戦争下の地方自治
       内沸大臣 湯澤三千男
 今日払月十七日は、明治〓十一年に市や町村に閑ナる制度を定めて
をりま†る市制町村制が定められ、我が国に初めて日給制が布かれた
氾念すべき8であります。丁舵五年前、昭和十≡年の今日は、畏くも
天皇嘩下御親防の下に、横瀬な日給制五十周年の式兆が、宮城外殉に
放て行はれ、領海な勧請を賜つたのであります。平素は田舎にあつ
て、欺々として地方自治のことに従ひ、この日晴れの光柴に浴した生
国の市町村長をはじめ一式▲除の森列渚は、眼の鐘りに彗魯の御黎を仰
ぎ、自治の進展に快く鬱念あらせられる盤庶の穐を押し、舛しく感涙
に咽んだのでありまして、その場徴は今に新たなるところであります。
 爾来五ケ年、この間に帝国は和紀以来の大飛躍女いたしたのであり
ますがまた一両未曾有の搬局に偲両いたしてをりま†.
 米英を相手に−大決敬を簸行してをります帝鼠にとりまして最も肝
項なことほ取力拗充といふことでありまして、囲を鍵げてこの一粘に
几ゆるカを集中いたしてをる次節であゎますQ碓ひまして政府に放き
ましても生東カの増強とか、閉場蝕挿の挿保とか取力蜘充の中心の日
的の罠に必葬なあらゆる方法を桝じてゐるのでありますが、政府が如
何に中央だけで踏媚つて見ても、現地の府僻または市町村更には町内
甘部普粥組等がこれに感じて動かなければ職カの析独とか国民生活
の樺保とかに期待出来るものではありません。しかしこわ専地方狙払
の活軋もその川樫砥となりますヰの性、★に申良一人人々の盛り上る#
公の赤賦に僕たねばならないのであります0そしてこの中条の拝辞は
向ふ三軒雨粥が寄り合ふいはゆる肉体の一国栢に於て孝ほれます。今8
忙しい各自、自分の仕事の鋳ら町内曾、部著戚ひは前払に放て日家
政れも知らず、或ひは樹壷や供出に常り、戎ひは配給の世話や申庶の
剖普に、人知れぬ苦心と構造とを猷々として快けて象られる多数昇民
の葵を見まして、私はかねがね心強さを感じてをる次第であります。
この町内倉部普或ひほ隣組に於ける園民の精進努力が市町村長を中
心と†る市町利用の拷選弊力となり、丈に府晰放び政府を中心とする
革牒、学閥的な梢塩野力となつてをればこそ、我が宵の馳時鱒弊には
筋金が洩り如何なることがあつても南内は一糸素れね延展を拭けるこ
とが出来るのでありま†.
 惟ふに南民の総力襲件の馬に†る印象籍般の政策は轟く市町村に弄
るのでありまして、市町村はこれ等の政策がその寛を緒ぶところであ
ります。時局の進展に伴ひまして、国家が行ひまする施策の取潮は、
益上成〈且つ複雑を極めてまゐりましたが、その急行は牝ね市町村の
活動に侠つものであります。例へば時局下短めて乗切な防塞にして
も、生活必博物賓の配給にLても、食粗の者蛮、併出にしても、貯‡
の埼独、安弘の岡収にしても、何れも市町村の摺動を保つて、はじめ
てその目的を麺するのでありまして、市町村め汚動こそは恰も申繋の
棉耽のやうな胤を重してゐるのでありまナ。この意舞に放て、市町村
の活励の成群が挙がると杏とは、閑建の壁民に重大な結果を牙すもの
といはわばならないのであります。
 申†までもなく、我が観に放きましては、市町村性申家の分身であ
り手足であります。軒家の有機的な一部分として、同家の目的を敢行


