最近の国際情勢 情報局第三部長 堀公一
今死の大故に放けろ英国の機中日駒ほ、他界督秩序を維持し英帝国
板蝕の保全を計予Jとにあるのでありまして、召柑チャーチルは−昨
年大西洋音字のできた直後に、同態瀦は几水枕榊諸民族に通用せらる
べきもので共布申内の自治制度の間櫛とは何等関係がない、と習明し、
英帝声内の各堆取離迫氏族は触然輿桶桝押収の許に潜悩有線けねばな
らウJとを明かにしたのみならず、椚年凹他の印度民衆が立つてその
税政を求むるや日噸生銀する自郎粗☆等の裔舶ほ忘れたかの如く、撫
軌の印丈意士を投砂投獄し、朕史上稀に点ろ大和鮎を出てこわに答へ、
自ら犬歯拝ま辛の條項を鉄臥し誠つたことは皆さん糾瀬知の漁りであ
りま†。
また大東亜取牢に上b東亜に放ける共滴印の前哨地域が瞬く間に崩
攻するのを見た英印輿漁は、#甘にその帝河童義的意義を亜辞し、例へ
ば昨年五月三日のオヴザアブ丁批に掲漉せられた保守♯教員のサー・
エrワード●クリツグの静文の如きは「英帝粥は世界平和の大城塞で
ありその賦卿刀である・故に世界中利の馬にほ英帝印の鮭持は絶封必
中依件である英帝声の維持の積にほ、英領各地を倖全する必弊がある
針わでな〈−葵甲と井田故操七娘るノルウエdヂソ†−ク、オラン
〆、ベルギー及びブラ/スの#在な必委とし、モに武力の根源である
原料予漁を確保する抗に炎掛飯以外にイラク、イ・ワン及び東印舷沌島
の自由なる利用を捧持することを黎する」と論じ、共帝国の保持のみ
ならずこれが横大の意尚をすら明言してゐるのであつて、これ等英政
府の政漁泣英国内の言論を見ればその表面↓の葵軒乾句に拘らず、十
九せ期以来杏三曹年来戦盲萬の血と生命との琉牲の上に琴宗つた英
帝国の侵略押収量義には、桝かの欒化もないことが判断して来るので
あります.
世界人類は既に英国の径路主義だけで十分なる鍋を受けをるのであ
りますが、今檻はこれに加へて車に渾骨な表規模の大きな米囲の世
界制覇政策に直面しなければなら告しとになつてなるのであゎま†P
米国政府は大半墟戦争勃讃濱後美園と共同して鵜小節と亡命政権二十
教皆を結合し−いはゆる反偶軸凶溌聯合を作りしかも巧みに自軌の革
帯品生育刀に物をいはせその謂堺租を完全に掌握し、他界制破の野事
象塗げるべく勢力む杜けてなるのであつて、その眼吋共蒲田の保全な
どといふことがないことほもちろん、英滴酵の分裂崩響」そは郵つて
英挿の故意を狙ふその政策に合致すろものなのであります。
昨年十月十二日米国週刊難琴フイフの英帝幽常滑為を皮切りとして
米英間に見開せらわました漁敬は、この米英南野政府の世界政先の肝
炎を物語るものであります.
かかる醜態なる米英の内部抗争に拘らず、米世故府の世界制覇の肝
宅はその後も常々進められてなるのであbまして、ルーズダエルトは
本年∵月七日の鎖骨への教官に於三由首茄十萬に故ぷ捜海彗iの
米国軍が米糊顎外に放て現に活動中である」と斌ヾてをり、叫月十九日
米国革帯評論家んソソソ・ポールドツインが三−aIタタイ三に
8
く
戦車したところに上りま†と「米甑ギの鞋屯してゐる地域は全世界に
瓦b少くとも六十五の丸乃彗島牧に汲んでゐる」とのことであります.
