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決戦は続く 大本営海軍報道部課長 海軍大佐 平出英夫

 大東亜戦争開戦以来、ここに一年、今や我が日章旗、軍艦旗は太平
洋、印度洋を圧して、翻飜と飜つてゐる。僅か一年間の今日、世界の
誰か、この現実を予想し得たであらう。
 大御稜威の下、まことに日本国威の隆々たる世界的顕現である。
 しかし、敵は相次ぐ敗戦にも拘らず、豊富なる物資力と、強大なる
生産力にものをいはせて、執拗なる反撃を企図してゐる。われわれは
敵が如何に新手をもつて出撃し来ようともその出鼻を徹底的に叩き、
息の根を絶たねばならぬ。
 昨年十二月八日---あの日の感激は、なほ今われわれの胸底深くた
ぎり立つてゐるが、明日に始まる開戦第二年は百尺竿頭さらに一歩を
進めて「敵撃滅への総進軍」の年でなけれはならぬ。
 われわれ国民の忘れんとして忘れることの出来ない十二月八日を再
び迎へるに当り、過去一ヶ年の海軍に関する戦局を展望し、戦争が現
に如何なる姿において推移しつつあるかを概観し、敵撃滅の決意を新
たにしたい。

 一ヶ年の戦局の大観

 大東亜戦争が、天人倶に許さざるアメリカの挑戦によつて、勃発し
たことは、今さら申上げるまでもない。当時敵は着々戦備を整へ、南
方要域の戦略配備を一日々々と強化し、既に十二月八日に先立つてそ
の対日作戦計画かを発動し現に飛行機、艦艇による日本近海の強行偵察
或は敵潜水艦のパラオ攻撃、さらにハワイ西方海域に於ける我が潜水
艦に対する攻撃など、帝國の耐へ得る死か生かの最後の関頭に立つに
いたつた。かくて宣戦の 大詔は渙発あらせられました。大詔を拝す
るや皇軍将兵は、敢然と起ち上がり、我が海軍は、緒戦劈頭ハワイ
・マレー沖海戦において、敵海上及び航空兵力の中核を爆砕し、敵の
戦力に深刻な打撃を与へ、制空制海権の基礎を掌握した。
 渡洋作戦では、敵航空兵力を制圧し、海上兵力を撃滅して制空制
海権を確保することが、第一義であるが、わが方は先生奇襲を以てこ
れに成功した。
 制空制海権に基礎づけられて、我が陸海軍部隊の協同作戦は、各地
に展開、ウエーキ、グアムを初め、マレー、フイリッピン、スマト
ラ、ボルネオ、ジャワ等の敵各根拠地、各要点を逐次攻略、戦前敵が
不敗を誇つた対日包囲の鉄鎖は寸断された。緒戦早くもわれに有利な
る戦略態勢の基礎は確立された。
 我が海軍は、必要なる足場を確保すると共に、機を逸せず新たなる
進撃態勢をとつた。四月上旬を期して敢行された印度洋作戦、六月上
旬火蓋を切つた東太平洋作戦の新展開がこれである。
 アンダマン群島よりコロンボ、ツリンコマリーの強襲による印度洋
作戦の開始にしても、アリューシャン列島竝にミッドウェー急襲によ
る東太平洋作戦の展開にしても、いづれも必勝態勢をとらんとする準
備的作戦だつた。
 その後わが海上作戦は、雄渾なる規模の下に展開され、わが制空制
海権はいよいよ拡大強化されると共に、敵の敗け戦の姿は一層深刻な
ものとなつて来た。一方南方資源---戦略物資を確保するにいたつた
のは申すまでもない。かくて帝国は戦略的にもまた経済的にも有利な
態勢を基礎を確立したといへる。

