国家的社会主義
(一)
標題として掲げた此新熟語は言ふ迄もなく欧語の直訳に過ぎざるなり。
社会主義といふ熟語の吾国に行はるゝや旧し、而かも此主義は殆ど破壊
主義と同じく吾国に忌み嫌らはるゝ亦た久し。曩に新聞紙条例の改正を
議するに当り、内閣大臣中或は発行禁停の将来猶ほ必要なるを主張して
其の理由に、政事上の言論は最早や自由にするも善し但だ将来若し社会
主義を唱ふる者ありもせば之を如何にせん、との一言ありしとは世間の
伝ふる所なり。知るぺし社会主義の吾国政事家に誤解せらるゝの甚だ深
きことを。然れども、今の在朝者が動もすれば口にする夫の『国家』て
ふものは或る点に於て是れ直ちに社会主義なり。彼等は現に社会主義を
実行しつゝあるに非ずや。
本期の議会に提出し又は提出せんとする政府案の中に社会主義と相ひ合
する者一二に止まらず、否な、寧ろ欧州に在りて社会主義に促されたる
制度は今や漸く吾が政府の摸擬する所と為れり。夫の産業組合法の如き
農工銀行法の如き、皆な小資本家又は小鼻業家に生産の便宜を与へんと
の目的に外ならず。目下其の筋の調査中に係るといふ保険業取締法の如
き夫れ亦た薄資者の為めに危険を防ぐに在らんか。前週の提出に係れる
夫の警察監視法の如きは恆産恆心なきの徒を誘ひて良民たらしめんとす
るの立法なりといふ。此等は何づれも皆な社会主義の実行に近きものに
して現政府の自から提出する所、而して当局者猶ほ社会主義といふを聞
くことを忌む乎、是れ未だ深く究めざるに坐す。吾輩をして猶予なく言
はしめなば、国家なるもの本と社会主義の為に存立する最高の機関なり、
克く社会主義を行ふものは克く国家を保つもの吾輩の所謂る国家的社会
主義は即ち然り。
生人の初は国家なきなり、強者は無限の自由を逞うすと同時に弱者は無
限の不自由に死す。此の時に当りて宗教なるもの出でて以て僅に此の禍
を弛む。既にして漸く学術を知るや、宗教漸く其の勢力を失ひ、富者は
驕りて貪り、貧者は羨みて怨み、怨む者は益々圧せられて貪る者は益々
強し。強者乃ち権力を握る、此に於てか国家なるもの其の形式を現はす、
雅典のデマゴヂー、羅馬のセザリズム、是れ皆な前世紀迄に於ける欧州
の国家主義の典型なり、吾が国家亦た其の類に在りと云ふぺきなり。幸
にして薩長閥族皆な凡庸の材なるに由り、唯だ無事を是れ謀りて甚しき
後患を社会に遺さゞりしと雖ども、凡庸の脳髄には初より理想なし、従
つて隠微の間に人心を腐敗せしめ、国家主義の名の下に無道の階級を造
り出せり。
立憲政治は本と個人の自由を担保するに在り、されど同時に平等をも認
めざるべからず。憲法は日本臣民を同一視して之れが権利自由を担保す
と雖ども、選挙権に至れば則ち財産及門地を以て之を区別する是れ亦た
一の便法たるのみ。然りと雖ども、爵位ある者には財産を与へ財産ある
者には爵位を与へ以て故らに階級を人造するは国家としての職分に背く
ものなり、極言すれほ是れ社会主義の発動を誘起するなり。人生まれて
各々其能力を異にす、能力の差別は是れ人類社会の中に於ける不平等の
原因たるや自然のみ。此の自然の状態に放任するあらん乎、刑法民法の
以て克く治安を維持するありと雖ども、治安の中に不平等は自ら増進し
弱肉強食は平和の間に行はれん。況んや吾が国家は自然の状態に放任す
るの自由主義にあらずして反つて人馬的に不平等を増進せしむるをや、
其の弊たる復た多言を費して説明するの必要なし。
国家的社会主義は国家をして社会経済の弊を匡救せしむといふに在り。
国家の本分は唯だ中外の治安を保つに在るのみ社会経済は宜しく之を個
人に放任すぺしといふ者是れ所謂る自由論派なり、国家的社会主義は正
しく之と相反す。藩閥政事家等は此の主義より干渉的部分を抽き取りて
以て国家主義と名づけ、大の自由論派と対戦するの武器と為すや久し。
即ち社会経済に干渉するの一点を見れば、彼等の所謂る国家主義てふも
のは国家的社会主義に類すと雖ども、干渉其事の目的は全く相反す。藩
閥党の『国家主義』は軍人官吏貴族富豪の利益を保護する為めに干渉を
