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輝かしき世界新秩序のために 情報局次長 奥村喜和男

 歳ごとに、迎ふる一月三十日は、われらの盟邦ドイツ国の、偉大な
る指導者ヒトラー総統が、その苦闘の歴史たる十四年間の苦難を経
て、漸くナチス待望の政権を獲得したる日であります。ドイツ国竝に
ドイツ国民にとつては、忘るべからざる栄光の日であります。しかも
本年は、正にその十周年記念日に該当するのでありまして、ドイツの
国威彌々隆々たるを喜び、ヒトラー総統の意気益々旺んなるを祝して
ひとりドイツ国内といはず、全欧州に、天空高く飜るハーケンクロイ
ツの国旗と共に、ハイル・ヒトラーの声は、たからかに、叫ばれてを
るのであります。否、ヨーロツパのみならず、アジヤに於ても、同一
の運命のもとに、共同の敵と戦ひつつある、我が日本帝国を初め、中
華民国・タイ国竝に満洲国に於ても、さらに南に北に皇軍の進駐せる
ところ、日章旗の翩飜と飜へる大東亜全域の民族と住民は、最大の歓
喜を以てドイツの戦勝と光栄を喜んでをるのであります。しかもこの
温かき友情は、ドイツと共に勇敢に戦ひつつある、盟邦イタリヤに対
しても、同様であります。
 本日、日独伊銃後血盟大会の開催に際し、満堂各位の寄せられた、
溢るるばかりの赤誠は、即ちこの日本を挙げての、一億共通の国民的
感情を代表いたしてをるのであります。このことを、スタマードイツ
大使閣下竝にインデリーイタリヤ大使閣下は、堅く御記憶あらんこと
を、切に御願して止まないものであります。
 このドイツの記念すべき日、従つてまた盟邦日本にとつても記念す
べき日の、その前夜たる今日、不肖私は、今ここに「輝かしき世界新
秩序のために」と題して、日独伊三国の盟約愈々堅く、枢軸必勝の信
念益々強固なる所以を、率直に大胆に披瀝せんとするものであります。
これ私の最も光栄としまた欣懐に存する次第であります。
 昨年の政権獲得記念日に当りまして、ヒトラー総統は、ベルリンの
シユボルト・バラストに現れ、世紀の大熱弁を振ひ、ドイツが直面す
る光栄ある現状を説明すると共に、日独伊三国の緊密なる連繋を謳歌
いたしました。その中で、かういつてをります。
 「永年に亙り、余が賞讃しつづけて来た国−日本−は、今や我々と
 協力するにいたつた。共同の敵に対して戦を宣するにいたつた。か
 くて日独伊三国は、その生存を確保する為め、蹶然と立ち上つてゐ
 るのである。我々の勇敢なる同盟国日本が、太平洋の敵に立ち上る
 遑もなき一大痛撃を加へたと同様に、ドイツもまた敵の機先を制し
 てこれを攻撃し得た事実を、余は衷心より喜ぶものである。我々は
 日本に対し、深甚なる感謝を捧げねばならぬ。何となれば、日本の
 赫々たる戦果は、我々の敵の覆滅を保証するからである。今や東亜
 に於ける我が同盟国の、我々の共同の敵に対する勇戦奮闘は、ドイ
 ツ国民に無限の援助を与ふるものである」と。
 諸君、一年前、ヒトラー総統はかく叫んで、日本の宣戦に満腔の感
謝を述べると共に、日本の勇戦奮闘に最大の期待を表明したのであり
ます。この時、数万の聴衆は一斉に立ち上つて、日本、日本と叫んで
歓呼の声をあげたさうであります。その後一年間、ヒトラー竝にドイ
ツ国民のこの期待は如何であつたでありませうか。いふ迄もなく、完
全に、百パーセント、見事に、果されたのであります。米英蘭の東洋
制覇の根拠地は悉く覆滅し、曾ては彼等の領土たりし地域にも、今は
日章旗が翩飜と飜つて御稜威の栄光は燦然と輝いてゐるのでありま
す。敵の軍事勢力は大東亜の天地より殆ど一掃し尽したのでありま
す。僅か半歳か一年の間に、かやうな偉大なる戦果が挙げられたこと
は、世界の歴史に未だ曾て存在せざりしところであります。今さらな
がら、この赫々たる戦勝を齎らした、忠誠勇武なる皇軍将士に、深く
感謝の意を表すると共に、盟邦独伊両国の期待に沿ひ得たることを、
満堂の各位と共に、衷心喜ぶものであります。
 一方また独伊両国も、この一年間に輝かしい戦果を各戦線に挙げま
した。ロシヤの各将軍の逃亡と共に、クリミヤ半島を戡定してセバス
トポールを陥れ、長躯してロストフを突き、スターリングラードに肉
迫して、殆どこれを攻略いたしました。今や地中海、大西洋、竝に北
氷洋に於ける、独伊潜水艦の猛然たる活躍は、米英アフリカ上陸軍を
戦慄せしめつつあります。日本国民はこの偉大なる戦果を、自分のこ
