第一期の政論


  第一  国権論及富国論


大革新大破壊の前後には国中の士論唯た積極と消極の二派に分裂するに
過きす、曰く攘夷論、曰く開港論、二つの者は外政上に於ける当時の論
派なり。曰く王政復古、曰く皇武合体、二つの者は内政上に於ける当時
の論派なり。封建時代の当時に在りて、国内諸方関険相ひ隔ち、交通の
便否固より今日と日を同くして語るへからす、従て天下の人心は各々其
の地方に固着し、国内未た統一するに至らす、而して士論の帰する所唯
た両派に過きさるは何そや、思想単純の時代と曰ふと雖も、一は安危の
繋る所小異を顧るに遑あらさるが故にあらすや。既にして攘夷論は理論
上に於てのみならず実行上に於ても亦た大に排斥せられ、世は遂に開港
貿易説の支配する所と為れり、斯くの如く積極論派は外政上に於て失敗
したりと雖も、内政上には大捷を博し王政再興論は遂に全国の輿論と為
るに至れり、別言すれは外政上に大捷を得たる消極論派も内政に付ては
亦た大敗を取りたりと謂ふへし。維新の際に至り、我か国の政論は政体
と共に一変し、殆んと復た旧時の面目にあらす、恰も維新前の二大論派
が各々其の一半を譲りて相調和したるの姿あり、此調和の後暫時にして
隠然復た二政論を現出す之を維新後政論派の第一期と為すへし。
外人は讐敵なり宜しく親交すへからず、此の思想は当時既に社会の表面
より駆逐せられたり、皇室は虚位なるへし之に実権を付すへからす、此
の思想も亦た既に輿論の排除する所と為れり、是に於て開港論派と王権
論派とは互に手を握りて笑談す、是れ旧時と全く面目を異にせる大変改
なりき。是より其の後、有識者の思想は開港貿易以て広く万国と交際し
王政復興以て尽く海内を統一すと云ふに帰す、政事上の思想此の大体に
一致したりと雖も、将来の希望に至りて復た二派に分裂するは自然の状
勢とや言ふへき。当時日本人民は新に鎖国時代より出てゝ眼前に世界万
国と云へるものを見、其の甚た富強なるに驚きて殆んど其の措く所を失
ひたり、識者間の考量も亦た専ら国交上に在りて、如何にして彼等と富
強を均しくすへき歟の問題は、士君子をして解釈に苦ましめたるや疑あ
らす。稍々欧米の事情に通する人々は各々其の知る所を取り、或は近時
露土戦争の例を引き公法上彼れの其の国権を重んする所以を説き或は鉄
道、電信等の事を挙け経済上彼れの其の国富を増す理由を説き、以て当
務者及び有志者に報告したり。
是に於て一方には国権論派とも云ふへきもの起り中央集権の必要を説き
陸海兵制の改正を説き行政諸部の整理を説き、主として法制上の進歩を
唱道せり、他の一方には国富論派とも云ふへきものありて、正反対と迄
にはあらざれども、士族の世禄を排斥し工農の権利を主張し君臣の関係
を駁し四民の平等を唱へ、主として経済上の進歩を急務としたるが如し。
当時此の二論派を代表したるは果して何人なりし歟、吾輩は今日より回
想するに福沢諭吉氏は一方の巨擘にして国富論派を代表したるや疑ふへ
からす、同氏は元と政治論者にあらす重もに社交上に向つて改革を主張
したり、然れども社交的改革の必要よりして自然政治上に論及するは免
るへからす、有名なる其の著書「西洋事情」の如きは間接に新政論を惹
起したるや明かなり。吾輩は此の学者の政論を吟味するに際し先つ其の
社交上の論旨を爰に想起し、氏が当時我か国に於て新論派中最も急激な
る論者たることを示さん。
反動的論派は大抵其の正を得ること難し、福沢氏の説実に旧時の思想に
反動して起りたるもの多きに似たり故に公私の際を論すれば私利は即ち
公益の本なりと云ひ、以て利己主義を唱道す、上下官民の際に付ては双
方の約束に過きす君の為に死を致すが如きを排斥し、以て自由主義を唱
道す。殊に男尊女卑の弊害を論して故森有礼氏と共に男女同権論を唱へ
たるは当時の社会をして頗る驚愕せしめたり、此等の点に付ては福沢氏
一派の論者実に最も急激なる革新論者たり、然れども政治上に於ては大
の国権論派に比すれば却て保守主義に傾きたるも亦奇ならすや。此論派
の政治主義は英国の進歩党と米国の共和党と調合をしたるものゝ如し、
彼れ社交上に於て階級儀式の類を排斥すれども、旧時の遺物たる封建制
には甚しき反対を為さゞりき、寧ろ中央集権の説に隠然反対して早くも
地方自治の利を信認せり、世人に向て利己主義を教へたるも尚ほ当時の
諸藩主に国家の公益を忠告し世人に向て自由主義を敢へたるも尚ほ貴族
の特権
を是認したり。此の論派は専ら国富の増加を主眼としたるが故に
苟くも経済上に妨害あらすと信するときは、敢て権義道理の消長を問は
ざりき、此の点に於ては浅近なる実利的論派にして毫も抽象的原則又は
高尚の理想を有するあらず、要するに此の論派は社交上の急進家にして
政治上の保守家と云ふへきのみ。
空理を後にして実用を先にすとは国富論派の神髄なり、此の論派は英国
米国の学風より生出したりと雖とも、敢て学者の理論を標準として政治
