第四 自由論派


気質慣習の成るは一朝一夕の故にあらさるなり、本朝古代の有様は之を
知ること詳ならす、漢土儒道の入り来りし以来我か国人は其の感化を受
けたること多からん、支那仏教の渡りし後も亦た大に風習を変更せられ
たるや知るへきなり、然りと雖も是れ皆な東洋の文物のみ、東洋人種の
稍々似寄りたる国々に在りては其の風俗習慣の根柢亦た相似たるものあ
り、儒道仏教の容易に移流したるは何ぞ恠むに足らん、大凡そ東洋諸国
の風習たるや主として服従忍辱を尚ふ、其の社会の構成は上下層々互に
其の上を敬し其の下を制し所謂る上制下服に基く、故に父は父たらすと
雖も子は子たらざるへからす、夫は夫たらすと雖も婦は婦たらさるへか
らす、兄は兄たらすと雖も弟は弟たらざるへからす、之を家庭倫理の大
本と為す。此の原則は社交の上にも移り、長幼の間主僕の際、皆な上制
下服の則を以て律せられ、遂に政事の上にも移りて君臣の関係官民の交
亦た上制下服を以て通則と為す、是に於てか社会の団結は唯た圧制
服従とを以て其の成立を保つと云ふに至る、泰西に在りては則ち然らす、
凡そ父子夫婦兄弟の際は夙に平等の気風を存し、社会の構成は上制下服
に基かすして左抗右抵に基けり、此の気風は社交に移りて長幼の序なく
主僕の順なし、政事上に在りては君臣の関係、官民の交渉、東洋の如き
に非す。
西洋奴隷制の如き元と彝倫の思想より起るにあらす、寧ろ人間社会に於
ける強弱優劣の関係より来る、西洋に奴隷制の存せしは猶ほ東洋に乞丐
制の存せし如きのみ、其彝倫の道に在りては上下尊卑を主とせすして、
常に左右平等を主とす。而して社交には智愚貧富の差を免れす、政事に
は君臣上下の別自ら必要たらざるを得す、是に於て貴族の制を生じ僧族
の制を生じ、族制なるものは遂に無限の権力を以て公衆に臨む、其社交
原則たる左右平等は日に衰縮して上下尊卑の事弊は復た抑ゆへからす、
世運此に至りて所謂る自由主義なるもの起れり。是に因りて之れを見れ
ば泰西に於て自由主義の起れるは其の始め一の反動なり、時弊を匡正す
るが為に已むを得すして起れるものなり、而して自由主義の果して人間
進歩の大本
たるを認めたるは実に近世の事のみ。
夫れ東洋の人民は上制下服を以て社交の常則と為し左抗右抵を以て変乱
の階と為す、之れに反して西洋人は左抗右抵を以て人間の通法と為し上
制下服を以て衰替の源と為す。西人曾て左抗右抵の以て社会平和を保つ
に足らざるを知り、貧富強弱の差より以て貴賎尊卑の別自然に起るへき
を知り、ホップスの如き専制論者出てたり、又た個々平等の事実に存す
るなく遂に下等人類の牛馬と同じきものゝ実際に存するを知り、アリス
トートの如き奴隷論者さへ出てたり。然りと雖も人心に浸潤する気質慣
習は容易に回すへからす、専制論者の説は元と最上の権力を固くして以
て貧弱を救ひ富強を抑ゆるに在りと雖も、適々以て虐主暴人の為に恰好
の口実と為り、専横の弊は乱離の弊に代りて起り益々社会の悪を長する
に至れり、是より其後ち政論は愈々事実の激動して発達し、或は宗教の
理に基き或は道義の道に基き又或は法律経済の原則に基き、夫の無限王
権及貴族特権を攻撃して而して自由平等の説を唱ふるもの屈指するに遑
あらす。其の後最も著しく個人自由を主張して極度に達し、此の自由を
国家主権の上に置かんと欲して其説を得す、遂に「社会は人民各自の相
互契約に出つ」と説きたるは夫の所謂るルーソーの民約論是れなり。
民約論の主義は実に個人自由主義の極度に達したるものなり、而して仏
国の人民は曾て之か実行を試み其功を為さゞりき、然りと雖も此の人民
が八十九年に宣言したる自由平等博愛の旨義と主権在民の原則とは欧州
大陸を振動し、其の余波として数十年の後千余里の外遂に東洋の我が国
に迄及ふに至る、今の板垣伯及ひ星、大井、中江の諸氏が唱道せし自由
論派
は即ち是れなり。第三期に於て自由論派の起れるは実に第二期の過
激民権派と相ひ連繋して尚ほ新自由主義に潤飾せられたるものなり、吾
輩は此の論派の我が人民の政治思想に大功績ありしを知る、唯た其の説
の時弊に切にして痛快なるに因り、或は青年子弟の速了する所と為り種