ととして衷心より喜ぶと共に、両国の健闘に対し、心から敬意と感謝
を表明してゐるのであります。
 今や大東亜戦争と欧州戦争とは、一つのものであります。世界に新
秩序を建設せんとする世界維新戦の、東部戦線が大東亜戦争であり、
その西部戦線が欧州戦争であります。しかして日独伊の三国民は、共
同の敵に対し、共同の運命のもとに、共同の目的を以て、相共に決死
の戦ひを戦ひつつある戦友であります。我の喜びは彼の喜びであり、
彼の悲みは我の悲みであります。しかして日本は欧州の戦況を、独伊
は東亜の戦況を、御互に高見の見物で傍観してゐることは絶対に許さ
れないのであります。
 この血盟の日独伊三国は、速かに敵の武力を殲滅し、敵の野望を粉
砕し、さらに進んで米英の世界制覇の原理たる自由主義、個人主義及
び国際主義を、地球上より一掃して、永く人類を毒し来つた虚偽と搾
取の一切を払拭し、以て汚れなき、清浄なる世界の新秩序を建設しな
ければならぬのであります。この故にこそ、三国は国運を賭して乾
坤一擲の大戦争を敢然戦ひつつあるのであります。この崇高なる戦争
目的を有すればこそ、今次大戦は真にこれを世界戦争と呼ぶことが出
来るのであります。否、この戦争こそ初めて、これを世界大戦と呼ぶ
に値するのであります。
 然るに、この前の第一次欧州大戦を我々は、英米仏の唱へるままに
これを世界戦争と呼んで怪しまなかつたのであります。これは今日、
不用意ではなかつたとは、いひ得ないのであります。なる程、第一次
欧州大戦は、その規模といひ、その戦場といひ、殆ど全世界に関連し
た有史以来の大戦争ではありました。従つて漫然と考ふれば、これを
世界戦争と呼ぶに何等の不都合はないやうでありまするが、正しき歴
史の見方を以てするならば、断じてこれを世界戦争とはいひ得ないの
であります。真の世界戦争とは、世界の平和に貢献し、人類の福祉に
寄与すべき、新秩序建設の為のものでなければなりません。然るに第
一次欧州大戦は、その結果から見ますれば、ひとり人類の幸福と世界
の平和に貢献しなかつたのみならず、永きあいだ世界を支配し搾取し
来つたイギリス、フランス、アメリカ等のいはゆる民主主義国が、一
層世界制覇の野望を逞しうするに便なるやうに、世界の資源と領土と
を強奪し、分配して他民族の犠牲の上にアングロサクソン本位の世界
支配体制を強化確立したるものでありまして、いはば旧秩序延命の為
の戦争以外の何物でもなかつたのであります。
 これらの民主主義国は、コンピエーヌの森の休戦以後、ヴエルサイ
ユ会議を初めとし、相踵ぐ屡次の国際会議によりまして、ドイツは固よ
りイタリヤ、日本をも、凡そ米英仏の世界制覇の現状維持に、何等かの
支持ある国々に対しては百方手を尽して、その国力の発展を妨害いた
したのであります。また一方、民族自決主義の欺瞞的美名のもとに、
民族の生命と現実を無視して、独立の能力なき国々を次々に、自分等
に都合よく造り上げると共に、さらに軍備縮小と戦争反対の美名のも
とに、自己の武力的優位を絶対に確保したのであります。即ちこの前
の大戦は、全く世界の為でもなく、人類の為でもなく、正しくアング
ロサクソンの世界支配の為にする、米英的戦争であつたのでありま
す。断じて世界戦争ではなかつたのであります。これを今日まで、
イギリス、アメリカの唱ふるままに、世界戦争なりと思ひこんでをり
ましたことは、これぞ紛ふ方もなき、巧妙なる米英の宣伝謀略の結果で
あつたのでありまして、爾今我々は、この汚れた利己的な、米英の為
にする戦争を、世界大戦とか世界戦争とか呼ぶことを断乎止めようで
はありませんか。しかしてまた、いま我々が国運を賭して戦ひつつあ
るこの戦争こそ、日独伊三国が血盟のもとに、世界新秩序建設の為に
戦ひつつある今次大戦こそ、真の意味の世界大戦なることを、満堂各位
の御賛成を得て、ここに改めて確認いたし度いと存ずるのでありま
す。
 第一次欧州大戦に於けるイギリス、アメリカの宣伝謀略は、ひとり
戦争目的についてのみではなく、戦争の原因についても、世界の人々
を欺瞞し終せたのであります。我々は米英人の説明する通りでなく、
また米英人の著書の飜訳の通りでなく、自らの心と眼、日本人として
の魂とアジヤ人としての眼とを以て、改めて世界の歴史を眺め直さね
ばならぬのであります。然るに、我々の習得せる知識の中には、余り
に米英的の知識や、米英本位の認識が多過ぎるのであります。特にこ
の前の大戦に関しましては、その著しきを覚ゆるのであります。それ
