輸送戦に勝ち抜くために 大政翼賛会事務総長 丸山鶴吉


御乗知のやうに−去ろ十月言に断行された列申時刻の大改正ほ、
人の放逸から貨物の重難輸逸への大切換である。妃末「沌迅は兵器な
とといはれるが−享」とに今日の洩道は飛行機や職革や、或ほ欝控
などと同様有力な兵語である0近代職は二仰科料柚ともいはれてを
り、この料率散は必然的に食を以て苧芸附糀[を意味サるむのであ
つて・今日前線で消耗される飛行機や武淋抑朝はYに移しい敬意に達
し、これを補給サるための輸幾力如何が馳局に爪大な彫智を輿へるこ
とは督払と思ふのである。
 殊に今日の牧場は北ほアリアシヤソから、柚は太平巧印度洋に
亙ろ醗大な地故に延びてゐるのであるから、耶はいくらあつても足む
ないのは普然のことである0そこで昨年の十】月から、それまで舶で
幾つてゐた分まで−織澄で引受けることになつて、舵のかはゎを汽革
がする、といふ現在の萎に契つてまゐつたのである。また私どもの生
活にかくてはならぬ物資−とりわけ米、攣野琴魚類など竺つ
としてゆ鵡放題に親らぬものほないのである。
 このやっ打鍵頻ほ1敢ふために必変なものの能義を増大するため
に、またこれを博撰生産する人々のため或は銃後の国民生活を確保す
るために、さらに混んでこれ車綜合した圃家の職力宗領するため
の、あらゆる酒勅の血管として、国家絶力線の動脈として、全力を革
げて輸逸機と放つてゐるのであろ。
今日の馳牢は一面からサれば挽迭の職である、といはれてゐるのほ
そのためであつて、われわれはあく軍でもこの輸送故に餅ち抜かねば
ならない。
我々はこの輸迭職を如何にして断ち淡くかであるが、輸送力には限
りがある0敵米英撃滅に一番大切な、敬ふカを姐くするために竣客列
早は減らしても1蛮策戦±の方、その他の職時下緊亜なる人々の通勤
輸逸、洩徴士や淘萌報国汲の税率次代を抱ふ卑生生徒の通単軌蓮な
どは、これまた重私的に絶対に確保しなくてはならない。かやうにし
て吻も人も、この丁大決故を勝ち抜くため竺番犬切なものから宮殿
的に輸簸しなければならないわけである.
一度び眼を櫓じて、交戦醒の戦時輸蓮が如何に行はれてゐるかの例
をながめで見ると、ソ僻では今次の態学以来民稲俄逸は殆ど抑へられ
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てゐるといふととである.ドイツでは今夷の大戦が始まるや、主蒜
はl竺木.つつの族客列革を残したのみで−あとは全部軍‡吼漁に充
てたといふことである。あのドイツの馳乗の蔭に「イツ国民は放逸の
面においてそれだけの犠牲を忍んだのであつて、現在においてきへ・
旋客列革は敵前のこ一分の一動いてゐるに渦ぎないといはれてゐる0ま
たアメリカでは般に上る民雫輸逸を革止ト、刷内旅行についても「休
職は家庭」でといふ日南の原語を掲げ丁旋行の謂噂に努め、イギyス
でも「絶封に必嬰でない族行はするな」と呼びかけてゐるといふこと
である¢
 絹子の兵法に「戦に勝たんとすれば先づ己を知わ敵を知れ」とある
が、我々はこの敵の革へにも打ち勝たねばならない0
 との時、この富嬰な放逸を強めるために、お互ひ評かに駒に手をあ
てて考へ見ると、嘗同の覚大に馴れて、「把桝に必要でかい」捷行をし
たゎ荷物の託逸などをして、それだけ助力杓叫の逸を拒んだことはな
かつたであらうか。軍鮎挽塗一彦への協力において1我々は果して敵
米英に野ちつつあるであらうか.