旨とするも、吾輩が爰に叙する所の『国家的社会主義』は之に反して弱
肉強食の状態を匡済するに在り。藩閥党が社会主義に近き諸法案を提出
するは殆ど無意識の所為に似たるも吾輩を以て之を見れば、斯る堤案は
社会主義の代表ともいふぺきものにして頗る注目の価値を有す。社会主
義は豈に破壊主義ならんや、目して破壊主義と曰ふ者は本と耳食の誤謬
より来るのみ。
(二)
国家的社会主義は『国家』といへるものゝ宜しく抱懐すぺき本来の主義
なり、されど今の藩閥党が口にする所の『国家主義』とは全く其の目的
を異にす。国家的社会主義は社会経済に免れ難き生存の不平等を制限す
るに在りと雖ども、吾が邦人の耳食する『共産主義』又は露国に有りと
いふ『虚無党』の主義とは、固より同一視すべきものにはあらず。凡そ
社会一般の禍福は貧富貴賤の別を問はず各々分に応じて均しく其責任を
負ふ。一夫耕さゞれば国其の飢を受け一婦織らざれば国其の寒を承くて
ふ古語は、社会の連帯責任を説明するものにして、国家的社会主義の基
礎亦た此に在り。是の故に游惰の民を強ひて業に就かしめ貧窮の民を護
して堵に安せしめ不具亡恃の民を救ひて生存を遂げしむる、是れ本と家
庭又は郷閭の当さに務むぺき所なりと雖ども国家亦た間接に之を為すの
義務あり。
凡そ社会の事は公私互に相ひ済くふ。国家之を為してある者は個人之
を為すと同時に、個人の力及ばざる者は国家乃ち之に当る、教育又は
救の如きものは盖し其の類なりとす。盖し個人の力は限あり国家亦た万
能のものにあらざれば、尽く之を国家に委すぺからざるが如く又た尽く
之を個人に委すぺからず。社会経済の放任を尚ぶの説は時代及土地の異
同を通じて行はるぺきにあらざるなり。所謂る『国家教育』てふ説は国
家の強制を以て社会の教育を為すの謂なり、欧州大陸に倣へる吾が教育
社会は之を是認す。是れ亦た国家的社会主義の一実行にして、自由主義
を取ると自ら称する輩と雖ども今日に至る迄未だ反対する者あるを聞か
ず、是れ国家的融合主義の勝利なり。
夫れ教育は家庭の力を以て奨励するに難からず、現に今日私立に係る普
通教育の存するは其の一證にあらざる乎、而かも教育社会は国家の干渉
を俟ちて以て反つて便なりと為せり。然らば個人の力最も及び難き大の
救事業は国家之を後見する固より其の所なり、然れども救事業は其
の目的の格段なるに因りて国家未だ教育の如くに干与せず、世人亦た未
だ国家の後見を俟たずして此の事業に着手する多し。独り之あるは本期
に於て衆議院に提出せられたる救貧法案を以て然りと為す、該法案は進
歩党の議員大竹貫一氏の提出に係り国民協会の議員元田肇氏之に賛す、
案の大意は特別の救貧税を新に設けて国の貧民を救せんといふに在る
が如し。国家的社会主義より言へば該案固より其の大旨に合すといふべ
きも、直接の救貧は国家之を為すよりは寧ろ個人に於てするに如かじ。
此の点に於ては西洋の識者亦た説あり。
街上裸体の乞食に若干を施与したりとて国家の義務は尽されたりと
言へず、国家は人民に相当の衣食を附して健康に害なきだけの生活
を与へざるぺからざるなり、(モンテスキユー)
健康なる労働者には職業を与へ不具なる者をば救すること是れ国
の義務なり、(シヤブリヱー)
公の救は神聖なる公債の消還なり、社会は不幸なる民に職業を与
へ又は生活を安くして以て其の負債を払はざるぺからず、(コンワンシヨン)
社会主義の最も旧きものは盖し此の如き説より来るが如し。人固より生
活の権利あり、或る者は錦衣玉食猶ほ余りありて或る者は則ち飢寒に泣
く、同一の社会に於て豈に斯の如きあるぺけんや。然りと雖も、人の貧
窮は必ずしも無産に原因せずして多くは不働に原因するあり、傾怠働か
ずして窮する者は国家之を救するの義務なきなり。宗教と政治との分
離して国家と個人との関係は世の討究する所と為りしより、所謂る社会
主義と雖ども国家をして直接に常時に貧民を救せしむるの事を是認せ
ずなりぬ。国家的社会主義は天変地異飢饉疾疫等凡そ非常の場合の救
を必要とするも常時に於ける貧民窮氓を直接に救ふことは之を親族又は
郷党に委す。而して法制を設けて間接に此等の救育事業を奨励すること