申ち故に米大頓に於て米荊政府ほアルゼンチン一関を砕く中由米持
■を完全に自家集れ吋の物とし殆ど自由餅手に軍駄を沢池し、軍用基
地を使用し、執筆を粥拓し、米の朝轍は柿ぎなきまでに耗允せられて
女わまナ。これも英凶の封中熊米野心に封すネ捕手であります。また
アフyカ方面に放ても北阿上操作Zを槻として英甲政府の簡砦な無敵
して、米甲特等γイゼソハウTIを捻司令官として件r命し英政府ち不
乗無乗ながらこれを艶めぎるを紬なかつたのでありますが、アイゼソ
ハウTlが鞍手に〆ルラy、ブローな鶴川するや米英の尚に新たな独
学を煮き起し、いま出て刺払と僻決するにいたつてゐないことは新聞
頓にて皆様周知のことであります.
羊声の野心は但し北アフリカにのみ山まらず茫「俳餅西′フリカの
′カール方固からチャド朝地方に及ぷ地樽コンゴ、スー〆ン、ユリト
yヤ方面にまで及び、これ等の地方に丸々栄典を簸り、大西洋から印
狂洋に出るいはゆるアフリカ・ルートの椰保に労めてゐる外、ナクー
ル甘諌に放てブラジル政府と梨牌を合せ、γフリカ海岸地方の長期租
借を粛lし、事々‡面工作を研けてなるのでありまして、これまた美
甘の撞めて不快とするところでありせ†.
しかも米再が英帝耶版印自址を阻つての活動もまた覇♯であつて、
先に兵仰が#感性五十豊と交我に米所に坪興した半大樹附延の平帯基
地は別としても、カナダほ昨今笠上米川タPツタの山Aとしての色鬱
を費にして穴てをりま†し、硬淵、新郎鵬斡ほ群げてその押防を栄
に}任し、米の保耗餅化せぎるを鴨なくなつてなり、ハワイから一】
ユーザ一【ヤにいたるまでの英憐捕鼻小白木の占旅したもの以外ほホく
米軍の自由使榊に重かされてゐろ‡何であわます。正に英■の′坪甜
密に対しては羊の頻弗をもロ†として樫中条羊を建つてゐる外、昨年
券へソ少1・オ〆レディを首班とする梓済使節輿を幾つて以来頻りに
経済的進出を計り、またウイリアム・フイリップスを持使として泣沈
し薬用む不人栄なるに乗じ種よ晴糀せしめでをりへ正にまた美声が印
床机衝の妨‥繰と†る近来のイラン、イラクに対しても米糾は浬#ル
ート肪他の名目で洗妬Lその労力の鉄砲に努めてをります。その他一
見.米の利器と撒の撞いやうに息ほれるシリア、パレスタインの如き
アラビヤガ両やエジプ1方面れ英の労力晦挙烽ノも甲殻遜ると同時に
政拾的呼粁的進出教範してをろのでありま†G−」わ等小節の米れ岬界
進川はもとにり英政府には殉稀のやうであつて、爽開放府としてはそ
のむり行きを費許してをるのでありますが、さりとて放牧に悩む英政
府としては、ここで米国政柑に見放なさかてほ廿つ戦がなくなろもの
ですから涙を呑んでрュ我捜してをるに過ぎないのであります。
叔上の英国側の聾に東を艮ノ、した米沖ほ麻よその帝円主義的野心
を荘骨に表示して衆て、戦役の平和推持を名とする将来平板姓地秒汚
独叩を山席唱するにいたつたのでありまナウ
勧ち本年二月十二日に米上院舶憐委員席タイナイン〆は上院に於て
米田の藁扶扶助の代休として英は紺や稚に於ける英領島塀の基地む
米甲に零ナベきでち入・と鞄じ、またノックス海軍大官は下院に放て
