大東亜戦争と郵便年金 簡易保険局長 田倉八郎
今阿、大枚省、内朔省、遜b省血に大政翼梵舟が主催となコJ、こ
の十山及を期して、全昇の郵便局で聴放つてゐる郵便年金の普及宅湘
窪軌を展開することとなつたが、その目的とナろところは、郵使年金
の倒度をあまねく団塊各佗に卸つていただくと共に浦J、その利用をお
蝕めして、大東拍敬零下、益よ園以各位の生消の安定を計ると共に、
却下の急♯であるこ阜二十低旧酋の速成に武朗L上うと†るものであ
る0この運動は・昨年の十一月仁J∴M捕りH仰の†に付はれト■のeあ
るが、宰打開民各佗の理解あろ御協力かgて、轡か一月牢hずの悶に
大正†五年郵便年金始まって以来、未だ育てむい九入者の栴加舵りを
見たのである。しかし今年は、大東増Z学といふ未曾有の東大和月に
砥面いたし、我が国は今や必餅盟制の下に、学園一致ひた†ん執事力
の転化に他力を憤触してゐる最中であるので、亡の窪動の意義虫最上
狂いものがあろと信じます。
さて恥力の強化の上に相封に鉄くことのできない四民貯蓄が最近丑
仁五胃磁桝を突破Lたのであゎますが、こかは過去五年に亙ろ一億詞
民の絨石の如く堅い必勝の信念と、団を変†る燃ゆるが如き憫熱の結
晶に他ならないのであbま†0今後取争の長期化に伴ひ国民貯蓄q増
加は筏上その必亜を増してまゐるが、この力と熱とさへあれば、必†
馳力封化の日的が達せられることを確信して革はないのであゎます。
さて郵便年金は、同氏生桔の安定、殊に老後の生活の安定を計るた
めの制定であつて、創始以衆十六年の間、この方面に勤して和音の役
割をいたしてまゐつたのであるが、区民全陛をこの制度に抱醸すると
いふ本来の理想から申すと、まだまだ前窪浪速の蕗をいだかぎるを得
ないのである。これは蓼するに園児各位の中E、郵便年金についてま
だ十分御和解なさつてゐない万が多いためであつて、甚だ残念に存ザ
る次第であろが一旋紺拙旅在籍たならば、成る程さういふものかと必
ずヤ稼い淘心な持たわることと思ふので、これから郵便年金とはどん
なものかといふことについて少しく伽話して見たいと存じま寸.慌欝
に申†と、郵使年金といふものは、郵恍尚で収扱ふ年金作蠍りことで
ふつて、年金保取と申すのは礫め掛金を沸込んでおくと一定の年輪に
捜してから、その人の藷企のあろ限b積年人々一定の金扱が支瑚はれ
ム榊喋っdふつて、例へば.一.十況の男子が「へん虹肘千五†六郷八十和
銀∽料金を幼込んでおくか或は程年三胃十−m竺丁丁〓招掩〓十年悶釣
込んでおくと†ると、その人が沌五十能になつてから一生の陶毎年六
く44)
首滞印ち月額六十拭宛の年金を受珂れることになるのであつて、怜鹿
官公埋れ思姶のや与た作捕をするものであろから、上く惟切でほ郵便
年金山王」とを「兄へる息拾だ」と申しますが.辞世その通りである●
恰耗生命悍馳を裁と†れば、裁傑年金は事に和音するのeあつて、邸
ち生命倖陰は御着い内に藷−のことがあつた時の用意に必盟なのであ
ろが、年金の方は年老いてからも勧若い時と同様に確聞たる生活を維
持し上〜と†る用意のためであつて、との哀と‡があつて初めて人ほ
一生を通じて生活安定の保障を得らわるわけであるり年老いてだんだ
ん−甲りくことができなくなつて所持能力の護へて行くことを堵へる
と、誰Lも一抹の淋しさを準えるのであるが、元気上く働いて稼げる聞
告郵併年金に入つて】定のお金を梯込んでおけば、宅竣に梅年々々お
金を貰へるのであるから自ら安心し立命して生活も合理化さわてゆく
の一両、職域に在つては思ふ存分仕事の能率を高めることができるわ
けである。従つて軒家批骨の生蔭力は倹に担に強化されてゆくのであ
るが、このことは刻下の汲時生蓉刀の揃充とも碑挨む榊係があるので
あつて、決しておろそかに考へてはなら幻大切な同顔であります。
郵便年金は、先にも申した通り、拘用全盟をその制堆の下に抱擁し
上う七いふ建前から、老若男女、重富を間ほず誰わ破れの留別なく手
桓に利用できる仕組になつてゐるのであむ甘す。そして一口に郵便年
金といつてもいろいろ宅があるからこれを儲軍にお誘いたしま†D
先づ鴇−に賛意の蛮全化を望まれる方には、即時艇身年金といふの
と保詔期間附印時抜身年金といふのがあります。双方とも掛金は一時
純ひで、年金は加入した年から支沸はれます。年金胡、つまゎ積年毎
年督取る金舗は三十和は上二千帽百潤までとなつてをります。局瀾仁
†わげ救月二卸五十鍾鳩上〓百附ごγとむゎま†。傑紛糾剛附即時終
身年金と申すのは、即時年金に偉渾期間が汲ッ加へられたものであつ
て、保諸糊糊といふのほ、年金の菜弗が姶つてから十五年、〓十年ま
たほニ“十年の間に、年金受収人に硫一のことがあつても、残りの和恥
申は、掃叔の年金が引続きその独房に鼓沸姓れる七いふ制獲でありま