は、是れ正に国家的社会主義の本領なり。
然りと雖ども今日は経済社会新に一種の禍害を現せんとするの事実あり。
製造器機及び変通機関の進歩に因りて労役の報酬は大に減じ甚だしき労
役の需用さへ昔日の如く繁からず、加之ならず、新開拓の土地より廉価
の農産は輸入せられて、農民亦た利益を失ひ其の稼穡の艱難に相当する
の報酬を得ず。此の文明的飢饉は欧州近年の新禍害にして、今や漸く将
に我が東洋にも伝染し来らんとす。国家若し飢饉等の禍害に際して窮民
を救ふの義務あらば此の文明的飢饉に於て其の義務なしといふ可からず。
(三)
救貧法案の如き、救貧税法案の如き、皆な国家的社会主義を隠約の間に
感得して出でたるもの、猶ほ夫の政府の提案たる産業組合法案又は農工
銀行法案の如きなり。思ふに、閣臣又は議員の之を提出したるは自ら別
に其の事由あるぺしと雖ども、所謂る戦後の大経営てふ軍備拡張案と同
時に出でたる所以は、亦た奇妙の因縁といふぺき乎。欧州の社会主義者
クローヂオジヤンネ氏は経済社会の困難の一原因として軍備費膨脹の事
を説き、曰へるあり。
凡そ人々の活動は其の労役又は其の資本を以て為し得たる生産及功
用の交換に外ならず。経済の法則によれば、生産力に応ずる生産の
一部は必ず生産者の有に帰すること自然なり。此の法則は或る政事
の為めに全紊乱せられつゝあり、若しも社会に於て国家の債主た
る者非常に多きを致すときは、其債主は労役者の生産を奪ひ去るこ
と頗る多く、而して此の奪はれたる生産は何物と交換せらるぺき
乎、唯だ債主たるの功用是れのみ、此の功用は何の生産力をも生せ
ず。
国家の負債は二種に区別せらるぺし。鉄道敷設港湾築造又は運河開
鑿など即ち公共の道具を造る為めの資本と為りたる者は、個人の労
役及資本に生産力を増進して明白に社会の歳入を加ふぺし。然れど
も国債の中此の部分に投入せられたるものは僅に其の一小部分のみ。
大部分は皆な軍備費に使用せられ、従つて政府に引上げられたる此
の貯金は復た社会に生産力を有せず。
八十法の五分利付公債は十年にして四十法の利子を得、而して百二
十法と為り、大凡そ三分の一の増加なり。此の利益を得る為めに数
多の投機者は唯だ一時払込の労を執りしのみ。此年期間に於て他の
労役者は如何。利金に対する利子は納税以て之を払ひ、納税の結果
は物価の騰貴と為り生活の困難と為るに終はる。
莫大の公債及莫大の軍隊ある国の労役者は、其の労役を以て受くぺ
きものを受けずして大部分は国庫に吸収せらる。社会党は全く現社
会の此弱点を捕らへて云為するなり。
此の一節は五年前の著書より抄録する所、固より珍奇の説にもあらず。
唯だ社会主義の由りて以て有道たる所の事證とせば頗る時勢に切なるも
のあり。吾が明治三十年度の予算は二億四千万円にして其の大部分は社
会経済の公具を造るにあらず、所謂る軍備大拡張の費用其の大半を占む。
此の案の将に実行せられんとするに際して政府は産業組合法案の如きを
出し、一方に議院は救貧法案の如きを提す。国家的社会主義は立法に於
ても財政に於ても成るべく中産以下の経済に便を与ふるに在り。今ま右
手に莫大の公債軍隊を容れて左手に中産以下の経済の便を図る、恰も社
会主義の発動を促しつゝ同時に予め之れが備を為すに似たり。事皆な偶
然に出づと雖ども、吾輩をして国家的社会主義を説かしむるには頗る好
機たり。
国家的社会主義は欧州に在りて本と社会経済の現状を改良するが為に出
づ、最も狭義に解するときは労役社会の治安を保つが為に出づ。世人の
知るが如く労役社会の問題は近年に於ける欧州大陸の大問題にして、此
の問題に解決を与へん為めに、宗教家は宗務を以て之を匡済せんと擬す、
基督社会主義は是れ。哲学者は人道の上より現社会の不完全を説き、著
述を以て之を論断せんと欲す、所謂る講壇社会主義の如き然り。最近に
至りては政事家亦た此の問題を実際に解決せんと欲して爰に国家的社会
主義を現ず。国家的社会主義の世に現はれたるより僅に二十年に過ぎず、
理設は本と独澳の間より起り、実行亦た独相ビスマルク公の断に始まる、