太平洋に#する小甘の海素平基地を貯水確保維持することは執筆に放
て日本♯制のため不可放であろと地ヾ、半円が現在租借中の大西、太
平開洋の政略耗地を永久的に漢和ナる意_のあることを表明したので
ちり‡†が、三月八日▼クナツソy下院海¥分科委員庵は下院に於て
同分科合性散後の平和推持故に村瀬押下易僅堪のため琳#基地排持を
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中心とする太平洋防祁汁麓を研究中であるとして、その一例として輿
絹ギル・Tト消息を学げてをり−またノックスは苧卜一.月二十六日の
記者倉月「於て米申は斬西髄委任統治綿たろリモ′群島、ウポル為に
座軍基地を新設したが、これ藁軍の桁久的兆机とすろため臼†新柑
爛政府と交渉中であると有明してをります。
l万米粥異論中には茫に頭骨な態度牢淋し、例へばハdハート大襲
名甘敦碇ハートの如き−ユーヨークタイムスに於て、ソ聯が/ペリヤ
な通じカナダを坑ふ危険を避けるため中和的な力哲トJりカナダを併
合すべしと唱へたり、l斉二十入日のり貞−ル・ストリート・ヂヤ・ナ
ルが「カナ〆を併合して北振の袈を椚へ瀬棚も米の航強力淵内に入れ
るべきである」と放じてをり、また二月十七日のメールの軋ザろとこ
ろによると米声其上院議員は「英帝印の大きさと分布は世界平和の智
或であるから英男ほ世界中和のためにその山部を軸殺すべきである」
と為皆ナる等米雲り傍書簡人の熊硬は往上山まるところを知られ状況
こハヒつとりごらhソまナ♪
ここに放て流石に堵りかねた英執政府はスタソレl鵡民大畠をして
≡8五日ホックスフォードの俸守井協禽に堅二英醗触民他山統治は
引♯き美男の半紬専任で行はれねばなら勺植民地開革の庶に他沖の
執勺な範杏する#ではないが瓶艮地な担舵機閑で統治した方が世界の
点であるとの←漁には不餅成である1と貼べしめ、引菅すヤ⊥丁ル
真一月十七日F匪の‡圃に答\ておスタノレ・の赦態なま柑し、葵抽
見地に対する米の軒心に耕し反学を縄みてゐるがご」の他には擁力意
中に入るのセ楚け二月十五日のク…クルの如き「青人の欲するもの
と斥費く頻つた器声の錬頻ポ明かとなつノJ鹿たが現下聴牌に醗し美月
人性英米腑にガ渉挿を乾ぜしむそ1とほ姓騒の沙汰で、ドイツに十鯨
磯の準汀鞭を確他山ナる上りも損ぜが多いといふことかH夜念頭に旺〈
べきであろ」と論じ、英掛人に我悼することを勤めてをり士ナ。
か/、の如く米英が払底地判遜につき論率を鋭けてゐる一づ 欺洲毛
〓職線拘萌ソ聯戦後の掛墟阿哲等に崩し、米英とソ聯との聞及び米英
弼圃の間に意見故に主張の軒樺を来して来てをります。
最近の論牢は本年二月二十三日の赤軍不正周年記念日に於けるス
ターリン官印の布告中「郷笹はドイツ佳人笹に銃撃‡ヶ月この間ヨ
ーロソバに攣一散線の創設なろ翔力故革の全軍鞋を亀ひ衆つた」と滅
べてなり、また米英側が北阿戦線は壁面線約数果あゎと宜博してゐ
るのに勤し、ソ併称新聞紙ほ粕箪が西部Jり引き抜かれて東部戦線に