は当時、日本が日英同盟の情誼によりまして、聯合国側の一員として
参戦いたしてをつたが為であることも、固よりその一原因ではありま
せうが、もつと切実な根本的の原因としては、イギリスの逞しい宣伝
工作と、巧妙なる思想謀略の為であつたのであります。我々はイギリ
スやアメリカの宣伝に乗ぜられてをつたことを、深く反省する必要が
あるのであります。アングロサクソンが、宣伝戦と謀略戦とに優れて
ゐることは、今次の大戦に於ても我々の克く銘記して、警戒と注意を
怠つてはならぬところであります。
 英国はナポレオン戦争にフランスを破り、軈て世界の支配権を掌握
いたしまするや、欧州大陸はもとより世界各地域に、自分の国よりも
強い優れた国の存在は、絶対に許さないといふことを、不抜の国是と
してやつてまゐりました。これはエリザベス女王以来の、イギリスの
伝統的外交方針でありました。然るに、ドイツが普仏戦争に勝利を博
して、五十億フランの賠償金とアルサスロレーンの鉄鉱とを手に入れ
まするや、ドイツ人の性格才能が科学的、芸術的なると相俟ちまし
て、急激にドイツの産業は発達いたし、その商品はイギリス品を遙か
に凌駕するに至りました。かくて世界の国々は、競つてドイツの商
品を歓迎するやうになつたのであります。さらにまたカイゼルは「ド
イツの将来は海上に在り」と誇号して、盛んに軍艦を建造し、海上勢
力の点に於てもイギリスはまた脅威を感ずるやうになりました。ここ
に於てか、永く世界の貿易を独占し、優勢なる海軍力に物をいはせて
世界を支配してをりました英国は、ドイツの旺盛なる勃興と国力の発
展を大いに警戒いたしまして、機会だにあらば、これを徹底的に叩き
のめさんと決意して、ひそかにドイツ粉砕の爪と牙を匿くしてをつた
のであります。
 然るに偶々、一九一四年、我が大正三年、オーストリヤの皇太子フ
エルヂナンドがセルビアのサラボエで同国秘密結社の一青年によつて
暗殺されましたことに端を発し、オーストリヤとセルビアとの紛争と
なり、これがドイツとロシヤとの戦争に発展し、さらにフランスが参
戦いたしまするや、英国は好機正にいたれりとなして、ドイツのベル
ギーに関する中立侵犯を名目として、ドイツに宣戦をいたしたのであ
ります。しかもその後、曝露した事実によりますればイギリスはこれ
より先き二年、ドイツとの開戦の場合に備へて、自国軍隊のベルギー
上陸と通過を強要して、秘密条約を結んでをつたのであります。英国
こそ、条約違反の元兇であつたのであります。
 第一次欧州大戦に於てもドイツは開戦以来、連戦連勝、目覚ましい
勝利を博しました。東部戦線に於てはタンネンベルヒの大会戦によつ
て、怒濤の如く侵入し来つた十八万のロシヤ軍を、殆ど一兵も残さず
殲滅いたしました。西部戦線に於きましては忽ちオランダ、ベルギー
を席巻して、フランダースを突破して長躯パリーに迫り、一時はパリ
ーに砲弾が届くところまで進撃いたしましたが、遂に長蛇を逸し、戦
争は図らずも、長期戦となり持久戦となつたのであります。しかもな
ほドイツは勝ちつづけたのであります。敵兵をして一兵も国内に入れ
しめなかつたのでありました。併しながら、最後に及んで遂に敗北い
たしました。この点こそ、必勝を期する国民たるもの、他山の石とし
て深く顧みられねばならぬところであります。
 即ち戦局の持久化、深刻化に伴ひまして、いろいろと複雑な状況が、
ドイツ国内の各方面に現れてまゐりました。戦争によつて不当に儲け
る時局産業が簇出する反面、戦争によつて犠牲を受ける平和産業や中
小商工業者が沢山できて来した。また、世間一般に要領のよい者は
得をし、国家に本当に忠実ならんとする者は損をする、正直者が馬鹿
を見るといふやうな、不健全な世相が露呈いたしました。闇取引、闇
相場が公々然と行はれても、遺憾なことには、これを是正すべき強い
政治力を欠いてをりました。
 かやうなことから、ドイツ国民に戦ひ抜く決意が次第に鈍り出し
銃後に勝も抜かんとする敢闘精神が弱くなつて、生活上の不平不満や
個人的事情の方が、国家の運命よりも切実に考へらるるようになりま
した。一方、敵国イギリス、フランス、アメリカはこの時とばかりに
ドイツ国民に対し、いろいろな方法手段によつて、虚構な[ママ]宣伝と巧妙
な謀略を展開いたしましたため、国内に悪質のデマが横行し、一方敵
国を憎む心が少くなり、次第に国民の間に厭戦、反戦の空気が拡がつ
てまゐりました。この噂この状勢を利用すべく、北からロシヤの共