所謂る『強制保険制度』の如きは盖し国家的社会主義の事実と為れるも
の乎。
夫れ社会主義は特に労役問題の為めに起れるもの、社会経済の全般には
始より関係なし、況んや社会各般の事に関してをや。然りと雖ども此の
主義は自ら不易の一真理を含有する無きに非ざるなり。社会の秩序及進
歩に関し一個人に任して望なき者又は一個人に委して害ある者は国家に
之を委任す。国家的社会主義は此の点に於て不易の真理を有すといふぺ
し。所謂る国家は政府と議会とを合せて活動するものとすれば、此の真
理の実行は今日の如き政府及議会にては容易に望むぺからず。澳国の政
事家シエツフレ氏は此の点に於て理想を描き曰く、『社会の整理者は意
識あり統一あり勢威ある公平のものたるを要す』、国家的社会主義の神
髄は盖し此に在らん乎。
(四)
欧州に於ける社会主義は資本家に対する労役者の苦情より興れるもの、
今ま吾が国の経済社会を見るに未だ斯る苦情の甚しきものあらざるのみ
ならず、反つて労役者に対する資本家の苦情あり。大阪の紡績業者等は
職工の他方へ転就することを愁訴して、曩に鐘淵紡績会社が職工を誘引
するに対し、一場の大紛議を起したるが如きは、欧州の事情に此すれば
正反対の現象なりといふぺし。今や職工条例の起草ありといふは寧ろ事
業主の苦情を聴きて労役者の放恣を取締るが為めの談にはあらざる乎。
夫れ既に職工条例の如きを設けて事業主の苦情を療するに充つるときは、
労役者は則ち転就の自由を失ひて、次には事業主に対する苦情を此の輩
より起すに至るや自然のみ。此に於てか社会主義は吾が国にも亦た正常
成せらるゝに至らん。
之を要するに、苦情は資本主より興るも労役者より生ずるも社会に於け
る貧富の紛争たることは則ち以て異なる無し。社会主義は欧州に於て彼
の如き事情に起因するといふも、起因の如何に拘らず資本家と労役者と
の紛争を匡済するは此主義の任務なり。然らば今日吾国の事情彼と相反
するも、既に両者間の紛争ありし以上は是れ堅氷を見るに先たちて吾人
が履む所の降霜といはざるぺからず。況んや社会主義は独り経済上の問
題とのみ視るべからずして、政治上に渉るの問題たるに於てをや。社会
若し経済一方の生存物ならば貧富の懸絶を経済進歩の因果として之れを
放任する亦た妨げなしと雖も、貧民の増加は社会の佳象にあらずして寧
ろ国の治安を脅かすものなり。国家的社会主義は此の状態に促されて興
るのみならず、今は又た此の状態を予防するの任務を有す。苛も推理の
常識ある政事家は外国の事情に観て其の因果の関係を察し以て禍害を未
然に防ぐを努めよ。徒らに現在国情の異同を辞柄として盲動し、後世の
子孫をして其の弊を永けしむるが如きは不親切といふぺし。
吾輩は毎に思ふ、近年欧州に於ける社会的流行病は二つあり、即ち所謂
る労役問題と政事家等が得意顔に言ふ所の武装平和と是れなり。二者は
殆ど並発のものにして、而かも武装平和は益々貧民問題の治療を困難な
らしめたるものあり。他の一方より言へば労役問題は植民通商の拡張を
必要ならしめて、従つて又た武装平和の病勢を増加す。吾が藩閥政事家
等が不用の階級を社会に故造し及び無道の保護を姦商に与へたるは、是
れ既に労役問題てふ流行病を吾が社会に招ぎ致したるものなり。今又た
軍備拡張を以て所謂る武装平和てふ病毒を故らに東洋に輸入す、是れ益
々社会主義の発動を正当にするなり。斯の如く社会主義に反する悪政策
を取りつゝも、彼れ藩閥政事家等は何を夢みてか中産以下の資本家を保
護せんといひ、曾て一たぴ信用組合法案等を議会に提出せしことあるは
奇観と云はざるべからず。当時此の法案は世人に一顧せらるゝの勢力だ
もなくして、所謂る握り潰しに遭ふの醜態を露はしゝが、其の後ち貴族
院議員平田東助氏の名を以てして『信用組合論』なる一巻は出づ。
『中産以下の人民が優勝劣敗の経済界に処して窮困に迫りつゝあるの
景状を知るに足るぺし。夫れ全国人口中最も多数を占むる中産以下人
民の生計此の如く困迫せり、囲の生産力は滅ぜざるを得ず、国家の元
気は衰へざるを得ざる也。鳴呼今日に当り中産以下人民に於て奮起し