新たに瑞浪されたと主張してゐろのでありますが、これは何れも筆一
職繰及び溌ソ物資供給閏髄に粥すろ米英の怠悸に封す乙不満を率直に
組べたものと見∴こ」とが出来ます9
このやぅなソ研の態度に射し鞋ソ米拘大便スタンドレ1はご斉八日
の紀藩曾見に放て「ソ研ほ米印の封ソ援助にもかかはら† 自力にて
執筆を建行−つつあbとの印象を態と酔の内外に輿へtうと欲してゐ
る」と故官した積め、ソ析との関係淑化な恐るる美声側の非難を招き、
一時その召還祝すら流布せらるるにいたつたのであります。
何れにいたしましノしも凄ソ物禾の不十分と米英金手形−勘ち一九
四〓年ヰに欺淋大陸に撃一戦浪を作るとの約束は、英米y粥伴の絹で
ありまして、欧桝に撃一職繰を役けないのは.米英がソ仰の疲弊する
のをねらつた郡略に夢〈ものでありとの批軒さへ生三」ゐろのであセ
ま†、
夫に同率となつてゐろものにほソ析執筆の領土間色があわます−熊
二次撒糊犬馳後ソ斯は申☆を守つてゐた恥に触二衣牡州大戦に⊥る失
ヽノ
0
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他の−咽稚に」野め、先づポーヲyド舶故に常しドイツとポーチyドを分
旬しその東部を建増し、大に昭和十料率十二月上り繋十五年三月まで
のフイyランドとの彗Tに⊥りカレリヤ地峡、リ.ハチ牛見革の剣山計と
ハンダ鞄及びその附妃の三十年偶の租借を紺、常に昭和十末年六月二
十六日に耗朋局に封し最後漂を教しベツサラビヤ放びプコグイナの
同地方の旬計を得たのみならす、リツ丁−−ア、ラトビ丁、エストエ丁
のいはゆる.ハルト三印を昭和十五年八月上旬に併合してなります.
これ専の地域は粥ソ独学開始に上り加解放び珊の同盟担平に上b全
部同放せられて払つたのであろが、昨年及び本年二月二十二言Pの義軍
紀念日に放ける訓読の申でスターyy首相は「掬琳の女配ドにあb併
故を率するもの」としてウク■フイナ、自革、リツ′【巾′、ラトビア、
エスト一−ヤ、モルタデイ丁、カレリヤな弊げてをり、鞋叩ソ聯として
は鮪二次鰍州大敵前の印堵を岡批することのみで輔丸するものでな
く、進んで少くとも瑞ソ粥血管時の鯛域はこれを倒也し亡うとしてゐ
るものであることを示してむり、二月二十8ソ塀叔プチウ〆はポーニフ
yド亡命敷地はウクライナ分割を鮨してゐるがウクライナ鴇狭の組命
飢にその土地はウクライナ人のみが決増すべきものだと論じ、ソ聯の
甘ボー’ソド傾ウクライナに封†る態鍾を明かにしたのでありまナ¢
これに鞘しポI’yド亡命政柑はこ旦山十五日に「ポーランド政府と
してはy汲国境は鶉†大欲≠大中耶に放ける状態が正常なものと馳め
る.大西洋背辛に合致する右見解を硬すことは朝倉河闘の困頼に有尊
であるJとの独官の熊明を公裂し、≡月二日ソ斬のタス洩倍は「ポーチ
yド政府む喫明はウクライナ人及び白帝人の耗史的柚利を奄放しウク
’イナ及び白許を分朝†る政牝を桝押するものであつて、これこそ大
西洋好やの民放自決の♯持に反サるものである」との反駁を行ひかく
てソ山耶とポーチyド亡命政絶との学があかるみに出たのであわます.
