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戦ふ南方を視て 大本営陸軍報道部々員陸軍中佐 堀田吉明


 払は煩近上官に随行して約】ケ月に亙つて帝方柑地域を一巡してま
ゐbまLたゥ全〈の飛行撫での匝足放行で、十分に現地を覗る飴裕も
なく、畢なる娘行破の印象に渦咽ぎないのでありますが、いたるところ
で私は目に映じ耳に入りました南方の現在の糞 それはただすべての
ちのが故ふ一線に動いてゐるといふことであゎます。人も軌も大鹿惑
取牢りただ今溝博してゐる大決職に野ち抜かむとする山鹿に椿貸し、
協力し、廿印し、生葎されてゐるといふ耕甥であります。
 そこで私はただ今からその山至の印象につきまして、皆様にお試し
申上げたいと思ふのであります。
    毒丁匹見るビルマ
 二月十二日、私は.ハソコックからランクーソに飛びました.飛行線
は帝異に駒ぎれたタイ相田境の山系を架ナ抜けて、‡璃1過ぎラy〆
−ンに到薄いたしたが、丁よその際は教権の峯を費けレゐる最中
であつたのであります。蒲挿するや否や飛行鞭は直ちに防塞蓮の中
に滑り込みました。私共措乗者一同も直ちに点寄の防禁止に入らせら
れました.附近の封慮監礪哨の電話に入つて来た情報を叩きますと、
赦の漢学触教鞭が異にかくれてラン〆−ソ上皇に潜入、約五千米の上
条から笠丁壕附近に放牽の煙州を投下し西南方洋上に温和中で、我が
吸師磯はこれな浪艦中とのことでありました。そこで、私共♯名は特
に現地¥常局の許可を持て袈苧の状況を観察することを待たのであ
ります.ランクーソ郊外からラソグーン捕縛に五つて臼別革で相督の
スピードを似て約】時間近く狭山頃下及び潅製肝和解除直後の状況を鵡
察したのでありますが、私の眼に映じましたのは箋難Fは全く狙路上
に動く一人、山鹿、一革をも弛めることが出来イ、格蟻の材儀にあち
らに一義、こちらに一奄と仲止した人鷹たき革を見るだけでありまし
て、人といふ人け皆いたろところに設けられてゐる肪純銀に完全に糞
を滑してをりました。ただ上く瀕鵡して始めて替見し柑たのは魂全岱
袈設愉の中に毅然として、双眼路を手にして袈を見上げてゐる封嬢監
鶴の兵、防来娘の中から粥だけ出して日を光らせてゐるビルヤ捗管の
婆だけでありまして、しかも、自政事で探鞘するありとあらゆる道路上
の堺駄には、必ず演狸野軸舞令ゆといふ光札が誰にでも目に映ザるヤ
うに立てられてゐるのであります。人家なき森株中のご叫又払や触り角
にもこれを見たのであります。盤製替報解除のサイレソが▲唱り幹きま
すと、あちらの防無比収、こちらの防盤戦から牛脂斐の日本の兵R・も、
色とりとりのビルマ人、印求人も菜をあらほし、鵡路上は甘から肋へ
撫から触りな†難関の巷と化して行くのeあゎせす.
ヽ′