て貨幣を利用し信用を振治するの機関を設立し、其の生産力を発達し
て自由競争の経済界に処するの道を開くに非れば他日の悔を招ぐや鏡
に懸けて見るが如し。』
這ほ去廿四年の出版に係る該論著の一節にして、著者は地所建物船舶の
所有及売買の数を統計に證し細民の最も多きを示したる後、論結せし所
の総論より抄録するものに係る。著者は優勝劣敗の経済界といひ自由競
争の経済界といひて、而して国家が此の経済界に干渉せざるぺからざる
を特に説かずと雖ども、巻末に挙ぐる所の各国の例證多くは法令を以て
信用組合の設立を奨励且保護するに在れば、彼れ亦た当時政府が法案を
提出せしを賛したるものなるべし、況んや時の大臣たる松方伯品川子の
題字あるをや。是れ亦た国家的社会主義の著述として現はれたる一種に
して今日吾が社会の趨勢を證するに足る。彼又た信用組合の利益を算へ
て曰く、
『経済社会現時の潮勢を見れば、豪富者は日に政治上便利なる新機関
新機会を利用して益々其の富を増加するも、中産以下の人民は自由競
争界に処して年に其の資産を減じ窮民の地位に陥らんとす、貧民の増
加は社会破裂国家敗亡の源なり。今や我国幸にして貧民の数未だ甚だ
多からざるは国家の幸福なり、是時に当り中産以下人民の為めに信用
組合(法?)を設け資本運転信用利用の道を開かば、小民……豪富者
と共に併進連歩して其の生産力を増加するを得ぺし。』
然り、国家的社会主義は労役者対資本家の激動を俟ちて始めて適用せら
るぺき者にはあらず。今の時に於て国家の経済界に対する立法的干渉を
非とするは、寧ろ人道に違ふの説なり。
(五)
経済社会の常套語たる『為さしめよ通らしめよ』に反対して敢て立法的
干渉を企求したるは、前項に挙げたる大の信用組合法案の如き其の一種
なりとす。該案は法律を以て中産以下の者の漸く富豪に吸滅せらるぺき
を救はんが為めに出づ、即ち表面より言へば小資本家又は小地主に最便
の金融機関を担保するが為めに出でたる法案なりし。而かも当時の議会
は之に一顧だも加へざるのみならず爾後は政府も亦た再び同様の案を提
出せざりしなり。今期に出でたる産業組合法案は一席規摸の大なるもの
なれども、規模の大なるだけ議会の調査は容易ならず、従つて是亦た所
謂る握り潰しの不幸に遭ひぬ。されど平田氏等の著書は斯る制度の必要
を説明して頗る悉せり、早晩法律と為りて世に出づべきは吾輩の信する
所なり。
国家的社会主義は独り経済社会に向ひて発動するのみならず、衛生又は
教育にも此の主義の応用益々必要と為るに至るべきは自然なり。現に学
齢児童を促がして教育に就かしむる強制的教育法の如き、又た伝染病患
者をして避病院に入らしむる法令即ち名づくれば強制的衛生法ともいふ
ぺき者の如き、皆な是れ国家が社会に干渉するの制度なり。更らに一歩
を進めて専ら貧民の利益を図ることは其の方法の種々あるに拘らず称し
て国家的恤救事業といふ。此の事に関しては今の衛生局長後藤新平氏の
意見書(廿八年末)あり、其の大要は実に国家的社会主義より来る。
35
維新以後諸般の制度大に振張を見ると雖ども、国民の多数を占むる
貧民の肘掛帥蔚に放ては全く備はらざるものゝ如し現に四千萬口
の邦図にして此五箇年平均の国費救済僅に十一常態囲に上らざるな
り、酔叡桝街卦が酔いが師か少卵郎紳○或は其金額の小なる真に憎
ぷぺきが如しと雖ども、之を以て貧富平均の吉兆として安心すぺき
にあらず、必ず反動なかるぺからず。況んや、戦勝後の日本は復た
昔日の日本にあらずして、業既に貧富隔絶生存競争の潮流は漸く急
激ならんとするの勢を示し労働敢合の賃金は戦争以来非常に暴騰し
て遽に鏑著怠漫に流れんとするの兆を呈し、娩に武勅の飴勢漸やく
殺伐の気風を生じ、人々治平に倦怠して破壊的敢合主義に傾向すぺ
aは現時の趨勢たるをや然らば則ち他救制度不備の反動は戦後の
国勢に乗じて一層の力を加へ、今や正に潜伏中に属し其禍根の深く
且つ堅き亦た奈何ともすぺからざるものゝ如し。…:・時勢既に斯の
如し、宜しく先づ戦勝の飴澤をして最多囲民即ち労工貧民に被らし
