器械的国家及ひ機関的国家


 国家政治の組織に両様の性質あり、一を器械的国家と謂ひ、一を機関的国家と謂ふ。機関的の国に在ては、国家は明確に有機体なりと理解され、政府と人民との間柄は骨と肉との如く、中央団体と地方団体との関係は頭脳と支体との如く、即ち調和一致の働きをなす。之に反して器械的の国に在りてハ、政府は大工の如く、人民は材木の如く、中央ハ主人の如く地方は臣僕の如く、其間更らに自動の生気あることなく、中央の地方に於ける、政府の人民に於ける、其闘係は、只々命令と服従の二者あるのみ。盖し機関的国家主義は、地方団体を国家なる大有機体の支節と認め、国家と地方とを団体と団体との関係となせども、器械的国家主義は、行政官衙の外眼中一の地方団体を認めず、人民ハ各個煥散せる人衆を以て、直接に国家に属するものとなせり。一は無機の器械の如く、一は有機の人体の如し。
国家に於ける此両性質は、均く文明国と称する欧洲諸国に於てすら、猶ほ各々固有の傾きあり。機関的の国家主義は、主もに日耳曼人種の国、即ち英独等に行ハれ、器械的国家主義は、主もに羅典人種の国、即ち仏西等に行はる。固より此等の諸国は、所謂文明の大気中に在るか故に、
 入植の伺ふぺきを知り、正義の重んすぺきを知り、仁造の忽にすぺから
 ざるを知るか故に、縦令器械的の傾きある囲も、伶ほ非常の専制に陥る
 ことなしと雄も、然れども之を機関的主義の行はるゝ邦囲に比すれバ、
 其利薯の相懸隔すること甚しきを知るぺし。悌国は千七百年代の末葉に
 嘗り、夙に英国風の立憲制度に模倣せんと企てたれども、元来英国立憲
 制度の基礎は、機関的の組織、即ち地方自治に在ることに注意せさりし
 かは、人民の政熱は忽ち直接に中央に逆上し、遂に非常なる革命欒乳の
一原因となれり○之に反して濁逸恩如きは、横開的主義能く行はれ居る
 か故に、豪悍此斯馬耳克の如き政事家出て1大権を掌握すると維も、其
 威柄の及ふ所は、濁り外交財政兵馬等の上に止り、地方国体ハ依然とし
 て其自由を損失することなし、南主義の得失以て概見すぺし。
 吏らに之を我か国の歴史に求めんに、上古氏の制度及ひ封建政体は、梢
 々機関的の性質を背ひ、中古唐風の郡解制度及ひ維新以来の政体は、全
 く器械的の性常に属せり。毒し氏の制度は今得て其詳細を考ふぺからず
 と錐も、其部族を管治するの権は、之を氏の長者に委托し、国家の統治
 上印ち租税兵馬祭祀(上古我国の習慣)に係るの外、敢て之に干渉せざ
 りしことハ明かにして、即ち常時の国家は、直接に各人と関係せずして■
氏族なる囲体を以て共闘節とせしものと謂ふべし。又足利以来の封建制
度は、英名は諸侯か天皇より封土を受けたるものにして、願合図守の世
異となりしに退きざるが如しと錐も、賓際に至りては国々又藩々に於て
自家固有の教達をなし、自家固有の治樺を有したるは、言ふまでもなく
自ら国風藩風を生して、国家と各人との間に於ける囲体となりしは敷ふ
ぺくもあらず。益し中古の改革は必要なりしなるぺく、挽に維新の奨革
 の如きは大勢の然らざるを得さるに出でしものなれども、其除りに中央
集権に傾き、濁り統治の上必要なる政権のみならず、地方固有の事務に
属する治樺をも一手に吸収したるは、反動の飴弊なりと許せざるを得ず
願ふに我が国拳者中には、往々元弘建武中興の完からざりしを見て、王
政の武門の故に若かざる杯と評論せし人もあれども、吾輩を以て之を見
れバ、王政の武門の故に若かざるにあらずして、我が中古以来王政に於
ける郡騒制度は器械主義に傾くの弊ありて、武門制度は機関的に近きの
致す所なりと謂はざるを得ず。益し上古氏の制度及び武門の封建制度は
縦令中央統治に属する樺を支節なる囲結体に辟したるが如き(例へ生殺
輿奪)誤謬ありしこと、国法の進歩せざりし世に於て免れざりしことな
 りとは維も、其機関的の性質を有したるは抹殺すぺからざるなり。之に
反して中古の郡牒制度及維新の政体は、尾大不捧の政体を一掃して、政
権を集摸したるに相違なきも、其集権は濁り統治上必要なる権力例へは
兵馬財政外交裁判等に止まらず、本来地方固有の事務をも吸収して、地
 方国体を打破し、器械的の性質に陥りしは、甚だ遺憾なりと謂ふぺし。
之を要するに中古の制法者か非常の英断を以て、郡麟制度を施行せしに
も拘らず、元弘建武の中興は力めて郡願制度を施せしにも拘らず、改革
者か度々器械的に陶造せんとせしにも拘らず、一度ならす二度までも地
 方的囲体を生して、機関的の制度に締りしを見れは、我国家固有の性質
 は器械的に在らずして機関的に在るを知るぺし。然るに斯る歴史の在る
 をも顧みず、今我立法者か地方自治の制度を施行せんとするを見て、自
 治の制度は国債と相容れす、甚しきに至りてハ、君主政の元則と衝突す
 る杯と諭する人あるは、誤解も亦甚しと謂ふぺし、況んや常春態布され
 たる市制町村制の如きは、其説明中に膏来名主庄屋の習慣に基き云々と
 の明白なる説明あるに於ておや。
 犬れ機関的の組織は、国家の有機体たる知覚愈々饅拝するに従て、益々
 饅達せさる可らず。益し国民の智識進歩して、自家の地位は決して君主
 の隷僕にあらず、又索敵常なき所の禽獣的の群集にもあらず、即ち横関
 的に結合したる「国民」なることを知覚するに至れは、彼等は必ず彼等
 の周囲を同厳して、各自と各自の横関たる国家との関係を求めざるを得
 ず。肘灯卦い肘掛h肘てか計い酔酔い肘掛掛かか計肘掛卦打身かすh
 と能ハず、各自の周逮は皆中央政府の隷属なるときは、彼等は更らに首
 を尊けて中央政府に注目すへし。然るときは国民と国家とは、直接の関
 衝いかかか以で酔掛か酔掛か卦で中身酔紆k掛か付い、付いか打沖掛
 万国有の行政事務も尚も中央隷属の官街にて支配するときは、国民は各
 地方一局部に於ける不平と維も、拳けて之を中央に辟せざるを得ざるか
 故に、若し議院ある国に於ては悌国の如く議院に於て中央の攣革を希望
 し、議院なきの国に於ては露西亜の如く革命の攣乱を計るぺし。且つ我
 か園の如きは、二年を出てずして議院の開設あり、議院一度開くれは今
 日の藩閥内閣は攣して政薫の内閣となるは、勢の免れざる所なるぺし、
 時勢此に至りて、伶ほ地方自治の制度確定せずして、器械的の組織改ま
 らざれバ、内閣の一進一退毎に、地方官を進退するは、勢の必す至る所
 なるぺく、之か為め地方行政なるものは、常に震動して非常の弊害を生
 すぺし、宜に危険ならずや。故に議院の制度と、機関的主義に基ける地
 方自治の制度とは、必ず相伴ふて磯達せざるぺからざるなり。
                (明治二十一年十一月十一日「東京電報」)