  ソロモン海戦の概要

 アメリカは、緒戦以来のかかる頽勢を挽回せんものと強大なる生産
力を動員して、対日反撃作戦を企図するにいたつた。主作戦目標を日
本打倒におき主戦力を太平洋に集中するにいたつた。
 かくて、敵は太平洋に反撃作戦を展開した。八月上旬を期してのア
リューシャン、ギルバート、ソロモン方面への出撃がこれである。こ
のうち敵が主力を傾倒したのはソロモn群島方面である。かかる一聯
のアメリカの反撃は、ハワイ海戦以来九ケ月にして初めて出撃に転じ
たものとして注目される。
 第一次、第二次ソロモン海戦についてその後山同方面の戦況につい
て大掴みに申上げたい。
 第一、及び第二次ソロモン海戦終了以来二ヶ月以上に亙つて、わが
方は満々たる自信をもつて沈黙して来た。敵はこの沈黙をもつて、我
が海軍に甚大なる損害を与へた証左なりと宣伝し、同方面の最高指揮
官を、更迭しなければならぬ程の敗戦の事実と、次々に生誕する自己
の大損害を隠蔽すると共に、戦勢を挽回するために、その根幹兵力を
この方面に注ぎ込んで来た。
 すなはち、敵は一挙に勝を制せんと、同方面最高の艦隊指揮官ゴム
リーをハルゼーに更迭すると共に、海上兵力の集中を行ひ、自信をも
つて十月二十六日出撃して来た。かくてサンタクルーズ諸島面北方
洋上を圧する大激戦が展開された。これが南太平洋海戦である。
 この日、敵は新編の戦艦数隻を基幹とする部隊を、ソロモン南方海
面に出動せしめて牽制運動を試み、他方有力なる航空母艦群及び新戦
艦各数隻を中核とし、乾坤一擲を期する根幹兵力は、サンタクルーズ
諸島北方洋上遠く、彼等の積りでは所在を秘匿したものと信じなが
ら、わが手に乗ぜられてゐるとも知らず、勇敢に突き込んでまゐつた
のである。
 我が艦隊は時正にいたれりと、まづ先制的に航空戦を展開し、文字
通りの殲滅的邀撃戦追撃戦を敢行、黎明より夜間に亙る一日にして大
本営発表の通り、敵戦艦一隻、航空母艦三隻その他の赫々たる戦果を
あげた。本海戦が如何に、わが方の圧倒的勝利であつたかは、次の一
例をもつても、容易に想像される。
 すなはち、わが艦艇のあるものは同日の追撃戦において、昼間攻撃
に大破して、航行不能に陥つてゐる敵航空母艦ホーネットを発見し
た。接近して見ると、敵駆逐艦が、同母艦に砲撃を加へ、これを沈没
させてわが方の捕獲を免かれんとしつつあつたのである。ところが、
敵駆逐艦はわが来襲に驚き、忽ち母艦を見捨て愴惶として遁走した。
わが艦艇は直ちにこの大破した敵母艦を捕獲し、曳網をかけ、曳船に
移つたが、残念ながら途中曳航不能に陥り、つひにこれを処分した。
 アメリカ海軍当局は、小賢しくも、本海戦の数日前ソロモン方面に
おいて、海空軍の一大海戦が生起するであらうと自信たつぷりの予告
をなしてゐる。驕慢なるその態度、人を喰つたその宣伝、これを驕れ
る兵といはずして何であらう。
 果せる哉、天譴は彼等に降つた。翌十月二十七日はアメリカの海軍
記念日であつて、奇しくもこの光栄ある記念日に、アメリカ海軍大惨
敗の贈物が届けられたといふことは、大東亜戦争に対する神の啓示と
申さねばならぬ。
 かくの如く、アメリカは第一次、第二次ソロモン海戦に次ぐ南太平
洋海戦において、敗戦を重ねてゐるに拘らず、ガダルカナル島に上陸
せしめた部隊の救援、補給と、あくまでここを確保して対日反撃の足
場たらしめんとして執拗な出撃を試み、陸上においても、海上におい
ても絶えず彼我の間に壮烈な激闘が継続されたのであるが、十一月十
二日より十四日にかけ、またも激烈な海上決戦が展開された。これが
第三次ソロモン海戦である。
 すなはち、十二日ガダルカナル島に、輸送補給を敢行せんとして出
世した敵有力艦隊及び輸送船団に対し、我が海軍部隊は終日これに痛
撃を加へ、同日の夜戦におきまして敵巡洋艦三隻を撃沈、翌十三日も
追撃の手をゆるめず、敵航空基地へ対しても猛攻を続け、次いで十四
日夜に入り戦艦を基幹とする強大な敵艦隊と遭遇、ここに彼我共に戦
艦を交へての、悽愴な大夜戦が展開された。わが艦隊はまたとない好
餌に全員の闘志一丸となつて爆発、司令長官自ら陣頭に立つて水雷部
隊を随へ、この有力な敵艦隊に敢然として突入、真に舷々相摩す肉薄
戦を演じ、たちまちにして、戦艦二隻撃沈、一隻撃破その他、大本営
発表の通りの戦果をあげまた敗戦の敵は愴惶として敗走しここに我が
方は部隊の揚陸を敢行したのであります。
 この海戦において我が方また戦艦一隻を失ひ一隻を大破した。本海
戦が如何に激烈なる死闘血戦であつたかが窺はれる。
 再三の敗戦にも懲りず敵はなほもわが方を窺ひ反撃を試みんとし
た。これを察知いたしまするや、我が艦隊は猛然としてこの敵陣に突
入、敵に甚大な打撃を与へた。これが十一月三十日ガダルカナル附近
におけるルンガ沖夜戦である。
 この日我が水雷戦隊は、圧倒的に優勢なる敵艦隊に肉薄突撃し、つ
ひに敵の主力たる戦艦一隻を葬り去つた外、巡洋艦一隻を撃沈、駆逐
艦四隻を撃沈破した。この奮戦は日清、日露戦争以来の我が勇猛なる
水雷戦隊の伝統を遺憾なく発揮したものである。
 かくて八月七日の第一次ソロモン開戦以来約四ヶ月の間に同方面に
おいて、敵戦艦四隻、航空母艦八隻のほか、各種艦艇、輸送船をも合
して、百二十五隻を撃沈破、飛行機八百五十機以上を撃沈破した。こ
れに対しまして、我が方においても戦艦一隻を失つたほか輸送船をも
合せまして、四十一隻、飛行機は未帰還機とも二百三十七機を喪失し
てゐる。次に開戦以来一ヶ年の戦果を申上げると実に敵艦艇三百七十
七隻、船舶四百十六隻を撃沈破し、飛行機二千八百機を撃墜破いたし
てゐる。これに対し我が方もまた各種艦艇四十九隻、船舶約五十隻を
喪失、飛行機五百五十六機を失つてゐる。
 このやうに一ヶ年間における戦争の推移、戦果の跡を回顧しても判
然いたしますやうに、敵も漸次真剣の度を加へ、おのづから戦闘も激
烈となり、我が方の戦果もいよいよ拡大され敵側と比較して格段の差
をしめてゐる。しかし相次ぐ激戦に伴ひ、我が方もまた相当の損失は
免かれないので、この点は生産戦にも関連し戦局を観察する場合とく
に注意しなければならない。

