兵強く国費し
前大蔵大臣渡連子が新に欧米漫遊より辟り、去る廿四日青年資業家の招
宴に於て為したる共演説中に日へるあり、国権的勢力範囲の蜃展と経済
的勢力範囲の饅展と、二者毎に相隔離して相随伴せず、戦勝ちて而して
国益ミ危く、兵強うして而して民愈ミ貧しと。子が此の言は東洋古来の
民族を概評するものなれど、特に今日の我が日本民族に割切なるは勿論
なりとす。用語は斬新なるも、従来の慣用語を以てすれば這は富国と強
兵との不合致を語るもの、而して之を合致せしめんには如何にすぺき乎。
渡連子の演説を通覧すれば、富国を主として強兵を従とするに在りとい
ふに似たり。是れ嘗然の誼なるも、不幸にして、苛も強兵を言ふの政府
は毎に之を富国と平等の地に置き、而して其の実際の結果は遂に富国を
次位に置くに至る。
富国強兵と一口に言ふも、本来は二ツの意義を有する者、時としては二
者全く相ひ合致せざることあるを見ん。富国は是れ強兵の本、強兵亦た
是れ富国の本と云へば、二者互に相ひ侍るものに似たるも、這は是れ戦
国時代に於ての意義にして、国際上相官の穂法を立つる今日の時代に在
りては、通用し難きものあり。強兵を以て富国の本と為すことは、所謂
る強者之樺なるもの普然現せらるゝ時代の事、即ち兵力に由りて他国の
財利を横奪し若しくは金崩を強求し得る場合に於て、最も明白の例を見
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る。斯る時代に在りては、所謂る強兵も亦唯た遊手無頼の徒を集めて之
に武兵を授け、之に訓ゆるに唯だ殺人の術を以てすれば則ち足る。兵費
の如きに至りても従つて多きを要せざるのみならず、皆な良民を脅かし
て之を取るもの、今日の制に於けるが如き煩労を頻ゐず。
今や然らず、軍備の費は園庫歳入の大牛を要するは勿論、之を徴収する
にも譲合の同意を求めざるべからず、其の兵員も亦た轟く良民の壮丁に
取り、生産的努力は之が為めに滅縮せらるゝや頗る多し。斯くて造り揚
げられたる強兵は如何にして富国の本と為るや、此の疑問に対する答排
は唯だ他国の暴を防ぐといふのみ。是れ強兵は富国の本にあらずして、
唯だ国富を擁護すといふに過ぎず。若し夫れ富国を以て強兵の本と為す
は、兵器兵糧等の費に映乏を告ぐる無きを意味するものなれば、固より
官然の理たるに相違なきも、而かも今日の時代に在りては、窄も園だに
富めるあらば、故らに兵を強うするの必要なきに似たり。何となれば、
園を建つるの目的は人民を富裕にして之が安寧を保つといふに外ならざ
ればなり。斯る場合に在りての兵力は唯だ園安を擁護するが為めのみ、
唯だ国富を捧護するが為めのみ、唯だ国民を終護して両して其の富力を
自由に運用せしめんが魚めに外ならず、大の北米合衆園現状は正しく其
の貰例にあらざる乎。
強兵を富国の本とするも、而かも強兵に由りて国を貧しくしたる実例は
今日にも多し、必ずしも遠く蒙古や土耳盲を引澄するに及ばざるが如し。
之に反して、富国を強兵の本とするは古今皆な同じ、囲を富ましたるが
為めに兵窮しとの資例は殆ど之れ無し。此の鮎より言へば、渡連子が富
囲を主とするの論は、古今に通じ富国に亙りて易はらざる者、兵権を私
いや鮮砕む酔少舶少射中郡野か新桝舛舶、仰山如か桝弊鮮少がc少鮮紳
らん。要するに、今日政界の急は大の強兵を富国の本とする論を打破す
るより急なるは英し。国権の饅展を以て国富餞展の前駆と為したること
は昨日の夢にして、渡連子が言ふ如く、戦勝ちて国益ミ危く、兵強うし
て挿して民姦ミ実しきは、是れ目前の事実にあらずや。此の事実を認め
て而して自ら反省したる上にあらざらば、海軍撰張の如きも亦た前週を
再びするに終らんのみ。
(明治三十五年十月三十日「日本」)