この間髄は反絹軸坪管の弊制を前盤としたA弁で、我人から†へば
米英の取越苦界に滴.ぎませんが、同腎がここまで邦然して来ると米英
にとつては勉せにできない点朋な間加叩なのでありま†くといふのは米
英ほ瀬ねて大西洋無筆その他の尤もらしい一考秋を絹げて各声の亡舟政
槻に呼び沸く戦後の羽立、生地、閉土の同視を招楷としてこれが損耗
に必死となつてゐるのである。従つて米英としてはソ研の繋求を支持
してポーランドその他の小軒の歩求を無私すればこれこそ正式に大西
洋甘辛の原則む日ら故増すろこととなり、亡命故地の勅柿を摺くてあ
らうし、さりとてポーランドその他な榊塩的に支持すれば大林の味裾
であるソ研との粥係を懸化し、封粕馳平に二人斌昭な租†といん稀し
和しの衆頓におかれてゐるのであります。しかも米英の粥爺がこの岬
飴を換つて和反日してゐるのであります。即ちドイツの脅威を蛮受
けない米国に於てほ蝉ろ封ソ浪漫が多く、その壌朔なのほニュー
ヨークタイムスの外交憫鹿軒胎家アーサー・クPツタの如く「米軍
串沓局が】千召礁の常倫騨を維持すべしとすろ軌如は、馳故米印がソ
研と国労力の半額を倖有し上うと息ふからであつて、米囲としてはヅ
仰が執勝の鈷果飲料の斬者となるやうなことの触いやうにせねばなら
ね」と放じてゐるのであbます.これに反しドイツの拘力む砥壊に感
じてゐる美声では英田−涜の便官立頻から封ソ媚政教が多く、三月十
日のPyドンタイ人スほその難読に放て「敬後ソ研が自分で必野と考
へる條件で申墳を決宅して官しいといふことな公然承祝してをらねか
ら米英とソ耕の離間熊が起るのである.もし英閏の珂境が■7インにあ
るとすれば同様の意味でソ聯の開境岡野に好意を持たわばならない、
ツ研としては敬後ソ斬とドイツとの帆に称和すべき国家の形隠政府の
ヽノ
′\
梯構特に柑し、臼消印嘘舘漣ヒ明摘な煎繋があるごあらう英ソ舛交の
帰来な考へれば英園はこれを事前に状態すべきである」と論じて、ソ
聯山峡洲に於けろ領土的要求を全而的に竣指してゐるのであります。
とに角この間囁け深入りすればすろ槻械き差しならぬ紛糾を引き起
ナ成があるので、実哲官扮ではこれu上この潔Tを論顎することを避
けんと†るもののやうで、チャーチルが裁皇‡−日の放簸で「国境
圃閻の細目に亙つてこの際論粥を掲†瑞胤なことはむい」と判然り終
止符を打つてゐるのであります中つまり臭い物には盤をしろといふこ
の方針は、他ガ敵三Jの圃題の深刻仲と桝決難を明流してをるもので
あります.
かや与に米英が封ソ桐琴英柚比地閉嘩美海縛拡他聞琴米醒の
丁フリカ、幽方アジヤ、印度方面への池川糊閥を換つて曙悶む轢けて
ゐる外、政略開甲最高統帥郊設世喧ラ、触後の樫済指導地印甲航
蛮地の杷畢問題専を鳥つても津刻む意見の封光があるのでありまし
て、イーヂソ英外務大臣が三月十〓日から≡十日まで年月以上にも亙
つて軍府に滞在したのも、前址封ソ剛樹を初めこれ等の懸案につき雅
挿政府の意向打珍に努める持であつたと池像せられるのであります
が、これ琴の開鮎はその何れの−つな探つても姿倒な史地に終るか然
らずんば敬故に持ち地せるべき性舛のもの計りであり誉す。
我が枢軸蹄督が日和伊を中核として浦然一陣その理想を同じくし、
その敗報を一にしてその戦略を轡にし、上り公正にして上り平和であ
り得る世界の#姓に漫遊する宰とを封比すれば、米英陣営の州克と内
申の醜線ほ纂に常盤の藷ありといはなけかばなりませぬ。閲上け敵側
もこれ等閑膚の大部分が取壊の岡津である・」とを熟知してゐるので、
こむ坤の辞研が掛化する牢】とに山切ほ馳駆の馬にとその冷押さを耽
り貞†だけの甜騰は持つてゐるのであります.従つてこれ等の憫隠を
原因として米英樽普が放散の意上に於て直に瓦解分裂するなどと息つ
てならないことは申すまでもありません。
(三月三十一日放送)