々の誤謬を世間に播布せられ、其の言の旧慣に反して新奇なるに因り、
老実なる父老或は之を驚聞して國體に傷害ある邪説と目するに至る。盖
し俗言は耳に入り易く高談は世に容られ難し、利害を棄て毀誉を排し以
て真理を明にせんと欲するものは豈に尋常の熱心ならんや吾輩は当時の
自由論派の世に待遇せられたるを回想して深く感する所あり。
凡そ士君子の正理を説きて世道人心を感化せんとするや其の説の時に
薄遇せらるゝを憂へす而して其の理の世に誤解せらるゝを憂ふ
、当時は
政府の方針既に立憲政体を建つるに決し明に聖詔を以て之を人民に知ら
しめ、人民たるもの既に漸く民権の何物たるを略知したるの時代なり、
此の時に当りて自由論派は何故に共和主義又は破壊主義と目せられしや。
思ふに亦た世の誤解多きに坐するのみ。此の誤解たるや、或は其の末流
の徒
真に未た先覚者の説を翫味せすして之を誤解敷衍するあり、或は其
反対の人敢て主唱者の意を斟酌せすして之を誤解弁駁するあり、又た
或は小人姦夫が故らに之を誣ひて邪説なりと伝ふあり、此の誤解たるや
全く此の三者に出つるものと云ふへし。吾輩の曩に国民主義を唱ふるや、
人或は之を評して鎖国主義なり攘夷主義なり頑固主義なりと罵れり、是
れ猶ほ該論派の自由主義を許して共和主義なり無君主義なり破壊主義
りと言ひしが如きのみ、俗人の迷夢を警醒して正理を唱ふものは古今と
なく東西となく皆な斯の如きの困難あり、草して自由論派に至り吾輩は
深く此に感するなき能はす。
君は君たらすと雖も臣は以て臣たらざるへからす、君主の権威は無限な
り、故に其の命令を奉する政府の権威も下民に対しては殆んど無限なり、
下民の其上に対する服従も亦た従て無限なり、此際唯た君相の道徳以て
僅に万民の権利安寧を保するに足る、若し暴君暗相ありて虐政を行ふと
きは万民の之に対する手段は唯々弑逆放伐あるに過きす。以上は西人の
我東洋政事を許する大略なり、東洋人は固より上制下服の風習を完美と
する者に非す、然れども虐政の起るは実に此の風習の弊害にして其の常
態には非すと信したるが如し、唯た世連日に進み事物の漸く複雑に赴く
や、明君賢相の常に出つるを恃む可らすして、成るへく虐政を防くの法
を設けざる可らざるに至る、日本に於て立憲政体の要用は実に此れよ
り起れり。然れども風習気質は容易に変すへきにあらす、常時世人の
憲政体
なるものを視るや、猶ほ天皇の仁慈に出てたる一の良制を視るが
如く、衆皆之を賛称するに拘らす、真に其の理を解する者は未た多から
す、政事思想の幼稚なること誠に斯の如きものあり、其自由主義の世に
誤解せられたる何ぞ怪むに足らんや。泰西に於て自由平等の説は始め教
理より起る、一転して法理の為に潤飾せられ遂に動す可らざるの原則と
為れり、当時我か国に在りては法理未た民心に容らす焉ぞ能く自由平等
の原義を辞せん、其之を見て君相を軽んじ国体を破るの邪説と為すは固
より其所なり、自由論派の薄遇一は気質風習の未た化せざるに因る者あ
り。
自由論派は猶予なく自由を唱て政府の干渉を排斥し、猶予なく平等を唱
へて衆民の思想を喚起せり、彼れ其の説に以為らく、
 人は本来自由なり、人に因りて治めらるゝを甘んせすして自ら治るを
 勉むへし、自ら治むるの方法は代議政体に如くは莫し、人は本来平等
 なり、貧富智愚によりて権利に差違ある可らす、何人も国の政事には
 参与するの天権あり、之を実行するは代議政体に如く莫しと。
此の説や以て旧時の思想を攪破するに足る、然ども旧時の思想を誘掖
るには未た充分なりと云ふへからす、何となれは此の論派は殆ど史蹟及
現実を離れて単に理想上に其の根拠を有すればなり。彼れ直に自由を主
張す、而て日本人は史蹟に於て古来専制の故に慣れ未た自治の事を聞見
せしことなく、且又た事実に於て其の能力を自信するあらす、彼れ直に
平等を主張す、而して日本人は史蹟に於て永く貴賤階級の風習に染み且
つ事実に於ても賢不肖の差甚きを知る。史蹟及現実に於ては既に斯の如
し、是れ当時世人の頗る此論派に疑惑する所以にして、而して此論派の
起りしも亦た之れあるが為めに外ならず。
