一億の決戦態勢は前進する
皆さん、九月二十二日といふ臼
を観えてゐられますか。
それは別に記念日でも、祭日で
もありません。しかし日本が、こ
の苛烈な徽筒に威して、断つため
にはどうすべきか1私どもの弛
むべき決敬態勢強化の方向がほつ
きりと示され1私どもが敢然と決
戦段帽に身を以て突入した記鏡さ
るべき日であゎました。
東鵬内閣総理大臣が高祖せる敬
同についてとくと指され、「一飴
申民】人鶴らザ、組員取囲配置に
つけ」と力強く命令されたのが、
一億の決戦態勢は前
進する
この日でありました。
苧■憩わ、日本は、済々と瞬
内漁労を強化し、敵米英撃滅をめ
ぎして逢しく前進してゐます。お
役併も、曾敵も、農村も、革枚も、
そし<私どもお富ひの生挿そのも
のが、本常に馳幹らしく、切替へ
られつつあることは、皆さん方も
流しく御触畝のことでせう。
身−革窓にあるために久しく絆
肉の咲を鴻らしてゐた革徒には、
待ちに待つた拙桝帥の紫替が鞘へ
られ、多くの架人が、剋幾年ばに決
然銃を荷つて蛇烈な挟職勘に出で
立つHは刻火と琴ついてゐます。
「最強なる兵士になることが、最
も灯れた掛徒となることであると
信ザる」
とは、去る〓十忘H、雨申に決行
された「出畔参従壮行曾】におけ
る残る潜を代表して陛大奥非智が
述べた牡行の雷嫉であるが、「革徒
は兵士であり、数勒は敏也に瓢ご
といふ自醍は、はつきりと革生生
徒の心の奥津く刻みつけました.
あまゎ上いお簡でなくて恐縮で
すがあるお葬ひの時の話です。「お
ぢいさんは盈の上で死んだけと、
僕は少年飛行兵になつて究爆の叶
で死ぬんだ」と十≡才の孫がきつ
はりといひ放つたといふことで
す0童心にほ迷ひもありません。
ひしひしと迫る取尚の幣和がこの
少年にかかる決意を阻めさせたも
のでせうが、そこに居合せた現速
はとんな束縛でこれな受け入れた
ことでせうか。
「国民革校を払へたら上の弊校へ
やつて、息子を料地させて 」
とか「息子が大挙を出たら隠居す
るつもりでゐたのに 」といふ
やうな夢を未だにいだいてゐる方
方があつたらどうでせう。
現鞋は夢を準えて弛み、時局ほ
大きな踏切りを私とものすべてに
黎惜してゐるむでありせサ。
この国家存亡の秋、教室から銃
を荷つて勇鰭姓添に赴き、スコッ
プをかついで漁畢して、埠藍への
公に上わ高き薫あを綴じてゐる若
人の#招こそ、世の抗たちが、
そして世の先達たちが是非とも革
ばねばたらぬものがありはしない
でせうか0否、一旦綴急の秋、す
べてを投げて立上るこの腎年の東
映、この踏切りこそ、日本侍統の
阻さであり、決職態勝を推進せし
める鮨動力たのであります。
普両の[研が、洞批敬であり、
樅つて生計職であることは批に御
者じの洩りです。南太平洋のソ
ロモソ、三−ギニア方面への敵
の反故を見てもわかる組り、敵性
飛行機と砲抑と人の「敷」と「き
とを以て、我が輩を糾し揖さうと
してゐるのであります。勿約、こ
れに恐れをなす良平ではありませ
ん〇 二路萌千」といふ冒集が背
からあるやうにこちらは抑し寄せ
る故にm血戦術に出で、寡兵上く
これを叩き、次々に大職果をあげ
てゐるのであるが、「もう召蝕、も
うl盲輸飛行機が今ここにあつた
ら1敵にあんな断乎な耽以は書せ
なかつたのになあ」といふ鞋も、
又偽ら首るところであゎます。
(釦)
「教はあれど飛槻なきを如何せ
ん」と亀山繰の参謀が歌はれたと
いふのもこのことでせう.飛行機
も、砲弾も敵と同じだけほしいと
いはれてゐるのではなく、ただ敵
槻を押へるだけのまた敵をして我
儀をさせないだけの弼垂さへ鞘へ
