第五 保守論派(保守中正論派)


凡そ論派の名称は大抵皆な批評家の下たすもの多し我れは何種の論派な
りと自ら名のる者殆んど之れなきを常とす、政論の部類は泰西の学者其
の傾向に付きて之を四種に分つ、即ちラヂカリズム(急進論派)、リベ
ラリズム (進歩論派)、コンセルワチズム (保守論派)、アブソリユチズ
ム(守旧論派)、此の四種のものは学問上に於て区別する所の種類なり。
如何なる論派と雖も初より自ら此の部類を選みて其の名称を取るものに
あらす其の信する所の真理を主張して政論壇上に登る時は、批評家其の
傾きを見て之に名称を付すること是れ其の常例なり
。今や我が国の政論
派は則ち然らす、其政論を唱ふるや、先つ自ら学問上の区別を見て其の
名称を選ひ、其の名称に応して其説を立つる者の如し、故に名称の為に
拘束せられて其の信する所の真理を主張する能はす、或は真理を主張し
て却て其の名称と齟齬するものあり、名を先にして実を後にす、鳴呼亦
た奇なりと云ふへし。夫のリベラリズムに倣ひ進歩又は自由の名称を撰
むものを見よ、彼れ既に進歩と云ふ故に苟も進歩の名に反する事は善と
なく悪となく之を排斥す
彼れ既に自由と云ふ故に苟も自由の名を有す
る事は利害邪正の別を論せずして之を取る
、而して進歩又は自由の果し
て何物たることは初より之れを講明せす。自ら保守論派と称すするものは
夫のコンセルワチズムに倣ふものなるや否や、吾輩之を知らざるなり、
彼れ既に保守と云ふもの思ふに必す其実あらん、近時社会の風潮は滔々
として改革に赴く、此の時に当りて「保守」なる名称は世人大概ね之を
忌避す、独り世俗の毀誉を顧みすして敢て自ら保守の称を取るものは実
に保守中正論派を以て然りと為す。
世に奇傑の士あり島尾得庵先生是れなり、先生気高くして識深し才文武
を兼ねて而して久しく時に遇はす、近時人若し晦跡の英傑を談すれば必
らす指を先生に屈す、先生常に世運の衰替を慨し嘗て二三子と大道恊会
なるものを興して儒仏の真理を講せんことを計り、之れを先生近来の事
業の端緒と為す。既にして世運正に欧化時代に際す、先生益々回瀾事業
の必要を感じ将に大に道を弘めて時弊を匡救せんとす、当時政論の中衰
せるに会し、欧化主義に反対して政論を立つるものは自ら政府の敵視す
る所と為り、政論社会は窃に此の論派の激烈なるを危み、猶ほ第二期に
於ける民権論派を視るか如くせり而して其の欧化主義に反対せしにも拘
らす世人未た此の論派を目するに保守論を以てするには至らざりき、既
にして得庵先生は堀江原田の諸議官と共に一派を立て自から保守中正論
派と称し、「保守新論」を以て機関と為し、大に其の説を世間に弘む、
是に於てか保守論派は明に世の認むる所と為り、政論社会の一方に割拠
して少からざるの勢力を有す。
保守論派は果して保守の実を備ふるか、泰西に所謂る保守なるものは自
由平等の原則を軽んすること、是れ其の特性の一なりとす、我が邦保守
論派
は果して其実ある歟、得庵先生の著「王法論」に曰く、
 均しく是れ人なり豈に君民の別尊卑の等ありて以て其人を異にせんや
 其之を異にする所以のものは他なし其の徳を立つるが為めのみ其の道
 を修むるが為めのみ徳立たされば君君にあらす民民にあらず道修まら
 されば父父にあらず子子にあらず云々
先生既に天地平等万物一体初より高卑物我の分あらざることを以て理説
の根本と為す、平等を本として差別を末とすること殆んど夫のルーソー
