言論の自由と国悪隠諱
書れは押る、太牢洋の波涛、別天棋が舟を載せて、東の方美の大洲を指
声‥
「亜細亜」が其の「日本人」たりし前身よりして、災厄は常に其の伴侶
たり、幽に鬼紳の崇あるや香は知らず、其の顧に官司の隕に鮪れて、縞
輯者は刑せられ、其の態行を停めらる1こと、甚だしきは牛歳にして三
同なるに至る。是に於て其の名を改め、其の言を慎しみ、かの志を杜げ
謹
障
▲悪
園
と
由
・目
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論
▲言
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情を璃むるが如きは則ち敢てせすと雄も、それ亦た鋒を欽め光を靖す所
以に於て畢ぷ所なくばあらず。奈何せん疎狂模直、有司の察する所とな
らず、其の三十六貌に至りて亦た復た免れず、命を待つこと五旬、而し
て其の問に於て重ぬるに池魚の災を以てし、縮輯員又た訴へらる、大官
小官、容を取る能はざること久し、行路の難き、古濁り然りと為さんや。
余輩が鰐停の命下るに於て、嘲か感懐を陳ぶるの素なるを免かれざるも
の、それ宣に特に余輩の為なるを以てせんや。
虞士横議は、古の以て王者の道衰へたるを歎する所、果して乱戻の象と
する乎。功利盛んにして、仁義杜がる、戦園の際然りと馬す也。然れど
も千里を遽しとせずして、諸雌園に遊説する者、かの仁義をロにし、唐
庚三代王造を言ふの豪傑のみ濁り億兆蒼生を水火に救ふを謀るにあらず
して、富園と云ひ強兵と云ひ、此を利して彼を損するの説を持して、利
線を干むるの徒と雄ども、既に富強といふ、必ずや十年生衆、十年訓煉
の備なきを得ず、而して民も亦た其の志を享く英。呂氏の子、八荒を併
呑して一となすに至り、古を詞して今を是非する者を来めて之を坑にし、
天下至て治まる英。然り而して天子巡遊、遊漁の恵に似、阿房の宮、長
城の築、絡役萬旦、子来の形あり、而も此時に首りて天下宣に潜者の七
園乳離の日より幸ならむや。民のロを整ぐ、河を垂ぐよりも甚しといふ、
渚さに傾かんとする周室の臣、興秦の宰相よりも多なる所ありし也0夫
れ是を以てか維新の政、大敦換蜃、言路を洞開して、塗滞を疏通し、覇
者植詐の跡を紹たんと期するや、必ずしも其の欧米新政淋の美を味ひざ
るの前、取て代る者、早くかの和漠の史に鑑みて、萬横公論に決するの
志を抱きし也。覇府の政、治休と稀すぺからざるにあらず、然れども連
徴を憂ひて長計を立つる者、目するに妖言を以てせられ、心を王家に寄
せて紹を磯ぎ廃を輿さんとする者、尿て乳民と為さる、技蛮に創作の力
を有し、挙術に特造の見を立つる者、皆中てらる1あり、其の恨を呑て
地に入るや、天下志士仁人、固より久しく之が為に泣けり。樺力の傾覆
して、新に興る者に資せしや、此段怨念の因る所、亦復少からざる者あ
らむ。維新の初政を観るに、其の志大にして才疎に、批膠失錯、挽に少
小ならざるを見ると錐も、乃ち夫の前執政の轍の若きは、深く嫌避する
ぁりて、創業の気象、公明森落なるを感ぜずんばあらざるなり。乃ち今
二十有五年、宿老元勅、猶は存する者あり、守成の諸公、済々たる多士、
彬々たる多材、然り而して公明森落の気象、頗ふる衰現たるを覚るが若
きは何ぞや。其の制度は日ふ、欧米の長を揮で、立憲法治の美を完うせ
んとすと、内閣大臣、夙夜秦々、思を凝らして案を立て、而して二院の
公侯貴種、曹宿碩寧、三百の代議士、承けて而して之を協賛す、箆英盛
兵。誰れか謂はんや、集曾政祀の法用ゐることあり、出版新聞、條例の
捻束あり、而して保安預成の令、又施さゞるぺからざらんとは。誰れか
謂はんや、諸相の私邸、燭光斎寂として、自首を衆むるの談、人の聴く
を許さず、在野談政の家、壁に傍ふの耳目、尤也をして吠えしめんこと