 艦隊奮戦の実例

 南大平洋海戦に参加したわが航空母艦のある勇士の声である。母艦
の飛行機が敵を攻撃して帰艦するまでには、実に七つの弾壁を突破し
なければならぬといふととである。
 母艦を飛び立つて攻撃に向ふわが艦載機は、まづ敵戦闘機の防衛陣
を突破しなければならぬ。次いで敵巡洋艦群の熾烈な対空砲火を受け
る。これを突破すれば、今度は空中には一面の幕を張るが如き敵駆逐
艦群の対空砲火が待つてゐる。なほもこれを排除していよいよ敵戦艦
或は航空母艦に殺到するのだが、敵はここにも必死の弾幕を張つてゐ
る。この弾幕を縫つて必殺の猛攻を加へるのだが、帰途もまた同様の
砲火を逆に潜らなければ無事帰還出来ない。
 かかる困難な戦闘であつて、艦載機の犠牲が相当数に上るのもまた
止むを得ない。
 現に、第二次ソロモン海戦後二ヶ月間における未帰還七十八機、南
太平洋海域において未帰還四十数機、第三次ソロモン海戦において自
爆及び未帰還四十一機といふ犠牲を出してゐる。これは主として、我
が攻撃部隊の勇士達が敵撃滅に全力を注ぎ、生還の如きは全く眼中に
なかつたことを物語るものであつて、ひたすら尽忠報国の一念に燃
え、身をもつて敵撃滅の華と散つた幾多の忠誠がかかる戦果の蔭に眠
ることを深く銘記し、衷心より敬弔を捧げるものである。
 また第三次ソロモン海戦で、わがある駆逐艦は猛然敵艦隊の真只中
に必殺の突撃を敢行、まづ敵大型巡洋艦に雷砲撃を浴びせて、見事こ
れを撃沈、次いでこれに続く敵駆逐艦を砲撃をもつて一瞬に屠り、さ
らに逃げかかる他の駆逐艦に猛砲火を浴びせてこれを大破せしめるな
ど阿修羅の如き奮戦をなし、実に一駆逐艦をもつて敵巡洋艦一隻、駆
逐艦二隻を屠つたが遂に壮絶な最期をとげてゐる、まことに壮烈無比
な奮戦振りである。
 また十四日の夜戦で大破したわが戦艦は戦艦を中心とする敵有力部
隊に遭遇するや落ちに照射砲撃か桁びペ、先制攻撃‥雑巾州によむ最
初に現れた熱戦振な撃沈、ぎらに政壌の中心となつて智馳を拙け、他
の蟄檻をも大破したが、故馳腹筋のわが牡掟に出する難叫政単は放
烈朴きはめ、鎗に我もまた大破してやむなく戦列を離れた。
 しかし最後まで堂々とその偉力を示したわが戦艦の奮戦は海軍伝統の
敢闘精神を遺憾なく発揮したものといへよう。
 この外、北は酷寒のアリューシャンより、南は灼熱の戦線にわたり、
我が海軍将兵は、真に寝食を忘れ、あらゆる苦難と闘ひながら敵撃滅
の戦を進めてゐるが、さらに敵兵站線の破壊、味方交通路の保護等に
活躍する潜水艦竝に第一線の将兵に対する補給、或は生産のための輸
送等に敵潜水艦の危険を冒して活躍しつつある商船を忘れてはなら
ぬ。