の事を説くものにあらす、彼れ実に日本の現状に応して説を立て、政法
上道理に合ふと否とを問はす、事情の許す限りは之を利用して実益を生
せしむることを其の標準と為したるが如し。故に自由主義を取るとは云
へ、必すしも政府の干渉を攻撃せす必らすしも藩閥の専制を排斥せす、
道理よりは寧ろ利益を重すること此の論派の特色なりき、夫の「実力は
道理を造る」と云ふビスマルク主義は寧ろ此の論派の是認する所に係る、
近く之を評すれば政論社会の通人とも謂ふへき論派なり、当時世の才子
達人を以て居るものは皆な競ひて此の宗派の信徒と為りしが如し。
国権論派とも称すへき他の一派は欧州大陸の学風を承けて発生したり、
此の論派は敢て国富の必要を知らざるにあらざれども、其の淵源は重も
に近世の法理学に在るが故に自ら権義の理を重んするの傾きあり、吾輩
加藤弘之氏、箕作麟祥氏、津田真道氏を以て国権論派の巨擘と為すに
躊躇せす。此の論派は其の細目に於て一致を欠きたるや疑なしと雖も、
近世の政治思想、即ち国家と云へるものゝ理想を抱き主権単一の原則を
奉じ以て封建制の弊を認めたる点には異同なけん。彼れ等は固より自由
平等の思想には乏しからず、然れども国民として外邦に対交せんには先
つ国権の組織を整理するの必要を説き、次に人民と政府との権義を講し
て法政の改良を促したり、加藤氏の 「國體新論」 箕作氏の 「萬國政體
論」 の如き、津田氏の 「拷問論」 の如き、当時の日本人をして法政上の
新思想を起さしめたるや少からす、夫の 「國法汎論」 「佛蘭西法律書」
の類は 「西洋事情」 の如く、俗間に行はれざるも識者の問には一時大に
播読せられたり。
此の派の論者は説頗る高尚に傾き且つ当時何れも政府の顧問と為り、著
述講談に従事すること少きか故に、其の論派の強勢なる割合には民間の
人心を感化したること却て少し、然れども政府の当局者をして賛成せし
め、政治上及立法上に影響を及はしたることは国富論派の比にあらす。
此の論派は社交上に於て説を立てたること甚た少しと雖も、加藤氏は夫
男女同権論に向ては明に反対を表したり、政事上に於ける此の論派の
大意を見るに固より改革論派たるに相違なきも、亦た敢て急激の改革説
にはあらす、此の論派は一方の論派の如き反動的に出てすして専ら其の
信する所を主張するものなりき、故に其の論旨は常に温和着実の点に止
まれるものゝ如し。今ま加藤氏か福沢氏に答へたる論文に付き其の一部
を左に挙けん、
 先生の論はリべラールなり、リベラールは決して不可なるにはあらす、
 欧州各国近今世道の上進を裨補する最もリベラールの功に在り、去れ
 ともリベラールの論甚しきに過る時は国権は遂に衰弱せさるを得さる
 に至る可く、国権遂に衰弱すれば国家亦た決して立つへからす、フラ
 ンツと云へる人の国家理論に「リベラール党とコムニスト党との論は
 全く相表裏すれども共に謬れり、其故はリベラール党は務めて国権を
 減縮し務めて民権を拡張せんと欲す、故に教育の事、電信の事、郵便
 の事、其の他総て公衆に係れる事をも悉皆人民に委托して決して政府
 をして是等の事に関せしめざるを良善と為す、然るにコムニスト党は
 務めて国権を拡張し務て民権を減縮して農工商の諸業をも悉皆国家の
 自から掌るを良好と為す、盖し二党各々国権と民権の相分かるゝ所以
 を知らざれはなり云々」と云へり、内(政府の仕事)を軽しとして
 外刺(民間の仕事)を重しと為すの甚しきに至るときは遂に此のリベ
 ラール党の論に帰する恐れなき能はす、
国権論派の穏和進歩主義たることは以上の一説を以て概見するに足る、
然れども此の論派は現在の事弊に付きて無感覚なるにあらす、国富論派
が日本人民の旧思想唯た虚礼虚儀に拘泥し卑屈服従偏倚して、個人的生
存の気象なきを憂とし、専ら此旧弊を破除せんと欲したるが如く、国権
論派は政権の分裂して人心散乱の弊を見、法制の粗濫にして官吏放恣の
害を察し、泰西流の政理を以て之を匡済することを目的としたるが如し。
凡そ政論派の起るは偶然に起るものにあらず、必ず時弊に応して起るを
常とす、当時尚ほ封建の余勢を承け三百年太平の後に当り、人心散乱公
同の思想なく、民風卑屈自立の気象なし、全国は唯た依頼心と畏縮心と
を以つて充満せられたり。国富派は重もに此の依頼心を排斥せんと欲し、
猶予なく利己主義を奨励す、国権派は重もに此の畏縮心を打破せんと欲
し、敢へて愛国心の必要を説きたり、愛国心公共心を説きたるは当時人
心の未た一致せざるを匡済するに出てたるならんか、且つ此の論派は主
として政治法制の改良を唱へ、未た立憲政を主張するに至らざるも、秘
密政治放恣政治の害を論したるは明白なりき。今ま此の二政論派を汎評
するときは政法上に於て国権派は急進家にして国富派は寧ろ漸進家たる
に似たり、両派共に進歩主義なりと雖も未た立憲政体の主張者たるには
至らざりき。