戦に捷つ生産の精神 企画院第二部長 柏原兵太郎
国民諸君は今日大体においてよく働き、よく辛抱してをられるのは
事実であらう。しかし相手国の国民もまた同様である。つまり戦争と
は相手のある仕事で一人相撲ではない。故に働く競争または頑張りの
程度を相手の国民より余計にやり抜いた国民が戦争に勝つのである。
いま日本は金や物に全く不自由しない、世界で一番物質力に恵まれた
国と戦争をしてゐる。即ち取つ組んだ相手が悪い。こいつを負かすに
は、普通日本が有つて入る物質力だけでは所詮駄目で、これを補ふ大
きな精神力を日本人が発揮する以外に手がないと思ふ。これは万人の
一致した意見である。
しかしここで断つておきたいのは、精神力さへ大きければ物の量の
ごときは問題でないといふ意味では断じてない。日本は元来物的設備
や資源等において相手と比べて十分でない。故にこれを埋合せる目的
で戦時増産に勝ち抜く精神力において、相手がこれを十あらはせば、
こちらは二十、三十これを発揮してそれだけ物の生産を高め、量を増
さなければならぬからである。
そこで問題色は、この戦に勝ち抜く生産増強の精神が、今日官も民も
一体どれだけ出来てをり、それがアメリカ辺りの精神と比べてどれだ
け優つてゐるかといふこの一事に帰着することになる。私の深憂する
のもこの一点に存するのである。
いま頃敵国人の言葉等を濫りに引出してそこら辺りから叱られさう
だが、しかし物の正しい道理といふものには東西古今を通じて変りは
ない。かの日本人にもよく知られてゐるバーナード・ショウといふ爺
さんは「世の中で本亜のことを語るほど滑稽なことはない。これくら
ゐをかしなことはない」と何かの本に書いてゐたのを記憶してゐる。
この名言を我が国内状勢に当てはめて考へてみるならば、即ち今日
物の生産の面にも、配給の面にも、或は日常生活の面にも、克く声を
大にして呼ばれる戦時非常の重大時局にふさはしい体制或は心構へが
どれだけわが国民に出来てゐるか、これが果して真個の日本の姿だら
うかと、ときどき私は不思議に思ふくらゐである。
しかし私は断じて悲観しない。元来日本人の血潮の中には愛国の至
情が脈々として漲つてゐるのである。または物の着眼、創意、殊に日
本独特の技術を体得してゐる点において、彼等米英人に比べ毛頭ひ
けを取らないと信ずる。それでなくて今日の日本が出来上るわけがな
いのである。
しかるに今日なはこの日本人のみに潜在する世界に稀な愛国心がま
だ十分喚起されない、また日本人持有の生産の面に優秀性が十分発揮
されてゐない所以のものは一体どこにあるのだらうか。
ドイツのゲッペルスもいつてゐる ―
「今度の戦争長期か短期か
とよく人々から聞かれるが、これ等の間は正しくドイツの勝利を当然
なものと確定しての言葉である。それはまだ早い。今度の戦争は前欧
洲大戦同様全く喰ふか喰はれるかの大戦争である。これに徹底的に勝
つことだけが先決で、戦争に勝てさへすれば長期も短期も問題でな
い」といつて国民の楽観気分を真向から叩きのめしてをる。
また吉田松陰先生も、「国家の大患はその大患たるを知らざるに在
り」といつてをられる。私はこの意味においてまづ何よりも先に、国
民一般をして、一日も早く、国家が今月真に非常時局に直面してゐるこ
とを心底より覚らしめること、換言すれば現在国民上下に澎湃として
存する時局に対する楽観の気分を徹底的に払拭し去ることをやらなけ
れば、事態の救済はむづかしからうと思ふ。
これさへ徹底的に行ひ得たら後は放つて置いても、生産や輸送の能
率も画期的に上り、配給その他の面もきつとうまくゆくことと思ふの