  戦争の現段階

 右により判然するやうに、これ等の各海戦は正に悽愴なる海上決戦
の連続と見ることが出来る。海上決戦の連続といふことは、従来の海
戦には見られなかつたことであつて近代海戦の特質を物語るものであ
る。これは主として航空兵力が作戦上きはめて重要なる要素としての
価値を実戦的に立証するにいたつたこと、且つ敵が強大なる生産力に
基礎づけられてゐること等によるのであるが、ことに、相次ぐ海上決
戦による敗北にも拘らず、敵が戦意を喪失するどころか「最後の勝利
我に在り」と呼号し、新手々々をもつて執拗なる抗戦を持続しつつあ
るこの現実を見逃がすことは出来ない。
 日露戦争においては、日本海の決戦による敗北によつてロシヤは遂
に戦意を失ひ、戦争が比較的短期に終末したに反し、今次大東亜戦争
におきましては戦争の終末は簡単には決せられない。この点が両戦争
の本質的に異るところで特に注意する。
 次に何故にかくも敵がソロモン方面を重視し、これが確保に必死の
努力を傾例[ママ]してゐるか、もともとソロモン方面への敵の出発は、かつ
てない大規模の積極作戦で、現にアメリカ政府は、「日本に対する大決
戦である」と宣伝し、国民もまた「日本軍の真珠湾攻撃後、八ケ月に
して、日本の手から主動的体場をとり戻した」と有頂天になつて喜び、
殊に相次ぐ敗戦は隠蔽され、例のやうに戦勝のデマ宣伝だけしか教へ
られないアメリカ国民は、いよいよ気をよくして「アメリカ及び聯合
国は、今や太平洋において一大進軍を開始した。太平洋の潮流は逆流
し始めたのである」と、まるで日本軍を叩きのめしたかのやうな錯覚
に酔ひ、アメリカ軍事評論家も「太平洋勢力の均衡を破る一大決戦
である」として、ソロモンを繞る海戦に大きな期待をかけてゐた。
 しかし、厳たる事実は、否定すベくもない。
 現に軍事評論家として知られるハルソン・ボールドウィンの如き、
最近太平洋の前線をを観察して帰国、ニューヨーク・タイムス紙上にお
いて、第一次ソロモン海戦を批判し、「アメリカ艦隊は、航空機から日
本艦隊接近の報告を受けてゐるに拘らず、まるで坐つてゐる家鴨のや
うに面喰ひ、僅かに二三発、発砲したに過ぎない。責任は独りゴムリ
ー提督にのみ帰すべきでない。防戦一点張りの真理を暴露してゐる
が、これを是正せぬ以上アメリカは敗北するかも知れぬと」アメリ
カ海軍省の発表を無視して暗澹たるアメリカ艦隊の敗戦ぶりを伝へて
ゐる。また南太平洋海戦の直前、愴惶として艦隊司令長官を更迭して
ゐるが如き、如何に彼等が、ソロモン方面についての戦勝のデマ宣伝
を試みようとも、かかる現実は最も雄弁に彼等の蔽敢ひ得ない敗戦を、
物語つてゐる。
 ソロモンは戦略的に見まして重大意義をもつ要点で、これを繞る海
上竝に陸上戦闘が、熾烈を極めるのは当然のことと申さねばならぬ。
男に建上牧粥における陸軍刑蝕の取閑も月謫ッ様死桐止馳e、この♯
とくに銘托しなければならぬ。同万両においてほ艶在いや亡の痢間に
ぉいても、耗多の勇士が肉瑠となつて放と安撃耗拘の革た撃ってゐ
られるであらう。われわれ同万両れ取朗山地烈墓考へるとき俄然と
卜て総身の引きしま匂のを先える・
しかLながら、y…y方礪Jり敵晶蝮↑るだけでほ独学の勝敗
は決せられない。それはアメリカが確音量煎力む勅艮ト、封日反
故山取働か■強刀に堆膚しっつあわ−その♯謹また旺盛であるからであ
 すつ9
  敵の戦備状況
 大東韮独学常初アメリカ海軍の保有阜はアメリカ側づ公費に上れば
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これはアメリカの政略思想り弊苦澄明するものだが、今後ナごy
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触の如ぎ最近では、月産出千鞭を突破すると粥してをわ、商船の如き
阜丁斉にほ京トン扱のもの入十呈鶏埠に成功したと将してゐ
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ことに椅戌なる釈放振放費がナてに就役、誉竺挽‥越りについて