産党の魔手が延び、次第に国内に共産思想が蔓延いたしました。さら
にまたユダヤ人は、世界のユダヤ組織と連絡して、国内攪乱に暗躍い
たしました。そして最後に、最大の思想謀略として、アメリカの大統
領ウィルソンが、十四ケ条の講和原則を提議して、無割譲、無賠償の
好餌を以て、ドイツ国民を欺瞞いたしました。これに呼応して、ドイ
ツ国民の不平不満を自己の野心に利用して、その勢力を扶植しつつあ
つた代議士エルツベルガーその他の野心家が、盛んに政府攻撃を一斉
に開始いたしましたるため、ドイツは銃後より崩壊し始め、キール軍
港の水兵が先づ蜂起し、次で各地に燎原の火の如く暴動が伝播し、ド
イツは遂に革命となつて終ひました。かくてその結果が、あの悲しい
コンピエーヌの森の屈辱的休戦となつたのであります。
 今私は、コンピエーヌの森の休戦と申しまして、念頭に浮んだ一事
があるのであります。これはコンピエーヌの森とヒトラーとの聯想で
あります。かう申しますれば、或は皆様は、今次欧州大戦に於て一昨
昨年、パリーがドイツ軍の鉄蹄の下に蹂躙せられ、かの凱旋門がハー
ケンクロイツの国旗で覆はれました直後、即ち一九四〇年六月二十日
コンピエーヌの森でしかも思ひ出の同じ展望車の中で、フランスの敗
軍の将アンチゼ将軍をして休戦条約に調印せしめ、見事会稽の恥を雪
いだ、戦勝国ドイツの偉大なる指導者としての、ヒトラー総統を思ひ
浮べられる方もありませうが、私が今ここに語らんとするのは、この
颯爽たるヒトラーではないのであります。
 時は今から二十五年前の一九一八年十一月の初旬、即ち第一次欧州
大戦の休戦喇叭が鳴り渡つた直前の、ある日のことでありました。ド
イツ国ポメラニアの田舎町バーゼベルクの陸軍病院に、泥まみれの一
台のトラックが着いたのであります。このトラックによつて、沢山の
負傷兵が運ばれて来ました。その中に、顔一杯を包帯で包まれた一上
等兵がをりました。何んでも、目を毒瓦斯でやられた兵士だとのこと
でありました。これらの負傷兵が入院いたしましてから数日後のこ
と、入院患者一同が講堂に集められました。そこで病院配属の牧師が
諸君に悲しい報告があると前提して、その日フランスのコンピエーヌ
の森で行はれた、悲惨な敗北的休戦条約のことを告げたのでありま
す。牧師は言葉をつづけました 「我々はこの長い戦ひを終へることに
なりました。併し戦ひは祖国の敗北に帰しました。我々は敵に、恵み
と宥しを乞はねばならぬ立場になりました。将来は非常な困難に遭遇
するでせう」と語りました。
 これを聞いた負傷兵一同は、祖国の不運を思ひ、自分等の過去の苦
闘を思ひ出して、打ちのめされたやうになつて、ひとしく頭を垂れ歎
き悲しんたのでありますが、いつの間にか講堂は啜り泣きに変つたの
であります。その時、突然、一人の兵士が起ち上つて、人前も憚らず、
慟哭を始めたのであります。声を放つて泣き出したのであります。さ
うして 「この亡国の態は何たることか、この敗北はどうしたことか。
我々は生命を捨てて、四年間も戦線で戦ひ抜いたのに、その結論がこ
の敗北だつたのか。これは一体どうしたことか」と、切歯扼腕して叫
び出したのであります。見ればその兵士は、数日前入院したあの顔一
杯を包帯した上等兵でありました。諸君、この兵士こそは、この上等
兵こそは、今我々が呼吸してゐるこの地球上に於て、最も偉大なる英
雄の一人たる、アドルフ・ヒトラーその人であつたのであります。ド
イツ国最高の指導者ヒトラー総統その人の、若き日の姿であつたので
あります。
 彼は後年、その自叙伝ともいふべき「我が闘争」の中で、その時の
ことをかう言つてをります。
 「私はこれまでの生涯で、人前も憚らず泣いたことが二度ある。一
 庇は少年の頃、最愛の母が死んだ時、母の墓の前に立つてさめざめと
 泣いた。その次はバーゼベルクの陸軍病院でコンピエーヌの森の敗
 北、休戦を知らされた時である。自分は戦争の勃発と共に自ら志願
 して出征し、一兵士として四年間西部戦線で戦つた。小隊長が戦死
 した時も、生死を共にした無二の戦友が目の前で死んで行つた時も、
 また自分の第一回の負傷たる、足に砲弾の破片が中つた時も、自分
 は決して泣きはしなかつた。またイギリスの毒瓦斯でこの目をやら
 れて、或は永久に自分は盲になつて、物の色も形も分らなくなるの
 かと暗い気持になつた時も.祖国の為の犠牲だと思つて、歯を喰ひ
 しばつて泣かなかつた。併しながら、コンピエーヌの森のあの惨憺
