十年の事業
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吾等同人と東京電報を饅刊し、後ち日本と改題して以て今日に至るまで、
歳を関すること既に十年、銃を重ぬること早く三千に及ぺり、其の態刊
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の初に官りてや、一方には詭激なる民権論の人聴を饗勤し、動もすれば
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大義名分を素らんとするものあり、他方には軽桃なる欧化論の民心を腐
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爛し、相率ゐて尊外卑内に赴かんとするものあり、吾人は起ちて勤王論
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を主張し、以て世道人心を正し、国粋論を唱道し、以て囲本培植を努め
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たり。眈にして一世は偏頗なる内治論に傾き、囲の列国競強の問に在る
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ことを忘れんとするものあれば、吾人は闊植論を把持して其迷蒙を警醒
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するに力を致せり、而して藩閥の徒は言を勤王に薄りて藩閥内閣を永績
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せしめんと期し、名を国権に托して軍備膨脹を遂行せんとするものあり、
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吾等が之に反封して責任内閣の創立に力め、軍備緊粛の資行を期するも
のは、一は政権の統一を欲し、一は囲家の資力を顧みるものあればな
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吾等の勤王論は終始漁らず、然れども名を勤王に托して私権を逢せんと
するの徒を慣借するを許さず、言を君樺に潜りて民権を揉流せんとする
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の輩を寛容する能はず。吾等の国粋論は今ま猶ほ咋のごとし、明猶ほ今
のごとくなれども、智識を世界に求め、一国の文明を助くるものは、吾
等の平素より勉むる所、彼の自尊自大にして世界の進運に背馳し、固陣
頭冥にして鎖国撲夷を夢想するの輩は、固より吾人の容れざる所なり。
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其の国権論に於けるも亦然り、今日の帝国は世界の上列強の間に在れば、
備頗なる内治論の為に国権の振張を杜絶せしむるを許さず、然れども漫
に国権論に薄口して人民の安寧幸桶を犠供せしむるは、吾人の断Jて同
意する能はざる所なり。
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吾人の眼中には君あるのみ、民あるのみ、園あるのみ、国家あるのみ、
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及び世界の人道あるのみ、皇室の威徳は益ミ隆興せざる可からず、国民
の華南は益ミ増進せざる可からず、帝国の地位は益エ最大ならしめざる
可からず、国家の本務は益ミ公平ならしめざる可からず、而して世界の
人道は益ミ増穂し、天の生民をして文明の眞域に済昇せしめざる可らざ
るなり、吾等の微力なる固より消滴の効ありとは思はず、而も十年の事
業に於て多少の微衷を赦し1ものなからんや、後の十年に於ける吾人の
志業亦賓に此に出でじ、滋に本紙三千既の費行に臨み、既往を回顧し、
清爽の為めに一たび之を言ふ。
(明治三十一年一月十三日「日本」)