無音の声


民の声は必すしも音あるにあらす、音あるもの亦た必すしも民の声にあ
らす、故に新聞星の口調は新聞屋の餐に過きす、演説屋の僕舌は演説屋
 の饗に過きす、政某の論旨は是れ唯た政真の饗にして、政府の議案は是
 れ唯た政府の饗に外ならす、彼れ皆な音ありて開くへし、而れども民の
 饗にはあらさるなり、民の饗は時に無音なり、故に至人は之を無音に開
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 人皆な法律の制裁といふ、而して法律の制裁は竃も厳密なるを見す、人
 皆な徳義の制裁といふ、而して徳義の制裁は宅も効験あるを見す、国家
 の紀網と祀曾の秩序とは反て法律及徳義の談論に因て乳る、是れ平和な
 る無道時代にあらすや。
 徳義固より道々り、法律亦た造ならすんばあらす、而して人々皆な法律
 及ひ徳義をロにしつ1世は益ミ無道の世と為れり、其の原因は何くに在
 るか、宗教若し無上の威樺を有すへきの園ならば其れ罪を僧侶に辟せん、


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 然らすんば罪は国柄を握る者に在りと謂ふへし、無道の世は西人之をア
 ナルキーといふ、アナルキーなるものは元と制裁なきの妖を指す、今や
 制裁なきに非らす、制裁宅も正常を得す、是れ制裁なきよりも甚し、罪
 は誰にか在る、日く政府に在り。
 政府が法律に心を用ふるや久し、官民の植義を憲法に因りて説くや久し、
 然りと錐とも所謂る樺義は唯た杢論のみ、特に内外人民の際に貌よ、内
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 民に向ひては唯た義務を命すること甚た厳にして、外人に付ては殆ど義
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 務なきの権利を輿へて顧みす、彼等は法に達ひ税を納むるの義務を負は
 すして、種々の権利をば我政府より恵興せらる1にあらすや。
 政府は教育に付き、頻に徳育といふを奨め、所謂る忠君愛国より廉祉祀
 譲をば教育に組込む、蓋し徳育に係る勅諭は政府を促して此に至らしめ
 たるか、然りと雄も政府は徳育を教育の道具とするに止る、大臣有司は
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 能く徳義の範囲に入ることあるか、官吏に私曲あるも未た明白の制裁を
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 受けたるあらす、斯の如くなれば杜合の秩序は何に因りて保たるへきや、
 甚しきは私曲ある者反つて権門に容れらる1の状あり、是れ殆ど悪徳を
 奨励するに均し。
 法律及徳義の制裁なきは無道の世なり、制裁ありと錐ども厳密且公平な
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 らざれば制裁なきよりも反て無道の甚しきを見る、今や此の制裁は外人
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 と官吏とに向ひ殆ど噴廃するの状なきか、條約ありと錐ども規則ありと
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 錐ども皆な杢文に属して行はれず、両して政府の徒は往々に⊥て国権又
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 は官紀といふを其の口より唱ふるが如し、甚だ奇怪なり。
 外人の践底あるも政府は之を獣現し、官吏の私曲あるも政府は之を札正
 する無し、斯の如くなれば人民たる者誰か政府の威信を悼む者あらんや、
 人民は政府の威信を悼まず此を以て政令を挙げて無道に赴き、遂に無道
 の世と為らざるを得ず。
 今や人民は他の事を憂ふるに追あらず、唯だ世の無道を憂ふるのみ、一
 町村は一町村の無道を憂へ、一市一郡は一市一郡の無道を憂へ、一地方
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 は一地方の無道を憂ふ、此の憂や賓に青も無き饗と為りて融合の裳膚に

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存在するを見る、思ふに人民自らも此の無音の馨の存在を知らざるへし、
而して賓に存在す、故に年は豊かなりと維とも民に喜色あらす。
今日に在り、政府は固より感覚なけん、何となれば彼れ多年の方針は毎
 に法律及徳義の制裁をして賓用を滅せしめつ1来るものなり、政府は斯
る無道の世を硯て唯た罪を人民に負はしむるの方針を取れり、而して政
府の目より見れば議員亦た罪人ならん、然らは議員たる者は宜しく此の
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無音の饗を代表して責任の何れに辟する乎を議定すへきなり。
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本期の義禽には多きを求めす、唯此の無音の饗を代表して医済の策を議
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定するあるのみ、思ふに議員諸氏亦た偶然にも此の無音の饗に喚起せら
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 れけん、條約履行の論と及ひ大の官紀振粛の議は、目下の問題と為りて
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 将に議曾に入らんとす、問題固より汎漠なりとは維とも、其の裏自ら制
 勺 勺 勺 勺 勺
裁力の弛塵を認めたる澄あり、是れ新開星演説星の饗にあらす又た政薫
 政府の聾にもあらす、賓に目下に於ける民の饗なり、無音の饗の一韓し
 て有音の馨と為れるものなり。
                 (明治二十六年十一月二十日「日本」)