遵法は国民の心から 司法次官 大森洪太
十一月一日は昭和十凹年の同月同日が、裁判所構成法と申しま寸る
裁判所の土篭を築き上げたま野な法律が甘地になゎましてから恰変五
十年の記念日でありまLて、常用、畏くも 契上陛下に於かせられま
しては、墨見の裁判所に御鶴野に相成巾、司法部に封Lて髄渥なろ榊
沙汰を下し賜はりまLた。司法部にとりまして橘撤極まbなき光稟の
日でありまして、雨水、この日を司沃記念日とトて職員一同戚激を斬
にLつつ 型旨を奉戴して、慈よ司法我国のために懸命の弊カを捧げ
まつるの誓を開くしま†るととムに、一般国民諸君に封Lて、遵法の
措辞を持くLていただきたいといふことを呼ひかけてゐるのであゎま
す0
竜法と申しますると、何だかむつかLく掲こえるのでありますが、
お互に法を守る、邸ち、押しっけられていやいやながら法に瀕ふとい
ふのでほなく、法を愛し、法に親しみ、誰も埠も自ら進んで法を大勤
にすろやうに仕向けたい、これが私共の念bなのであります。
きて、今年の司挟紀念8ほ童馳の 大前漁赦を#Lてから、即ち、
く16)
→底閑民が大盤亜の安寧のために、世界永凍の平和のために、大和民
族球駒川衆の睡命の達成のために一所に告け概つてか・り、最初の司払
記念日eあbます。大御稜威の下、大衆穐海山かなト三なたで、宿
敵米英の掘様なり電黎鳩粘なりを本つ壌械厳に靭押して、いたるとこ
ろに輝く戦果を寧げ、しかもこの徽梨とともにめぎまLい建設が的礁
且つ霞甥に行ほれてゐる、そのまつただなかで迎へる司接記念日であ
りま†。
盤取の目的はもちろん堆大であります。この日的の完盤にいたるま
では鮒ち、持つて断つて勝ち抜くまではもとエわ、長期の大戦申を敷
憶しなければなbませ幻。その長期の大戦研のためにはあらゆろ背難
を辞せず、あらゆる最牲を惜しまざろ決心が肝要でありまして、その
犬決心とともに迎へる司法氾念日でふります。意義極めて蛮大なる司
法紀念日だと存ずるのであります¢
申すまでもなく、総力取であゎまして、老若料女各よその本分に贈
じ、その救域に従つて、まつLぐらに戦争目的に向つて、手一杯、腕
】杯の榊奉公を申上げるべきでありまLて、払兆はいま、このじ本は
世界の大取牢の中心に、いな爬界の大戦争を指導Lつつ、血みどろの
せ肉を炊けてゐるのだといふことを、常任坐臥、念祀におかなければ
なりませね。寝てもさめても、いま取雫中だといふことを、忘れては
柑済まないのであります。
それから、出征の粁丘へのかたがたほ命を的に御閑のために職つてを
られるのでありますか「dこれ等忠窮戎烈のかたがたに後晰の鮎を絶
つといふことが、私兆銃後の薪の妨lの背任であります。銃後の治壌
を耗催して、お留守はトつかbとお預り申してをりますといふお約煎
をして、畔征のかたがたに安心をLていただかなけれげなりませめ。
しの件んを頼ろそ∽時に、
ありませ■つ。従つてもL轟
渚
の夢は必ずやなつかしい紺稗に穎ふで
にJ小銃後に不安があるとすかならば、
それを最も心配せられるのは、出征のかたがたでありませう.銃後を
安卜りかに朗、りかに・T心の常任は、府に、式凡大だといはたければな巾
ませね。
銃後を安らかに朋かに†るがためには.法の力が閑々まで行届かな
ければなbませね。Lかょそれは弊鞘に人中述ペまLたやうに、いや
いやながら己むを和ず沃に逓ふといふ山ではな〈、卦人幕んで、法を
守って、管、心の奥庇か.っ法を愛護する、即ち扶が各人の心にエつて
いかなる部門のいかなろ釆鵜にも、なごやかに行氷ることを必弊とす
るのであbます。
そこで、歯雨の開店といたしまして、生活必駕品、特に食料につき
まLて、いまなほいかがはしいことを糊くのであ〜ます。杏、むしろ
いかがはしいことが柿えてまゐるやうであります。例山閻収引eあり
ます。曙にいやな雷撃ピありまして、誰が附けた名前か存じませ山け
れども、私はこい冒妹を耳にする梅にぞうつとするのであbます0併
し、閥収引といふも∽が、即ち、そ山溝覚があるのだからいたL方は
ごぎいませぬ。もちろん、.闇取引の生ずる原銅は穐1ありませう。捉
つて−これを絶滅するがためにほ、いろいろ考拡をしなければならな
いことと存じま†。桝疎も必要で淋りませうし、配給方法の稗輸討と
いふこともあわませう。或ほまた、公定僻和り改正といつたやうなこ
ともちろかも知れませ山。それ等山ことほそれぞれその主管煮で勧苦
心にたつてゐるのであトまして、それは私も十分に衆知をしてをわま
(1¢)
†るし、日夜爪に涙ぐましい卯力た約けてむられろ¶椚も私は卜人く見
聞してゐるので凱りまして、滑々快い敬意を捧げてめる次第でありま
す.
さや〜なわけで、改善”必弊のあるものは必ザや然るべく政義せら
れることと私は信じてをりまする∽入な卜りず.私としては専門外山こ
とごすかh、それはここでは申上げませねけれども、こ山東料につい
て私の考へてをりますろれは、わが日本は甥に実科の輔知り照許な国
だといふことであbます。
本土だけでも摘北千曳に亙る細長い閑で、それぞわ山場桝に、特殊
の気候特殊の環境に従つた特殊の薙物があります。名物といふ富頻、
これは日本特有の言斐だと存じます。外飼語にはこれにぴ9たり留る
官報はないと思〃ます。
それから、入やげといふ」】」い張、甥に髄しい、葵しい言張hヰ′が、こ
れも日本持有のいい官等で、甲∽土地にはあるが、乙m土地にほな
い。それを甲の土地仙人が乙の土地の人に栂る、或は乙の土地り人が
甲の土地へ行つて寛つて来る。それを親戚故苛に分けるといふところ
に、入やげといふ言張山美都が存するのでありますが、これ名物とい
ひ、みやげといつたや与た特有望→口装が日本にある∽は、これ日本ポ
それぞれの場所においてそれぞれ持株の売物に意まれてめろ明白な澄
蛾であゎます。あ∽汽ヰ坪歯に普通搾儲山外に飼飯、頭取、鮎ずし、
筆ずしといつたやうな撃つた挿海山もの、これを持別桝常と申してを
わますが、この特別桝常山種類が革襲前には九十何程】めりました。西
洋で汽革桝普といへばいはゆる洋食粁首とサンドウィッチたつたこ種
類¢、日本は亡の磯忙おいてもたしかに世界無比であります。かかる
頼朝い理富た衰料に雪いて亡れを統制†る車努は弛大抵の・Jとでは息
巾ませれし、また、われわれ∽方でも、これまでかかる天誠になれ過
ぎてゐたといふことも決して閑却すべからぎるところであります。挨
起して叫しまするが、こ山犬排撃山下において、法に現し入、法にな
つかL九つつ、銃後を明朗に†るの盤悟を必襲とすること、晩に癌功
だと存ずるのeあゎます。 ハ十月三十山口放蓮)