緒 論
冷は氷よりも冷なるはなく、熱は火よりも熱なるはなし、然れども、氷
にあらすして冷かなるものあり、火にあらすして熱きものあり、苟も冷
かなるもの皆な氷なり苟も熱きもの皆な火なりと言ふは其の誤れるや明
白なり。湯にして稍々冷を帯ふものを見、之を指して水なりと曰ひ、水
にして少しく熱を含むものを見、之を指して湯なりと曰ふ、此に於て庸
俗の徒は甚た惑ふ、湯の微熱なるものと水の微冷なるものとは殆んと相
近し、然れども水は則ち水たり湯は則ち湯たり、之れを混同するは其の
始めを極めざるが故のみ。政治上の論派を区別するも亦た之に似たるも
のあり、民権を主張するもの豈に悉く調和論派ならんや、王権を弁護す
るもの豈に尽く専制論派ならんや、唯た其の論拠の如何を顧みのみ。仏
国大革命の後に当り、政論の分派雑然として生す当時夫のシヤトーブリ
ヤン氏とロワイヱコロラル氏とは殆んど其の論派を同くし、世評は往々
之を誤れり、然れども甲は保守派中の進歩論者にして乙は進歩派中の保
守論者たり、何となれは其の論拠に於て異なる所あればなり。是の故に
政論の種類を知り其の異同を弁せんと欲せば、先つ政論の沿革変遷を通
覧せざるへからす、徒らに其の名称を見て其の実相を察せざるときは、
錯乱雑駁なる今日の政界に於て誤謬に陥らざること殆んど希なり。
名実の相ひ合せざるや久し、風節の衰ふる亦た一日にあらず、儒名にし
て墨行、僧名にして俗行、自由主義を唱道して而して密に権略を事とす
るものあり、進歩主義を仮装して而して陰に功利を貪るものあり、理宜
しく永久平和を唱ふへき者亦た国防論を草するあり、理宜しく一切放任
を望むへき者敢て官金を受るあり、名目の恃むに足らざるや斯の如し、
此の時に当りて良民其れ何くにか適従すべき、思ふに其の岐路に迷ふも
の頗る多からん、店に羊頭を掛けて其の肉を売らんと言ふものあり、客
入りて之を需むれば之に狗肉を与ふ、知らざる者は見て羊肉と為し而し
て恠ます、世間政論を業とするもの之に類すること多し。
帝国議会の選挙既に終りを告く、立憲政体は一二月を出てすして実施せ
られん、世人の言ふが如く今日は実に明治時代の第二革新に属す、如何
にして此の第二革新は吾人に到着せし歟、必す其の因りて来る所あるや
疑なし、 天皇の叡聖にして夙に智識を世界に求め盛んに経綸を行はせ
給ふに因ると曰ふと雖も、維新以来朝野の間に生したる政論の運動は与
りて力なしと曰ふへからす。日本の文化は常に上より之を誘導す、政論
の運動、即ち政治思想の発達は明治政府実に之を誘起したり、然れども
維新以後の人民たる吾人は内外交通開発の恵を受けて自ら近世の政道を
発見し得たること少しとせす、而して今や能く立憲政体と相ひ支吾する
ことを免る、是れ吾人の聊か世界に対して栄とするに足るものなり。
吾人は既に若干の思想を有す、然れども今日まては只た之を言論に発す
るを得るのみ、之を実行し得ることは今日以後に在り、今日以後は之を
実行し得るの途を有す、然れども果して之を仕遂くるや否やは逆め覩る
へからす、且つ只た之を言論の上に発せんか、利弊未た知るへからす、
然れども之を実行の途に置くときは如何なる効果を生すへき歟、一念此
に至らば吾人は生平抱く所の思想に再考を費すへきものあらん。上智の
人は暫く措き、中人以下に至りては必らす先入為主の思想を有す、然れ
とも若し自他の思想を比較し今昔の変遷を考量するときは、或は以て漸
く己れの誤謬を知るを得へく或は以て愈々己れの真正を確むるを得へし、
然らば吾輩の此に近時政論考を草する豈に無用の業ならんや。
世に政党と称するものあり、今回当選の幸を得て帝国議会の議員と為る
人々は往々此党籍に在り、斯る人々は皆な政事上に定見ありて以て党籍
に入るものならん、而して其の定見が必す党議と相合するものなるへし、
帝国議会の一員と為れる人は豈に羊頭を見て狗肉を買ふものあらんや。
然りと雖も水の微冷なるものを見て湯と誤り湯の微熱なるものを見て水
と謬ることは則ち或は之れ無しと云ふへからす、況んや、世に頑愚固陋
の徒あり、衆民多数の康福を主張するを指して叛逆不臣の説と為す、世
に狡獪姦佞の輩あり、国家権威の鞏固を唱道するを誣ひて専権圧制の論
と為す、大識見を備ふる者にあらざるよりは、其れ能く惑はす所と為ら
ざらんや。吾輩は敢て議員諸氏に向ひて此の編を草するにあらす、世の
良民にして選挙権を有し読書講究の暇なき者の為め聊か参考の資に供せ