である。
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帯をもつと鼻把的な軌粘から少し進めて見るならば、砥琳不定がち
の世の中だか、h、本来郷を最も有数に戚理して什耕の能率をあげなけ
ればなら郎背かのに、それが今H一絶とういふことになつてをるだら
ぅか。私ほこの状態について僻宜ここでH殿人と拘と時とに分けて祝
明して−付ることにいたします。
先づ人についていふむらば、最近エく人々か・‥勢力の不鬼を訴へら
れるが、今日ほ未曾有の大隈窄をしてゐるりである。さういふときに
十分な帝務をどこでも稀保H来ると思ふのが元来附彊つてゐる。それ
はさうとして、私山開きたいのは、もLそれ等の不鵜を訴へてゐろ人
人の聞に、それ棒懲すろ工場または叫竿壕では、それほ上水りない人
手をは本常に力叫杯働かしてゐるかと喘かれて、梨して耗信を似て
く18)
「さうでもるJと返坤の出撃つ人々がどれはどあるだりうか0いたつ
て少いのでないかと思ふ√また労務管搾が蛾つてゐないところはと、
文句が多いといふ近頃定評になつてゐる。
そこへ行つてほ盟邦ドイツ等の例を見ると、取前に比べてこ刻も三
刻も賦つた人手で逆に三朝も五割も生産を増加してをる工場がぎらに
あるさうでlある0
衣に物については、「物の足りない世の中に今日ほと物が豊富にある
がごとく見える璧nがない」と最近酷評を下してゐた人さへある0ま
ぁそれほどでないにしても、少し活眼を開いてそこらを歩き堀つて見
れば、成程と背かれる軒例に柑普ぷつかるのであるq
また敬時においては串を迅渾卜眉理する必野のあることは今労いふ
を侯たない。・」れは時についての同額であらう0「背からロシヤが敬へ
ば必ず負けるのは何故であるか、それはXシヤの同氏牲として時の椴
念といふものがないからだ」と或る本に背いてあつたの晶爬してを
る。Pイドジヲジもまた頓時における行動の遅鈍を戒める例として
これを軍病人の手術に甘へて面白いことをいつてゐる0釦ち「今日手
柵して軌かる病人も、三週間後、いな二宮後にこれを行へばもう助か
らぬ▲彗nが多い。取時における行動の浬社においてもまた然りLと・
蓋し名官である0
上く萬串につけて手招や穎理が濯いといふので官庶あたりが靡上世
人から非難の封鎖となつてゐるが、ど′つトて大きな伊祀や工場あたり
の仕卒のやり方を見てゐると、飴り褒められないのも柏常にあるやに
恩ふのである。
衣に日本人の有っ潜脱、創意・工夫、技術的甥行力等といふちのが
最菰漸く濫蒔きながち写ろ〈熊軒の筒に表れて衆たことを元す正頃
朗かなニュースを少L御鮮介する。
まつ挙げなけわばなら山のは、去る七月及び八月山術月に全開に亙
って行はれた戦時非常の金鵬榊義灘詞期間の成果である。掛、申−†
ソガン、鉛、亜鉛等、時局下非常に必変とする金触瀦石についての軒
宅目標を突破すること全国平均Lてこ些一面乃至は拗割といふ桁⊥雫小
りであつた。元来生煎日漂白肥が、窺下の必黎性から柑常拓〈絹げら
れたのであつた。それをこれほとも突破Lたのである0
私は椅を正してこれ等金鮎竹意に青田された人々に感謝するととも
に、世の常に今日生薩山上らぎるを常燃のやうにこれを訴へ、或は不
平ばかりをいつてゐる人々に、上く耳の垢をとつて患いて‡ひたいと
患ふ、何人金崩鉄山だけが螢力が十分で、資材もこと垣り、衆埋もた
んまり輿へられてをるのではない。それだのに何がかういふ停大なろ
大樹蛮の致果を収めさせたか。†は全日本の金鳥山に湘係する人々の
すべてが、時局の吏大根と金額榊豪の緊要址とを饗つて、丸に火の玉