′\

し園窪の隆昌憩畏に寄興することが市町村の使命でありまして、自治
の本義ほここにあるのであり吾ノ0我が国の畠治は他国に例を見甘す
やうな、国家に封立し、醜衆に抗争して、地方的利曾欝主張する自治
とは、全くその良義む興に†るのであbます。自治は国家の生命の中
に生キそのカを捧げて国難の目的に奉仕することを本旨とするもの
でありまして、この日治の指iは、今日開祖を囁する決噂−に於て、
最も良く教拝されねばならないのでありますP
支那事欒この方、特に大豊他年勃教以来、市町村の常局者が、克
くその徽章の大なるを自兜し、祁欒前に比して数倍に増加した事務を
僅かの扱負でよく戚理しずすが岱め、彗たらぬ苦心と努力と包摂け
られてをゎますことは、油に戚謝に噂へない亡」ろであります。
 併しむがら市町村行政は、更に時局の弊謂に副ふペく−段の盤倍と
改善とを加へなければなり甘せん0仇て、この際、今後の時局に封戚
いたし、軌ひを撤庇的に防抜く馬の国内盟制の盤備といたしまして、
市町村等の制度について改正を加ふることといたしすしたので、これ
等≡一の間超についてこの鞭何に於て所見を申述べたいと存じまサ。
市制町村制改正の取木也官は、郎町村行政について、般本的刷新と市
庶の能率化とを観り、以て国難の徴直と国民生活の挿保安定とに、高
皇女期せんとするにありずす。
 時局の進展に伴ひまして、市町村長の揖懲する放資ほ極めて重大に
なつてすゐりずしたし、市町村民の指導者としての市町村長の影弊カ
性的にE航すべきものがあるのでありますご」わか薦め市町村長に良
にその放資に耐へ得る適材を革げることが出来るやう、従来市町村曾
だけに垂されてゐた市町村長の茫任を今度は官民撫カ1てこれに昔る
ことに改めたのであります。俳ち市長ほ内務大臣が市曾をしてその償
補者を椎博させ、その者について勅裁を坪てこれを夢任することとし、
また町村頻は町村骨に放て選夢して府賦知事の認可を受くろことにい
たしたのであります0次に今日の市町村行政の制度は他の籍制度に比
べて飴りに複雑でありまして、時局の委請に副はないものがありずす
ので、この際市町村行政各般に渉つて、思ひ切つてこれを簡素にいた
し市町村行政の峯普をできるだけ能率化するやうに改めたのでありま
す0音た市町村内には意業組合、畏魯、警防幽、青年圏、教育曾、銃
後奉公禽といふやうな各種の醜態があろのでありま†が、今日増産と
か、配給とか、貯革とか、防塞とかの時局下重要な事塀につき、その
最大の成果を夢げます馬には、これ等の覿睦の施策を綜合計繁化し市
町村長を中心とトて市町村内の各穐艶陛等が、政に怖力一致、各よそ
の職分に準って最拳の機能を故拝することが必蓼であります。市町村
内の機構が恰も市町村長を部頗長とする部険阻抱の如く、有機的たこ
捜となつて動くことが必要であります0かやうな郡粘からいたLまし
て、市町村長の下に新たに参輿の制度を設け、さ輿には市町村に放け
る各方面の有力な人を選び、その運用によつて各墟施策の蘇A昇i化
を凰ると共に、市町村長に、各種幽睦等に対して必要な措昏を巧じ得
る拙阻を輿へ、市町村群曹の一元的にして強力な盆行を期する−Jとと
いたしたのであります.
 以上は市制町村制改正の骨子でありま†が、黎は市町村の拉制を再
家の罪深に邸して亜麻改香し、以て市町村をして時局下長者の耕能を
準拝せしめんとナるにあるのであります。
 衣に東京都制についてでありますが、その担官としますところむ宰
杓いたしずすと、東京は内地人口の約】割を擁する簸の五大都市で
あるのみならず、彗に我が国の帝都として他に比類の無い均ま的‡♯
ヽノ
8
2
′lヽ
ノ∠
と軍睡畦とを有つてをbま†。丈にまた今日に放ては大東輩放課の本
姓として、全世界に大いなろ地位き訴†にいたつてをりすすので、こ
れを単なる一地方都市として極管することは、根本的に不適曹であり
ます.そこで、帝都たる架京に、屯にその国家的性格に適憎した縄同
にる改制を碓止すろと共に、掟来の府市が併存しまして何かと不便不
合理のありました弊を解消しまして、】元的機構の下に帝都一般行政
の強力な急行を期†ることとし、なほ清和行政の選管につき、取木的
な刷新を減らうとするのがその弊払であります。
 先程も申したところでありますが、今日市町村吏員が忙しい串務の
穎埋に、掛身的野刀をいたしてをりブナことは、油に感謝に域へ鞄と
ころでありますが、東員の椿油はその苦労に比ペて、率直に申して不
均合P宝サ。我々としては、今日まで待遇の改者につき、出来る
だけの野刀をいたし、必牢な方壌をも胡じてまゐつたのでありまし
て、例へば市町村放貞の家族手普とか、市町村東員の脇時事歯とか、
市町村撒負の馳時勤勉手普とかの施設を胡じたのでありま†が、更に
昭和十入牢定からは粛啓な「〓の方策を朽ずることにいたしてをり
ます¢
一つは町村吏員の恩給制舵の岡厨でありま†。今岡この恩給制壁を
峯俄しまして、官発と大盤同じやうな恩給を拾興することにいたし、
故に各府噺とも必葬な恩給組合の設血を見たのであります。次ほ給料
の合理化の同額でありまして、特に待遇のない市町村につきずして
は、市町村吏員の著しく店掛な給料を是正し、或ひは昇給期間を或る
租床短縮して、給料の合理化を周ることにしたのであります。その他
市町村吏員の官僚共済施設の蜘充も牡鹿いたすことにしてをりブナ.
これ等の方虚に上りまして、史兵籍君に、安んじてその職務に取持耗
池して茸ふことにいたしたいと考へる次妨であります。
 以上地方自治の首面の開裔について申述べたのでありますが、有史
以来の甑運頃邑の秋に生を革け、活溌な地方自治生活を通じて、大文
頭徳設の大罪に奉仕いたしますことは、私共の極めて光染なる茸務で
あります。息へば、米槻の本土来襲がありましてから、丁庶一年に相
なります。市町村を通じ麟組を通じて、鞘が上に正式なる回民の士官
は、待つあるを悼むで大東召取窄を馳ひ抜く熱意に燃えてをります0
かくて、吸耗の基雄の魅土筆転であることを、私は国民各位と共に痛
く信じ、藤上奉公の孤を轟さんことを宰ふものであゎます。

          (1943.4.17放送)