の人間不平等原因論に似たるものあり又た其の法原の章に曰く、
 此に人あり同類相集り同気相求め一地に拠りて以て生養す之を国と謂
 ふ而して国人皆其の幸福を享けんと欲すれば必す相利して相害せざる
 の理に由らざるを得す之を倫理と謂ふ倫理既に明かなり之を文に掲け
 以て国家の大法を定め以て此民の幸福を保つ之を法憲と謂ふ
法憲を解すること斯の如くにして而して不正の法不能の人を説きて以為
らく、其の法を犯さゞれば其の身を安する能はす其人を去らざれば其命
を保つ能はす是れ人其人にあらす法其法にあらず
と、尚ほ一歩を進めて
曰く、
 是故に国を治むる必す其の法ありて爾後に其人あり必す其職ありて而
 後に其の権あり其の人のある所以のものは何ぞや民人之れを許せばな
 り其の権ある所以のものは何ぞや民人之を托せばなり
(中略)国君自
 ら貴き能はす其貴き所以のものは民人之を愛せばなり夫れ民人の其の
 君を愛する所以のもの豈に特り其の君に私するものならんや亦自ら其
 の性命を愛し自ら其の幸福を望めばなり

是に因りて之を見れば自称保守論派の論旨は西学者の社会契約の論に近
似し殆んど夫の自由論派又は改進論派の上に凌駕するの進歩主義なりと
云ふへし。
彼れ又た主義の章に於て以為らく、「諸法已に由りて以て生す故に自由
と謂ひ諸法已に由て存す故に自主と謂ふ
自主なるものは身心の主にし
て彼我の性法なり自由なるものは世間の義にして自他の常情なり」云々
と、是れ人民の自治を説き以て立法の一人に私定すぺからざる所以を言
ふなり而して此の政論派は立憲政体の至当を認め自由制度の至理を認め
毫も旧時の慣例に固着する所あらす、然らば自ら保守と称すと雖も其実
は寧ろ激烈なる進歩主義と謂はざるへからす。然れども其の自由自主
理を推して以て痛く夫の欧化主義に反対して自ら保守論派と称し常に儒
仏の道を唱へて妄に泰西の学説を口にせざるが故に、俗人は誤りて之を
保守論派と名けたるに似たり、名実の相合せざるや誠に斯の如きものあ
り。世に一家の見識なく僅に黍西旧学者の説を借り来りて陳腐の政論を
綴造し
自ら稀して自由論派又は進歩論派と為すものあり、斯の如きも
のは此の保守論派に対して甚た慚色なき能はざるへし唯た泰西事物の名
を以て斬新の標章と為し東洋の事物を挙けて取捨なく排棄するの時代に
於ては、此等の無識者流も亦た時好の厚遇する所と為るのみ、滔々たる
社会量に他の理由あらんや。
吾輩は政論考を草して保守中正論派に至り、編を重ぬること既に十七、
最後に於て吾輩の持説たる国民論派を略叙せんと欲す、吾輩は此に至る
迄実に全く批評家たるの地位に立てり、然れども国民論派を吟味するに
当りては理に於て自ら之か批評家たる能はす、寧ろ其の説明者又は代表
と為りて順当に之を述へざるを得す。保守論派と国民論派とは欧化時
代に於て共に現出したりしと雖も、元来此の二派は元と同根の者にあら
す、其の欧化主義に反対するや、保守諭派は自主自由の理を以て其の論
拠と為し而して国民論派は国民の天賦任務を以て其の本と為す、一は主
として国の権理を全うせんか為に起り、他の一は権理を重んせざるに非
るも寧ろ国の義務を全うせんが為に起れり。二者固より反対にはあらざ
るも其の差違を言へば稍々斯の如きものあり、吾輩は保守論派を以て此
の篇の終尾と為し、更らに「国民論派」と題して之が補遺とし以て政論
考を完了せんと欲す。