第二 新自由主義


国会期成同盟会なるものは往時の民選議院建白を宗として起りしものゝ
如し、然れども其の六七年間に於て政論状態は一変し、民権論派なるも
の四種に分れて立したることは実に第二期の政論派なりき、此の四種
の内第一種の憤慨派は十年の役と共に殆んど其の形を失ひたるも、残像
の分子は他の三種に合して当時再ひ国会請願の連中に入れり。期成同盟
会は種々の分子を以て成立したるものなれば、恰も昨年春の大同団結に
類するものあり、即ち各種の心事を以て同一の事業に向ふ、故に同盟会
なるものは一の論派として爰に加ふるの価格はあらず、吾輩は唯た二期
の連鎖として之を挙けんのみ。第三期の政論派は当時将に其の萌芽を吐
きたり、而して爰に新自由主義と云ふへき一派は俄に其の間に発生し、
従来の快活的民権派に新らしき武器を供給したるが如し、吾輩は仮に之
を名けて新自由論派と言はん。今の伯林駐剳公使なる西園寺侯は新に仏
国より帰りて、二三の同志を糾合し縦令暫時なりとも「東洋自由新聞」
を発行せしこと、及ひ今の兆民居士中江篤介氏か帷を下して徒を集め、
故田中耕造氏等と共に仏国の自由主義を講述し以て 「政理叢談」 を刊行
せしこと、は是れ実に自由論派の嚆矢と云ふへき歟。
新自由論派は第二期の政論派よりも其の民権を説くに於ては一層深遠な
りき、何となれば彼等は、事実の上に論拠を置くことを為さす、西洋十
八世紀末の法理論を祖述し多く哲学理想を含蓄したればなり、中江氏等
の重に崇奉せしはルーソーの民約論なるが如く、政理叢談は殆んどルー
ソー主義と革命主義とを以て其の骨髄と為したるが如し。其の説の大要
に以為らく、自由平等は人間社会の大原則なり、世に階級あるの理なく、
人爵あるの理なく、礼法慣習を守るへきの理なく、世襲権利あるの理な
く、従て世襲君主あるの理なし、俗は質樸簡易を貴ふ、政は君主共和を
尚ふと。要するに新自由論派は夫のルーソーと共に古代の羅馬共和政
慕ふこと、猶ほ漢儒が唐虞三代の道を慕ふが如くなりき、其の説は深遠
にして且つ快活なるが如く、一時は壮年血気の士をして政理叢談を尊信
せしむるに至れり此の論派の特色は理論を主として実施を次にし、所謂
る論派(スクール)たるの本領を具へたること是なり、其の一時世に尊信せられたる
は実に此の点に在り、而して其の広く世に採用せられさりしも亦た此の
点に在り、遂に此の論派は夫の快活民権論派に合して之れに理論の供給
を為すに至れり。