自殺


敷年以来、自殺する者なきにあらず、其の情痴無分別の故を以てせずし
て、其の促迫不得己の故を以てせずして、而も頗る心に二□の為ならざ
る障憂を懐き、仲々己むこと能はずして自殺する者あるも、世動もすれ
ば目するに狂凌賓心を以てし、其の身命を絶て、一心に絢ひし志に幣ふ
る者、誠に寡しとす0羞し小康二十年、塵刀の各こたび布てょり、人の
血を見ることを難かるの念大に長ず、故に自から死に赴く者を見れば、
常情の能くし難き所ならんことを料り、両して多く之を蟹心に蹄す。若
し其の賓を刻せば、自殺する者の多数、或は叉料る所に達はずして、本
気にて決死せし者少きことあらんか0然らば則ち自殺する者の喪心と、
之を議する者の以て狂蜃と為すと、皆時之をして然らしむる者あり、生
を重じ、貴任を免かれざるの風、是より或は長ぜんとするは、喜ぶぺき
者なきにあらざるも、其の論辱を甘じ、折屈に服して、一たび汗稜に虞
するや、復た人の輿に歯するなきの地に在るを自覚するも、猶自から引
決する能はずして、旦夕の生を食ぼるの卑劣、寧ろ加はること多しとせ
ざらんや0健慨赴義易、従容就死難、鍼灸簗石に攣愛せざる心を以て、
自ら引決するの際に虞し、造次麒浦、其の元を喪ふを忘れざる者あらば、
自穀者の必ずしも筍生する者より、狂態喪心として嘲らるぺきにあらざ
るなり0是に於てか武人の虚喝の如き、之を行て些にても効あるの世、
何の所由なるかを明かにす。
(明治二十五年九月五日壷細亜」第五五撃