然と雖も立憲政体は当時聖詔既に其の設立を宣言したり、人民は之を君
主の徳義に帰し之を君主の恩恵と為し而て怪ます、夫の帝政論派なるも
のは実に此の君徳君恩を称賛して以て世道人心を誘起せんと試みたり。
自由論派は之れに反して専ら自由の理平等の理を唱道し、寧ろ史蹟及現
状を攻撃して唯た其の信する所の道理を講したるは、以て旧慣を攪破す
るに足るも未た人心を誘掖するに充分ならさりき、要するに自由論派は
此点に於て一の純理的論派なり。既に純理的論派なれば従て其の希望も
亦た理想界に向ひて甚た広し、彼れ他の論派と共に代議政体を希望せり、
而して此政体に付て希望する所は他諸論派よりも一層理想界に入ること
深きは自然なりと謂ふへし。自由論派に於て代議政体と云へるは今日欧
州諸国に於ても多く見るへからざる理想的政体なりき、彼れ自由平等の
原則を出来得るだけ之に実行せんことを望みたり。彼れ貧富智愚に因り
て権利に差なきを説き以て普通撰挙を主張せり、彼又貴賤老少に因りて
意向に別あるを排し以て一局議院を主張せり、彼れ自由の文字を尊重し
干渉保護の語を忌むことは他の論派よりも甚た深し、故に実際の利害
如何を問はす苛も干渉政略又は保護貿易の類をも猶予なく排斥したるが
如し。
去ば夫の言論自由の如き集会自由の如き信仰自由の如き自由教育
如き、苟も自由の文字に縁故ある事柄は彼れ之を主張すること他の論派
に比して一層広濶にして寧ろ抽象自由を主張したり。彼れ啻に自由平等
を以て旨義と為したるのみならす、主権在民の旨義も亦た其抱懐する所
に係る、其の結果としては夫の改進論派と共に国約憲法を主張したり、
此点は実に当時に在りて最も大なる問題にして帝政論派即ち当時の所謂
保守論派と著しく反対せし所なり。然りと雖も此論派は帝政論派が当
時共和主義なりと迄に難したる如くにはあらす、彼れ自由主義を主張す
ること斯くまで広漠なりしも、敢て俄に君主政を廃して共和政を為すの
主義にはあらざりき、寧ろ其自由主義を以て君主政を維持せんと欲する
のみ。
唯た自由論派の立言法は世人をして惑はしめたる者なきにあらす、板垣
氏尊王論の大意に以為らく「立憲政体を立つるの詔は吾人に自由を与へ
吾人をして自由の民たらしむるの叡慮に出つ、故に自由を主張するは聖
詔を奉する者なり、之に反するものは皇家を率ひて危難の深淵に臨まし
むるものなり」と。此尊王旨義は甚た明白なり、然りと雖も当時論者は
政府部内の人にあらすして一個の人民なり、而して其述ふる所は時の
府に忠告する
にあらすして同胞人民に勧説するに在り、然らば此の立論
は少しく奇なりと云ふへし。試に其立論を換言すれば「皇家既に自由政
体を人民に約したり、若し此約を履まざれば己むを得す吾人々民は皇家
を危くせざるへからす」と云ふに均しからん、思ふに論者の意豈に斯の
如きものならんや、唯た其の地位を忘れて其の立言を誤りたるのみ、然
れども当時帝政論派より痛く非難を受けたるは全たく斯る点にありしが
如し。
此の論派は自由放任を主張すること甚た切なりき、然れども其の政府の
職務に関する主説は夫の改進党と大に異る者あり、改進論派は政府の職
務をして社会の秩序安寧を保つに止らしめんことを主張せり、而して自
由論派は曰く
 政府を立つるは本と何等の精神を以て之を立つる者なる乎、要するに
 強が弱を虐するを防くか為の外あらす
然るに今や却て強が弱を虐する
 の精神を以て富且智なる者をして貧且愚憤る者を圧せしむるの政を為
 すは豈に其大理に悖るの甚しきものにはあらすや
(大坂戎座板垣氏演説筆記)
是に因りて之を見れば、自由論派は自由論派と云ふよりは寧ろ一の平民
論派
(デモクラシー)と云ふへし、政府は秩序安寧を保つに止まらす、尚ほ貧富智愚の間
に干渉して其凌轢を防かざるへからす、是実に自由論派の本領にして
進論派
と相容れざるの点ならんか。自由論派と改進論派とは共に欧州の
リベラールより来れり、而して甲は平等を主として乙は自由を主とす、
甲は現時の階級を排して平民主義に傾き乙は在来の秩序を重んじて貴族
主義に傾く、以て両論派の差違を見るに足り又以て自由論派の本色を知
るに足るへし。