てくれれば上いといふのです。
最近の敵の患ひ上りやうを亀る
につけ、この前線の訴へをきいて
は銃後の私共はじつとしてゐられ
ません。敵が飛行機月産七千五官
といふなら、これ以上仙とかして
造つて見せたいものです。否、我
我がここで横極作職]吋輔倒するに
は今すぐどうしても飛行機の生産
高を〓倍にも、三焙にも、四倍に
もして見せねばなりません。
今度決定された「国内態勢強化
方鮨」の狙ひも、この飛行機汁急
建に飛機的に塘弛し上うといふ鮎
に主眼があるわけでサウナ分放資
材と努力とを摘へてこれで造れと
いふのなら、腐蝕でも出来ませう。
それは平時のときの考へ方です。
限りある材料と設帆と人手とで何
としても的家の兇州糾にそふだけの
生産みヰり放げねばならぬところ
に、問耶の施しい鎚恍があり、生
蛮に従糾する郷の御*公の即製が
あることになるのでありまサ。
ある工拗の女十工山は、桝北ら
れた部分品についてゐる針金の
飴分のところを‥モミリほと切るの
が什叫でしiU柘月のやうに切つ
てゐる叫に「一班仙故切らねばな
らむいのだらう」と奴帆み起し、
上役の乃に「ニご「、り如くしたら如
何でせう」と鎚雑しました。それ
からは私立られる前に針金ほ如く
され、ニT、りづつの賛ねとそれを
切る人手が省けた。
といふ話が桝捌に山てゐました
が、うそ見たいなこのやう汁こと
が、惰性のままでガ々で行はれて
はゐないでせうか。
ニ1した創・仙」火が、鍛錬杓独
に大きな敗北ンもたらすることも
もり触ることですから全藍煎人−
千転が「思ひつき」に組版起したら
大きな撤兵があがることでせう。
資材があつても槻械や設帆が足
らないといふ方があるかも知れま
せん。払し機械は木棺に持一ほい
に動いてゐるでせうか.相常忙し
いといはれてゐる工場について調
べて見ても機械を依ってゐるのは
一日十五時聞で、あと九時間は休
んでゐるといふことです。さうす
れば、二女番制を“ニ交替刺して、
輩夜知行で休みなく擬械を動かせ
ば、あと五剖は裕に榊産出来るこ
とになるでほありませんか。
まだまだ工夫すれば打払の道は
あります。生産の陸路といふこと
が上くいはれますが、だんだんと
掘り下げて行けば、鼠の陸路など
ない皆です。この悍持の打削が出
来ないといふのは、打つためには
どんなことでも断行するのたとい
ふ信怒に徹してゐたいからです。
前線で契餅1・といふ時に人が
足りないから、出の訓子が拙いか
らといつて、ぐづぐづしてゐられ
ませ〜か。「むづかしい」と恩つ
てゐても、恩ひ切って晰行すると
ころに勝利の突撃路は開けるもの
です。前線で山脈ることが銃後の
生産放でやれない革もなく、やら
なくて上い勘組もありませんD
嬰は生藍にたづさはる人の埋耶押
の間剋であり「心の踏切り」の問
題です。も・りかるから造るとか、
逸らないとか、艶時倹蛯「たらい
くら賃金がもらへるからといふや
うな功利薮議だけで範業主や、替
歌漕が捌いてゐる限り、流の樹壷
が出来るわけはありません。
職以も揃組も脂勘であることに
奨りありません。
「命せられた工難が激出漁り弛ま
ず、取力に炒轡をもたらしためは
申誕ない」と、資任破から自乱し
たあの伊機軸鞋叫尉の生壷への兼
任脹が、壷先人のすべての心に生
きて架たら、桁蛮は捌して待つべ
きものがありませう。
航払触を勧め鞋鮎ぬの料地的材
藍をはかるためには、さきにもお
惜したやうに人事む急溢に必弊と
く31)
しまサ・国内態労強化方策の重蓼
な眼目として「国民政見の強化」
が攻り上げられてゐるのもこの粥
由からでナウ働き盛bの努の人
