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参戦後の新中国を見る 大東亜省調査官海軍大佐 田中穣



 国民政府津主席初め政府変格渚ほ、大東墟職雫勃費後音&仙が銭よ
米英依#に傾倒し刺へ米英の絹張を自国津〈引き入れ同暇虐殺の兵弊
に出づるに及びまして、到底南京側の思想と相容れザこの上ほ日本に
協力して米英を府すに非ぎれば国民政府還都の大義名分たる和平建申
の理想を常現する能けぎるを痛感してをりましたるところ、近来に放
び電腱側の残すところ中申青年の放たる米英に封し見るに堵へぎる埠
態女鹿め、米英はまた放散に次ぐに欺取を以てしながら世界伎鴨の野
革な燕骨にして、声民政府はその信念上大東詭慧狭の環に添にH木と
共に鉾を執づて海つ外なしと決意するにいたつたものであります。邸
ち斬中酔の蓉散ほアジヤ僅興のため、阿片執琴似東飽くなき悸峨を杜
けた米英南中打倒の叫びであると弗に、貢匹に封する観き反省の宰求
でありますニ〃、国民政府遷都以来凡ゆる竣軌協力を憎まぎりし我が
日本に封する丸の盟邦としての一甘観き向生共死の爽bであbますハ
同氏政府が目下披に畏拍Lつつある新斡民転勤に放ける中内な年し、
茨邦を愛し、アジヤを琴せ1・東亜を触れ等の「スP−ガンJが裁つて

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一九となつたものが今岡のさ取であろともいひ待ませう。
 匙するに蝕民政府のアジヤ竣▲興日m印盤挽外米打倒の‖念は、澱都以
来糀少搬軒の襖にありたがら益よ強烈となり、今凧の参戦とむつたも
のであbます.かくして日本の大瀬棚職甲山山幾に物心の総力を盤して
協力し以て由良政府濠都の最終日的に到池せむことを拗せるものにし
て、全然打算的意地を含まザ中均なその本然の萎に返し、且つほ日本
と共にこのアジヤを護らんが薦め自じの鮎杉を研けての教放であり、
舵倒にして牢固たる決意に基くものであゎ普す。そわは容撤後の閲妃
政府な中心とサる動きについてこれな見ろ人肌かであります。
 かくして新中荊は最も明純なる桝印叫†に治†民衆を糾合し臼革舛
同の故に封し.生死を倶にして鞄中山犯盤に鵜進するこし」となつたので
あゎま†から、この瀕☆に放きまして新小用の彰馳咋力な叫卜†る積
め一肝その上気を振興し、また政治桝済上に於て新小杓の山地な伸張
を札るりとが必宰でありまして、斯小岬なして宵年り棒楷上わ免かト
めて完全なる税政を淡祝せしめ、園比政府の政治力を弘化して前庭刷
統日り楓嬢名目の破滅を期せむが摘め、ここに帝軌は租界り昭附脚外
法捕撒駁の大夫晰に出づることとなつた次耶であります。こかに上り
斯中世は完全なる蛾立を同役し、同此政府の粘藤ほ敵主軸嘲となり、
粥他の瀬切なる緒方策と摘快ち同政府ほ十分その政治力を仰鱗し、閑
内熊労を強化し、弟描取萱刃亀に蓋し和ろにいたつたのである。博
民政府は漫都後僅かに三年に浦たぎる小袖小川官年の大棚秦を脚伏し
た、安定政府ほ何ぞいへば串良政府はH水の他似だ桃打だと喧しく鳥
倒して衆たその国民政府は、見群に榊年のW堆を師決して堂々と粕立
盈泉の玄妙を進めてゐる。はつはまた米炎が我が〃の描懸を見て同じ
く法柵撤鞭と租界還附とを行つたが.H分が批在何秒桝和せぎろもの
を返すといつてもそれは粂〈裟虎にしてオβに確ぎない突止千持とい
ふべく瓦慶側日捜これを告白してゐるので、成る京慶側新開の如き
「米英が我が田に還附せるものは凡て日本の手中にある、日本を打桝
し得ぎる吸わ内容全く褒虎である」と掛いてゐる、更岸側甘年甘に捕
苫の熊襲心を海さしめつつあるのも普然であります。
 治外法稚拙硬についてけこれに関する日華協定にも示しある洩り、
日本人の居住業のためその印土を師放する官約束しあるので、この
構押上り法増柑懸租界潟浬等に上り我が居留民の括勅に果を及ぽさざ
る如き十分日華鞄力して各種の措檻をねぜらるべきは営然である.
 政義の雀頭については我が涛の戦争幾行⊥必建とするものを除き明
朗政府に窄譲きれることとなりましたが、これはさ戦中河に封ナろ戦
けにあると同時に、国民政府財政の弘化現地樫済活動の撮輿に群せむ
とするもので、更那側としてほ十分我が方の好意た諜とし権力こかが
香用に封むるであbませうし、我が方としては按術⊥その他に於きま
して十分なる協力を惜まぎるものであbます。
−常にしていへば今周の参馳、帝国の租界還附、治外沃地の轍厳に
上り治†民衆け敬呼これむ迎へ鞋色触るの軋あり
 汗ま席の苫拳を借りていへば「今倒の教職と抄本側む大炎晰に上山
国民政府は治†民衆と兆に絶大たる弟鵜を振超せむ」且つは常作の紬
めて訳大なろを痛感し、卯常なる藩気込みを以て耗創なる取時括勅に
入りつつ友るのてあります。
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 その状況は駄に斬閲析上に於て柳瀬知でありませうが、次に
れを革げて見ます.
−容他山阻後家榔側の劫れる独特封艶としましては
 第二最高拘防骨梢の新穀粥カたる敵将行政組臓の設定難件
憾こ