 たる亡国的休戦を知つた時は、泣けて泣けて仕方がなかつた。人前
 も忘れて声を放つて泣いた。四年に亙る我々戦場の兵士の労苦と八
 百万にのぼる戦争犠牲者の流した血の報ゐとが、あの屈辱であると
 知つた時、自分の血はたぎつた。心腸は張り裂けるばかりであつ
 た。あれだけの赫々たる戦果を挙げながら、祖国が遂に敗北したの
 は一体何故であるか。それは全く銃後の破綻に因るものである。銃
 後国民が敗けたからである。国を亡ぼしたのは、戦争を利用して私
 利私欲に狂奔したユダヤ人であり、敵国の諜略に躍つた共産党員で
 あり、また戦争完遂に協力しなかつた自由主義政治家共である。お
 お、祖国愛の為に、戦場に立つて喜んで死んで行つた無名の英雄達
 の犠牲は、この祖国の屈辱の為だつたのか。私はこの時、一身を献
 げて、否、骨を削り肉をそいでも、事の成る日までは生き永らへて、
 祖国を亡ぼした徒輩を叩きつけると共に、イギリス、フランス、ロ
 シアに断乎復習して見せるぞと誓つた。祖国を再び偉大なるドイツ
 国たらしめねはならぬ。自分がドイツを救はねばならぬ、と堅く誓
 つた」と書いてあるのであります。
 親もなく、身寄なきヒトラーは、四年の戦場生活に於て、一通の
慰問の手紙も一個の慰問袋も届けられなかつたさうでありますが、こ
の世にも哀れな兵士は、今や世紀の英雄たるべく時代の脚光を浴びて
起ち上りました。盲目になるかも知れない自分よりも、国を挙げて盲
目にされて終つたドイツの方が、彼にとつてより大きな悩みの種とな
つたのであります。祖国の悩みを我が悩みとし、同胞の苦しみを我が
苦しみとし、猛然といはゆるヒトラー運動を展開したのであります。
ヒトラーは、志を同じうする同志七人の結束から出発して、共に血を
啜り骨を削り、鉄石の団結のもとに、ドイツの再建、国防国家の建設
に、真剣な血の滲む努力をつづけたのであります。
 コンピエーヌの森の休戦につづくヴエルサイユ会議に於ては、ドイ
ツは散々な目に遇ひました。凡そ人類の歴史始まつて以来、未だその
類例を見ざる程苛酷なる媾和条約でありました。ドイツにとつては、
それはヴエルサイユ条約ではなく、正にヴエルサイユ命令であり、鉄
の鎖であつたのであります。ナチス党首領ヒトラーはこのヴエルサイ
ユの鉄鎖切断を目標として、次第に同志を獲得して理想実現の日の為
に、ひたすら精進の道を驀進したのであります。併しながらそれは、
来る日も来る日も苦難の日であり、苦闘の連続であり、荊棘の道であ
りました。然るに、天は遂にヒトラーを見捨てませんでした。バーゼ
ベルクの陸軍病院で決心してから、十四年目の一九三三年一月三十日
彼はたうとうドイツ宰相の印綬を帯びるにいたりました。遂に待望の
政権は彼の頭上に輝やいたのであります。この日こそ、即ち、十年前
の明日であつたのであります。
 政権獲得の日、ヒトラーはスポルト・バラストに現れまして、群
がるドイツ国民に対し 「我に与ふるに四年の歳月を以てせよ」と叫
び、国民に確信と信頼と協力の三つを断乎要求して、彼の宿願たりし
ヴエルサイユ条約の廃棄と第三帝国の建設へ堂々と歩武を進め、ドイ
ツを中心とする欧州新秩序を建設すべく、営々として孜々として、そ
の日に備へつつあつたのであります。
 ヴエルサイユ会議で散々な目にあつたのは、ひとりドイツだけでな
く、イタリヤもまた同様でありました。イタリヤは戦勝国側の一員で
ありましたにも拘らず、英米仏のこれに対する態度は、殆ど戦敗国に
対すると同様でありました。イタリヤを戦争に引張り込んだ時の公約
は、弊履の如く捨てて顧みず、イタリヤ人が八十万人の血の犠牲に於
て要求して止まなかつた。アドリア海の北端、ダルマチヤ地方の割譲
は、これを峻拒いたしました。為に、イタリヤの全権オルランドは、
ヴエルサイユ会議の席を蹴つてローマに引揚げたのであります。この
時、曾ては「死の勝利」といふ小説を著はして文名世界に高く、今は
祖国の危急に身を挺した熱血の詩人ダヌンチオは、ペンを捨て剣を執
り、堂々フユーメに進軍してこれを占拠いたしました。諸君、この愛
国の義勇軍の中に、後年のイタリヤ国宰相にして偉大なる世紀の英
雄、ベニト・ムツソリーニも参加してをつたのであります。もちろ
ん、当時彼は未だ無名の一新聞記者に過ぎませんでした。
 ムッソリーニは戦争勃発と共に、自ら志願して戦地に赴き、数回負
傷して後方に送還され、除隊後はミラノに於て「ポポロデイタリヤ」
といふ新聞を創刊して、雄勁な筆によつて熱烈な愛国心の鼓吹に努力
