提督の最期 大本営海軍報道部課長海軍大佐 平出英夫

 近代戦は科学戦といはれます。
 従ひまして各種艦船、兵器、機関、装備等が、戦闘の勝敗を決する
重大な要素であることは、申すまでもありません。しかし古来の戦争
を観ましても、軍隊なかんづくこれが上に立つ指揮官の素質と至誠奉
公の精神如何等の要素が、かかる物質的威力を凌駕するものであるこ
とは、万古不変の鉄則であります。
 今やわが将兵は、大御稜威を戴き、卓越せる指揮官の下、全軍一体
となつて、物的優勢を恃みとする敵戦力を徹底的に撃砕いたしてをり
ます。物的要素はもとより些かも軽視されませんが、精神的無形の要
素が、無限の戦力を形成するものであることを、特に銘記すべきであ
ります。私はこのたび特旨優賞の恩命に浴しました山口多聞中将、加
来止男少将の東太平洋における壮烈なる奪戦と、陛下の御艦と運命
を共にした平群も泣くその最期を申述べ、あが前線指揮官が敵甲奴の
中心となつて如何に取つてゐるかを偲びたいと存じます。
 山口中称は、安淋事典にありましては、威ひは挽糖部顔、魂ひは前
条群取の指揮官として、各地に拍取し、その功抜群だつたのでありま
すが、時に航建部敵指揮官としては、空虚箆軍の甲奴故に敵軍串施設
の改革に停功を奏し、軍令部線長官影下より、その功炭穀嘉箕せら
れ 勧曹蕪を停痩せらるるの光茂に浴した外、支那方面板取長官上り
感状を捏興されてをゎます。
 大‡窪教学におきましては、中将は関取努閉のハワイ海戦に参加さ
れ、かの議々たる大戦果のl中性理に中将のヰ越せる兵柵、烈々たる
十行カの功に辞するといふも渦嘗ではあbませんゥその後中将は各作
故にさ加され、放火の停勒を桝てられたのであbますが、束太平洋方
面の作戦におきまして、敢然として敵方に進出、反覆猿烈なる攻撃を
加へ、部下航室料換の最後の−槻にいたるまで海戦し、敵碗藷母挽一
隻、大型巡洋鹿−貞身唐わ、他の満蛮母樫一隻に大損専を輿へ、敵基
地に甚大な軒革を輿へるといふ大戦果をあげられたのであゎまサ0
 また加東少好は、多年航島粥係の卒敬を転任写れ、支称事#におさ
ましても、航集散司令として各地に何故、さ人たる武乃を群<らl払−
大東頭取手動亜いたしますや、山口中好の席下としてハワイ裏打さ
瓜以来、各作取にさ加され、東太平洋方面の作敬には、枚の反辞をl平
に引受けыナ力師、亀に欠折れ、押つきるヤ、救世のため衆甘いたし
ました中藤鹿に部下組員を無事移乗せしめました後、山口申持と共に
繰上に蕾まり従容として振と建命を共にいたされたのであります。
 次に常時の状況を側泣く共に敢ひ、その環状を日のあたりにした耕
土の紀銀に上つて、申述べたいと息ひます。
 昭和十七年六月のことでありせ†。文太平洋方面に作取が‡放され
ますゃ、山口中将相好のわが航盤部放は盗人と理先の行動に移り、洋
上の基地興津く潜む敷板幹振放の鋳き出しを計bながら、次々と控廿
槻を飛ばしました。この日甘貫は≡Tメートル¢上塞を臨め、文南東
の見強く、南方固持有の長浦は大きく、艦戟汝の飛び立つのも西鶴な
ほどでありました0索敵梯が鵡空してから約二時間「航慈母憤○隻を
基幹とする敵艦應の北上を薮見す」との快報がもたらされました。時
に日本時間にして早朝のことでありま†。洋上の時善があbますので
太牌はすでに沖天に近い卑でありま†。
 わが軍汝00は、山口司令官これを直申し、加来振長和坪の下に既
に取閑配備にあり、符土の意蛋また既に敵を育むの概があります。
 敬槻正に黙す−
 わが取顔は、敢然挺進、われに数倍する堅均な椅型陣をつくる放航
箆母海兵朗と火蓋を切りました。かぐて激取力内政時間に及んだので
あゎますが、わが方は藍に敵前慈母振甲板巡洋振各山男を革準他の
航産母挽山費を大破せしました¢そればかゎではな′\この日明け方
から粉砕革娃し捷けて衆た倣飛行槻は、すでに官敷エ丁を敷へました
ヽノ