は、今上りももつと直接戦力の増
強に役立つ敬場に自ら進んで招混
していただきたいものです。男子
の従業禁止合と併行して肉民徴用
も強化されてゐます。ここにも
「日分の好きな職業から南家のよ
り必黎と†る職場への大きな踏切
りが要請されてゐるわけです。
輿なきあとの職場は、女の方に
やつていただきませぅ。女子動弊
浸ることは、現在において飛行機
湖椚の資金として吸硫吼を湖金す
ること以上に大社る協力を航然兵
力の桝眠にな寸断以である」とい
挺身除がその組持でサ。
敵アメリカの女性は〆グラス飛
行槻工場の三分の−を占め、あの
悼むべき「真の襲蛮しを塩つてゐる
ときいては、日本女性たるものじ
つとしてゐられないでせう⊂早く
も方々の同落合や女子青年観でど
しどし挺身扱が練成されてゐます
大西海軍中郷は、ある講演曾で
「女中一人節約し、また可愛いい
■娘な女子工員として飛行機工勒に
はれましたが、
工糊の女子工員が、女子挺身陰
に州た梓畝のない者ほお操入わの
賛椰がないといふやうな世の中に
なるかも知れません。
断つための快職熊襲礪化ほ、燦
然私どもの生活に大きな影響み及
ぽさザにはゐられませ七来年か
らは企掘ほ日本と満州で絶劉日給
でやつ一て行くことになbました。
今まで爪音薗石も入れてゐた外米
の職人をやめ上うといふのです。
この秋から多にかけて使命に土
地改良をやつて、来年はお米首八
十岱石、変更手砥石ほ是が非で
も和恵せねばたbませんが、これ
また生やさしいことでありません
が、断つための至上命令でサ。
一ガ洞出の方恥、班坪は勿満不
平不純も断つまでお預けにしませ
う0かりに璃方から大石筒石の外
米を持つて来る代りにボtキサイ
トみ窪んで来て飛行機忙したら〓
甫五千機も出来、それだけ取力が
棉碩されるときいては、差引配給
や少し位の不肖由佗何でも我増田
来ます。ソ聯の配給はバソと男だ
けだといふではありませんか。
生活といへば、とかく滑費的な
もののやうに考へられて来ました
が、これを生産駒に切り攻へるこ
とが、決Z下の生活のあわ方だと
思ひまサ。わかりやすくいへげ、
皆様の生活の申から、出来るだけ
微力を浮かして職申の方へつぎ込
んでいただきたいのでサ。
皆様がもし衣料切符の一割に普
る綿を使はないで、軍騙に廻され
たら、落下傘が∧十九裔奄も出来
ます0お宅のたんすの障を排つて、
もし十七枚の銅甥と七枚のニッケ
ル貨を探し出して全国の全家庭か
ら供出して下さつたら、三萌五千
トソ扱の串拇二隻をつくることが
出来、■lツナル貸一枚づつでも三
罷五千基の敢動鞭をつくるニツケ
ルが集るといふことです。
かう考へて来ると私共の生活
は、決して飛行拷や兵熊の埼意に
耗遠いものではあbません。私共
の生活こそ隈力の押泉なのであり
ま†・この職カキ断つために挿げ
るか杏かは、私共の決心と¶耗に
かかつてゐるのであります。
最喝敵は【時は軌なりLと蕗
んにいつてゐま†が、日本がだん
だんと大東題を和めて行〈のが放
しいからでサ。しかし私どもにと
つても、「時は放で†」。今ここで、
ほんたぅに団円の決職態勢に切り
替へて頑粥らなければ、敵の村井
を撃つことが出来ないばかりか、
敵の反攻に名をなさしめる恐れま
たなしとしません。
この硬家重大の秋を決する鍵
は、一にお互ひ一臆観民の決馳の
「踏切b」の如何にあゎます。浅
かに一億の取開醜澄を完了して、
ただ勝つためのみに地盤旭いたし†
せスノ0
ハ†月二十三日放蓮)
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