してをりました。彼は祖国の惨憺たる現状と自国政治家の不甲斐なき
に痛憤すると共に、イタリヤを欺瞞し、イタリヤ人を窮地に陥らしめ
た英米、フランスの仕打に、心中深く復讐の決意を固めたのでありま
す。彼は身を挺して国難に赴き、堕落した国内を改造して、祖国を再
び偉大なる二千年前のローマ帝国に還さんとして、ファッショ党の結
成によつて同志を集め、遂に政権獲得を目ざして、血を啜つた同志と
共に、蹶然ローマに進軍を開始いたしたのであります。天はこの熱血
の愛国者をも見捨てませんでした。ローマ進軍の途中、電報によつて
内閣組織の大命が降下して、彼は遂にイタリヤ首相となつたのであり
ます。
 これは、一九二二年十月三十日のことでありまして、今より正に二
十年前であります。身を以てイタリヤ国経営の大任に当るや、ムッソ
リーニは「国家なければ個人なし」の信念のもとに「国家以外に何物
もなし、国家に反対する何物もなし、すべてはただ国家の為に存在
す」といふ、ファッショの世界観に基いて、思ひ切つた国家改造を断
行し、地中海の囚人たるの覊絆を脱せんとして、五千万イタリヤ国民
を携げて[ママ]ローマ帝国の再建と欧州新秩序の建設へ日夜精進をつづけた
のであります。
 次に、日本に対しては、英米仏は如何なる態度を採つたか。諸君と
共に真剣に、ここに検討いたしたいと存ずるのであります。第一次欧
州大戦が聯合国側の勝利となりましたのには、日本の参戦と貢献が圧
倒的影響を与へたものなるにも拘らず、ヴエルサイユ会議に於てはこ
の忠実なる協力者に対して酬ゐるに、英米仏は不信義と忘恩とを以て
いたしました。当に、狡兎つきて良狗煮らるであります。殊に日本国
民の断じて忘却し能はざることは、日本が東亜の盟主として、アジヤ
の為め、人類の正義の為め、世界全人類の輿望を担つて堤案いたしま
したる、彼の人種平等案即ち人種差別撤廃案を殆ど一顧だにすること
なく、これを闇から闇へ葬り去つたことであります。これはアジヤ人
十億否、世界人類の斉しく痛恨と憤激に耐へないところでありまし
た。
 併しながらヴエルサイユ会議はその後二年目に開かれました。[ママ]ワ
シントン会議に於ける日本圧迫の陰謀に比すれば、まだまだ遙かによ
い方でありました。このワシントン会議は、全く、日本の国力発展を
抑止し、アジヤに於ける日本の指導力を粉砕せんとの魂胆に基いて、
米英両国の完全なる諒解のもとに巧妙且つ大胆に企てられた策謀であ
つたのであります。このことは、断じて志れてはならぬところであり
ます。私は常に論じ来つて、ワシントン会議のことに及べば、憤激こ
れを久しうし、正に血の逆流する思ひがいたすのであります。
 ワシントン会議に次いで、昭和五年、英国の提議によつてロンド
ンに招請せられました海軍軍縮会議も、これまた日本圧迫の手段とし
て企図せられたものでありまして、この会議はワシントン条約に規定
せられなかつた。[ママ]潜水艦、駆逐艦、巡洋艦等につき、日本の勢力を低
下させようといふ魂胆のものでありました。
 ここに当時、日本人の多くが知らなかつた一事を御披露いたしませ
う。それは当時アメリカの国務長官であつたスチムソンの言葉であり
ます。ロンドン条約調印後、彼は議会に於て、その功績を誇つて、か
やうな暴言を吐いたのであります。
「我々はこの会議に於て、米国が十八万トンの優秀になるまで、日本
は一隻も新しく建造することなく、足踏して待つてをれと注文したの
である。然るに、日本当局が自己の手を縛るこの条約に、欣然応じた
る勇気に対し、只々脱帽して敬意を表するのみである」と。諸君、何
と皮肉な暴言でありませう。何と無礼ないひ方でありませう。日本政
府は固より、欣然応諾したるものではありません。血涙を呑んで応ぜ
ざるを得なかつたのであります。海軍はいふまでもなく、国民もまた
切歯扼腕したのであります。日本人は御義理や御情で、スチムソンに
脱帽してもらはなくても結構であります。このスチムソンは、一昨
年反対党のルーズベルトに起用されて、ふたたび台閣に列し、陸軍長
官としてアメリカ全陸軍の釆配を振つてをります。そして今次大戦勃
発直前、さかんに日本を誹謗し、無責任な開戦論をとなへてをつたこ
とは、御承知の通りであります。私はスチムソンのこの暴言を知つて
以来、いつかは皮肉や御情でなく、真に心から彼を脱帽せしめてやら
ねばならぬと、神仏に念願してをつたものであります。この私の悲願
は、…恐らく満堂の皆様は固より、日本国民全部の総意を代表して