7



が−取意旺盛な海の勇士たちはなほも操る敵航革母艦に対して猛襲を
続けたのでありますこかしわが方は夜来聖地の奥琴〜に迫つて、
溢最十数時間に及びすでに砲身は焼け、飛行機も驚き、†べての力
を出し姦してしまったかの革がありました0しかしあくまで敵壷丁流
せずんば止まぬ勇士たちは、蒜撃憫、表力傲、さらに狩攻撃に督
らんとする恰度その時でありま†0刻蒜宗して来た敬意降下爆撃
機群ほ、わが艦上を蔽ひ冒涜法に準↑する魚慣、爆弾のしぷきに樫影
は薇ひ琴昇る程でありました表にこの日敵の猿襲は撒烈を極め、
排撃以衆わが軍娠00巨がけて突撃宗みた敵讐十五嘩同避した
魚昏だけでも二真木、爆弾約七十費でありました0敵の来襲は早朝
上ゑ丁後にかけて田岡に及び、曳後の来製に上り敵の教教の爆押はつ
ひにわが樫楕前方の飛行甲板に命中いたしました。
 山口司令写加来埠長以下幕僚は、その時艦橋にあつたが、物襲い
爆風が四方の準丁窓を持つただけで、概ね無筆ありました。だが前
部飛行甲誓は大小丘の争うな織の汲と、大差爆弾の穴が開けら
れ、樽椚庫ほ雫レい火焔を噴き出し別の賓近挿に1る火災も、忽ち晩
稲をめぐる防弾有に燃え移つて、見る見るその火箸壌げて来ます。
璧還犀の命令は衣言音れた9琴円各撃断への注水は元上bのこ
と、弟土建は持彗芸廼つて、消火に全力をあげたのであb写す。
 挽放ろるも軍紀破れザ。
 沈潜に、増批に、豊が講ぜられます0だが1火攣れば遍また
群るの有様で、違は牢エたち必死の努力にも拘らず、軒家全面的に
灼革化↓、炎人と燃え硯がる火勢は、夕闇の盤を焦がし、海水もため
r顔るかと息はれました二男士たちはなほも梅里を絶宅とせず、狩炎
熱火の畏なほ水の撃沈薄さもつて、印火に努めましたが、火労は
いよいい激しく忽ち機械室、汽鈍重の義金両性火の海と化し、舵頓
機械の操作も竜に不髄に隋bました。
この時なほ擬底深い部署にあつて、阿修鍵の響操作を扱けてをり
モた槻錘部員は、上層錬板の熱気と四方をめぐら†拝壁のうちに、
大呼革哉を唱へ、或ひほ死すとも敵を撃たでは止ちと絶叫し、相次
いで艶るとの報が、彗として侍革管をもつて取楕に特へられるので
あります0それ上りも早く、救出決死戯の手は、雄火と捷壊を胃し
て、機望と汽鈍室との連絡を計つてゐたのでありますが、蔓驚
くまた救出しの苧も多くに及ばず、艦は蛮人畏彗たる鳴動の裡
に左に傾斜して約十九虎に瀕してゐたのであります。
 誘爆はなほも研ぎ、剰へ志の火は、驚を合せて、波涛を済めん
ばかりでありまサ0この中にあつて艦の左舷側にほ、大滑にも些遂担
00がその舷側をピックリ品付けにしてゐました¢共に消火に普
り、死傷の戦友を抱へ移すなど必死とたつて協力いたしたのであ豊
すが、それは恰度猛火の中に母子柏彗、相呼ぷが智者抜であむ、
顆の将士をして熱涙をふるはしたのであります。
 こ空間にあつて−なほ扱がザ薫れず、望Hの清士の歩み溢耽にし
て、壷一動1絶俵正しきほ何慧と見え芭た0それほ防準甲板下
部の琴安睾に鉄壁録心窄もつて奉安し参ら芋ある御蒙毒苧レま
ゐらせる筆だつたのであ豊す二見は恭しく事態霜に浬し革り、身
をもつ蒜と背に色ひ亮つ前甲板に革安申し↓げ、さらに命に上つ
 て、軒蓮根に電し参らせたのであります。
 陛下の御鹿たり、御嘩今ここに裡県影の御移魂を了し挙る。
 r臣萱真の琴力もなほ忠誠に足ら首るなきか1と忠悪玉な畏れ
患うて悲憤の涙は抑へんとするも抑へ得ません。
ヽノ