を恐る〜者あらんとは。疎狂撲直、危詫に鰯れて罪戻に陥ゐる、余輩の
若き者、強て排疏せば、自から非を蔽ふの過あらん。然れども余輩と罪
戻を倶にする者、頻々として相踵ぐ、則ち天下一に何ぞ疎狂撲直の徒多
きや。たとひ今の政府が、曳を執て覇府に克つや、昔しの戦勝者に顆す
るあり、而して其の飴威に籍て天下を力制する難きに非すとするも、眈
に欧米の長を揮で、立憲法治の美を完うせんとすといふ、之に擬するに
専制覇政を以てするは、余輩固より敢てせず。抑も今の政府が立憲制度
の邦に立て、其の言論を捻束するに客ならざる、かの創業の際、公明森
落の気象、日以て衰現たるが若きは何ぞや。
且つや政府が若き為す所を以て、若き欲する所を求むるに於て、亦た或
は木に縁りて魚を求むるに顆するを疑はすんはあらす。余輩が親しく関
する所なるを以て専ら其の新聞の制裁に就て之を言はんか。新聞雑誌の
蜃行を停止せらる1や、有司曾て其の燭件する所果して何の虞所なるを
告げず、漫然として一紙の令、以て敷旬日の閑を輿ふ、是れ何の懲る1
所、戒むる所ありて、以て後鑑となさんや。叉其の停止の命下るの日や、
概ね所停の新紙、眈に頒布出嘗せし後に在り、故にかの停止の命や、以
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て危著の文字をして衆耳目に鱗るゝなからしむるの効に於て寸竜も之な
きに近く、而して寧ろ其の効の逆生する者あるなり。孟し奇僻詭激の言、
人常に之を開くを好む、而して政府を非議するを喜ぶは、今日の通慣な
り、故に其の停止の命公に報ぜらるゝや、其の常に心を所停の新聞雑誌
に留めざる者と維も、好奇の欲動いて必ず一たぴ之を見んことを希ひ、
展縛相貸して、俸観平日よりも遍きを致す。佳語に云ふあり、俳面も三
摩と0意ふに談政の徒の裳を樹て汲を植つる者は、或は十健年の久しき
に弼る、故を以て其の現執政者と相怨仇するの情より、其の言議する所
まゝ貰に過つ者なしといふを得ず、其の覇政の下に在て、誠心囲を憂へ
王室の式微を歎じて、懐慨義に赴きし者に観るに、義利の際、志伶の高
下、同日の語にあらざるあること、何ぞ誕尉と云はんや。然れども一流
の士、清廉自ら守り、深くかの相怨仇する者を厭ふて、而して侃然中正
を持する者あり、其の熱情の至る所、危謹に鱗るゝを琴えず、刀筆の吏
乃ち復た文墨を持して之に臨み、鈎距札渾、羅織して情偶を諷薮す、一
たぴして之を甘んじ、再びして之に忍ぶ、而も三たびし、四たぴして止
まずんば、沈重なる人、責に起たざらんや。彼の起つや復た曹を避け利
に就き、巧に逃れて能とする薫汲士人一輩の若きを得ざれば、其の火も
避けざるの決心、一人の怨に甘心せず、至り極る所、易ぞ測るぺけん哉。
復讐の情は、轡性の遺物、卑むぺきに似たりと維も、其の鋳として麦に
怒り、衆の倶に讐とする所に復するや、即ち聖紳の人も易へざるなり。
疑ふら■くは政府が言論に於ける、眈に己に其の意む所に甘心するの嫌な
しとせず、然らずんば停止の効は、危筈文字の播布を過むるに足らずし
て、反て之を嬢揚するの茸あるに、猶ほ之を罪して之を罪する所以を公
けにせず、其の過ちに懲る1の追あらずして、其の困めに賓ましめんと
す○政府大臣固より一代の豪俊、斯の都劣の心なきや必せりと維も、旨
を承けて意を迎ふる者、増大して毒を倍せば、困めらる1者の不幸は則
ち安くにか之を訴へて其の沸鬱を洩らさんや。勢の必ず到る所、其の到
る者を沓めて、而して其の之を蜃する者を舎く、牡曾の公徳、未だ斯の
如く彼に厳にして此に寛ならざるなり。
更に言ふぺき者あり0外囲新聞紙、往々我が事情を黍くして、具さに其
の醜意を記する者ありr其の外人の知るを得ぺき所にあらざるを以て、
筆する者の必ず同胞に在らんことを意ふ、孟し官れりとす。犬れ囲意を