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 私耗は、轟くランクーソの坤に来て初めて完全な防粂の斐を見て甘
壌し合つたのであります。
 件ヰ均附近の敵機爆撃の硝掩治、yヤらね捗を具さに稚たのでありま
†が、件革鴇そのものには扱者の跡なく、件革場近くの煉瓦建の大達
筆租が無性に倒壊してゐるのを見で、鳩翔を受けた場所を教見し待た
のモありま†が、皐根付残つてゐるのに、通路に挿した家島の柿壁は
森んど全部崩れ落ち、輸骨だけで舞浜が支へられてゐるのでありま
†.弾痕を操し求めて潰路上にやつとニ、三のそれらしいものを見つ
けたのでありますが、それは今まで私が過去に放て見た紺杭とは重く
異り、漏斗孔のやうな弾痕ではなく、塘路の地表両がかすり偽を負つ
てゐる程度でありまサ.そこで私は案内をしてくれた競柚の粁校に梵
ねましたところ、この返答は「敵は建築物の被蛾、人席の殺傷をねら
つて来るときには、このやうな爆和を使用する、りの爆和は拇府薙侶
管をつけて、地表両に操れると瞬時に炸裂して、その炸裂から生ザる威
大な爆帆で農産した人薦をあと形なくふつとばし、あらゆる痩躯物を
倒壊してしまふのである。との祝事を防ぐのは伸上りも防譲娘である。
地に伏せただけではふつとばされてしまふ、現地の軍睦も、件民も上
くこのことな知つてゐるから今では敵が如何に頂爆に来ても殆んと死
傷渚穀出さない。」とのことであゎましたG
 私共けこの言張に上つて、潅襲下の徴條した防塞ぶりの撼つて来る
ものを知り和たのであります。
 私共は引締き郊外に分散起居してゐるビル†人の町を一巡してまゐ
りましたが、どこもここも朗かで、活気に充ち満ちて生業にいそしん
でゐる妾ばかゎでありました。ビルマの過去五十年は一年の中に艶つ
†Lまつた、ビルマは東鵡共奨励の西の開門である最前線である、敵
榊も来る、しかしビルマ人は何も恐れ†ひたすら前池あるのみである
との.ハーそ長官の同意の冒非議りでありまして、まことにカ響を感
じました0
 執ひの粥蝶の中に本営に力強く新興ビルマが産れつつあるのだと私
は心の中で叫んだのであります.
   南方の治安状況
 南方諸地域の治蛮の状況は了フイの一部に少数磨耗の#勤を見るの
と、比鳥は約七千の島々から成り立つてをりま†ために、交流も息ふ
通りに行かず、−厳に他の他郷に比べて和上不良でありますが、現に
各部殿、各鞭関の遽繊不晰の討伐と宜撫工作とが功を牢しまレて、治
安は逐次良好に向つてゐる喜ばしい状況にあろのであります.
 特に】月二十八日の東條首相の比良鵜立神様細の革明は比良人に異
状な感激を輿へ、朝賀または喜悦の念はもちろんでありますが、坤ろ
ことの蜜大きに賓任の電大さと今後捕ろべき鹿故に袖し、異常な繋幼
と泉劇な決意か喚起いたしまして、比鳥人自身の手で治安を推力し上
ぅ、大東亜戦争に勝つ馬に縄狩再相成をやらう、米英思想や生活から
取却して末亜の魂と蛮に渡らうと比品行政府はもち入んカリバビと申
します新比島奉仕囲も自慰的に椎起の活動を続けてをります。†二二フ
の各種禽合で米英風俗模倣の祀耗イグイング、タキシード専の服装が
全くその跡を絶つて比鳥欄有のバコソ、タガログ、ダ・、、ツト、フイリ
ビナ等の眼薮がこれに代つてゐるとのことであります。嘗て米軍に投
じてをつたアマド・クルス大尉と申す比島人賄枚は日本軍の捕井とな
つたのであるが、皇軍の成繊に拘れてから押黙杭馳の愚七悟り、一式
斬比島建設の希常に燃・ズろに至り、我が治安工作に協力してプキドノ


