我等の支那


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 日本は支那を伐ち、其遼東を割かしめたり、其憂漕を献せしめたり、其
 彰湖を棄てしめたり、其四港を開かしめたり、加之二億苗固の償金と威
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 海衝駁兵の餉費、亦退之を出さしめたり。霧西亜は支那を授ひ、其遼東
 を復したり、其償金を稗したり、而る後ち土兄横斯丹は亦支那の有にあ
 らじ、西伯利域道の新線路地方亦支那の有にあらじ、内外蒙古も亦支那
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 の有にあらじ、満州三省の全土も亦行々支那の有にあらじ。俳蘭西は鹿
 西正に結び、支那を助けて其遼東を復したり、而して東京国境に在る支
 那の土壌は一朝俳蘭西の手に辟したり、鹿西、廣東、雲南の境業は一朝
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 彿蘭西の手に辟したり。濁逸も亦蕗の後へに随ひ、遼東を支部に復さし
 めたり、而して清朝を起伏する兵馬の貰樺は隠然濁逸人の手に辟せんと
 する状あり、貿易の賓利も亦漸々濁逸人の手に辟せんとする状あり。濁
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 り英吉利のみ日清戦の結果より太だ利する所砂なきやの観あるも、支部
 の河海口に在る二十飴場海関の斉樺は依然として其手中に在り、支那の
 新募せし一千萬虜囚債の債権は厳然として其手中に在り、緬句四川間の
 錬遥計真の如きも西伯利遼東間の鋳造計量と巴萄漢中に正此例を保つに
 至らん。
 斯くの如くtて支那なるものは、今日一指を折られ、明日一指を毀たれ、