 雄行の油眠がゆるやかであつたのは「我が国カにそれだけのゆとわ
があるのだ」といふやうな考へ方もあらうが、あの掃く度に涙を禁じ
得ない丁ツツ鳥山噂部験の玉砕の悲報を、またソロモソ万両の間断な
き激戦苦闘の取況を、さらにまた、ガ〆ルカナル島で散つた我が勇
士、愛知坂田身の一中尉ほ「自分が死んだ岬ほ魂で故姐へ貯りますか
ら、池骨は逸る必要はあゎません、若L私の紐骨を逸るだけの放蕩力
があれげ、その換簸胎で米を銃後の国民に幾つて呉れ」と逸事に埋き
れたのである.われわれはこの銀牡な音盤をなんと和かねばならない
であらうか。
 これほど大切な輸簸である。今日では戦力増強のため宴必罫な吻
と人との愉逸にすべてをゆづつていただき虔いのである。況んや曲面
その他に名を借りで遊山年分の旗行とか、また買出族行などを止めね
ばならぬことほ申上ぐるまでもないことである‘
 ただいまお侍へした皇軍男士の悲壮な泣言を也L、環下の取同を想
ひ、この際探く自らかへりみ、木骨にやむを得ない租ム」局外の蛇行は
一切とわやめたいものである。「先.つ勝利を?然るのも族行をヱこの
盟邦ドイツの呼びかけをそのままわれわれの上にも移して、邑逸頓に
おいても鍾壁の共同取緑を痛くの先惰で蜜鮮輪島に御協力を鼠ひ発い
と恩ふ。
 また荷物の託逸等についても同様である.最近でけ寛出に頓する荷
物の托島も少くないやうであるが、これら不急もしくは明朗牲を鉄く
品物の託送なピはこの際相野に止め上うではないか。どうせ汽革は定
時に建つてゐるのだから、自分一人ぐらゐ施行しても荷物】つぐら
ゐ幾つてもといふやうに考へ易いのであるが、その考へがそのまま捏
畿カを萌め、戦力を混めることとなるのである.
 由来日本人の虎行好きは他界一ださうであるが、いま個わに十人の
ぅち】人が頻にその気になつて】年間にたつた一同の旋行をやめると
すれば、数字はさしひかへて荘くが、園鍾が一年間に運ぷお米の放逸
カが出てくるのである.億りに国内全部のものが同様年に一周の改行
をやあると、同じく囲銀が一年糊に壌ぷ安平食q品の烏蓮力が浮いて
く幻)

来る。
 われわれがT岡の族行、山撃フ荷物の託速をH渦すれば、それだけ
直ちに馳力増強に役九つのである。繊鵡峨迭は、米英撃滅の爽曜路と
して敬線につながつてゐるのである。われわれは勝手気ままな個人主
弟的な束縛から、少しでもこの架撃路を盤ぐやうなことがあつてはな
らない0
 なほこの機倉に、俄象徴士の方々の御苦勢について;日中し述べた
いと恩ふ0開くところに上ると、繰道の現業作梁は大雄において一つ
の作業整一人で〓日間に交代勤務し、二十四時悶迎舵勤務ださうであ
る0乗務員の方々は十大時間あるひは十入時間劫紡であるといぶ。の
みならず、日確も祭Hも、閉噺咋〜勤務溌抱け、また深夜に出動した
り、日中に出て県夜中に締る人もあるさうである。我々が嬢てゐると
きも出動し、事故なきを念じつつ送り届けられる、軍事輸幾を滞bな
からしめた蔭に散つた辞長さんや、乗客の危験を救つて簡牲となつた
血貫もあゎ、また瀬野や災鍋から一日一人の割合で特性漕が出るとい
ふことを開くとき、我々は椰然として襟を正さざるを得ないのであ
る0それは恰も砲痩なき戦場の働きであり、我々はその労苦を深く察
し−心から感謝の束縛をもつて壊してゆかなければならないと思ふの
であるQ
 兼故に一宮つけ加へたいことは、萌一必寧があつて汽革に森る時
も、「族は革つれせ性情」の冒装もあるやうに、ホームの待合せも兼h
降わも巾列行列を抑市し、宇内では三人かけあるひは弛宜座席を交帝
し合ふなど、もちツもたれつの所租椅静を革内こまモ樽長して、自治
駒に混雑を綬和するやうにお互ひに努め庇いと恩ふ。
 釆焚禽においては、以上の駄に稽へ、このたぴの列中崎刻の改正を
契機として1十月一日より同末日までの間にわたり「礪弥挽迭強化建
動」を椚施いたし、既に槻係各方面の協力のもとに、詫製時に威する
交通訓練や、ただいまのべた革印粥保浬勅、泡勤通単自治禽の掘充、
重安物資の滞貨一掃泣に、簡易な業殊に封すろ勤労報国除の奉仕協力
等各般に亙つて展親し、多大の成果を収めた.
 いまや宿敵米英は、その鬼大な物質カをたのみとして、北に南に必
死の反故を企ててゐるのである。我々はこの鹿史的な大東亜取学必野
を期するために、まね輸遠聡においても米英に勝ち抜かなければなら
ない0
 国民各位が銃後の戦士として、それそれの持勒で穴鎖敢闘せられつ
つあることを確信†る次弘であるが、私は持にこの槻骨に、「夏飴色富
強化渾勤」の推進力として、挺身重唱犠牲的に消勅されてl人々人
が同時にそれぞれ輸速力強化の戦士として協力して衝かねばなら鞄と
思ふのである。            ハ十月入日放逸)