8

′。ヽ
 加薮l長は今や魚貝浪去の巳むなしと判晰いたしまして、その決意
を山口司令官に報肯いたします。山口司令官もこれに同意され、この
官を稚魚司令部に報告せ上と命ぜられました。
 この報告は山且附正に在つた賄逐握に懐小電蛭の微かな光に上つて
籍へられ、正に控除司令部に倖へら丸ました。時に夜は既に深かつた
のであります。この時なほも、機械箋、汽拙室にあろ吸友に射する決
死の救出作業は併然として康けられてをりましたが、熱い璃に阻まれ
まして、今は萬光、全く盤き果ててしまひました。馳友たちが交々革
を限りに、熱涙を維めて呼びますが、汚々と渦巻きのぽる噴煙がその
面を持つて来ろのみであります。
「総員、飛行甲板に頚れ!飛行甲板に銀合−」
 まに最後の命令は壊せられました。裂けるやうな艶鶴の侍令と咽喉
も破れて出ぬ駆を振り絞る繋が、その命令を忽も全部醤に侍へまし
た。総員の尖りました飛行甲萩は恰も坂のやうに傾き、亀裂、凸凹、
弾痕で篭叩日もあてられぬ有様です。また、媚合した組員の脆といふ
貌は終日の雀顔を物語る油と汗で黒くまみれてをりましたが、どの睨
も滑々と不民の敬意に仙準え軽いて、一人として失望落滑の菊配すらう
かがほれません。全員の陣は期せずして舵梱に注がれました。脛椅
の一方に転立するは山口司令官及びその稀僚、左の方に加東掟長、郡
長、その他の彫執く、燃え盛る府と月の光にその一つlつの梢前が染
め分けられてゐました。
「頓、わが司令官、わが潅長も亦健在なりしか」と全員の沖に}粥敢
‡の色坤くのを見まするのほなほりの期においても自己なく、生死な
く、身免ただl爬と共にあbの葬でなくて何でありませう。
 各舟蝕は耳らに人見地呼を行ひまして上官に伸へ、上官は坪井に報
告いたします。この報告が捗り羊すと加爽椎長は山口司令官に叔担
し、共に耗庸から飛行甲板に降り立ちました。降り立つたその足軒に
数個のビスケット箱があります。これは消火に協力した軒産推から虐
急糧食として運び上げて呉れたものでありますが、童貞稚一人として
そのビスケットの山片だにも口にし七ものはありすせん。のみならず
その日の噴からこの時まで司令官以下組員馳肉醗食の盤飯一筋を片手
に励んだことがあるだけで、}杯の水すら呑むものはなかつたのであ
ります。加来艦長ほそのビスケット箱の上に立ちました。そして甘
然、衣の如く訓示されました0
 「緒子。持千は乗艦以来、ハワイ来襲その他に於てももちろん今日
 の改革に歯つても、最後まで、甥に上くその機を鞋してくれた。島
 国海軍軍人たるの本分む故憾なからしめてくれた。粧長として最大
 の涌足を感ずると共に賓に感謝に堵へないP改めて均をいふ。
  ただ、共に今日の敬ひに段みながら、共に只今ここで相見ること
 のできない艶多の馳友の英壁には、多感いひ坑せないものを梵え
 る。同時にその食い赤子を多く失つたことを 陛下か始め牢わ、}
 般執民に勤し潔くお帯び†る。
 今次出撃の際にも各艮に申し誠べた洩り、取は正にこれからだP
 諸子の同位はこりの海底に紳組まるもこの海上は敵アメリカへの撃
 滅路として無数の英魂ほ萌世かけてわが太平洋む捗るであらう。籍
 子もどうか一席背怜して正に官にわが海難に光埠む加へてくれ9枚
 挙流し轟さずんで止まじの魂をい上い上淑へ合つてくれ。
  切に、藷子の毒を所る。では只今上り総員の浪去を亀丁る」
カ温い帯尾でありました。
 舵長に代つてすぐに山口司令官が鼓上に立たれました。
ヽノ