んと欲するのみ、其の選出議員が実地の問題に遭ひて生平の持説に背く
こと無き歟、選挙人たる者沿革変遷の上より今日世に存する政論の種類
を考へ、以て選出議員の言動と比較せよ。
吾輩は昨年の初め旧東京電報紙上に於て「日本近世の憲法」を革し、以
て聊か維新以来政府の立法的変遷を略叙せり、今や議会正に開け民間人
士の実地に運動せんとするに際し、此稿を草して以て民間の政論的変遷
を略叙す、亦た時機に応して前説の不足を補はんと欲するの意なり。
天下固より同名にして異質なるものあり、其の原因を殊にして而して其
の結果を同くするもの亦た少しと云ふへからす、昔し討幕攘夷の論盛に
起るや、全国の志士群起して之に応す、之に反対して皇武合体を唱へ開
港貿易を説く者、少数と雖も尚ほ諸方に割拠して以て一の論派たること
を得たり。当時此の二論派は実に日本の政界を支配したるものにして、
百世の下史乗に其の跡を留む、然れとも今日より仔細に其の事実を観察
するときは、甲種の論派に入るもの豈に必すしも勤王愛国の士のみなら
んや、或は再ひ元亀天正の機会を造り、大は覇業を企て小は封侯を思ふ
ものなきにあらす。乙論派を代表する者と雖も亦た然り、世界の大勢に
通し日本の前途を考へ以て世論の激流に逆ふものは傑人たるを疑ふへか
らす、然れとも、皇武合体を唱ふる者或は改革に反対する守旧の思想に
出てたるあらん開港貿易を説く者或は戦争を厭忌する偸安の思想に出て
たるあらん。吾輩は此の点に於て古今政界の常態を知る其の心情を察せ
すして徒らに其の言論を取り、以て政界の論派を別つは頗る迂に似たり、
然りと錐も当時に若干の同意者を得て、世道人心に感化を及ほしたる説
は、其の原因の如何を問はす、吾輩は之を一の論派として算列せざるを
得す、蓋し亦た人を以て言を廃せさるの志なり。
政治思想を言論に現はして以て人心を感化するものは政論派の事なり、
政治思想を行為に現はして以て世道を経綸するは政党派の事なり、日本
は今日まて政論派ありと雖も未た真の政党派はあらす、其の名けて政党
と称するは皆な仮称なり。吾輩は此の標準によりて本編を起草せり、故
に当時に在りて自ら政論家を以て居らさる人と雖も、其の説の多少政論
に影響を及ほしたる者は、敢て収めて以て一政論派の代表者と為す。家
塾を開きて業を授くる者或は必すしも政論を教ゆるにあらす。然れども
其の門人にして政論に従事するあれば、之を採りて一の政論派と為す、
著書を出版して世に公売する者或は必すしも政論を弘むるにあらず、然
れども此の著書にして政治思想に感化を及ほしたるあれば、之を採りて
一の政論派と為す、講談会を開き新聞紙を発する者必すしも政論を専ら
とするにあらす、然れども世の政論に影響を及ほしたるの跡あるものは
之を採りて一の政論派と為す。而して夫の自ら政党と称し政社と号する
ものゝ如きは固より一の政論派たらざるへからす、思ふに其の目的は政
論を弘めて人心を感化するよりも、寧ろ一個の勢力を搆造して諸種の慾
望を達するにあるへし、然れども吾輩は其の裏面を見ることを敢てせす、
只た生平其の機関たる新聞雑誌に言ふ所の政議を採りて之を一の論派と
見做し去らんと欲するのみ。
西人の説を聞き、西人の書を読み、此処より一の片区を竊み、彼処より
一の断編を剽り、以て其の政論を組成せんと試む、是に於て首尾の貫通
を失ひ左右の支吾を来し、到底一の論派たる価値あらす、斯の如きもの
往々其の例を見る。然りと雖も是れ近時の政界に免るへからす、吾輩は
略ぼ其外事情を知れり、維新以来僅に二十有三年、文化の進行は大長歩
を以てしたりと曰ふと雖も、深奥の学理は豈に容易に人心に入るへけん
や、且つ当初十年は正に破壊の時代に在り、旧学理既に廃して新学理未
た興らす、此の間に於て文章社会も世潮渦流の中に彷徨す。幕府の時代
に在りて早く既に蘭学を修め一転して英に入り仏に入る者は、実に新思
想の播布に与りたるや多し、然れども充分に政理を講明して吾人の為に
燈光を立てたる者は寥々たり、盖し中興以来の政府は碩学鴻儒を羅し去
りて之を官海に収め、彼等の新政理を民間に弘むることを忌む、是れ又
一の原因たらすんばあらす。然らば政論派の不完全なるものある亦た怪
むに足らす、不完全の論派と雖も人心を感化するものは吾輩之を一の論
派として算へざるを得す、時としては主権在民論者も勤王説を加味し、
時としては基督崇拝論者も国権説を主張す、而して世人之を怪ます往々
其の勢力を感受す、是れ我国に於て一の論派たるに足るものなり。