第四 皇典論派

皇典論汲も亦た旧帝政論派の遺類にして皇道を以て天下を治めんと欲するものなり、此の論派に於て皇道と称すは即ち日本古代の慣例中夫の官職世襲の事を指すが如し、国に功労ある者は高位高官に上ること当然なり、其の勢力を以て政府を立つること当然なり、民権自由の説の如きは日本に唱ふへからす、以上は皇典論派の大意なるが如し。去れば此の論派は一の強大なる藩閥論派にして所謂る最近の保守論派と見做すの価あり、今日に在りて保守論派として算ふへきものは先つ指を此の論派に屈せざるへからず、然れとも此の論派は西洋に倣ひたる法典編纂を以つて至当の事と為す、是れ甚た奇なりと云ふへし、此点に於ては自治論派と相和し而して他の諸論派よりは強大なる反撃を受く何れにしても此等は政論としての価甚低しと云ふへし。然れども今日に在りて保守論派の本色を保つ者は此れより著しきは莫く、将来に至りても保守主義を残すものは此の論派ならん、而して此に次きて保守の傾きあるものは夫の保守中正論派を然りと為す、吾輩は次章に於て之を略叙せん。