障謹するは、圃民の祀なり、義務なり、今や公然之を外邦の公刊紙上に
暴露して悍らず、噴夫れ何の心ぞや0夫れ我か今日、圃家の饗償、未だ
欧米諸邦に揚れりと謂ふぺからず、欧米臨慢の白人、或は絶東に此の帝
圃あるを記せず、偶々記する者は、以て支郡の一州となす者あり、露儲
皇の攣俳囲の新開は欒を俸へて之を圃静するや、我が家星服装、皆支
那人の様に依る者あり、歴遊の徒、或は風土の概を記する、其の之を美
とする者すら、間々紳仙譜中珍異の想像を以て之に附曾するを免れず、
之を醜とする者は、未開轡族を以て之を過す、彼れ此等の著に捷りて奇
怪の想像を遣しうす、其の傭然たる帝囲、土地戸ロ、優に欧米大圃に歯
すぺき者を以て、條約改正の成らざる二十年、それ因る所なしとせんや。
萄くも外邦の文字を作すの能あらん者、其の圃家の為に轟捧して圃の書
美を揚ぐるに之れ追あらざるぺし、而して今則ち敢て其の能を利して、
囲の不利を魚し、外人の軽侮を益す所以を致す、噴夫れ何の心ぞや。議
者日く、是も亦た整く者罪ありと、其言に日く、圃悪壁辞の徳を導く道
あり、囲内の言論を自由にする是のみ、大に外に洩るゝ者は、大に内に
轟く者あればなりと0昔しは馬場辰猪の若きあり、其の英圃に在るや、
條約の改正せられざる、囲樺の伸びざるを慨し、仲々の心自ら禁ぜず、
一介の書生を以て、敢て書を裁して英園代議院に訴ふる所あり、彼れ其
の情に於て何ぞ曾て一日も圃家を忘れんや。然り而して其の他年米合衆
囲に遊ぶや、則ち公然と囲家の醜悪を演説して謹まず、之が為に切歯し
て其肉を敢はんとする者、濁り官路有司の徒といふのみならず、志士仁
人なる者も亦た羞し其の太甚しきを非れり。排する者以て彼れ深く慮り
大に思ふ所あり、以て郷園に不利なるを固る者に非ずと馬す、鳥場其人
を以てすれば、それ又或は然るあらん0然れども其人をして馬湯氏に非
れ
執
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義
主
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杜
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ず、狙h慣怨仇の席衆人一輩ならしむとも、彼れ若し其の郷園に在て、一
日正義の馬に義すの志を抱き、事心と達ひ、動いて而して各めらる、乃
ち迫風捕影の流説の故を以て、罪なくして繋囚せられ、地を室するも勢
入るべからざるの牢に入り、木を別るも義封すべからざるの更に封す、
獄吏を見れば則ち頭地を捨き、徒隷を見れば則ち心暢息す、馬遽の俊邁
にして、直情乃ち爾か云ふ。燈鮎するを許さゞるの室、暮るれば則ち閤
黒、心緒纏はれ易くして、中夜夢屡々驚き、会薄うして睡復た成らず、
或るときは月光窓辞を漏れて、蒼うして顔色を照し、或るときは鮎滴櫓
端に連りて、渇ひ肌膚に徹る、強て暗涙を呑て、志を属まして気を充て、
僅に塞熱を凌で、饅を撫て骨の出るを知る。之を同胞に訴へんか、訴ふ
るの辞、叉撃綱を醸す。鳴呼其の免れて而して禁縛なきの地に入るや、
社日を迫懐して、一たび快意を取る所以を思ふ者、伍子背が屍を鞭つの
戻行、常情の恕する所、正人君子、義之を嗅るの眼ありと錐、宣に箇の
底に一鮎涙なきを得んや。聞かずや、露園の悪徒、英彿の都に潜匿し、
愛蘭の破壊薫、米圃に逃筑し、其の本囲に在る者と相應援して、以て兇
険の謀を達しうすと、日本園民の閲硲爽快にして温厚浮良なる、決して
凶猥此の樋に至ること英きは、是れ茸に幸となすへし。幸を導いて更に
大幸となす、今の為す所を反して、言論の自由を撰張す、今の政府、そ
れ之を難りて遽に為さゞらんか、而して辛を樽じて不幸と為す、それ之
を易しとして今の為す所に従はんか。
(明治二十五年五月二日「亜細亜」第三七競)