発行停止権
       《真の治安妨害と法律の結果[●]



眼識ある読者は能く甄別せん、我が『日本』は他の諸新聞紙と異なり、立憲政体[◎]といふものには過分の属望を為さゞりしなり、自由制度[◎]といふものをば唯一の紳と崇めたること無かりしなり、進歩主義[◎]といふものに付ては万善を認めずして経過し来りしなり、然るも猶ほ夫の言路壅塞[◎]悪法[◎]を忌み嫌らふことは他の諸新聞紙等が謂れもなく夫の所謂る立憲自由進歩[◎]を恋ひ慕ひしことよりも太甚しかりし。
我が『日本』毎に以為らく、仁者は民心なく勇者は疑心なし、胆気徳操ある者は凶器を挟みて人に臨むことを耻づ、新聞停刊の権は大臣護衛の制と共に皆な仁者勇者の屑とせざる所なり、『日本』の信ずる所は実に斯の如きのみ、故に苟も此等の凶器を必要とする者あるに遭へば『日本』之を視て敢て立憲に違ひ自由に違ひ進歩に違ふとは言はず、只之を無胆気無徳操[◎]の徽章と看做し来れり、苟も仁者勇者にして局に立たんか、既に身を以て国に許す、暴挙危言我れに於て何かあらん、彼れ此の覚悟なき者乃ちビクビクす、聞く平専公は常に其の居宅を二三にし、讎人の来襲を避けんことに汲々する是れ日も足らずと[△]
新聞紙停刊の権を備へ置かんと欲する政府は其れ殆ど讎人の来襲を畏るゝ平専公の如きか、彼れ苟も誠実を守り正義を取りて而して事に従はゞ天下誰か之に讎する者あらんや、思ふに其の心窃に不誠実不正義の事あるを知るが故に、予め備を為して僅に安んず、曰く是れ国安を保つなりと、此の如くして保つへくんば議会を開く既に国安を害すなり[○]、立憲といひ、自由といひ、進歩といふ、皆な政府の高枕を妨ぐ、然るに彼等は献替して之を国に扶植せんとす、何ぞ其の志の薄くして其の行の弱きや。
見よ、夫の所謂る選挙競争なるものを、或は親族を破り、或は民業を妨げ、或は脅迫、或は襲撃、昏夜に銃を放つあり、白昼に刃を加ふるあり、前後数十日全国一般、五畿七道六十余州、尽く皆な争闘の中に在るに非ずや、若し真に治安を妨害する者を求めなば夫の選挙競争なる者其の極に達す、斯る極端の治安妨害は誰か之れを致すと顧みよ、選挙法なるものは其の教唆者なり、誰か此法を作れる、今の伊藤伯等実に之れを献替せるに非ずや[○]、夫れ一村の農民が竹槍席旗以て官府に迫るは昔し曾て内乱の端と為し、直論危言一時人心を動かすは今ま之を治安の妨害と為す、而して全国各地の争闘を促すものは則ち之を法律の結果として当然と見るか。
全国の民安を妨ぐるも法律の結果は之を当然視し、一省の吏安を妨くれば、則ち称して国家の治安を害すといふ、匹夫匹婦は欺かれん、普通の智見を備ふるもの豈に罔すへけんや、論じて此に至れば治安妨害と称して言論を抑ゆるの凶器は、慥かに臆病者の護身器たるを知るに余りあり、胆気徳操ある者には殆ど無用の具にして、之を有用とするは適々其の無威無徳を証するものといふへし[○]、今や貴族院の議員或は此の凶器を必要と主張する者あり、彼等は是れ威徳なきの政府を当然と見做す者、固より論ずるに足らず、平専公は讎を畏れて其の備を密にす、思ふに此類の貴族院議員は只讎人を咎めて平専公を咎めざるなり、鳴呼彼等亦た平専公の奴たるのみ。[△]
吾輩は必ずしも立憲を言はず又た自由を言はず又た進歩を言はず、吾輩は唯た言路壅塞の悪法[◎]を忌み嫌らふこと蛇蝎よりも甚し、独り恠(あやし)む、其の平生に在りて毎に立憲自由進歩[◎]を口癖にするの徒は、反て此の際に当りて恬淡として言ふことなし、新聞紙法改正案は方さに貴族院の議に上り、日ならずして可否決あらんとするも、数多の新聞紙等は対岸の火災現して曾て顧ざるの状あり[○]、彼等の言ふ所の立憲自由進歩は皆な一時の諛俗方便に過きざりしか、抑々別に説ありて然るか吾輩頗る之を怪む、乃ち銅臭を伴ふ所の銀行問題は反て最も重しといふの意か。
終に吾輩は夫の毎に政府に同じて発行停止権を是認するの論者に告ぐ、若し吾輩の説に異存あらば、願くは少しく明かに其の説を吐け、吾輩は発行停止権を以て臆病者の挟む凶器なりと断言す、吾輩は政府の称する国安妨害を吏安妨害に過ぎずと断言す、吾輩は夫の選挙競争なるものを眞に治安妨害の事実を構成するものと断言す、吾輩は言路の洞開を夫の撰挙の競争と共に立憲政に沿ふものと断言す[○]、若し吾輩の此の断言に異存あらば願くは其の説を吐け、吾輩説窮すれば謹で自説を棄てん、黙々して異存を言はず又は同意を表せずば其れ負ふ所の任務を如何。

                   (明治二十八年一月二十二日「日本」)