むぺき為め社会的行政制度を施行し、以て民徳を厚きに辟せしめ以
て民力の歓乏を防がざるぺからず。=…・
後藤氏の説は以上の理由を以てして償金の一部を国家的他救基金と為す
S
べしといふに在り。而して此の基金より生ずる利子を以て、国立施療院
及国立育兄院の費用に供し、叉た貧民教育制度地方救貧制度努工疾病保
険所軍人救護禽、などの補助に充てんといふは是れ後藤氏の考案に属す。
氏は其の意見書の冒頭に、『世の開明に進むに従ひ自ら建設的社会制度
・
の必要を生じ之に依て以て破壊的融合主義の饅動を防過せざる可からざ
るは各図の実歴に徹して明なり』といへりしは、正しく国家的社会主義
の應用を説明するもの、世の敬々者流をして社会主義の必ずしも破壊的
にあらざることを知らしむるは此に在り。盖し建設は或る意味に於て是
れ直に均勢の謂に外ならず、窄も均勢を失へば破壊立どころに至る。国
家的社会主義は本と此の破壊を防過するが為めに興るものなるに、今日
迄の吾が国家は社会に向ひて寧ろ不均勢を促がすを以て其の常務と為し
つゝあるが如し。故に吾輩は今日までの国家主義をこそ目するに破壊室
義を以てしたれ。
人類社会は若し之を放任するときは均勢を失ふや必然なり、均勢を失ふ
の敢曾は乳離に絡はるや必然なり、乱離の樋は自ら均勢の社会に復する
に至ること亦た必然なり。此の必然の攣遷は往古の歴史即ち之を示す、
国家的社会主義は必然の遷欒に希望を置かざるものなり。去れど国家は
高能力を有するものにあらず、社会の事は重く章げて之を国家に委す可
らざること論なきが故に、国家的社会主義の應用は制限なきを得ず。郵
便の如き電信の如きは国家自ら直接に経済事業を執るの最も著るしきも
のなるに、如何なる自由放任主義を言ふ者も之を非難する能はざるなり。
されど国家自ら窮民に衣食を給興するが如きは、事固より他故に属すと
雖ども、園家的社会主義すら今は之を是認せず。後藤氏の考案は国家を
して自ら施療院又は育児院を設立せしむるに在るも、是れ本と衛生及教
育の範囲に属す。若し夫れ一般の窮民に衣食を給興するの目的を以てす
る救貧法案などいふが如きは、吾輩の賛成に辟躇する所、此の点に付き
ては昨春の『日本』眈に大竹氏の考案を引用して研か論じたることあり。
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(六)
社会主義なるものゝ最も簡明なる鮮稗は有除を則りて不足を補ふといふ
に在り。若し個人のカを以て直接に之を行はゞ、縦令へ一面には志輿た
りと雖ども、他の一面は必ず強奪たらざるを得ず。社会主義の久しく世
に破壊主義硯せらるゝ所以のものは正さに此の強奪の方面に於てするの
み。されど徐に国家自身の行為を覿るときは、彼れは毎に有飴者を促が
して多きを供出せしめ以て不足者の供出する少きを補ひ、又は華南者よ
り取りて之を不幸者に輿ふ。逝く誓を引きて之を言へば、高年町の貴兄
をも保護する警察は、是れ其の費用を日本橋の豪商が納めたる租税より
取るものにあらずや。震災又は水害に躍れる地方人民は免税の寛典を受
くるのみならず、多くの土木費は国庫より補助せらる、而して国庫の金
額は是れ他の地方人民の納めたる所ならざるは莫し。
既に国家あれば融合主義乃ち行はる。国家なるものは或る点より見れば
個々人々の間に於ける有無相通の媒介者に外ならず、即ち有線者をして
知覚せざるの問に不足者を救はしむるは国家の常態なり。閥家的社合主
義は此の常態を推し撲めて猶ほ一層社会に干渉せんといふに在り。自由
主義は国家の干渉を非として裁判及び警察の外成るぺく個々人々に放任
せょと主張するの主義なり、即ち優勝劣敗なる動植界の状態を人類社会
にも是認して之を飾るに優者必存又は自然淘汰の語を以てするは自由主
義なり。此の主義固より一片の真理を含む無きにあらずと雖ども、数十
年来の経験を以てすれば、弱肉強食は濁り裁判及警察のみを以て防過し
難きものありて、而かも社会の均勢を保ち国力の充貰を勝らん為めには
別に国家行政上の干渉を必要とするに至れり。