(y

′。\

「只今の掟長の訓示に総べて革されたと鼠ふ0私からはもう何も述
べるりとはたい8お瓦に皇国に生れてこの魯心の表に逢ひ、いさ
さか本分を申し得た放びあるのみだ0腎と共に宮城を彊挿して、
天皇陛下寓意を唱へ奉わたい」
司令官の艶にも態度にも、平常と少しも繁るところは見られませ
んでしたDただ無言不動の埠にも生野丘ハの列を潔く強い感激のうねり
は目にも見える捏でありました0誘爆の物凄い管中の中に、縦横に閃
く猿炎の中に、その♯管も熱風も裂け上とばか品哉わ壷唱し経豊
するや、加来艦長はさらに大鞋で免じました。
 r今から革脛庚を下ろすツ」
全員不動の斐勢に、琴芸脛上も森厳、鉄筋たる軍紀の前に烈火も
熱軋もありザせん0やがて君ケ代のラッパ吹奏裡にわが琴陛旗もま
た、なほ取堵の蛮に止らんと帝ふか、現あるものの如く、赤き月の衣
裳を軋呪の管に曳かれ蒜打てまゐ豊した。終決も共に降されま∨
た・仰ぎ見る全員の同は涙に浦れぎるはありませんでした。
−hの時故に組員は、山口司令官、加来艦長の決意が郡洩にあるかを
椎申してゐモたので、副長は各科長姦めて、共に拝に止りたいと
申出たのであゎます。梓長は宮下に
 「いけない0それはいかん0自分は繰の繋任著として、取と駕免を
 共年丁るの名_朴澱ふ者であるが、他の者は許さん。宜ねていふ、
 取争は正にこれからだ・博子の愚妹に倹つ嘉の取場は果てしなく
 あらう0汚子は今日の取乱身上く絆来に汚かし、忘旧狙い海驚虎
 つて呉れ¢敢米英穀完済なき軍で叩き洪せ0いJい上智敬弔カして
 †ひたい」
とこの申肘を戊然と破け、さらに−司令官を拝みて申されました。
 「司令官御浪艦下さいご」れに止甘るはひとb不背振長の任にあ
 わザすから」
これに射しきして山口司令官は杏ともいはず然りとも答へず、ただ
につこりうなづいたのでありましたが、眉の色、取姪、既に同く自ら
倍ずるところを持して他Jり動か†に由なきを撫育に示してをられた
のでありま†0この日経日牒摘に在つて、悠々常に迫るなく、】笑す
れば容風な生じ、毒すれば、鉄筋の枝たる穀思はすの概は、繁に山
口司令官の英妻そのものでありました0外は粗和快活でありながら内
は剛毅不同「武人の死はなは映々の畔をあげて世に生るる日に等し−
と常に讃つてをられた人でありま†0司令官の日常む上く知つてをゎ
ました加水野長は、司令官の微笑を仰ぎ亨しては、敢へ三度は混掟
むすすめずしたが、二度とすすめる気にはなれなかつたのであbま
す○ただ敢然とその側に侍して立つのみであり芋した。なほすた、先
任藁以下幕府も皆共にその周囲にありモて一歩も動かないでゐる
のな見すすと、山口司令官ほ】同に
 「威かに浪蓑を命ずる」と命令され甘した。
 この時挽の倖科はい上いJ加はりモて、もう手を何かに支へなけ
れば立つてゐることさへ難かしくなつてをりました。依然嘗謹書
ず、危機は既に秒間にあるかを息はせたのであります。
 「早く行け、温哀したいかJ
 司令官の渡容は魂として毒しすしたこかも自身は焦々自若、た
だ全員の上に洗い沖を注いでをられせす0今は巳むなく粗竺舛に−
手の敬絶をいたし甘して萬展の別辞に代へ#悪=真に移乗を開始い
たしすしたゥ竺に負傷せる執友、鶉二に同乗せ右他の枚の築負、以
下取次に秩序糞州として光撫ある海の砦に決別を曾げて菅甘与。也
ヽノ
0