7

ソ州轡劣触長の化朔を受けまして、ミソ〆ナオ島の砺正討伐に敢然陣
頭に女つて背職し、盤にプキドノに比瓜鎚設聯の孝と放つたとのこと
でありましてごJれらは単にその衣而に点れた「ニの例に過ぎません
が、丸に充電の斐に献生しっつあ・〜謂娘と初められろのでありま†。
 米斡は比島征服に六年も要したのでありますが、この桝況でまゐり
ましたならば、比島の治安が柵北†ろ山ほ好い将来との戚を群くした
次第でありま†。
 その他の博力地域は操めて良好でありまして、解放治下諸民族は憑
く皇鞘の威武に悦服し民心は板めて竣托してゐるのであゎます。
 現地で話を聞いたのでありますが、スヤトラに於きましてもジャワ
に於きましても1印乾万両或ひは硬榊ん櫛から洋上を撃」潜入した敵
の珠渚を男性民がその都度ひつとらへて、我が桝にさし出してゐると
のことであります。
 きたビルマに於きましても、渦般紡卜傘でビルマ奥地の山の中に敵
のl名が入b込みまLたところビルマ人が協同してこれを包朋し、こ
れを捕へて我が欝に幾りとどけてまゐつたとのことであります.南方
各地の晋#官は殆んと背現地伴民でありまして、こから現地位民替官
にエつて治安け纏めて良好に保たれてゐるのでありますごJわに上つ
て我が半は}筋治安確保のための兵力を印し柑て、純群の作軌はもち
ろん事♯上の黎鮎の確俸、立野箕漁地域の防備等に専念し待でゐるの
が南方全般の現況であります.
    南方の経済開教
 皇軍刀肘の敬具として敵の破鏡を故山た穀雨施設は、砂くないの下
 あり†して、それに加へて群建な軍政の持運に上りましで南苅いたろ
ところの工場、事業勒等の後背活動はまことに日催しいものがありま
す0ビナソの錫工革、バレン.ハソの製油所、バンドンのキナ工場等改
組る撫禽を和ましたが、その生産費は戦前の放み温かに突破してゐる
といふ廿真的の状況でありま†.しかもこれら定率熊肪失漁ほすべて
日本人の稜術者の楕♯で現地住民の従業員にエつて生硬されてゐると
いふ力独い状況でありま†。
 何分にも南方は天意が青かで、太陽の熱と水とに凄まれて斗−ります
から−農作物は塩めて隻富で食料の心配は全くないやうに見境けまし
た0ジャワ及びビルマの米、了フイの丁ム、スマトラの石油、ゾヤγ
及び比島の砂糖、了フイの錫は先づ無益絨といつても上い位で、鵡は
岬■非の粍占市坂でもありま†。またビルマの意措は幾めて鞋笛でボー
ドウイソ鞭山一ケ所の生蕪丑で、敬ふ我が国の輔鍵な十分浦し待る位
とのことであゎます.
 またゴム及び砂糖の過剰生意の媚溌も鞘ぜられてセりました。ゴム
からは燃料油、砂糖からはアルコールが採取できま†ので、生鳶制限
を行ふ必弊もなく、現在では全開の生悪女行ひつつある状況であbま
す.
 以上の一如くこの大共感嘲雫を取ひ抜くための東蛮声肪箕淋は天恵極
めて♯かで、ありあまる程あるのでありまして、しかもそれは日山B
とせを増しっつ生斐され、取ふ日本の山犬箕淋の錬であり、また印粕
南境方面なり西輯太平洋方面なりの敵烈な決戦額裡への一大兵姑基地
の役持をも果してをるのでありま†.
 しかも現地笹泣に礁出邦人はもちろん現地住民に封しましても、現
地自活に支持のないヤうにあらゆる創意と工夫鞍頻らして天瀬の辛漁
を情桐し、南方各地の持竜執筆の交流にも努めてをるのであbまし
\ノ
8


 て、一現地蝕民も基化に〜るほひ賓一野市相に粗いてをるのでありま†。
 なほここに特に申上げたいのは、我が叫が刻下最も美挙といたしま
す海上取鶏力の樹強に頼万福民族も嘲命の努力存いたしてをることで
あゎます.私もその一部を†地に観たのでありますが、南方いたると
ころ¢耗進物の速達がどんとん進んでむり、しかもそれが日本人の接
触者の折躾で各地化民が日む夜について作業む破けてむるのでありま
す.ジャングルの小から1ントントン、カンカンカソ、ジージIとい
ふ杏博の晋が市らかに替きわたる健奄ヘ如何にも糾もしく力救い阻わ
であh・ました0
 米英が如何に反攻を呼約し、徹の環も恐れる日本の南方埋設中▲妨省
し上うとたくらみましても、これらの斬腑も日竹に痢の悔に呼び出て
大東亜の海を鮎する日も好いことeありませう。か〈て我が榊力はH
ねに棉独しその博大なる馳カが礁州で仰に或ひは印度万両にほとばし
り出ろ日も好く耗甘に期待し得るのではないかと思ふのであります。
 私はこの定帝万を】温いたしまして、嫡方が我が弊政の下に†べて
がかく人力敷く決取払利の一途に潰してゐる魂セまさまぎと見るこ
とが出来たのであbますが、一昨年十〓月八日以来蟻が一年有線で米
英が五†年かかつても青年かかつても川水なかつた大器策を上くもか
く短期間に成L逸げ和た、りれ全く御穣成り有那さであると撼徴中研
たにいたした次鵠であわ士す。
 今ヤ敵米英斗▼轡奴すべき慨嶋槻潜も焚く職ひ、敵がどこから突いて
氾やうと他動だもせ如布陣が穿成されてむbますし、日本内地み核心
とすろ沌革、晴方諸地域の照大なる大架偶の地域は形嫡ヒ下一位の機
能む準拝して、その器官な箕漁と生掩力とほ触触の圏ヘ軸泉となつて
取るのであむまして、米粥撃滅は最早幡Hの間撒であるといふことが
出来ると思ふのであbます.変は私弗一漣があくよeも御斗官を葬じ
て山億五千哉の帝方諸民族を家族に加へて、これル愛題梢壊し、友邦
各国民族と一心同蛙となつて、盤鞍目的完垂の〆途に堆止しく労力を
快けることだと痛感する東鶉であゎます。 ハ三月十九日欽定)