例へば、中産以下の人民に資本遥稗の使を輿へんが為めに諸種の新制度
を設けしめて、且つ之れに必要の保護奨励を輿へ、窮民及び不幸者を救
ひて其所を得せしめんが為めにも国家自ら邁官の施設を作し、又は民設
の救育所に保護を輿へ、猶ほ歩を進めて惑少年の感化又は無頼徒の就業
1 、
を促がすの法制あり。自由主義流行の時代には親族若しくは僧侶若しく
1 1 1 1 1 、、、、、
は郷薫に一任すべき事柄も、今や国家舶ら進みて多少の干渉を為すにあ
、 、
らざれば其の実功を見がたくなりぬ、国家的社会主義の凌動ある所以。
然りと雖ども吾輩が前項にも言ひし如く、国家は固より萬能力を有せず、
唯た間接に且つ一般に及ぷぺき限りに於てのみ国家の干渉を侯つことを
通常とす。例へば崩ら薄資者に金を貸し、舶ら貧窮者に米を雄し、解ら
不幸者を救他し、窮ら文青者を教育し、窮ら浮浪者に職業を輿へ又は窮
ら犯罪者に感化を及ぼす。斯の如きは国家其物の長所に非ず、唯た個々
人々のカ不及を補護せんのみ。
此の点に付ては近日刊行せる『感化事業の進歩』の著者留岡事助氏克く
之を説く其の結論に曰く、『感化院は政府の事業として建設すぺき乎、
賂た民間の事業として起すぺき乎、盖し官設たり民設たり両者何れも相
官の理由あるを以て畢だ一方の説をのみ取りて未だ容易に断ずること能
はざるなり。……凡そ父母たるもの困窮無智乱倫の故を以て英子女を教
育するに堪へざる時に官り政府が此等の少年を集めて通常なる保護を輿
ふるは正に其任にして亦た官設感化院の国家に軟くべからざる所以なり。
……政府若し今日の大勢に鑑み、懲治場を監獄より分離し、以て青山流
水の地に感化院を起さは幾多の犯罪を未然に防ぐこと難しとせず。…:・
官設感化院を起すは其政府者の任よりするも、目下の要求よりするも刻
下の大急務たるは、更に疑を容れざる所にして吾人の願ふ所此の†点に
在り。』
前大審院長三好退蔵氏は感化事業の必要を感じて今岡新に将護士と為り、
其の収益を以て該事業の資金に供せんと欲し、留岡氏の著書一筋を添へ
て吾輩に其の意見の大要を書き滑れり。三好氏の調査する所によれば不
良少年犯罪少年の敷は年々増加し、十年の間殆ど三倍の多きに達して今
や二萬五千飴人を見るに至れりと。国家若し裁判及警察のみを治安を保
つの職司を完うし得るものとせば、大の強制的教育既に入らざる御世議
、 、
なり。況んや、犯罪者の多きは社会の事のみ、個々人々の貴任のみ、鞠
家L固より良民より取るの租税を以て悪民を教化するの要やはある。放任
論等より見れば斯る事柄は大抵斯の如し、されど国家的社会主義は斯る
冷淡趣味のものにあらずして、監欺費の増加を要求するよりは寧ろ感化
院の補助費を要求することを以て名著と為す。留岡氏の言ふが如く、今
の政府は斯る事業に関して精神頗る乏しく従つて之れに勇往敢為を望む
は難しと雖ども、其の資力の豊裕を以て民間の事業を補助することは邁
普なり。之を要するに物質的文明を標準とする政府には姶より園家的社
合主義の意想なきなり、其の行為の梢ミ社会主義に合するが如きあるは
皆な偶然のみ、故に国家的社会主義は先づ政府の改良を以て第一着と為
す。
(七)
咄咄怪事、一人の礪主と数百人の農民とは野州の山村に於て久しく葛藤
を結びたるも、吾が国家は之を等閑に附し置きたるより、今や社会の一
大問題と為りて朝野為めに心目を注がざるを得ずなりぬ。物質的文明の
観念は人類融合をして動植界の法則に服従せしめ、国家は其の自ら造り
たる法令に拘はりて、今や此の紛議を裁するに由なからんとす。国家的
社会主義は斯る事貰に促されて起りしもの、必ずしも欧州に於ける労役
問題を倹たざるなり。礪毒事件は最早や農商務一省の問題にあらず野州
一郡の問題にあらず、今や質に社会の問題なり国家の問題なり。
国家的融合主義は弱者貧民寡婦孤兄の顆を保護して他の富強者と故存せ
しむるを旨とす。是を以て経済に衛生に教育に邁官の干渉を敢為して而
して動植界の法則をば是認せず。動植界の法則を是認する放任主義によ
れば、時の民法刑法に達はざる限りは、如何なる行為も皆な悪事に非る