ゐると思ひまするが…この悲念願は、天の加護により、神仏の恵み
により遂に一昨年の十二月八日、その実現を見るにいたつたのであり
ます。即ち彼が、アメリカ太平洋艦隊の撃滅を知り、またマニラの陥
落、バタアン半島攻略の報告を受ました時、彼は骨の随まで、神洲日
本の実力を痛感せしめられ、己の認識不足を深く反省したことと確信
します。これすなはち、彼が心より、日本に向つて脱帽いたしたとい
ふべきであります。もつと正確にいへば、彼は日本の実力の前に兜を
脱いだのでありまして、諸君と共に洵に欣快に堪へないところであり
ます。
 さらに忘れてならぬことは、米国の日本圧迫はひとり武力的方面の
みではなく、寧ろ、武器を用ひざる戦争、即ち経済的、思想的、文化
的方面に活発であつたことでありまして、あちゆる方法と手段とを以
て、日本の思想と文化と生活がアメリカ化して、日本人がアメリカを
尊敬し、アメリカの文化を崇拝し、アメリカの思想に共鳴するやうに
執拗なる努力を、陰に陽にいたしたのであります。かのハリウツド
の映画の如きが、如何に日本の婦女子を多年に渉つて毒したかを反省
すれば、這般の事情は自ら御想像がつくことと存じます。日本の政冶、
経済、思想、文化等が大正の半ばより昭和の初めにかけて、本来の日
本の道から遠ざかつて、自由主義、民主主義、享楽主義に圧倒されま
したことも、固より日本自身に反省を要するところも多々あります
が、また米英の陰険なる思想謀略によることも多大であります。
 また大正十二年関東大震災で日本が打撃を受けてをりました時、非
道にもアメリカは、かの有名なる排日移民法を通過せしめて、日本に
重大なる侮辱を敢へてしたのであります。また日本の良き安き商品が
水の低きにつくが如く、世界各国に売れ始めまするや、関税障壁を設
け高関税を課して、米英は徹底的にこれを妨害いたしたのでありま
す。
 次に、隣邦支那の蒋介石を籠絡使簇して、抗日排日運動を実行せし
め、さらに満洲より日本放逐を計画せしめたのも、外ならぬ米英であ
つたのであります。イギリスのロンドン・タイムズが「日本は日露戦
争を頂上として、次第に国力は衰亡しつつある」といふ、有名なる侮
辱の論説を書いたのは、この頃のことでありました。日本は退嬰、衰
亡の一途を辿つてゐると考へ、米英両国は心中ひそかに、我が事成れ
りと凱歌を挙げてをつたのであります。
 諸君、この時突如として、日本鞭撻の天啓が下つたのであります。
消極日本を積極日本に、退嬰日本を躍動日本に、狂瀾を既倒に回した
一大回天の大事件が突如として起つたのであります。それはいふまで
もなく、満洲事変の勃発であります。満洲事変こそ、日本復興の神風で
ありました。柳條溝の鉄道爆破による皇軍の蹶起こそ、一億国民の隠
忍を重ねた末の最後の血潮の雄叫びであつたのであります。また満洲
国の建国についで断乎決行したる国際聯盟の離脱こそは新日本発足の
進軍開始でありまして、日本が堂々と自己の確信に基き、自主独往の
決然たる態度を、世界に示した民族的決意の表明であつたのでありま
す。
 国際聯盟の脱退は世界歴史的に眺めますれば、米英の世界支配打倒
竝にヴエルサイユ体制打破の為の、最初の堂々たる反撃であつたので
ありまして、正に世紀的世界的の一大壮挙でありました。第一次欧州
大戦以来二十数年間、世界を苦しめ、人類を不幸ならしめたヴエルサ
イユ体制の鉄鎖切断の第一撃でありました。孰れの国も未だ曾て企て
なかつた、この歴史的の大偉業を断行したる態度を、我が日本は永遠
に担つたのであります。洵に満洲事変と国際聯盟の離脱とは、今次の
大東亜戦争と共に、昭和の聖代に生れ合せた我々の、祖先に報い、子
孫の誇り得る大偉業であると確信いたします。
 しかして、この壮挙が欧州に於てドイツ、イタリヤ両国に与へた影
響たるや、蓋し甚大なるものがあつたことは、想像に難からぬところ
であります。斉しくヴエルサイユ条約の鉄鎖に縛られ、多年米英の圧
迫に苦しんだこの両国と日本とは、いはば同病相憐れむとでもいふべ
き間柄でありましたが、今や日本が蹶然起ち上つて米英の圧迫に反杭
し、毅然として所信に邁進する勇壮なる姿を目のあたりに見て、ドイ
ツ、イタリヤまた大いに決するところがあつたやうであります。特に
両国の指導者ヒトラーとムッソリーニとは、よく日本の國體と国民性
を理解して、彼等の宿願たる新秩序の建設を、日本と共に相提携して
断行せんとの決意を堅めたようであります。
 即ち、ドイツ、イタリヤは、日本の聯盟離脱に呼応する如く、相踵