す。これはただの邸時年金と毒つて年金受取人だけではなく、その敢
族の生活の蛮定までも保訝†る愁に楷色があるのであhます。加入年
齢は抄時捗身年金でほ沌凶十就から入寸鳶まで、ぜた保諾期間附即時
終身年金でほ、保謂期間が十五年かニ†年かまたは三十年聞かによつ
て措飼され′」をりまして十五年のものほ六十六葺から七十五歳まモ、
〓十年のものは四ナ裁から六十五哉までまた三十年のものは二十歳か
ら四十議までとなつてをりま†.相昔の賛意を持つてゐる方やまたほ
】時にまとまつた収入のあつた方むどが何れかの年金に加入されるこ
とは最も安全で確すな方法と考へられるのでありま†℃鶉二に大衆杓
きの年金としては、瀬紀伝身年金といふのと悍詔期間附裾政経身年金
といふのがあります。双方共弗金を¶時沸込みか分封沸、即ち御加入
の茫硬めて挑込むかまたは一定の期間年耕辛年掛或は三月科として沸
込むかLておいて、五十歳、五十五鳶、六十蔑または六ナ五哉になつ
てから死ぬまで匂年l更級の年金の支弗を受けるもので、加入年熊は
共にナ二濃から六ナ窪までとなつてをわます一席正期間附瀬昏挺身年
金の傑謹期間は前に申上げた遣りのものであるが、ただこの年金にほ
掛金鴎時抽といふのがあるととを特に注意していただきたいのであ少
ますゥ掛金は沸込む呼瑚も金管一軍Lてゐるのが甘簸ですが、との
保澄切問附鵜庶年金に限つて、頼金は契約者の懐エ合の上いとき獲ら
でも彿込めぽよいといふ便法を特に認めてゐるのであります。−とれは
全く大衆り生描を考蹴Lた制度でありてできるだけ郵便年金を大衆の
く4与)
間に甘及させる意糊から出たものに他ならないのであります.
址雪盲してお子さん万の準賛とか鏑算用などに備へるためには札
期年金といふものがあります。これは掛金を一時沸または分朝沸にし
ておくと、子供さんが十二戎、十五歳、十七哉または二十歳になつた
時から五年間または十年閏年金が支沸はれるもので、一哉から†入怠
までが加入年鱗になつてをりま†。前に革げた如時年金でも瀬凝年金
でも、年金は終身聞支沸はれるものであるが、この年金は年金の支沸
期間を五年とか十年とかに一定してゐるので定期年金といふ名前がつ
いてゐるのであります。子女をこの年金に入れておけばもL作造潜に
巧一のことがあつても、準賓が紺かないために折角志した準稜々中途
で退拳させるやうな心配はなくなる謂であります。もちろんこの年金
は準焚はかりでなく、結壌の烈柏やその他子女の将来のためいろいろ
と布数々利用方法があろのであります。以上粗く大睦ではあろが、尉
民生描の安達方法としての嘲健年金のお話をいたしたのであります。
次に郵便年金が現下我が団の軍大桐庖たろ圃民貯蓄として、どういふ
ふ・りに投九つものであるかといふことをお請いたします。郵依年金の
加入者が柵込む掛金は、積水金として政府が保管してゐるのである
が、そのまま金庫の中にしまつておくのではなく、いろいろに盗用し
て常に金機種済に貢献してゐるのであります。特に革襲以来この積立
金は他の内代貯等槻閑に上る貯蓄と兆に馳学籍桝の州滑なる渾替に対
して大きな役割をぬつてをり、殊に郵便年金の掛金は、甘洩の貯金と
苺つて勝手に引き出すわけには行きませんから自然増立金として相首
長い間据置かれる朗係上、加入瀦は期せずして長期貯濱をすろのヒ同
じ梼乗になるのであります。いひ換へて見れば、この樹立金ほ、時局
が最も隙く野求してをるところの長期安定賓金の柴積されたものに他
ならねのであbますP郵便年金の開局貯蓄としてもつとも日立つた特
色ほ、uの長期安定賓金を造り出す殊に在るのであります。
郵便年金の加入糖は、事典以来殊に大東塵取平になつてからは、素
晴らしい棉加振りで、その槻女金も昭和十六年度末で四億四千寵川に
達し、その約七和が公債の滑化や革帯蛮業の生産横充資金に向けられ
てゐるのであります。つまり加入者が桁えれば荊えりつ程この綿立金も
構えてゆくのであるから、結局それだけ拭民貯蓄の増加となるわけで
あります。そればかりでなく加入者が掛金を沸込付ことは、それだけ
柄寛カを貯蓄に吸収してしまふのですから、物増構費や怒性インフレ
を未然に防止して勝ち山く馬の吸牢経済を益上健全にすろ領一Jをする
のであむます。政府が殊さら郵便年金の普及を弘謁する理如は、以上
申態べたことがらから大畦御諒解下さつたことと存じま†。・」の窪動
はこれから全国津々浦々にいたるまや力蝕く推し進められて行きま
す。拳ひ皆枕の熱烈なる御焔力にエつて、大いに避動の成果を挙げ、
〓盲.二十鹿野事の達成に責戯すると共に、皆さん押自身の生活の安定
を計られる悠に少し下も飴し得たお金があるならば、これを郵便年金
の方に振り向けらるるやう御齢ひして止みません。ハ十一月九日放左)