我政鴬は維新の義を解せざる欺
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一族若くは一賞の手に政権を委すること久しければ則ち許多の情賓を生
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す。図政一たび情資より出づれば、国家は其政弊に堪へず。若し其政弊
の及ぷ所を窓にせしむれば、国民の華南は狙上の肉となる。是に於てか
之が匡救の必要あり。
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匡救の方策蓋し二あり、一を改革と為し、二を革命と為す。此に謂ふ所
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の改革とは『レフオルム』のいひにして、平和の方法を以て国政の改善
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を策するものなり、革命は則ち『レグオリユーション』、惨憺の手段に
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訴へて之を致さんと策するものなり。一般に之を謂へば、国民の華南は
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繁りて平和の世饅に在り、故に能ふ限りは平和の手段を以て政弊の費除
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に勉む可きや固より論なきなり、然れども弊軍既に其極に達し、謂ふ所
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の疾菅青に入る時は、忠言願る所とならず、議義容る〜所とならず、曹
領一和瀾嘗」
勺 勺 勺 勺 勺 勺 も 勺 勺 勺 勺 勺 勺 勺 勺 勺 ℃ 勺 勺 勺 勺 勺 勺 ℃ 勺 勺 勺 勺 勺 勺 勺
に顧みず容れざるのみならず、其局に嘗れる者は政府の権力を妄用して
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是等の公議を歴伏し、以て其私を遂行するに勉む、是時に嘗りてハ改革
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の手段は畢尭無効たることを発かれず、是に於てか最後の手段其れ己む
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を得じ。
試みに幕府の末年に見よ、松平春嶽公や山内容堂公が主張したる公武合
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饅論は是れ取りも直さず一の改革論たるなり、吾等は今に於て二公が平
和を重んじて国政の改善を企てたる精神を敬す、然れども三百年間に養
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成したる情賓の政弊は、最早温和なる改革手段の能く除く可きには非ず、
か敷が掛和がいいγか酢ご那がホ軒卵軒斯か卦がいがh断l軒芸
勺 ℃ ℃ 勺 ℃ 勺 勺 勺 勺 ℃ 勺 勺 勺 ∇ 勺 勺 勺 ℃ ℃ 勺 勺 勺 △ △ △ △ 勺 勺 勺 ℃ 勺 勺
條公岩倉公等が錦旗の下に囲政の統一を董策せし革命の畢の己むに己む
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可からざるを公認せざるを得ざりしなり。
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但だ革命の拳に悲む可きは惨憺を伴なふの一時に在り、蓋し政府の局に
嘗り、手に兵馬の樺を把握する者に迫り、強て其樺を譲脱せしめんとす
れば、流血の惨は勢発かるゝを得ざるなり、われ又『日本人』に於て昔
て之をいふ、
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『惨憺は革命に封して其勤務を附興するものなり』と古人もいへり、
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是れ賓に悲む可きに似たりと錐ども、之に非ざれば以て目的を達する
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に足らず、衆生抜苦の為には滴陀も利創を解かざるを知らば、惨憺を
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帝ぷるに於て亦何の病む所あらんや。
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願ふに凡庸の輩と怯儒の徒とは、徒らに此惨憺を長れ、革命と聞けば戦
粟失色す、而して其間だ弊賓固結して華南の民より去り、危殆の国に迫
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るを察せず、われの平素より圃の大患は死経の墨守より甚しきは無しと
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いふもの之が為なり。是に於てか始めて国士の要はあり、謂ふ所の建造
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の時期を察し、為囲の樺を出だし、自家を戯して大義を天下に唱へんか、
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蒙昧意愚に非ざる以上、怯儒腰抜に非ざる以上は、囲人証か自家の幸摘
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自国の奉安を欲せざる者あらんや、必らずや勃然として起ち、衰然とし
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て合し、国士の後に雲合霧集して以て其畢に質す可きなり、維新の拳は
資に其的例には非ずや、若し高山蒲生等の諸氏之を前に唱へず、西郷木
戸等の諸公之を後に次がずんば、われ未だ 天皇日月の光を明治元年の
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天に拝せしや香やを知らざるなり、過去既に斯くの如しとすれば、清爽
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も亦宣斯くの如くならざらんや。
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維新革命の時期既に切迫し、志士閑下に雲集するの際、依然平和の改革
を主張し、伶ほ時難を匡ふ可きかを夢想するの燐輩あり、昔時の志士は
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之を斥けて俗論篤と構したり。今日の所謂政薫なるものは、同じく平和
の手段を以て国政の進善を期圏する者なり、志嘉す可からざるに非ざる
も、酎志肘掛か尉かか肘掛針酔で中和cア竺対掛lk吋掛か竹
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時にても匡救し得可きや香や、われは今日在野政薫の諸君子の第二の俗
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論煮たるに落ちざらんことを希ふなり。
是れ二年前の蕾稿に係る、偶ミ敗農を探りて之を得た・り、常時政薫の
言甲斐なきを概して私かに此稿を革したり、今にして之を時局に鑑む、
伶ほ必らずしも無用の文字と為さじ、藩閥政府に次ぐに藩閥政府を以
てし、非政薫内閣に代ふるに非政薫内閣を以てせば、国政は何の窮極
する所ぞ、是時に官りて政治的公煮たるものは別に思ふ所なかるぺか
らず、試に之を掲げて世に閏ふ所以なり。
(明治三十」年一月十日「日本」)
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