山本元帥を偲びて   大本営海軍報道部長海軍少将 矢野英雄

 私はこの度南太平洋最前線に於て戦死せられました聯合艦隊司令
長官山本元帥の赫々たる偉勲と、その壮烈なる精神とを偲びたいと
存じます。
 元帥は明治卅七年海軍兵学校卒業以来身を軍職に奉ずること四十
年の久しきに亙りましたが、その間海軍少尉候補生として日本海々
戦に奮戦重傷を受け、初陣の功を樹てられたのであります。その後
第一次世界大戦及び数次の事変に参加し、赫々たる武勲を挙げ、また
航空戦隊司令官として、特に海軍航空の重要性に着眼し、鋭意その
建設に努め、一方海軍軍縮会議に於ける帝国全権委員随員或ひは帝
国代表として国外に使し、終始よく帝国の主張貫徹に尽瘁せられ、
帰朝後海軍航空本部長の要職に就かれ、今日の帝国海軍航空を確立
し、次いで海軍次官として国際情勢複雑多岐の間に処し、よく難関
を打開し、更に昭和十四年聯合艦隊司令長官に親補せられ支那事変
に参加し、重慶政権に対し、陸海協同の妙致と有形無形の実力を発
揮してこれを支那奥地に蟄伏せしめ、同時に今日に備へて実力の錬
成強化と、必勝の籌策樹立に心血を傾注せられ以て今次の大東亜戦
争に望まれたのであります。
 昭和十六年十二月八日米英に対する宣戦の大詔を拝しまするや、
帝国海軍は電光石火敵米英の太平洋上に於ける艦隊主力を覆滅し、
一瞬にしてその海軍兵力比率を逆転せしめ、爾来疾風迅雷随時随所
に頑敵を粉砕し、戦前敵が誇号せる包囲陣を更に印度洋、南太平
洋、東太平洋に雄渾なる大作戦を敢行すると共に、その一部は遠く
米国本土西岸、濠洲及び南阿方面に出撃し赫々たる戦果を挙げたの
であります。
 かくて帝国は開戦以来一年有半にして、その四周に必勝の拠点を
築き絶対優勢なる戦略態勢を確立し、今や光栄ある勝利は、我々の
前途に確約せられてをるのであります。
 かくの如き史上空前の大戦果は素より 御稜威の然らしむるとこ
ろでありますが、また聯合艦隊の雄渾周到なる作戦と全軍統率の完
きを得て、克くその実力を発揮せる結果でありまして、その最高指
揮官たりし山本元帥の武勲は正に千古不滅と申すべく帝国の歴史に
燦たる光輝を放つものであつて、この度 畏くもその偉勲を嘉せら
れ、元帥府に列せられ特に元帥の称号を賜はり大勲位功一級に叙せ
られましたととは洵に武人最高の栄誉と申すべきであると存じます
元帥が昨年八月以来歴史に比類を絶する激戦場と化した最前戦[ママ]
自ら進出せられましたことは、元帥の敢闘精神を物語るものであり
まして、同方面の前線部隊は異常の感動を受け、全軍感奮興起し、
更に生死を賭して戦はんことを誓つたことは申す迄もありません。
 元帥の戦死せられました当時同方面に於ては特に熾烈なる航空決
戦が昼夜を分たず、展開せられてをつたのでありますが、今四月中
の激戦の状況を簡単に申上げますれば、帝国海軍航空部隊はその鵬
翼を連ね殆ど連日ソロモン群島方面に於てはガダルカナル島、フロ
リダ群島、ルッセル島、ニューギニヤ方面に於きましては、ポート・
モレスビー、オロ湾、ミルン湾等を攻撃し敵機百八十三機を撃墜、
三十機を撃破し、巡洋艦一隻駆逐艦二隻を撃沈し、小艦艇多数を撃
破し、その他の船舶二十八隻を撃沈二隻を撃破したのであります。
 この間敵機の来襲も亦熾烈でありまして、延機数にいたしまして
四月上旬には五百五機、中旬には五百八機、下旬には七百三十二機
合計一千七百四十五機の多数に達してゐるのであります。
 元帥はこの激戦の最前戦に進出せられ全般の作戦指導中敵と交戦
し、終に飛行機上に壮烈なる戦死を遂げられたのであります。
 即ち身を以て陣頭に立ち奮戦せられたのでありまして、その烈々
たる敢闘精神は永遠に帝国海軍全将兵の精神の中に生き、米英撃滅
の一大推進力となるものと堅く信ずるのであります。
 私は開戦前より戦争の初期にかけて聯合艦隊旗艦々長として朝夕
元帥の英姿に接することが出来たのでありますが、私の心に深く刻
み込まれた元帥の人格は剛毅沈着思慮周密、気宇広大闊達でありま
して創意に富み、物事に捉はれずしてその真相を見抜くカが群を抜
いてをられました。又機を見ること極めて敏でありまして、勇断決
行その初志を貫徹せずんば止まぎる強い意思の人でありました。そ
の堂々たる体躯、厳然たる態度の裡に慈父の如き温容と大海の如き
抱擁力を持たれ、万人斉しく我等の長官として心服尊敬せざるもの
はなかつたのであります。殊に聯合艦隊司令長官として皇國の興廃
をその双肩に担はれ、米英撃滅の大詔を拝せられた前後の御心境は
何人と雖も想像すら及ばざるところでありますが、当時の長官の態
度は悠々迫らず極めて平静沈着何等平日と異なつたところなく聯合
艦隊の将兵皆無限の信頼と力強さに打たれたのであります。
 開戦当時聯合艦隊の各指揮官を集合せられ、開戦に関し力強き訓
示を賜はりましたが、その訓示中に「本職と生死を共にせよ」と最
も厳粛に訓されました。私はそのときの長官の巌の如き決意と神の
如き風貌とに終生忘るることの出来ない肝銘を受けたのでありま
す。又長官は出陣に当つて
  國をおひて、い向ふきはみ、千萬の軍なれども言挙はせじ
と詠んでをられます。
 皇國の存亡を背負つて戦ひに出陣する以上敵は米英の大軍である
が、これを撃滅する迄は黙々として戦ひ抜くのだと申されたのであ
ります。戦局愈々重大なるとき元帥戦死の報に接し全軍の将兵は真
に痛恨衷惜の情を禁じ得ないものがありました。併しこれによつて
帝国海軍は微動だもするものではありません。否却つて元帥の烈々
たる精神を精神とし熱火の如き敵愾心を以て米英撃滅に一路邁進せ
んことを深く期してをるのであります。
 戦ひの前途はなほ多難であります。
 私は国民諸君と共に元帥の壮烈崇高なる精神を生かすは正に今後
に在りと信ずるのであります。
                     (五月二十一日放送)