国 是 談
                   
     《帝国主義軍国主義の価値


                                
国は絶対的に存ずべき無きが如く、国是も亦た絶対的に定むべき無し
世人は往々にして絶対に国是を認むるが如きありと雖ども、は国是に
あらずして恐らくは国の目的ならん。斯民をして其の慶福を享けしめ其
の智徳を開かしめ尚ほ世界人類の進歩に貢献せしめんといふが如きは、
是れ即ち国の目的たるべく、文明諸国の理想は皆な然らざる莫し。所謂
る国是は此の目的を達する手段の大綱ともいふべく
即ち其の周囲の事
情と其の時代の形勢とに従ひ
暫く定まりて率由せらるゝものなり。是
の故に明治年間に在りても、国是は前後必ずしも相ひ同じきを得ず。
近年の政府が称して国是と曰ふものは例の開国進取なりと雖ども、已に
開国したる上は復た鎖港すべき無く、己に進取しつゝあれば何ぞ退守
を許さんや、此の四字を以て国是と為すの時代は則ち去れり。戦勝後の
政界は帝国の膨脹を叫び、戦後の経営は軍備拡張を意味す
然らば則ち
今の視て以て国是と為す所は帝国主義寧ろ軍国主義に在りとも謂つ可き

帝国主義(インペリアリズム)といふは英人の流行語にして、英国人種を以て世界を支配せん
との意義を有し、今日の南阿征伐亦た此の主義の一端なり。我が邦人間
に入りては此の意義稍々変じ、今は唯だ帝国版図の拡大といふに過ぎず
して、即ち拓疆主義といふに同じ。此の主義と形影の関係を作して相ひ
伴ふものは軍国主義(ミリタリズム)にして、這は寧ろ独逸若しくは露西亜に範を取る。
軍国主義は形にして帝国主義は其の影なり、而かも世人は唯だ影を視て
其の実体たる形の如何を視る無きに似たり。是を以て議院の多数が毎に
帝国主義てふものを叫びつゝ
政府の提出する予算を協賛し以て版図
の拡大を期望したりしかども
版図の拡大は真に現実なるを得ずして唯
た軍備の徒に拡大するあるのみ
。軍備の拡大は是れ軍国主義の実行に過
ぎず。軍国主義の実行を視て直ちに帝国主義の実行と為すことは固より
大誤見なり、而かも政府は努めて世人をして此の大誤見に陥いらしめん
ことを欲す。以為らく、軍備の拡張は我が国是の為めに已むを得ざるな
り、軍備の拡張に反対するは是れ即ち国是を沮格するものなり、其の罪
は売国に同じと。此に於て世人は軍備の拡張を観て版図の拡大と做し、
一旅団の増設あり一軍艦の新造ありと聞くときは、此を以て直ちに国力
の強を加へ国土の大を加へたるものと為すに似たり。殊に知らず、是れ
唯だ軍国主義の増進にして帝国主義と見ゆるは其の影法師たるに過ぎざ
ることを。現に台湾島澎湖島の事に見るも年々一千与万円の費用重も
に軍国主義の為にするもの
其の帝国主義の方面は未だ成功せず
夫れ今の国是は称して帝国主義に在りと曰ふ、帝国主義とは版図の拡大
を意味すとせば、是れ亦た今日の国情に於て万全と謂ひ難し。然りと雖
ども、人口の増殖は移住を必要とし、工業の発達は販路の開拓を必要と
する転に於て、必ずしも非難す可きにあらず。如何にせん、今の所謂る
帝国主義は寧ろ軍国主義に傾くものありて国是も亦た軍国主義に在るこ
とを。国是己に此に在りとせば、百般の政務も亦た軍事に重きを置きて
決行せらるゝことは自然なり。故に国是の談は頗る空談に似たりと雖ど
も、此の談にして尽きざる間は他の庶政務亦た容易に決す可らず。抑も
軍国主義を理論上より把持する者は
毎に戦争不可已と尚武励風俗との
説を作す
然りと雖ども戦争の減少と軍人の腐敗とは事実上之を證明
するあるに非ずや
。加之、人道の大原則は干戈を廃するに在りて、帝王
の道は殺戮を止むるに在ること、古今に亙り万国に通じて易ふ可らざる
の理論なり。理論としての軍国主義は初より成立すべきにあらざること
如此、唯だ実際上より立言する者は稍々説を得ん。曰く列国の軍備曰く
支那の分崩曰く露国の侵略、此の数項は我が国四囲の実勢として毎に挙
示せらるゝが如し。然りと雖ども、列国の軍備は今日に始まらず所謂
る武的平和は三十年前の欧州に始まりて
今や方さに其の弊に泣く
那の分崩に至りては
寧ろ自然の数にして之れが為に必要とする用意は
寧ろ軍備以外に多し
。次に列国の支那に対する事業を見るも、軍国主義
を国是とせざる英吉利は最も成功しつゝあるにあらずや。然らば、我が
政界の今や軍国主義を以て国是と為すの事由は其れ唯だ露西亜の侵略に
対すといふに在らんか。此の点に付きては吾輩屡々卑見を述べ、尚ほ言
ふべきものあるも、二三言の以て尽くすべき所にあらず。
要するに、国是は何くにか在るといへば、戦後の政界は国の膨脹を叫び
つゝ、何時の間にか知らず識らずの間に「軍国主義」を国是と認めざる
可らずなりぬ、是れ国の福なる乎。国是は絶対的に定まるものにあらざ
ること固より論なし、周囲の事情と時代の形勢とは国是を定むるの要件
なれども、内部の情形亦た以て考量せざる可らず。今ま仮りに軍国主義
を国是とする対露上已むべからずとするも、内部の情形に対して現に何
等の結果を示しつゝある乎。偶ゝ客と国是の談に及びて感ずる所あり、
其要を記すのみ。
                     (明治三十三年三月六日「日本」)