16

ゐる他、閑職以来山職訓ケ収人れたわが侃持”航…竺付睨も、巡洋柁そ
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敵が如何に取鵬た埠へ、店蝉舛く卜響ヲノともすでに筆触されたわ
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て敵の生強力な計数的に∽みみて職璧滑槌的に徴渕したり、或は
敵山誇大宅備に慧られて、聖にも退壁的軋念に挺はれるが加き⊂
とあつてはならない¢
 唯、近代取が消耗む伴ふ長拗馳せあろ特懲を沈く省Hし、生竜山臓
場が在ちに馳頓につながつてゐること、碓つてもし生産に波憾蒜ム
わと†れば−それは憤ちに作職に賀大の影響むもたらすものであるこ
とをむの底から寵諭トなけわばならぬ。
 如何に前線詣椚兵が、訓練行届き敵軍液”拷紳に燃ろて作敬に従郵
するとしても、これに所感山拷津なる武絶を供給し得なければ敵撃沈
に萬全中期することは出来ない。
 国民n一人々人が、照故に多加してゐる∽だといふ湖琴南成り各
自がその磯城に死力な亀†るといふ構沖、それが敏学轟行の京蓼なる
卒乗であり、政争持敗の鍵七撮るものであるといふことを銘記ナベき
 である・申すまでもなく取申り目的は故山抗戦力“徹底的に半減し、
 そ∽敬恵←喪失せしめて最後の勝利を刺するにある。
  戦争の本質と国民の覚悟
 稔って各態渦に勝っただけでは勝利とは申されぬ。憤り将官回の執
 切においノ■九十九回斯も繊ナたとしても、最後二故に致命的敗北を
 喫すれげ々のゆ蓉持勝ちを倒することけ出来ね9
我が醜におきましても閥馳以衆”各馳陶に膠も掛けてゐるから、こ
の馳竿に今後も柴に勝てると思ふこケほ危験である。
 ナポレオンは、沸放逸断線洲山犬地中怖巻Lつつあつたに拘らずウ
ォーターPIの敗故に再び起っな得なかつた。
 馳幽と慨申は、けつきり院別すろ必歩がある0
 ことに、今次山馳節は良縁の勝利む擁指するまでは妥協の敏均のな
い敬ひであつて、中也牛粥で中止出水るやうな生易しい放ではない9
現に前駐日アメリカ大使グルーは、尉国後「日本国民を平伏さ†に
は、官職において、徹底的に撃滅する以外にはない」と強網してを
り、また璃太平伴洞取直後アメリカ政府山意む醍したラジオ評論家ウ
イリアム●ウイソターは「7メリカ海軍の大日的は、日本を永久に地
球上上巾抹殺するにあり」と天人倶に許さぬ暴論む吐いてゐる。几に
喰ふか喰はれるか、叩きのめすか、のめされるかである。
 これが敵襲”本質であゎ、今次世界取学”仮借なき激しい萎であゎ
ま†。
 故に、】取に併ち、二頓に勝ち、最後まで持ち抜かねばならね。持
ち抜くために武力戦り強カなる潅行と、これキ基虎づける生篭の旺
盛なる進笹を必襲とナることは申すまでもない。礁つてl一にも「女
期敢であるから†アほつぽつやれば上い」など考へたち、それ亡そ大
問題ひで、われわれはその日その日を決戦と見てとれに勝ち挽いて行
 かねばならない。
 また損失を伴はぬ軌牢はたうてい考へられない、長期に亙る聞にほ
我が方にあつても相常の犠牲は普然丑惜しなければならぬ。
 【七増八鶴」しhい表口繋がありま†が、敵は戦史か柏ばざれてゐるに
拘らず、なほ起き上り得ると自負してゐる。現に触専は「均等を驚け