いで各々国際聯盟より脱退いたしました。さらにまた、ヒトラーはヴ
エルサイユ条約の重要条項たる軍事条項を廃棄して、徴兵制を実行す
ると共に、大いに空軍を整備し、さらに非武装地帯たるラインランド
に堂々進駐を断行いたしました。またムッソリーニは、イギリス、フ
ランスの反対を断乎押し切つて、宿願のエチオピヤ攻略を完遂いたし
ました。かくて、日独伊三国は期せずして米英的旧秩序の打破即ち世
界新秩序の建設へ、方向を一にし、目的を共にして、渾身の努力をつ
づけたのであります。その結果が、昭和十一年日独両国の防共協定と
なり、翌年にはイタリヤがこれに参加し、この防共協定はさらに日独
伊三国同盟へと、強化発展したのであります。このことたる、当然の
運命であり、必然の経路であつたのであります。
 満洲事変後、米英は飽くまで東洋制覇の野望を維持せんとして、一
層活溌に蒋介石を使簇し援助し、その結果が、遂に蘆溝橋畔の発砲事
件となつて爆発し、これは北支事変となりさらに支那事変へと発展し
て、東洋の悲劇ともいふべき日支両国の大戦争となつたのでありま
す。当初、暴支膺懲であつた戦争目的も、武漢三鎮の陥落を転機とし
て、支那事変窮極の目的は東亜に新秩序を建設せんとするに在ること
が、力強く中外に宣明せられました。その翌年には、遂に欧州の天地
にも戦雲漠々として漲り、ドイツと英仏間に戦争が勃発し、次でイタ
リヤまた参戦いたしさらに戦局は独ソ戦争へと拡大いたしました。今
や東亜の戦争も欧州の戦争も、共に新秩序建設を目的とするものなる
ことはいふまでもなく、東の東亜に於ては日本が中心となり、西の欧
州に於ては独伊が中心となつて、新秩序を建設せんとする大戦争を戦
ひ始めたのであります。さればこそ、昭和十五年秋、日独伊三国同盟
が締結せられたのでありまして、畏くもこれに関する詔書に於て、帝
国は独伊とその意図を同じうする旨を仰せられた所以であると、拝察
するのであります。帝国が日独伊三国同盟を結ぶにいたりましたことと
は、万邦をして各々そのところを得しめ、兆民をして悉くその堵に安
んじしめんとする、肇國の大訓に基くものでありまして、この三国同
盟こそ、地球上より虚偽と搾取の一切を払拭せんとする歴史上類例な
き、人類最高の神聖なる大同盟であります。
 然るに、米英両国、分けてもアメリカは、この条約の真意を諒解せ
ず、日独伊三国に対する経済的、武力的圧迫を益々加へてまゐりまし
た。日本が生死の関頭に立ちながらもなほ隠忍自重して、米国との国
交を平和の裡に解決せんとする最後の努力たるかの日米交渉に於ても
米国は遂に日本の三国同盟よりの離脱を強要し来るが如き、天人倶に
許さざる暴戻不遜の態度に出て来たのでありまして、これ帝国が蹶然
起つて、米国と交戦するの止むを得ざりしところであります。独伊両
国は日本の対米英宣戦の翌々日、米国に対し堂々宣戦すると共に、日
独伊三国は単独不媾和を約して、各々国を挙げ国運を賭して、この世
界維新戦に勇戦奮闘いたしてをる次第であります。今や、世界は二大
陣営に分れて、興亡の一大決戦を行ひつつあるのであります。正しく
今次大戦は、世界の新秩序誕生するか、旧秩序延命するかの、天下分
け目の大戦争であります。
 諸君、今や日独伊三国の[ママ]ばらばらに存在するものではありません。
別々に存在するものでもありません。一つに結ばれた存在であり、共
同の運命を担ふものであります。共存共栄であり、同生共死でありま
す。従つて、日独伊の銃後国民は、血を啜つて生死を盟ひ合つた戦友
ともいふべきでありまして、これここに、ヒトラー総統政権獲得十周
年記念日を期し、改めて日独伊銃後血盟大会を開いて戦争完遂への一
層の協力と決意とを新たにした所以であります。諸君、戦ふ国民の前
には、ただ「戦争」の二字あるのみであります。政治も経済も、思想
も、生活もその一切を戦争完遂へ集中して、飽くまで戦ひ抜き勝ち抜
くのみであります。かくて今や、国内もまた戦場であります。銃後国
民もまた戦ふ戦士であります。戦ふ戦士たる銃後国民諸君よ!!
「輝かしき世界新秩序のために」八紘一宇の大訓顕現の為に、今なほ
戦場に在を同胞勇士の御労苦に深く想ひをいたし、総力を挙げ一切を
捧げて、天壌無窮の皇運を扶翼し奉り、以て帝国臣民としての本分を
尽さうではありませんか。これ、本血盟大会参集者一同の決意たると
共に、一億銃後国民の決心であることを、堅く確信して疑はないもの
であります。

(一月二十九日放送)