鵠一一、全幽挺済委員禽研幽民避棚促進委員禽の格上げ
約三、、相克剖.娘設部、純伊納刹那埠の新設
 これけ釣上もすれば瀬托の所在が痩昧となり易き委組禽組織斗■収め
穐化の郡として桝掌串頓につき部長が全常汀を色ひ政教の盤行む弼力
たらしむ′心・もの
鶴川、允威椒瑠冊磯、類例他人掟川H何確令結ミ扶‥〓政丹崩瑠シ偶戊
に於て閲畔、小火政榊の舵州ナろf朋劫に政簡の微粒ハ剛つてゐる
鵠丘、偵仲部を小心とする比炎侍史鮎励む樹槌化し林拍鮎部長肖ら各
地乃に肘向いて今又参戦の持つ訳大意轟か国民に徹底せしむる如く努
力せり
 なほ阿民政府民間財脾の地力毅然心に求めてをり、現に上海財舛の
三明牧名が新たに生硬樫沖委員伊香負に就任したことは昔時教表せら
れた洩りですが、今後各ガ両に於て中頭民間樫狩人の活動が富んぜら
れ、また甘際にこれを見ることができると礪想せられます。
 新再氏難勅は琵亜怖の主唱に上り開始せられたものですが、これに
上わ民衆の取持意穎キ晶掲し盤意の増強を判り治蛮の確保に努めんと
するもので、今次楚職た機とし一櫛括漑なる壌勅が展開せられつつあ
りますQ特に教官瓶の桃爪なる甘少年を封象とする訓練は今後に於て
♯もその敗果中■期待されるものであります。
 由来中斡は地大物得でありまして、大衆租勒弾劾食後は持に同生共
死の下にその†官なる東独と人力杉山て我が国の職坤途行に協力し衆
つたのでありま†が、今後は那誠する如き民心の晶拗に上り一斉執塩
的なる地力を期待されるものであります.
 租界世附.治外法権撒塘に触する日支双方の委員は眈に任赦せられ
三月初め摘京に於て双方委員の和合合を行ひ、帝京伽稚外交部長、日
本側電光犬僧、それぞれ横拶・繋父功して所信を細べ極めて側溝札つ喝
網に領琳進行中であります。
 衣に華北におきましては華北政務垂鎖骨舌根署脱組梯憮例の改正を
初め、研民禽名筆地裁を維漑し、また全的経済委員禽に華北政務委員長
の参加、新出帝瀾他の研幽川越如役員への参加等雀上}敢協力頓労を
軸化しっつあり、杓に稚北ほ心崩、繊、綿花、審、その他電磐物賛の意地
でありましてこの方仰の榊庶湖頚にも一席の拍堵をかけてをbます.
 南天ガ弼即ち促門、鹿瀬琴に於てもさ戦後銭土日睾盤挽、執竿協力
の気血塊高まりつつあり。
 駐門は山紫水明なる軍備出身地として有名であるが、支那側は弛ん
で日本内地と同じやぅに銅線の同収までやつ⊂ゐる.
 席東は江主席の堵里であり且つ中開回填補の凄畔地でありま†が、
丁度国旗掲格式常8に出合しまたニ、ご一の支郷州の方に曾ひたるとこ
ろ意気操めて軒点たるものあり、ここにも緊密なる日華の浪撫協力の
宰が見られます.
 現地に放てほ最初石上のデマが民衆の中に飛びました.それけさ放
ほ日本の観音によるもので中国簡年は搬載されて南洋に逸らるべしと
か、日本ほ名のみ返しても†抽は積分が舶占するのでほないか等のと
とであbまナ.とれ等は何れも舌鼓仰の故意に故逸したデ†に過ぎな
いので‡†を見れば解る洩りであります.上海の中再卑生は何れl可
噂として孝策に和んでをb一人として枚数せられたるものはあうませ
ん。また日本け約束したことは必ず挿†に†行するりと、今次一月九
日の共同士官後各事項け帯々丈行に移されつつあるととを前放しまし
た漁りでありまナ.
 最後に定匪側の状況について多少申蛾べます.