■がh彗■し捗る触かのZをな性功つた蓑やkの幹部は、短盤用の小
寺な水特を叶みサLて、その換を抜いてゐ甘した。この水蒋も先づビ
スケyト籍と共に、庶鹿から漁火作業中に放られたものでありました
が、その水栓は今初めて枚かれるのであります。有り合せの石油余韻
の士を蛮に代へ先づ司令官席真の前に接げました0それから次々に
飲み交しては、相創るる人の影を心の中に伏し拝んだのであります。
Lかし山口司令官と如来由兵とは一泡の水に終日の鴇穀潤し才すと、
もうあたりの鳴咽も涙弊も架知ら鞄やうに淡々と語り合つてをられす
した。
 「いい月だな、推女」
 「月蝕は二十一ですかな」
 「二人で月を梵でながら語るか」
 「そのつもりで、発揮主計長が金庫の成定わ研きに衆才したからそ
 の魯にしておけと命じました」
 「盲うさう、あの世でも小池ひが狩るかも知れんからな」
 他用ながらこの封詣を措く者は熱線むのむ風ひがいたしたのであり
ますが司令官は、つと身を向け正しますと、先任露と劉長む特に招
き寄せて・甲されました¢
 rか与いふ作取の中だから、君たちの身も明日け丑り知れない、故
 に特に二人へ依樹しておく罪だが、振放鼻官へ将官を飼む。それ
 は − しと急にその睾を正し官残も磨かに
 「 睦下の御掟か損じましたととは、帆に申昂あゎません。然しや
 るだけのことはやりました。ただ、敵の残る一換に最後の止めを刺
 †前にかく成つたことは残念に存じます。どうかこの仇穀打ち晴ら
 して下さい。長官の璧長久をお斬りいたします − 以上だ。た
 のむ上」といひ捗るや、山口司令官は_かに汗印にその歩みを#さ
れせした。加東掘最もまたやや足早やに檻絹に丼つて行きます。
 「司令官、何ぞ、お逸品を下さいし
 先任さ抜は温ひすがるやうに、両手かあげて拒将世帯わ仰ぎまし
た。その手へ山口司令官の吸内何がふわりと噂く投げられました。副
女は革耗扶を肌身につけ、先任さ許は特玩と故品の取伺椅穀砲声まし
て、最後に二人とち漁に喝を去つたのでありま†。
 軍艦の舷側む離れました後払こ一重の榊逐艦は泣くむ去らザ、竣兆七
定か換り、耗度か侵艇をおろL、或ひは坂上の辞窄を合せて呼び合ひ、
手をあげ椅を打振るなど、ほとんど子が親を呼ぶにも勝る愛惜の抱叫
と衷情を表示し炊けたのでありま†。だが司令官と柁長の牢固たる決
意の垂にはいささかの稀ぎも見えず、ただ後方の舵招に立てる二つの
影も、われに答へて手中振つてゐるのが見えるだけであbました。
 刻々その二つの影は耐かの如き轢萌さか期現Lて々りました。一瞬
振摘もろ共黒鶉の裡に破はれ裁つたかと思へば、また衣の一瞬、炎々
たる地相は押の像の如くその好み映え解らしました¢なほ振b成けてゐ
る手のト捉まで赤々と見えま†。
 やがて斎くべき海野の艶化が稚想されました。賦く大きい海の洞穴
が集如として生ザるかの如き大渦のр轤オ来つた桝鳴りであります。
それが先か、後か、♯鋏州、一大管甘と弗に彼方の耶檻は裂けてたりま
した。象ち見る、その左舷ほ急傾斜して洋中に預し、刹那に快く沈み
行く鹿稲には人なく、塀なく、壊なく、正に沖天一墳の月落ちて洋心
へ印材つたかのやうにしか息はれませんでLた。その渦潮み∵急に濃け
ながらも、二重の掛違腔上からその有様を目撃してなりました金井兵
の眼には、既に常時の人間山口司令官、加来他長の形はなく、二人に
ヽノ