たら、これを_売†ればよい、敗北LたとLても、節制の日が、珠身
篭くなるだけである」といつてゐる。
 1局の−甥】弛に紳撫粗放とな少、その都度一事−菱するが如きで
はとり犬取宇む申ひ抜くことは出来ね。ことに主力的海上決戦は別と
Lても、敵は今箆聯妙になればなるほど、必ずや潜水梓、航蕗瀬をも
つてナる′!フ戦か眞閃†るであちう。これが生無敵妨者と金網民の
思想汲むねらふものであるから亡れに対する十分山僻へと、心構へ、
先肯か平†る。
 もと上り長和職と申しても、丸に独学の大労を決する正大な時期
は、こと−粥年と見るのが雀であらう。Lか−戦争☆府糊に終炬せ
しめるも否も、†に革とい性ず、官といはず、艮といはず、国民全て
をあげての決意と、努力如何に凝ってゐる。
 共に他界戦局身みるにその前添は淑に多串と申さねばなら拍。米英
南国の戦争目的ほ必すしも同lとは舐められ拍が、我が国山犬#窪地
睨む不可能ならしめる一方、欧州に丸ける粥伊い新秩序雑役か防止せ
んとするのが共払の大目的である。
 ととに丁メリカは今次晩学む利用Lて、弊料金粗餐日己‥♯下にお
くと共に、稚洲、印群、丁フyカ革む甥梵的に把捉L、取枚批界∽瀬
者たらんとの野鈍か但しうしつつ今後の取申軒相導せんと企刷しつつ
あるやうである。
 しかしながら日本が砿惑において、自破不服の熊労む強化しっつあ
ると国挿、盟邦畑伊また飲料においてその野叫を柵促し、長期不敗の
漁労を#へ、敵弊域に粥泡しっつある−Jとは触に描故に地へね。
 かくて、敵伽必死の反故にも拘らず、日粕伊三印が取中日的必成む
押し作牧師に於てもまた鞘蹄に租税して、掛取力‥噂減に若しっつ
あることほ粥に力強いことと申さねばならぬ。
 われわれほ、渉義一年の勝利に⊥つて、粁東の#利への基幹軒狽化
した。この基醍に立つてわれわれは今年こそ勝利への犬荘を改定酌の
もの忙しなければたらない。
 申すまでもなく大#帝政学ほ、我が中所以来の大義に則る解放であ
り、ご;丁年衆強力に堵ほれて東た声民の偲カキあげての血戦である。
 大熊あるととろに天酪あゎ、人♯を烏すととろに辞助は斯学亡れ
る、弊カせず、点曹を襲さずしてどうして天鵡紳助斗期待でき∫与。
 今や前掛の肝兵ほ曝申穎潜もなく、地位もたく、ひたすら
大君の御鳥め、両家のために、全身粂雀を緻に叩きつけた九平群と同
じ将帥むもつて取つてゐる。そLて常に不可能事を捨身と精根を盤し
て可能ねらLめてゐるご1の赤鮮・Jの東映は日本人たる限ら誰】人と
してもたねものほない替である。ただ岡野はこれを日数しこれを舶現
するか杏かにある。一両上りすれば心れ米英をも撃滅1米英的樹許理
念三光全に窪するか杏かにある。生疎放におきましても思想敬に放
ても日常生活の部面にもいても同様のことがいへ上与と侶ずるり
 酵ほ、時あらは、全てを捨てて 天良隙下に腐−し挙る日本臣民の
Åり薮に成ることである。かくLて、押】竺亭年の歴史ほ軽として守
b捗はせるであら与。
 今日は十〓月入日で払るが、この8は単に泡去の由々たる取締を風
屏ナる取念日であつてはならね。
 関取一撃一年り十二月八日ほ、すに完全に敵を撃滅する木格駒戦争の
新教足8なのであるP
 決戦ほいす取はれてをわなほ樹いてゐるのである●
                   ハ十二月七日放遊)