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ハす、衝樹の陰に露臥して身肢漸くに疲れ果て、今は坂路に車の後推し
を為す事さへも叶はずして、路遽の押上に倒れ、枯毅の皮膚を秋陽の夕
炎に曝し、口鼻を蒼蝿に弄れて之を逐ひ遽ざくるの力も無き有様、見る
も憐れなる貧民、時々吾輩の目前に横れり。是等は既に牛餓撃とも謂ふ
可き者にして、其慣躯こそ研か生気もあれ、其智覚精神に至りては全く
枯死せる者の如し。堂々たる東京の首府に於て路に餓季ありと謂はゞ、
聖世に不群の語言を謹む事を知らざるに似たれども、茸際吾輩の目撃す
る所眞に此くの如くなるを奈何せん、是れ宜に心を動さゞるを得んや。
固より此等は貧民の一斑に止まり、其眞境を探究しなば猶之より甚き者
も有ることならん、此くの如きの貧民誰か憂るに足らずと謂ふ乎。今府
下に於ける下等民程の状況を総括すれば、此等餓挙の流民は少数なるに
相違なし、然れとも其上なる牛流民の貧人は英数頗る多かる可し、而し
て又其上なる学費民の数は如何、九尺間口一竜一椀の生計が、此頃如何
に苦酸なる乎を獣想せよ。時を怨み、世を墓なみ、悪事を為したる覚へ
なきに牢獄に入りたるよりも背き目を見せしめられ、「天道棟開へませ
■ん」てふ極苦極愁の馨を絞り出す者、毎月然らざる無き箇虞もあらん。
此れょりして更に一歩を進めて苦境に深略すれば、人間の良心亡びて、
魔心長じ、極楽の遠きに絶望して、地鉄の攻苦を甘ぜんと欲するに至る、
是れ貧民が暴民に化するの勢にあらすや。若し夫れ何等歎の事情に煽起
せられ夜半に起ちて術衝を騒がし、叫喚呼競千古群を為して絶望的乱暴
を試み、凡て平生自己を賜りサイナミたる此の敢曾全体を敵と為し、貴
人富人の家を襲ふに至らば、恐らくは底止する所なき大綱を来さん。泰
西の畢者は日へり「貧民は何物をも有せさる代りに只一の獣力を有せ
り」と、獣力の破裂宣に怖れざる可けんや、堂に戒めざる可けんや。
固より今日眼前に於て直に此くの如き鍋患の生出する事も無かる可し、
ヽ ヽ ヽ
又我明治聖世の為めには何時迄も此の顆の政令病の饅生せざらん事を斬
らざる可からず。然れども現在貧民の檜数は吾輩の祈願に反対して来る
に似たり、財務上の一攣動官路者の一失策等、大にもあれ、小にもあれ、
絶て祀曾か困苦を蒙る時に、最も惨烈に、最も鋭急に、其鍋を蒙る者は
即ち憐む可きの貧民なりとす。金融逼迫にても、米償騰貴にても、一度
毎に深く苦みを受くるハ政令最下屠の貧民なり、彼等は有司に泣き付く
の術を知らざるなり、財源を掘るの術を知らざるなり、奔走周旋融通退
り繰りの術を知らざるなり、之か為に直に一捧して牛流民と為り、牛餓
季と為る者、一不景気毎に多きを加ふ、是れ彼等が無智無教育善く政令
に立つこと能はざるに因ると謂ふと錐も、抑も彼等をして鶴智無教育な
らしめしは誰の過ちぞ。要するに彼等は先天的と後天的に憐れなる運命
を授けられたる因果物なり、之を救済するは政治の任なり、政令の任な
り、且夫れ若しも故郷して顧慮する無ければ、貧民の鍋患或は国家政令
に腎す可からざるの滴疾を為すにも至る可し。欧西の事、賓に鑑みるに
足る者有り、宜に貧民問題を軽現す可けんや。
之に就きて大蔵大臣内務大臣等に深思熟慮を望むは勿論なり、又囲合議
員にも大に望む所なき能はす、又世の素封家慈善家並に貴族諸家に封し
ても充分の考慮省察を折るなり。之れにも増して吾輩か一層高き望みを
属するは帝室なり、陰にも陽にも憐れなる貧民を照唆し玉ひ、覆天の如
きの大仁を以て、彼等か殆ど冷擬せる血液を温め玉はんことを所望の至
に堪へざるなり。是れ必しも金島の賑他を希ふには非す、折に解れ、機
に臨みて、大御心の彼等を忘れざるを示し玉はば可なり。親の子を愛す
るは其の不具痕疾等に躍れる者、最も可愛と謂へり、窮き者に臨む程、
其度を高むるが仁慈の定則ならば、 陛下は最も貧民に仁慈ならざる可
からす。不具療疾の子を最可愛とするが親の本色ならば、 陛下は彼の
不具に廃疾に顆せる貧民を以て最可愛の臣子と為し玉はざる可からず。
ハ明治二十三年九月十日「日本」)