′。ヽ

して完く;のわが海笹攣その議の紳の光ケ明かに眼で見た心地
だつたのであります0沈着剛毅、純忠報国、敵撃滅の嘉に徹して克
くその任務空果し、金か姦した後陛↑の御轡こ繋叩志ハにした山
口、加氷雨盤督の志川こそ海鋭意人としての両目を全うせるもの、凡
に日本武士道の挙といふべくその忠誠、倖勤望丁古不滅の管ソわ盛史
に留めるものでありますっ
山本併合脂頗司令長官もまた、山口、袈両艇督の壮烈な船糊に封し
 海の子の堆々亡く踏みて来にし道に君充ちつくしつ紳Lりましぬ
  燃えくるふ炎な浴びて舵将に立ちもつきしか我が址智は
 と讃へてなられまサご単身敵中に轡り込むは、なは瓢しといたLま
せんOLかし千讐の準↑わ表せた貴重な甲艦を左右に柑押しながら
この革に阻づる勇断は、和薮果斬の勇将でなければなし和ません。し
かも礎勢なる敵の大軍に琴迫し−潔く期して感はず、徹底的に敵の撃
砕を漁行し抜いたその決断と、旺盛なる敢闘精紳は。わが弼小樽統の
峯精許の槻化といへませう。
 山口中肝は常に至誠無私、身をもつて部↑を率ひ、烈火火む吐く政
野挿群と、線石不励の着蕾もつて取閑を謂噂し、曾つて響りたるこ
とがなかつたのでありますが、表中将の罫陶を受けた部下琴丘ハは、
管奈義眼、子の琴卜璧1るが如く、如何なる難局の下においても駄
然死地に突入、勇敢智取したのでありまして、熟下攻撃除の出動に際
しても申渚ほ「各轟革突の決意なもつて必ず敵をやつつけて来い、司
令官も後から行くぞ−と激伸され、粥下ずた上くその意を陛し、弟締
出牽、わが身を叩きつけて槻半減に首るなどその最後の職洞の如モ
舛に統率の極致な覇現したものであり、その光雲想超するたに襟を
 正さしむるものがありぜナウまた中称は「俺の名は大柄公の幼名多開
丸にあやかつたものだ」と語られ「武人の死はなほ慧の軍なあげて
世に生れ出た日に等トーまた「生と死と何れか選ばねばならね時は瀬
上く死な遇ぷものだ」と口癖のやうに申してをられたさうであります
が、常に大柄公の「七義国−を念とせられ、且つその大信念毒行
せられたものと推察いたすのでありま†。
 l方架少将は、正義のためには「首常人と碓も我征かん」との剛
毅な椅紳に燃え、璧丁所信に向つて邁正する大悟徹底した武人であり
ましたが、一両友情にサこぷる手厚く二度少誓知つた著は創鞘の
交りを鼠はぎるはなく、部↑はその砥になつき少賂と生死を共にせん
といふ革凪が少将のあるところ獲ず壊し出されたのでありヰ与。少将
はまた拳心深く故地からも常に母堂への孝養有忘れず
 「大軍トつく†亨」との亭じは馨の道にも漁ふなるらむ」
と寄せてをられま†。
 雨提督は力戦亀岡の逸に大東宗設馳の壷石として、東太平洋の
匝輝く沈み去りモたが−武人の本務は完全にこれ穀成し急げたので
 あります¢
 死してなほ悠久の大義に生きんとすることこそ、山口中将、梨少
措の革憐であり、これこそ革た「七生報彗の大将紳に彗す晶提
督の念願であつたら・呈信ずるのであ豊すご1こに私共は
 陛下の軍人の濃の襲を見るのであります。
 南濃督の英薮紳餌る東太平洋こそ、加来少将のいはれた「アメリカ
野減の突撃賂」であり¥↑0今や敵軍減の大道は嬰り拓かれて誉ワー
サ・同筆督の魂塊は杢丁洋をかけ蟄ワ、常に空の荘最峯引已た
 してをられることであゎませうご私共は噺じてとの突撃賂を突為する
 のみであり号TO       

(四月二十四日放送)