第四期の政論
第一 最新の政論
政界の実地問題にして最も大なるものは当時に在りて新憲法編纂の事業
なりき、伊藤伯は此の大任を負ひて欧州に旅行し十八年に至りて帰朝せ
しが、時勢の必要を感じて従来の大宝令的官制を廃し新に西洋に倣ひて
内閣を置き伯自ら其の首相と為りて大に更始する所ありき、蓋し立憲政
体の準備を其の口実と為す。伯既に内政の更始に当れるが、其の同僚た
る井上伯は当時の任に在りて、夫の維新以来の大問題たる条約改正の業
に鞅掌し、着々歩を進めて外交的会議を東京に開くに至れり、二伯の事
業は実に維新以後未曾有の大業にして、政府は此の業の為には殆んど何
事をも犠牲にするの傾きありき、異に伊藤伯が欧州を巡遊して憲法取調
を為すや、大の立憲帝政国として王権の強大なる独逸帝国を以て最良の
講究所と為したるは何人も知る所なり、時恰も独逸大宰相ビスマルク公
が東洋貿易策に心を傾け、舩会社を保護して定期航海を奨励し、以て
英仏と競争を試んとするに際す、伯の旅行はビスマルク公の為に此の上
もなき機会と為りしが如し、去れば独逸政府は伯の為に出来得る丈けの
好意を表し、此の機に来して独逸の勢力を日本に及ほさんことを計画し
たるや疑あらず、憲法編纂の顧問数名は独逸より来れり、法典編纂の顧
問数名は独逸より来れり、法科大学の教師は独逸より来れり、而して
条約改正の業も亦た独逸政府に於て穏然之を賛助するの傾きさへあり
き。
日本は既に「独逸風」なるものゝ流行を感じたり、加之ならす夫の井上
伯は其の重任たる条約改正を成就せんには欧州各国の風習を日本に入れ、
欧州人をして日本を其の同情国なりと思はしむるの必要を感したり。夫
の十七年に於ける清仏の戦争は伯之を視て東西両用の優劣を示せる最近
の例証と為し、到底尋常の手段にては外国と同等の交際を為す能はすと
や思ひけん、先つ日本国民を挙けて泰西風に化成するにあらざれば樽俎
の間に条約を改正すへからずと迄に决心したるが如し是に於て日本の上
流社会は百事日本風を棄てゝ欧州風に変革し畏くも宮廷内に於ける礼式
をさへ欧州に模擬したりき、是れ実に明治十七八年より二十年に至る迄
の事情にして、吾輩之れを欧化時代と称すぺし。第三期の政論派が第四
期に移りたるは実に此の時代に在り、此の期の政論状況を汎叙すれば誠
に奇怪なる変化を見るに足るへし、如何に変化せし歟、曰く第三期に於
て保守派と迄に称せられたる夫の帝政論派は一変して欧化論派と為れり、
曰く前期の激進派たる自由論派は此の時に於て反て保守論派と為れり、
曰く改進論派の一部は欧化論派に傾き他の一部は保守論派に傾きたり、
是れ豈に政論の奇変にあらずや。
若し文明進歩と云へることを解して泰西風に変化することゝ為さば、当
時の政府ほど「進歩主義」なりしものは未た之あらざるなり、若し進歩
主義と云へるものが唯た泰西の事物又は泰西の理論に模倣するの主義を
意味するならば、今の進歩主義と自称する論派は当時に在りて双手を挙
けて政府の方針を賛頌せざるへからざりしならん。然るに自由論派又は
改進論派は毫も賛成を表せざるのみならず、反りて痛く之に反対したり、
而して「保守主義」と呼れたる帝政論派の遺類例へは東京日々新聞の如
きは大に政府を賛助したること是れ甚た奇なりと云ふへし。人皆な彼れ
帝政論派は政府賛助派なりと、或は然らん、然れども吾輩は此の篇に於
て其の裏面を探るものにあらず、若し裏面を穿ちしならば当時の自由論
派又は改進論派は政府攻撃派なるやも知るへからざればなり。然らは当
時政論派の変化は表面よりして奇観を呈したりと云ふ固より可なり、然
れども当時の政府は主として独逸風を模擬せり、改進論派の之に反対せ
しは其の英国風ならさるを以てなるか、自由論派の之に反対せしは其の
仏国風ならさるを以てなるか、少なくも、王権の強大が英国風に反し又
は貴族の爵号が仏国米国の風に反すとの点を以て、二論派は独逸風なる
政府に反対したるか、果して然らば是れ国風の争なり、所謂る欧化主義
に於ては皆な同一なりと云ふへし。
此の紛々たる時に至りて一の新論派は出てたり、即ち国民論派又は国粋
論派又は日本論派と称すへきもの是れなり、此の論派は実に当時の流勢
に逆らひ、泰西風の模倣を以て実益及学理に反することゝ為し、深く国
民の特性を弁護したるものなり、此の新論派に正反対を為したるものは
第三期の末に起りたる経済論派にして、之に味方を為したるものは法学
論派なり、両して旧論派たりし自由論派は味方と迄にならざるも反対に
はあらず、改進諭派は正反対にはあらざるも側面より反対を試みたるは
明白なりき、帝政論派の遺類にして欧化論派とも称ふへきは国民論派に
対して理固より正反対の地に在りと雖も、彼れ独逸風の歴史的論派に多
少の淵源を有するが故に、此の新論派に対しては敢て正面の攻撃を為す
能はざるか如し、之を当時に於ける最近諸論派の関係とす。
論派たる価なしと雖も通俗の便として尚ほ掲くへきものあり、曰く大同
論派、曰く自治論派、此の二論派は実に論派として掲くる程の価なし、
何となれば理論上に於ては如何なる抱懐ありしやを知る能はざればなり
故に強て之を論派と見做し爰に列記せんと欲せば自治論派は之を旧帝政
論派の遺類たる欧化論派の中に算ふへく、而して大同論派は夫の自由論
派と其の形を異にせしものに過きすと言ふの外あらす。次に最新の論派
として算入すへきものは所謂る保守論派を然りと為す、保守論派の中に
も亦た殆んと二種の別あることを見る即ち最も著しきは保守中正論派に
して此の論派は実に夫の国粋論派(通常に言へは国民論派)より分れた
るものなり、其の次に来るへきは皇典保守論派とも云ふへきものなり、
此の論派は自治論派と其の根源を共にし旧帝政論派の遺類の一種なりと
す。今ま便宜の為に前期と関連して此の第四期政論の名称を左に掲けん、
(第四期) | (第三期) |
(1) 自由論派 (6) 大同論派 |
自由論派 |
(2) 改進論派 | 改進論派 |
(3) 経済論派 | 経済論派 |
(4) 法学論派 | 法学論派 |
(5) 国民論派 | 未 成 |
(7) 保守論派 | 未 成 |
(8) 自治論派 (9) 皇典論派 |
帝政論派 |
発生の順序を以てすれば頭上に冠したる番号の如しと雖も、若し前期と
の関係を以てすれば実に右に掲けたる如く、各々其の由りて起る所あり、
而して全く此の最後の期に於て新に発生したるものは唯た国民論派(又
は国粋論派)及ひ保守論派の二派に過きす。然れども吾輩は此の新論派
を叙するに先たちて名称の新らしき他の三論派即ち大同論派、自治論派、
皇典論派を略説せんと欲す、此の論派が如何なる主義を保有する歟は吾
輩之を知る能はすと雖も、其の政論上に於ける傾向は梢々之を窺ふこと
を得へきなり、請ふ其の大略を吟味し去りて相互の関係を明にせん。