のみならず」進みて富強と為る者は社会の優等者たらざるべからず。之
れと同時に此の優等者の為めに侵蝕せられ又は歴倒せられて愁訴する者
は社会の劣者なり。社会の劣者は是れ直ちに社会の穀潰しなり叉た社会
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の場塞ぎなるが故に、其の敗滅は寧ろ社会の幸頑なりといへり。斯る不
人情なる主義は吾が政界を支配するや一朝一夕にあらザノ、少なくとも十
五年来の藩閥政府は世に所謂る頑渾主義なるものを採用しながら、他の
一面には独逸主義とやらを加味して以て社会の徳義的秩序を破壊したり。
冷淡なる放任主義と偏頗なる干渉主義と相ひ抱合したるものは十五年来
の藩閥主義を然りと為す。
藩閥主義=若し主義といふを得ば=の干渉は社会の富強者を保護して益
ミ優勝者たらしむるに傾き、同時に社会の貧弱者を放任して益ミ劣敗の
位に陥らしむるを致すなり。有産者には爵位を輿へ有昏者には財産を輿
ふ、而して有産有欝の徒は斯る恩典の保護に因て愈ミ益ミ富を魚し、富
を為すに従て愈ミ益ミ貴を加へらる。同家は優勝者の保護に斯の如く千
渉を敢てすと雖ども他の劣敗者に関しては全く放任主義を取り、以為ら
く是れ社会自治の直域なりと、鳴呼是れ藩閥政府の国家主義なり。斯る
奇怪の国家主義の下に於ては、貧弱の者唯だ富強者の呵責を甘んじて其
下流の硬毒をも吸はざるぺからず。民刊裁判の保護さへ理論上にこそ平
等に享くべき筈のものなれ、事茸に於ては其の便宜の乏しきが為め、往
々にして泣寝入らざるを得ざること多し。国家的社会主義は冷淡なる放
任自由主義に反し偏頗なる藩閥国家主義に反して、夫の不幸なる劣敗者
を庇蔭するもの、本と仁者の熱脳より湧き出でたる主義に外ならず。
今の政府亦た前者の主義を准承する者なる乎、何為れぞ大の磯毒事件を
虞分するの克漫なるや。磯毒調査委員の設置は研か被害人民を慰むるに
足るも、今日数百人の農民其の堵に安んせず、相ひ率ゐて上京以て政府
に歎威せんとする、其の事情を見れば今更ら調査の必要も之れなきにあ
らずや。春風三月、農期正さに至らんとす、よし調査の必要ありとする
も、今は先づ憤りに夫の銅礪業を停止して、徐かに之を調査するは、寧
ろ時宜に通するの虞分ならずや。而かも硬主は東京の富豪にして権門勢
家と姻戚たるにより、濫りに営業権を停止することは、現政府の最も難
しとする所なりといふ乎。或る人曰く、古河某なる富豪は多年採競業に
従事して日本帝国の経済に大功あり、即ち採錬業の進歩は一に某の力に
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由る、此の点より言へば、宜しく古河某を華族に列して之に男倍を授く
ぺきのみ、復た礪毒の有無を問ふに退あらんやと。或る人の説は其れ殆
ど悪誰のみ、されど悪諺の出づるや偶然に非ず、他日犬の自由業なるも
の勢力を得て、陸奥宗光氏を首相に推すに蜃らば、伊藤国家主義の系統
よりして、必ずしも此の事なしといふぺからず。
硬毒事件は国家的社会主義の為めに正しく好材料たるを得ぺし。経済杜
曾の通説によれば、『大資本家が大磯業を起して鋼材を産出するが如き
は新に囲の生産力を増加するもの、小農夫等が此の文明世界に需用の最
も狭小なる米穀を耕作するに比すれば、一般の経済に関する軽重如何ぞ
や、今ま其の大磯業は多少の箸を附近の農業に及ぼすありとするも、之
を保護せんが為め彼を抑制するは、政府の干渉を以て経済社会の通勢を
妨碍するものなり』。此の通説は唯だ銅と米とを見て而して人造をば見
ざるものなり、物質を見て人造を見ず、此を以て所謂る経済の原則なる
ものは専ら自由放任を圭とするなり。国家的社会主義は本と人造より生
ずるものにして大の物質的経済論とは全く相ひ反す、されど終極に於て
は其の効果自ら社会の物質的経済に合せずんばあらず。此の点に付ては
吾輩更に他日の横合を倹ちて卑見を述ふぺし。思ふに大方の君子亦た必
ず究むるところあらん。
(明治三十年三月二十ニュー十三、二十五−二一十九日「日本」)