例  言
本篇は昨明治廿三年八月九月の交に於て著者病中に起稿し我『日本』
に漸次掲載せし所のものを一括せしに過ぎず著者講究の粗漏よりして
或は諸論派の本旨を誤認せしものなきに非るぺし識者誨教を惜む勿れ
ば幸甚のみ。
本篇固より日刊新聞の社説欄を埋むる為に起草せしものなれば随て草
し随て掲け再閲の暇あるへきなし別に一册と為して大方に示さんとの
望は著者初より之を有せす然れども読者諸彦の屡々書を寄せて過当の
奨励を為すもの往々之あるに因り厚顔にも爰に再ひ印刷職工を煩せり。
著者曾て維新以来の政憲沿革を考へ「近世憲法論」と超して旧東京電
報の紙上に掲けたるものあり又た其後「日本憲法論」と題し一昨年発
布の新憲法に鄙見を加へ我か『日本』に掲けたるものあり本篇は実に
此等の不足を補はんか為めに起草せしものなれば附録と為して巻末に
添へたり又た昨年一月に「自由主義」と題して五六日間掲載せしもの
も読者中或は之を出版せよと恵告せし人あり是れ亦た政論考の補遺と
して巻中に挟入せり。
著者今日に至る迄其著述を出版せしこと甚だ少なし往時曾て「主権原
論」と云へる反訳書を公にし一昨年に至りて「日本外交私議」を刊行
し昨年末に「予算論」と云へる小册子を出したるのみ然れども是皆な
反訳にあらざれば雑読のみ較々著述の体を具へたるものは本篇を以て
始めと為す但た新聞記者の業に在る者潜心校閲の暇なく新聞紙を切抜
たる儘之を植字に附したるは醜を掩ふ能はさる所以なり。

           明治廿四年五月            著 者 誌