となつて掛き拭いたがトlである。文字洩り岩をも流す時局椅紳のた
めであつた。しかも桝蔭在勤について非常に心頻く恩はれるのは、糖
ま運動の期間が終つても引絞き生衰日原を突破Lて、依然村薫をオけ
てゐることでもる。
これと何じ「とは石淡の埼蛮鶏動においてもみられたのでありま
す。石浜はいはゆる膜料中の基本席料で、正に戦時鮮済の支杜でもる
といふム過言でない。そこで最近石浜を一つ掟烈に掴ら・つといふので
十月言H上り現にその大村産婆勅が全日本に展開されてゐる0これま
でのやうに一月か生一万までの知の三ケ月間の申詳のやうにやつたの
とはわけが避ふ0十月からずつとやらうといふのだ。槻係官用意批な
決意である。鮪都に砥い常磐袈のごときはすでに先粥を切つて入月か
く柑)
ら行つてゐる畑そ黙a産嘗月襟を〓肋彗一扁川と金成椅意向様に突破して
ゐる。
私の直筆耳に特んだ戎る山のごときはその持主がこの時局にすつか
り払概して毎日坑内へ入つたきりで外へ出て軒ないさ与である。奥さ
んはまた奥さんで嗅異になつて毎日選炭鴇で執いてゐる。との構紳が
全山の坑夫たちに通じて破等を動かさない嘗がない。大捜今度の石浜
桁恵迦勅は、敏速またほ丑などの関係から、主として九州淡の特産及
び北海道の原料架を狙つたものであろが、いま日本が生売増強に、零
力充耳に明るく期待出水るかどうかは一にかかつて石浜の増産にある
ので、今度こそは典に右にかぢりついてもこれを計窯滴りやり了せ上
う、そLて翌々たる獲物を以て全国民に見えんと未だ曾て見ない全員
非常な張り切り方である。この間の曾耗なんかも皆いきり立つて、ま
ろで頃嘩の埠両を恩はせるところであつた。
次に取時陛迩の非常畦制について述べてみ上う。吸時海陸の魚速力
の消長が一執の取力を和し、或はその革命を支配するものなることは
あらためていふを供たない。そとで呪在種上の対策が講せられてゐる
がそれには、アメリカ等のやうに−本桐子に行かうとはしない。あの
手、との手で行かうといふのである。
先づ陸建についていへば、例の十月六日開講の決定舞表を見たる戦
時陸避の非常浩榊の樺太である。つまり不急不弊の蛇行の一大抑制を
断行するほか、一部の持別施設を行ふことに上り、右崇を勧め銑鍵、
鋼材、その他の蛮黎物資の沿岸海上輪由を産衣、全部挿鵡で引受ける
と−しろまで持つて行かっといふ企である。朝鮮、絹支の練鵡ももちろ
んこの方針に「右へな・。りへしする。これが本格的に†行されれば我が
鳥帯同野じて忽ち大陸仰圃とむり、不落の野蛮を形成†ることとなる
のであるPそしてこれに上
て、海上の挨迭力栂強に充
が進められてゐる。
また最近我が国海運の堵
ほ
をば支那や南方へ持つて待つ
のである。いま済々その準備
注目されるのほ、最近丁メy
カでは重畳嘲一萬噸の搬を四十入日で完成したレコードをへyリー・
カイザIといふ男が鎗つたとか、近く更にこれわヱ一過聞くらゐまでに
締めるとか締めれとかいつて、盛に宜伸してゐるととであろ。とれを
開いて8本にもそろそろそんな天才的な男が現れて来さうなものだと
稚も思ふだらう0まことにその滴りである。しかし私の見るところそ
の内きつと桝て来る、現に出て来つうあるのではなからうかといひた
い。ただ現在日本の環境が、さういふ男が直ちに夷筒に出るにはいさ
さかまだ槻が黙してゐない撼があるだけのととであると思ふ。漁船も
これまたアメリカふうの庇似でたく、日本粗出の奇想天外な行き方を
な†べきであらうと存ずる。
最近海迩について愉快に感じた帯は陣軍でやつた海洋筏の話であ
る。汲湧賓に一千浬、長日月の大時化を克服して、太平洋を逼かに租
