政事家の資格


政事は社会一部の人の専有物にあらずして、国人一般其業の何たるを問
はず、其身位の如何を論ぜず、皆な之を知り得ぺく又之を知るを要す、
然れども政事家と称するものに至ては、或る点に於て之を一の職業と云
ふも可なり、政事家は一個の職業なり、凡百の職業には必らず之に適す
る資格なかる可からざるが如く、政事家も亦政事家たるの資格なかる可
からず。苟も其資質なきときは真個の政事家と言ふを得ざるは、猶ほ手
藝家にして巧致に乏しく商估にして機に投ずるの智略なく、軍人にして
折衝の勇なきが如きなり。
政事家は一個の技術なり。凡百の技術には必ず之に要する経験なかる可
らざるが如く、政事家も亦政事家たるに足るの経験なかる可らず。苟も
其経験なきときは真個の政事家と言ふを得ざるは猶ほ医師にして病を治
するの方に暗く海員にして風水の変航路の形情を知らざるが如し。
人間社会は道理を行ふの社会なりと雖も、人は常に事情に制せらるゝが
為め、同一の理を以て同一の事に施すこと能はず。今夫医師にして薬剤
を誤用したるが為め病者を死に致したるときは、法官之を按ずるに殺人
罪を以てし、海員にして航路に熟せざるの故を以て其の船を岩礁に触れ
之を破壊せしめたるときは、海員裁判之を罰せざることなし、而して其
理由とする所を聴くに、不熟練の医師及海員をして其業を執らしむるは
社会公衆に及ぼす禍害大なるを以てなりと、而して世人も亦之を怪まず。
誤つて一人を殺し一船を壊る既に斯の如し、誤つて一国を害し千万の蒼
生を流離転沛の間に窮死せしむるが如き
其禍如何にぞや。然るに世人之
を咎むる医師海員の如く甚しからずして、且医師海員の如く之を罸する
の法庭なきは何ぞや是単に勢同しからざるに由るなり。勢同からずして
理は則一なり豈思はざる可んや。

扨政事家に要するの資格如何と言ふに、気力才略徳義の三者なりと
す。「コント」氏は智仁勇三者の兼備を以て人生の大道となせり、蓋し
智以て之れを謀り、仁以て之を行ひ、勇以て之れを断ずるを言ふなり。
吾輩は気力、才畧、徳義の三者を以て政事家の本色とせんとするものな
り。蓋し政事家たるもの気力なければ則ち衆論を排して以て其の持説を
断行するの勇なく、首鼠両端以て曖昧摸稜の間に事を了せんと欲す。是
れを以て其令する所一ならず其執る所常に同じからずして、朝令暮改人
をして安堵する能ざらしめ而して己は則衆論を行ふの一器械たるに過ぎ
ず。抑々吾輩が政事家を信ずるは其人を信ずるに非らずして、其主義を
信ずるなり。其主義既に信ずるに足らざれば吾輩は将た何をか信じ、何
をか貴ばんや。
故に吾輩は気力を以て政事家の一資格とせざるを得ざる
なり。然れども共有する所の気力をして政治上有用の効力を現ぜしめん
とするには、機に臨み変に処するの略なかる可らず。想ふに政治は術な
り、学に非ざるなり、故に同一の方法は必ず常に其功を奏するものに非
らず、時宜に応じ或は甲の手段を用ひ或は乙の手段を用ひ或は先或は後、
勢に乗じて以て其目的を達するの工夫なかる可らず。若大其変通に暗く
常に同一の方法を用ひ、時勢の如何に関せず、強ひて其主義を行はん
とするは、前路の障害日に多きを加ふるに止り、到底其主義を行ふ能
はざるぺし。政事家にして其主義を行ふ能はざるものは空談徒論の人の
み、豈之を目して政事家と言ふを得んや。政治家たるもの既に此の二個
の資質を備へ、其主義を貰行するの地に立つも、之を行ふに誠心誠意を
以てし一身国に許すの覚悟なかる可らず。自己の地位を奇貨とし、商估
と利を分ち、小人と慾を共にし、社会に対する公徳の何物たるを顧みざ
るが如きは古人の所謂豺狼富塗なるものにして其弊や実に言ふべからざ
るものあり。
斯くの如きは決して権力を托すべき政事家に非ず、既に権
力を托す可らざるときは吾輩が政事家として待つぺき所の人に非ざるな
り。
次に政治家の経験に就て之を言はゞ、政事家は必ず社会の現象に明かに
民度の如何を詳かにし一法を制し一律を定むるに当り其法律の及ぽす効
果と民度の能く之に堪ゆるや否とを算定し、其行はんとする所の者は人
民の経済に影響する所なくして必ず行はるゝの方法手段に熟せざる可ら
ず。若夫れ然らずして社会の現象に暗く、民度の如何を詳かにせず或は
一小害を除かんと欲して、反つて一大害を醸し、或は律文の完備を欲し
て反つて其煩に失し人民をして費用の多きに苦ましむるを顧みざるとき
は其の制定する所は文具に非ざれば則煩密行ふ可らざる所のものたり。
政事家は其制定する所の法律遂に実用を為さゞると実際の不便少からざ
るとを見て、更に改正増補を為し、一法の出づるや一改正必ず之れに伴
はざることなきは各国政府の通観なり。故に各国政府の事務の過半は旧
法の修正に要するものなりと言ふも敢て過言に非ざるべし。夫英国は世
の所謂着実の国柄なり然れども千八百七十年より同七十二年に至る三年
間にして旧法を改正すること三千五百三十二にして内二千七百五十九は
全く廃棄せられたるものとす又其廃せらるゝや新法中に包括せると事情
の変動により不用に属したるものありと雖も、大半は実行し難きを以て
廃せられたるものと言ふ。是政事家に経験なきの致す所にして、此無用
の法律を制定したるが為め政府と人民と其失ふ所の労費幾千なるを知ら
ざるなり。英国既に然り其他は固より論なし。然らば則何を以て此欠点
を補はん乎、亦慎重の二字あらんのみ。政事家に要する所の資格斯くの
如し、而して当今我が国の如き時に当りて最も要する所は徳義と慎重の
二つ是れなり。蓋し立憲の秩序既に走り輿論能く政事家を左右するの国
に在りては、外部の刺激強きが故に政事家の専横を容るゝの地なしと雖
も、我が当今の勢の如きは全く之に反せり苟くも政事家の徳義と慎重と
に頼るに非ざれば一国の隆盛を計り国民の幸福を進むること決して期す
べからざるなり。
                 (明治二十一年五月二十三日「東京電報」)