.▲●
 先般のカサプ■フソ力付秩に於て帝介右ほ帝仙硬に▲さ加せしめられざり
しの礼たら†、向嘉は封相鮨一散虫爺に基く緒方簸や協粥せられた
りとし、貫鞋はこれに不浦で射日馳鶉一生我を主甥し、支群に†分
なる武器飛行触を供給して、米英賀併合し料日大攻勢の展鞠を必黎と
†ろ旨ワシソトy、■yドン専に放て宜侍に好めつつある.これに粥
L某平人は「日本ほ甲力を槻加しつっあり乗淵人力共に筆者となれり
ま一側は現在飛行機に鉄糾せるにつき賓急これが供給を平す.また支
珊の釈放け悲辞むb現状を補足に解決する績め方洪を耗ぜんことを声
窮す」と遽べたり。
 また≡月ご盲の新滞紙上に現れたる如く、前鞋米大僧胡潜も「日本
は軌化されつつあるに反し究慶は日人崩紐化しっつあり」と滅べをれ
」リ●
 架契齢は目下渡米中にして盛に封支横臥を泣訴しっつあわ、これ専
は封粗戦争に夢中となる米炎の娼柑キ封変域助に甥分でも引つけんと
†ろもので、恥粛としてはカサデ■アンカせ我欲、チャーチルの代表ゾ
甘yデイール元帥及びルーズグエルトの代封ノーノルド終軍を安座に
反意啓介石に倉見せしめてこれを慰撫し、また印虹に於てりふ−グエ
ルと壬黎♯敵役行ひ鞘日共同作故実につき協鞍し完全なる意見の一致
を見たる官教義せり、これほ戎る税堆封8作Zの打合せを行つたもの
で持【トビル†盤穐を呼験しっつある彼等として成る程度の打合せ位や
るのは廿燃だが、その後何専美的教具を中げ禅ざろのみなら†、銭
彗羊の】叫弛を受けつつある.
 米英の堆誉ビル†♯何も、また凍慶側の容声政野も掛匙訂肝わであ
る●
ビ几▼
ルートの駒薮は‡革にとb大々る痛手であるが出来ればと
れや弊阿tたいのは山々なるペく、これが広め宰南方両に兵力中井申
しっつある根株なるか朗夢れまた夢に移ることは明かである。
−方擾蒋賂孝何れに求むるか、印成上り塵億の方法もあるがまた西
北ルート乃爺近果方面上わする捨幾の方法もある。これ専に搾カ カ
しっつ・めるもこれ専に鞍千キPの沙沸を自動革_幾をするもので大枚
ろ顛力を教揮L鮒村ない。
 正座側ほ和人ながら滑鶴的杭馳は♯けるであらうが、また米英の飛
行鞭を引入わ封日食弊専を企乱しつつえるであらうが、新政米英の頻
丼は大枚るを期待し得ず、かくして粛*は日一日と粥牲化するであら
うことは明かである.†に同じアジヤ人でありながら帝介石用仰の≠
米沢の醜態は嘉音であb、京鍵側内部に於てもこれ等親米沢に射
†ろ反感は相普強い、この槻甘に放て死産側甘年廿が大γジャ的見地
に立つて大いに反省†べきだと考へるのやある.
 果誕側半取にほ宅地亡者多き馬め、牡丁の歌教壌に行はれ♯乗ほ
事Hしみっつあり.
 正門から大東亜救早勃発特異地に逃げた華僑も柑督あり、奥地に行
くと甘革の牧草多〈、また鞋粥耗‡にて今日では後悔してまた媒門に
肝bたがつてゐる。
 集地強穀には籍力弊力しっつある嶋接、甘甘省油田の閑載もやつて
ゐる0
 歪省は♯帝ルートとしてまたソ、米英労力との♯放地帯として正
中となゎ正♯政府もこれが中央化に多めつつある.
 米はこれに傑羊世態設けたる由なり、ルーズグエルトの野心は岬外
いたるところでこれを#骨に現しっつある.在耳慶外人滑息に上れば
 「■粁のさ取、日本の接触撒坂の貯_として印象主義常と¥部亀

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 舵に口甥を輿へ政治的励績が庖つてゐる.
〓 武弛、和覗 瑚食の中央補給が激減した枯男噂橡の離甥するもの
 あり各牌傍間の地盤に基〈粉挙が頻牽しっつありゥ
似て今次の日華共同宜官に基く汚政報が甘へ表面に現れずとも、‡丘
州に溌刻なる影申を粥へつつあるごとけ想像に難くないのであゎま
す●         ハ三月八日放送)