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 記臆と理解


 清園北京の大挙組長ともいふべき呉汝給氏が教育を観察せんとて来遊し、
 再咋己に東京の帝国大挙に赴き、山川組長の案内にて各科大挙を通覧し
 たりといふ。昨今恰も学期試験の終了に際して、畢生間又も試験に対す
 る苦情あり、而して其の苦情は畢生の苦情として己に一應の理由あるの
 みならず、端なく支那政府が古来其の儒生を過したる慣手段を想起せし
                                
 む。儒生を駆りて訓話の畢に脳力を労し、復た人世の活理を究むるに暇
                               
 なからしめたるが如き、是れ即ち理解カを抑えて人を記臆の器械たらし
                   
 むる者、我が今日の大挙亦た其の弊あらずや。大挙々生等が試験に対す
 る苦情も、亦た記臆力を過度に要求せらるゝに在り。大畢教授の如何は
 しき講義をも、其の講義通りに記臆するに非れば、畢期の試験に及第す
 る難く、之が馬めに脳力を滑耗する甚しき、是れ大学試験法に対して久
 しく存する所の苦情なるに似たり。
 幼年教育には理解よりも記臆を重しとするが如く、壮年教育は之に反し
 て記臆よりも理解を重しとすることは、教育上の常則なるに、今や教師
 の疎傾若しくは其の狭陰によりて壮年者の教育にも記臆を重しとする傾
 を生じ、為めに高等教育上の一問題たらんとす。普通教育に在りても
     
 「詰込主義」といふ一種の評語ありて、学科の過繁を攻撃するに用ゐら
 る、而して詰込主義や亦た現今教育上の一弊害たるを発かれざるより其
                                       
 の匡済法は己に講究せられつ〜ありと雖ども高等教育に於ての「記臆主
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 義」は未だ多くの人に知れ渡らざるが如し。
 教育上の改革若しくは学制改革の問題は、久しき以前よりの問題にして、
 学校達路又は学年短縮又は学科減少を主張する者あるは、一面に父兄の
 負槍を軽くせんと語り、他の一面には子弟の気根を裕にせんと論ずるな






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 り。子弟の東根に飴裕あらしめんといふは、青年社会の健全を希望する
                                
 の意にして、教育界の時論としては、頗る適切なるものと思はる、所謂
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 る詰込主義の教育が幼年者の脳力を疲らすと同じく、記臆を重しとする
                             
高等教育は、其の壮年者の脳力を無益に滑耗せしむること幾許ぞ。例へ
ば、法科大挙の教授等各ゝ其の好む所を是として之を講堂に説く固より
善し、而かも畢生たる者皆な己に壮成の人、亦た各l其の是とする所を
揮ぷの自由なきを得ざる可きに、教授等乃ち各ミ其の是とする所を以て
之を律せんと擬す。
夫れ理解力の長ずるに従つて記臆カの滅ずるは自然なり。理解の未だ長
ぜざる劫者が記臆力正に盛なるにも拘らず、教育界猶ほ「詰込主義」を
                                   
以て其の脳を疲らすを不可と為す。今や壮年理解力の長ずる者に対し、
                                
其の理牌を抑制して而して重もに記臆を労せしむるとは、是れ壮年者を
                           
器械的にするなり、高等教育として其の官を得る者ならんや。聞く今の
大挙教授等が早期試験の答案を瞼するに官りてや、如何に論理と合する
答案なるも、自家の講じたる所に達ふあれば、乃ち一抹して之れを棄て、
而して取る所のものは重もに記臆によれる答案なりと。試験の方法己に
此の如くなれば、畢生等は皆な勢ひ記臆を重しとし、記臆に忙殺せられ
 て復た理解カを練磨するの暇あらず。
斯くて辛うじて卒業したる多くの大畢生は、其の理鮮力は比較的凡庸に
 して却つて私立専門畢校を出てたる者に及ばず、畢士の稗競ありと雖ど
 も、恰も記臆の器械に均しく、校外に於て出逢ふ所の問題に通常の理解
                                   
 を加ふるの識力ある者は頗る稀なり。大挙々生は他の学校生徒と娩なり
                             
 て、己に杜合の一員たる年齢に在り、一たび学校を出づれば、忽ち紳士
                               
 として政令より待遇せらるゝ者、徒らに講義手鏡の暗詞にのみ汲々して、
                         
 而して治世界に迂潤なることは、大畢生の能事にもあらじ。但た今の大
 挙試験法は記臆を要求すること過度なるに因り、其の結果自ら畢生をし
 て理解の飴カなからしめ、従つて大挙より出づる者、多くは一定の摸型
 に造り上げられたる器械的人種たるを免れず。支那歴朝の儒生を養ふや


亦た資に一定の模型を用ゐて其の天賦の才能を伸へしむる解く、爵めに
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今日の衰運を来したり。今我が大挙の畢生養成に専ら記臆を責めて理の
                              
飴カを奪ふ、猶ほ支那に於て儒生に訓話の寧を強め、此に半生の脳力を
             
消耗せしむると相近からずや。
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                     (明治三十五年七月二日「日本」)