほ姑らく舎き、せの
祓鵜を喜ばしむる者ありしは、争ふぺからざるなり。
蓋し此等の説たる、其の既往の賓蹟、而かも一部の賓蹟を硯て、而して
之を以て婿来に施さんとする者、馬をして五指あらしめ、人をして尾あ
らしむるの説にあらずと謂ふことを得ず。現今欧土倫理の孝説、此等洩
薄の顆にして止まらずと維も、其の賓験を信じて、而して箕験以外の大
勢カ、潜運獣移する者を疎略にするは、一般に免かれざる所なるが如し。
是故に畢理の以て澄明すぺき者は、皆都卑にして人をして蓮由せしむる
に足らざる所とし、而して人の達由せんことを渇望する所ハ、皆寧理に
在りて茎漢捷る無きものたり、之を牡曾畢、心理畢に隷して、純ら其の
往蹟を覿るの僧せずして大に其の官を得たりとするに如かず。
董し人に理想あり、其の根源其の囲滴の極に至りては、唯俳輿併の知る
所、几庸の以て輿り聞くぺき所に非ずと維も、坊彿の間、之を認めざる
者なく、常識の及ぷ所、甚しき靴謬あるを見ず。故に人間日常の行鳥、
或は制せらるゝ所あり、慈にせんと欲する所ありて、一々にして之に契
ふを得ずと錐も、心は則ち之に潜往せざるなき者、是れ董し人より大な
る者の恵味に於て、理想が事賓として行はる1所以なるを疑はざるなり。
故に擾々たる三千年、眞人間出して相踵かざること久しと錐も、常識が
理想を仰掌すること、未だ昔て一日も衰へず日夜の行ふ所、毎々軌轍の
外に出るも、大造の易ふべからざるは、常に其の虞を失はざるなり。但





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だ歌土に在りて、宗教の信念、漸くにして壊頚に就くと共に、謂ふ倫理
の己むべからざるや荒唐の紳畢を離れて、別に立脚の地なしと謂ふこと
を得ずと、乃ち之を心理に求めて両して杜交の事は、則ち或は略せらる
れば、亦完全の辟を碍る能はず、之を杜交に求めて、而して識大の妙力
は、則ち料ることを得ざる所たれば、亦捕風の思なきを得ず。挽に近世
の畢術、史頗賓験の事、尤も確貰として尊ばるゝ所たるを以て、族制習
俗の研究、倫理の要目として櫨陳せられ、祀合寧の一科たるの観を呈し
て、之に由て倫理根原を得んと欲せるに至る、愚も亦甚しからずや0、孔
子の時に官りて、儒敦必ずしも行はれざるなり、申息田代理想の最樋は
以て見るべし、ソタヲテスの時に官りて詭耕横行す。而も聖者は則ち自
ら理想を立つること彼が如し。故に官時の理想を以て、嘗時資に行はる
、所も亦然りと云はゞ、則ち大に戻る者あらん、然れども賓際に行はる
ゝ所を信じて、其理想を減却すぺからず、之を奈何ぞ眈往の箕琴苧々を
以て、人間理想を抹殺し、倫理の標準をして、都劣の地に陥らしむぺけ
んや。夫の制法者に在りては、人間の害毒を究めて之を撲滅するを以て
主と為すが故に、人間を親て共の郡劣の極に察するを妨げず、故に法律
を畢ぶ者、往々にして其の太甚しきに驚く、夫の倫理を説く者、濁り之
に准じて人をして其の太高に贅かしむるを妨げんや。不足を墳充せんこ
とを求めて止まざるは、物情の常なり、現在賓際の不足、以て自然の必
至と為して之に要するは、是れ反て人性の必至にあらず、其の不足を填
充せんことを求むる所以、之を名けて理想と日ふ。倫理の畢、若し社曾
寧の一科として、眈往の事蹟を査定するに止めば、宜しく之をして箕践
の標準として、教育の要項とせしむぺからず、若し人問首行の標準を期
せば、宜しく爾く都劣の標準を以て、己むべからざる人間の理想を抹穀
すべからず、又宜しく妄りに宗敦と直董して、其の境域を壁め、併せて
人間の思想を狭陰局促たらしむぺからざるなり。
今時倫理の説、頗る紛転を致すを見る、又勅語の繹義、漫りて私見を加
へて、之を卑近に冷めんとする者多きを見る。窃に深慨あり、柳か鮮惑
の一端に供すと云ふ。
(明治二十七年四月三日「日本人」(第二次)第一二眈)