材木六千右を曳行して来たのである。この他北に商に胎に崩して最強
やうやく日本掬椙の効率心を以て種iの難群が成し盆げられてをる。
また特殊製錬はこれもまた海上輸轟増強の一案として自然に生れ、
眈に研究ををへて、本格約にやうやく耳行り籍に就かんとしてゐろも
のである0
即ち海上輸速力頓租ほ巻胎一木嗣子で行くばかりが能でない−−方
瀬を使ほないやうに工夫する⊂ともまた肝黎h一也る。さうすれば他を
漁ると同じ放果を生ずる。この見地上り朝野に、北箕に、南方に、大
大的に中性の極めて容易な編易如縮法の教見甘地を見んとしてゐる。
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きらにセメントについてもこれまた姪く、今まで分つてはゐながら
完全に甥行を糊してんなかつた⊂とを晰乎今乾板り上げて、編めて簡
潔に現在生硬の一朝以上も材煮出来るやうになるし、現在鉢山または
架轄何とLて時局がら楠新盤に卜る火染もこれまた簡擬な思ひつきで
〓部室編も爆牽力が増すことが舞見工夫されつつある0なほまた長
坂右穎の焚き方の研究が盛んとなわ、ポP朔を使つても従来上皇表
も五割も火力が上るといふや〜な新教見がとんとん持込まれてゐる0
その他大小種々の新しい生産上の朗かな三Iスが擬々持込まれて
ゐる。しかしここで智衣L難いもの、或はなほもう少し研究の飴地あ
るもの等もあるが、今はまづこのくらんにしておきたい0
夷に帝都動員等についても、虎に前期的な案が出て来る銘建がやう
ゃく稚成せられつつあることも、この際噸あへずここで報告Lておき
たい。
さらに日本の有†る資故について先ほど私は機竺J謙遜した表現で
鞭明したが、一昭日本が大水頓のこれくらゐの雄大な地域を鶴傑Lて
ゐながらなは賛辞が不足するや〜なことでは、これで大東竜山盟主と
なれるかといひたくなるのである。ただしかトかういふ鞍富なる費激
が現に斌存するといふこと、⊂れを相可に自分のものにして使ひこな
すといふことは糾問由でここが我々の非常な筋力と工夫とを嬰する斬
‖均である8
次にどうも米英等はまだ日本を少しなめてをるらしい0紘らに大き
な放字さへ空襲すればいいといふのはその】例である0トかしそれが
こちらにとつてほ朝つてもつけの串である。静かに歎々として棉藍に
邁進しこれを確保する、その上でもう日本柏手れ取雫は懲り々々だと
いふほど。恩切々鞍革も牽けてやろ必黎が葬るqそれには狂烈に
生産増強のピッチを上げなければならQのである・
大響芸人といふのほ表面一見おとなしく見えるが火の玉のやうな
*血的民である。そLて印象中嶋なことは大址ひである0
か山放牧において勇雄果敢、肉狩を以てトーチカに突撃する、或は
敵艦に健馨りして自爆すろ持軒のごときは、単に重患瑞同の掃紳の教
務だけでない。見方に上つては物事をどこまでもやり耳くといふ、世
界無比山悲壮なる特性も、あの収監の璧−轟めて自然に現れて来るの
でないかと思ふ。
こ山鹿の敬は艮に大和民政り死活む吸である・しかも巳むに己まれ
ず敵国かり無理独ひに強ひられた職だ0もうこれ以上私ほくとい孜明
はしない。
しかしただ妄u、私たちほ兵験さんだけにこの死活り大戦平をまか
しておいていいものだらうか、我々も今からでも凛〈ない、との山も
工場も、練武も、於も、待モ氾含も、あの十二月八日に準被さ九た
大如写挿したとき山樟激をもう】度喚起ト、今日の日から本営に家督
して、全日本の寧閑暇時非常の一大埼薦捏動の展尉を即刻お巌ひLた
いといふりとを申上げたい。 ハ十月十五日放丘)
一一ヨ一一一一